翌日ユアンが町へ偵察にやってくると、大勢の人々が何やら口々に叫びながら走って行くのが見えた。不審に思い一人を捉まえて尋ねてみると、なんでも本日城にて行われている軍への入隊試験で桁外れな強さの人物がいるらしく、その顔を拝みに行くのだと言う。
 要するに野次馬連中だ。ユアンにそのような趣味は無く、普段だったら歯牙にもかけなかっただろう。だが今回に限っては、昨日の事もあってか、妙に引っ掛かるものを感じた為、彼も連中に混じって城へ行ってみる事にしたのだった。
 すると案の定、噂の主はクラトスで…
 唖然としているユアンに隣の男が話しかけてくる。
「すげえよ、あいつ。これで5人目だぜ。最初は試験担当の兵士が相手をしていたんだ。でも全く話にならなくてさ。で、今度は腕自慢が次々と出てきたわけだが、そいつもことごとく退けちまっている。」

 当然だとユアンは思った。
 クラトスは若いが、この国の古参の兵士と比べても、その数倍の戦闘をこなしてきている。経験の程度が違うのだ。どんな状況にも瞬時に対応できる術を心得ており、そんな彼に、腕自慢とは言え単なるお山の大将にすぎない連中がいくら束になってかかっても敵うわけがない。

 その考えを裏付けるかのように、クラトスはそれからも勝ち続けていった。
 そして15人ぐらいを撃破した頃だろうか、
「お!とうとう十傑衆のお出ましか。」
「十傑衆?」
「その名の通り、我が国が誇る軍内トップ10の剣士達の事さ。彼らは今までの兵士とは違う。いくらあいつが強くても、一瞬でやられちまうだろうよ…………って、あれ?…驚いたな。あいつ、互角にやりあっているぜ。」
 男は心底驚いたようにそう言ったのだが、ユアンが驚いたのは別の事だった。

(あれが十傑?)

 確かに強い。だがそれは今までの連中と比べてという意味で、あのぐらいの剣士ならこの世界に掃いて捨てる程いる。最初に出てきた事から、恐らく一番格下なのだろうが、それにしたってあの技量で十傑に入れたとすれば、その上の連中の強さも高が知れているだろう。所詮クラトスの敵ではないという事だ。
 しかし、負けたのはクラトスの方だった。彼は相手から強烈な連続突き攻撃を受け、膝を折ってしまったのである。
「どうでぇ!やっぱ十傑ってのはすげえだろう。だがあいつもよくやったよ。相手が十傑なら負けたってちっとも恥じゃねえ。その前に15人抜けしてきた疲れもあっただろうしな。」
 まさに飛び上がらんばかりに喜んでいる男を余所に、呟くユアン。
「………… 一体何を考えているんだ。」
「あん?何だって?」
「いえ…これでこの国も安泰ですね、と言ったのですよ。」
「おお、そうだな!十傑衆にあの男が加わりゃ、鬼に金棒ってもんよ!!ハッハッハッハッ!」
 高笑いしている男を残し、その場を離れるユアン。
 その顔は何か考え込んでいるようで、眉間に深いしわをよせていた。



