十数人の男達が、ある小屋の周りを取り囲んでいた。
 時刻は日付が変わったばかりという頃。当然辺りは闇に包まれている。
 そんな中、小屋にだけは灯りがともされており、また、窓から人影のようなものが確認できる事から、どうやら中の人物はこんな時間にも拘らずまだ起きているようだ。
 そのまま何事もなく時は過ぎ、小一時間程経った頃だろうか、一つの小さな灯りがやってくるのが見えた。灯りに照らされた顔……ラッシュ・グレーである。
 グレーは近くまで来ると灯りを消し、小屋を見張っている男達に近付いて行った。
 その気配に気付き、男の一人が振り返る。
「あ!隊長!」
 グレーは、慌てて敬礼する男を制すると、
「あの小屋に間違いはないのだな?」
「はっ!確かに入って行くのを確認致しましたので。迎え入れたのは青髪の男です。」
「青髪の男?」
 グレーの脳裏に、先日の乱入者が浮かんでくる。
「そうか。ならば間違いないようだな。その青髪の男は、仲間の一人と目されている人物なのだ。」
「どうします?乗り込みますか?」
 しばし考えるグレー。
「…いや、まずは俺一人で行く。」
「え?……しかし、危険なのでは?」
「危険だと?お前、俺を誰だと思っているんだ。」
「!!……し、失礼致しました!」
「フ…馬鹿。冗談だよ、冗談。そんなに畏まるな。……俺だってやつらの強さは十分に分かっている。俺だけで突っ込んで行くような愚かな真似はしないさ。まずは話し合い……戦闘になるとしたら、それが決裂した時だ。その時は合図の呼び子を吹くから、すぐに飛び出せるようにしておけ。」
「はっ!」
 急いで伝令に走って行く兵士を見送ると、グレーはゆっくりと小屋に向かった。
 ここは今は使われていない猟師小屋である。