 それから2時間もすると全ての入隊希望者の試験も終わり、それに伴い野次馬達も引き上げていった。
 先程の騒ぎが嘘のように静まり返った道場内で、クラトスは、後片づけをしているグレーを手伝っていた。
「あの野次馬の数、見たか?やっぱ凄いよ、お前。」
 グレーが興奮したように言えば、クラトスは渋い顔で、
「……あまり目立ちたくはなかったのだがな。」
「それは無理ってものだよ。なにしろお前って奴は、ただ立っているだけでも人目を引いちまうんだから。それにあれだけ騒がせたんだ。入隊すれば嫌でも注目の的になっちまうだろうよ。」
「それは入隊出来ればの話だろう。」
「お前は十傑衆を引っ張り出したんだぜ。落ちるわけないだろう。どちらにしてもアロガー大将の推薦状があるお前は、試験なんて形だけだったんだ。最初から合格って決まっていたし、配属先も俺の隊って事で話はついている。今日中には通知がくるだろう。これで俺達はまた一緒に戦う事が出来るってわけだ。」
「……まるでやらせだな。」
「それは違うぜ。昨日の野盗との戦闘でお前の強さは証明済みだ。だからこそアロガー様も推薦状を書いて下さったんだよ。お前にとっての試験は昨日の野盗戦。今日はお披露目ってトコだな。無試験で入ったのなら文句も出ようが、あれだけの強さを実際に見せつけられりゃあ誰も文句は言えないだろう?今日改めて試験を受けてもらったのにはそういう意味もあったんだ。それに合格するのはお前一人ってわけじゃないんだし、気にする事なんて何もないんだよ。」
「……」
「それにしても、お前、変わったよな。」
「変わった?」
「ああ。なんだか丸くなったって言うか…。さっきの試合だって、決めの一発を相手に触れる寸前で止めていたが、以前のお前なら遠慮なく叩き込んでいた筈だ。それに最後の十傑との勝負……あれ、わざとだろう?あの程度の相手にお前が負けるわけないもんな。十傑まで倒しちまったら、後で軋轢を生むと考えたか?」
 クラトスは軽く肩をすくめてみせただけだった。
 グレーはニヤリとすると、
「まさかお前がそんな気配りを見せるとはな。やっぱりお前、変わったよ。何がお前を変えたのか非常に興味があるが、でも訊いたところでお前は答えてくれないだろう。」
「……」
「まあいいさ。これからは一緒の職場なんだ。その話はいずれゆっくりと聞かせてもらうとして……ところでお前は今、どこに泊まっているんだ?」
「野宿だが。前にも言ったように、ここには長逗留するつもりはなかったので、宿はとらなかった。…………ああそうか。それではちょっと困るな。宿なしでは今日の結果を知らせようがないか。」
「いや、合否の通知は俺の所にくるようになっているからいいんだが……ここに腰を落ち着けるとなれば、やはり住む場所を探さなければならないだろう?官舎に入るにしても、今はいつ敵国が攻め込んでくるか分からない物騒な世の中だ。兵士を多く雇い入れているものだから、順番待ちの状態ですぐには入れない。かと言ってアパートを探すにしても時間がかかるだろう。その間野宿しながらっていうのもなんだし、宿屋じゃ金がな…。俺も最初はそれで苦労したんだ。で、提案なんだが、俺の家に来ないか?」
「え?」
「俺の家を拠点に住居探しをすればいい。いや、なんだったら、そのままずっといてくれても構わないんだ。」
「しかし…」
「な、ぜひそうしろよ。俺としてもその方が嬉しいし。」
 クラトスは、しばし考えた末に頷いた。
「……ではお言葉に甘えさせて頂こう。だが住居が見付かるまでだ。そのままずっとというのは気が引けるのでな。」
「フ…そういう堅苦しいところは変わってないんだな。いいよ。お前がそうしたいなら。それじゃあ、今日からって事でいいな?それで今夜はお前の合格祝いのパーティと洒落込もうか。」
「パーティ?まだ通知もきていないのにか?」
「言っただろう?お前が不合格になる事はないんだって。まあ、パーティと言っても列席者は俺達二人だけだけれどな。」
 悪戯っぽくウインクしてみせるグレー。
 そしてパチンと手を打つと、
「さあて。そうと決まったら、とっとと帰ろうぜ。お前はシャワーでも浴びて汗を流してこいよ。お前が手伝ってくれたお陰で大分片付いた。後はモップ掛けだけだし俺一人で大丈夫。お前が戻るまでに終わらせておくからさ。……さあ、さあ、早く行った行った。」
 そう言ってクラトスを出口へと追い立てる。
 どうやら彼はパーティが楽しみで、1分でも早く帰りたくて仕方がないらしい。この調子だと、クラトスが出て行くまで追い立て続けるだろう。

(まるで子供だな…)

 クラトスは苦笑を浮かべると、シャワー室へと向かったのだった。


 その姿を見送ると、グレーはモップを手に取り仕上げの床拭きを始めた。もちろん、クラトスが戻ってきたらすぐに帰れるようにである。と、その時だった。まるでクラトスがいなくなるのを見計らっていたかのように道場内に一つの影が滑り込んでくると、いきなりグレーに掴みかかってきたのだ。
 この突然の乱入者に目を見開くグレー。
「……お前、誰だ?」
 それは金色の髪をした少年だった。
 少年は驚くべき身軽さで、捕まえようとするグレーの手を掻い潜ると、殺気を帯びた目とは対照的な、まだ声変わりをしていない高い声で怒鳴ってきた。
「クラトスを返せ!」
「はあ?」
「お前が何かを企んでいるのは分かっているんだ。どうやってクラトスをたらしこんだのか知らないけど、クラトスは僕のものなんだよ。お前なんかに渡すものか!!」
 グレーはしばらくの間、目を丸くして少年を見詰めていたが、やがてフッと笑いを漏らすと、
「たらしこむとは随分な言い草だな。だがな、俺はクラトスに無理強いした覚えはないぜ。この国で仕官すると決めたのはあいつ自身なんだ。どこの誰かは知らないが、赤の他人が口を挟む事じゃないんだよ。」
「赤の他人なんかじゃない!僕は…」
「僕は…なんだい?仲間だとでも?しかしあいつは俺に一人旅だって言っていたぜ。お前が仲間なのだとしたら、どうしてそんな嘘を吐いたのかね?仲間だと思っているのはお前だけなんじゃないか。」
「そんな……そんな事ないっ!」
「!!」
 少年の体が光を帯びてくる。魔術を放とうとしているのは一目瞭然だ。
 緊張の面持ちで身構えるグレー。
 するとそこへ…

「何をやっているんだ、お前は!!」

 またもや見知らぬ青い髪の男が走り込んできたと思ったら、少年の詠唱を止めたのである。

(何だ?何だ?今日はやけに乱入者が多い日だな。)

 青髪の男は目を丸くしているグレーに頭を下げると、暴れる少年の腕を掴み引っ立てて行く。
「ちょっと待ちなよ。」
 その背中に声をかけるグレー。
「あんたらが何者なのか訊く気もないし、突然乱入してきた無礼も許そう。俺もちょっと意地悪な事を言っちまったしな。だが一つだけ忠告させてもらうなら……坊や、クラトスは物じゃねえ。従ってお前のものでもなけりゃ、俺のものでもないんだよ。周りの人間をそんな風にしか見られないようじゃ、次第に人は離れていくだろう。痛い目を見ない内に改めるんだな。」
「何それ。あんたの体験談?」
 揶揄するようにそう言った少年に、グレーも笑みを浮かべると、
「ああそうだよ。俺は、まだオムツがとれたばかりのお前に比べりゃ、ずっと長く生きているんでね。そういう人間はごまんと知っている。年長者の言葉には素直に耳を傾けるもんだぜ、ぼ・う・や。」
「!!」
 ムッとした表情を浮かべ言い返そうとする少年を再び押さえる青髪の男。そして今一度グレーに頭を下げると、悔しそうに歯ぎしりをしている少年を連れ、今度こそ外へと出ていったのだった。
 グレーはもうそちらを見ようともせず、モップ掛けを再開していた。


 城外へ出て人気のない場所まで来ると、ようやく青髪の男 ―― ユアンは、掴んでいた少年 ―― ミトスの腕を放した。掴まれていた箇所をさすりながら恨めし気にユアンを見るミトス。
「何でユアンがあそこにいたんだよ。」
「野次馬達に混じって入隊試験を見ていたんだ。それでクラトスと話をしたいと思い機会を窺っていた。そうしたらお前が現れたのだ。まさかお前もあの野次馬の中にいたとはな。見ていたのだろう?お前も。」
「ああそうだよ。だからあいつを懲らしめてやろうと思ったんだ。だってそうでしょう?クラトスがこの国で仕官しようと思ったのは、あいつに騙されているからなんだ。それを白状させればクラトスも目が覚めるかと思って…。」
「目を覚ますのはお前の方だ!……お前、自分がした事が分かっているのか?折角クラトスが隠しておいてくれたものを、お前の短慮の所為で、私達の存在が奴に知られてしまったではないか!」
「だってあのままじゃクラトスが…」
「クラトスは我々を裏切ったりしない。その事はお前だってよく分かっている筈だろう?もっと信じてやるべきじゃないのか?」
「……」
「兎に角お前は帰れ。」
「ユアンは?」
「私は少し調べたい事があるのでな。」
「だったら僕も…」
「いや、お前は帰るんだ。きっとマーテルが心配している。どうせ何も言わずに抜け出してきたのだろう?考えてもみろ。お前まで来ちまったものだから、今彼女は一人なんだぞ。もし何かあったらどうするつもりだ?」
「あ…」
 ユアンの言葉にハッとするミトス。それでもまだ迷っている様子だったが、やがて渋々頷くと帰って行った。

 その姿が角の向こうへ消えるのを見届けるとユアンは溜め息をついた。
 ミトスには『もっとクラトスを信じろ』なんて格好のいい事を言ったが、正直なところユアン自身、クラトスが何を考えているのか分からなくなっていたのである。
 もちろんクラトスが裏切るとは思っていないが、一抹の不安は残る。グレーとの会話を盗み聞きした限りでは、クラトスの仕官話はかなり進んでいるようだし、もしこのまま本当に仕官してしまったら、間違いなくミトスに罵られるだろう。

“これでもしクラトスが本当に士官しちゃったりしたらユアンの所為だからね。責任はとってもらうよ!!”

 先日のミトスの鬼のような形相が浮かんできて、思わず身震いをするユアン。
 だがすぐに頭を振ると、
「……いかんいかん、マイナス思考はよくないな。何事もプラスに考える ―― それが私の信条だった。まだ仕官すると決まってしまったわけじゃないんだし、その前に食い止めればいい事なんだよな。」
 そう言いながら、鬼のミトス像から全てが無事に解決し笑っている自分へとイメージを転換していく。しばらくすると、ユアンは普段の顔つきに戻っていた。この切り替えの早さは彼の数少ない長所だと言えよう。
「よし!マイナス思考(=鬼のミトス)の退治、終了!これで大丈夫。前向きに捉えれば全てうまくいくものだ。2日もすれば、なんて馬鹿な事で悩んでいたんだろうと笑っている私がいる筈さ。……さて、すっきりしたところで調査に向かうとするか。」
 全ての鍵は、マーテルが言っていたブレスレットにあるとユアンは考えていた。その秘密さえ突き止める事ができれば、自然に状況は良い方向へと動いて行く筈。
「よ〜し、頑張るぞ!」
 ユアンはパチパチと両手で自分の頬を叩き気合を入れると、張り切って調査に飛び出して行ったのだった。

 だがそうは問屋が卸さなかった。ユアンのマイナス思考(=鬼のミトス)は完全に退治されていなかったようで、事態はユアンが描く絵図とは反対の方向へと動いてしまう。
 その夜、グレー邸にてささやかな祝いの席が設けられ、試験結果の通知はその最中に届けられた。結果はグレーが言った通り合格で、クラトスは来週からグレーの指揮する隊へ配属される事に決まってしまったのである。



 翌朝クラトスが一階に下りていくと、グレーはもう食事を終えて出仕の準備も整えていた。
「おおクラトス、起きたのか。悪いな、朝食は先にすませてしまった。」
「いや、こちらこそすまなかった。どうも寝過してしまったようだ。」
「構わないよ。昨日は色々あったから、さすがに疲れが出たのだろう。お前の出仕は来週なわけだし、それまではゆっくりしていればいいよ。暇なら書斎で読書でもしていればいい。好きだったろう、読書。兵法書から恋愛小説まで取り揃っているからさ。」
「それは有難いが、これでも色々とやる事があるのでな。読書は落ち着いてからゆっくりさせてもらうよ。取り敢えず今日は野宿場所で荷物の整理をしてこようと思っている。」
「荷物を取りにいくだけなら、うちの使用人にやらせてもいいんだぜ。場所さえ教えてくれれば…」
「いや、掃除もしたいし、やはり自分でいってこようと思う。」
「そうか。まあ、お前がそうしたいなら好きにするさ。しかし野宿場所を掃除とは、相変わらず律儀だな。」
「昔からそうやってきた。今更変われんよ。数日間世話になった場所なのだから、そのぐらいやって当然だろう?」

 そう。クラトスは昔からそうだった。演習での野営の後も一人でゴミ拾いなどして片付けていたし、野山を荒らすのを異常に嫌うのだ。もちろんそれはマナの減少を少しでも抑えようとしての、クラトスにとっては当然の行為だったのだが、マナの見えないグレー達にそれが分かる筈もなく、普段の彼からは想像できないその姿に皆首を傾げていたものである。

 そんな昔の光景を思い出し、クスクスと笑い出すグレー。
 クラトスは眉をひそめると、
「何が可笑しいのだ?」
「いや、すまない。なんでもないんだ。ただちょっと懐かしくってさ……おかしなところはちっとも変わっていないんだなと思ってね。」
 一通り笑い終えると、グレーは時計を見て慌てて立ち上がった。
「おっと、いけねえ。そろそろ出かけないと…。」
 バタバタと玄関に向かうグレーを、クラトスも後を追い見送る。
「そうだ!……今日はちょっと帰りが遅くなりそうなんだ。すまないが、夕食は先に一人で食べておいてくれないか?」
「それならちょうど良かった。私も今夜はここに戻らないつもりだったから。」
「え?野宿するつもりだったのか?何で?後片づけがそんなにかかるのか?」
「うむ。ちょっとな…」
「やはり手伝いの者をやろうか?」
「大丈夫だ。それには及ばない。」
「そうか?……だが気を付けろよ。町の外は危険だ。先日捕まえたばかりとは言え、野盗はあいつらだけじゃないし、モンスターもいる。」
「分かっているよ。十分気を付けるつもりだ。」
「まあ、お前ならそんな心配、無用だろうけどな。」
 そう言って笑ったグレーの目が、ふとクラトスの両腕に止まった。
「お!それ、着けたんだな。」
 それは昨夜、アロガー大将から入隊祝いだと言って届けられたブレスレットだった。
 クラトスは頷くと、
「うむ。私は盾を使用するからこういう物は着けないのだが、大将から戴いたものを粗末にするわけにもいくまい。このような小さな物でも着けているのといないのとでは動きに違いが出てくるからな。今の内に慣れておこうと思って。」
「フ…お前らしいな。だが、似合っているよ。」
「有難う。……今日会うのだろう?」
「ああ。定例会議があるからな。」
「ならば、後日改めてお礼に伺うと伝えておいてほしいのだが。」
「そんなに気を使う必要はないと思うぜ。気に入った者に贈り物をするのはあの人の趣味みたいなものなんだから。礼を言った言わないとか、そんな細かい事にこだわる人じゃないしさ。第一、礼なら昨日来た使いの者に文を持たせていたじゃないか。」
「しかし私は推薦状まで書いてもらっているからな。やはり直接会ってお礼をしたいのだ。」
「フ…ホント頑固なんだな、お前って。分かったよ。ちゃんと伝えておくから心配するなって。」
「すまんな。」
 頭を下げるクラトス。
 グレーは胸を叩いてみせると、『じゃあ行ってくる』と明るい声で言って出掛けて行ったのだった。


 それからクラトスは朝食を済ませると自分も家を出たのだが、物陰からこちらの様子を窺っているユアンに気付き足を止めた。
「何をやっているのだ、あいつは…」
 さりげなく周りを見回すが、幸い他には誰も気付いていない様子。
 クラトスは溜め息をつくと、人気のない空き地の方へと彼を誘導していった。ここなら身を隠す場所もなく、話を盗み聞きされる心配はないだろう。
 振り返ったクラトスに、ユアンは頭を掻きながら言った。
「すまんな。お前に言われたようにしばらくは接触するつもりはなかったのだが、これだけは伝えておいた方がいいかと思ってな。」
「伝える?何を?」
「いや、伝えるというのはちょっと語弊があるな。謝ると言った方がいいか。」
「だから何を?」
「何って、ミトスの事に決まっているだろう。その所為で私達の事がばれてしまったからな。やはり一応謝っておくべきだと思ったのだ。」
「ミトス?ミトスがどうかしたのか?」
「へ?……お前、聞いていないのか?昨日ミトスがグレーを襲ったんだが…。」
「ミトスがグレーを襲った…?」
 驚きの表情を浮かべユアンの言葉を繰り返すクラトス。この様子では本当に知らなかったようである。
 ユアンはあんぐりと口を開けた。

 まさかあいつ、言わなかったのか?何故?
 いきなり『クラトスを返せ』と言いながら見知らぬ少年が襲ってきたのだ。普通だったら『あいつは誰だ?』と噂の主であるクラトスに問い質すだろう。
 それをしなかったという事は……

 ユアンの頭にはただ一つの答えしか浮かんでこなかった。
 問い質す必要などなかったのだ。彼は私達の事を全て知っていた。その上でクラトスに近付いてきた。だとすれば…

「おい、クラトス。あのグレーと言う男、本当に信用でき…」
 ここは何としてもクラトスをあの男から離さなければならない……そんな強い決意のもとクラトスを振り返ったユアンだったが、その目がクラトスのしているブレスレットに止まるや、そんな考えは見事に吹っ飛んでしまった。
 話半ばにも拘らず、悲鳴を上げるユアン。
「お前!それ!それ!」
「ん?……ああ、このブレスレットか?これは入隊の祝いにとアロガー大将から戴いた物だ。」
「馬鹿!そんなもん、早く取れ!……いや、取るとやばいのか……ああもう!なんで着けちまったんだよ!そのブレスレットはな…」
 しどろもどろになりながら説明しようとしたユアンは、クラトスの表情を見て言葉をのみ込んだ。
「……お前、知っているのか?知っていてそれを着けたのか?」
「……」
「!!何故そんな事をした?そうまでして信じる価値があのグレーにあると言うのか?……あいつはそのブレスレットの事も知っていたに違いないんだ。それなのに何も言わずにお前に着けさせた。これは立派な裏切りだ。それなのに何故まだあいつの事を信じるんだ?お前、絶対におかしいぞ!」
 激昂して捲し立てるユアン。
 クラトスはしばらくの間それを黙って聞いていたが、やがて目を伏せると、静かな声で言った。
「……今朝、種をまいたのだ。」
「はあ?…お前、こんな時に何、わけの分からん事を…」
「それはどうとでも誤魔化しがきく種で、念の為にまいたものだ。無論使う気はなかった。………グレーを疑いたくはなかったから…」
「……」
「だがもう、そんな事を言っている場合ではないようだな。このままではミトスが暴走してしまうだろう。それを防ぐ為にも、私は決断する必要があるのかもしれない。」
 そこでクラトスは顔を上げると、まっすぐにユアンを見詰めた。
「ユアン、頼みがある。」
「え?」
「種が芽を出すにはどうしてもお前の力が必要なのだ。お前の言う事ならマーテルも黙って聞くだろう。そしてマーテルが言う事なら、ミトスも従ってくれる筈だ。だから……頼む。」
 クラトスはあくまでも静かだった。それが逆に凄みを感じさせ、気が付けばユアンは、わけも分からずコクコクと頷いてしまっていたのだった。


−つづく−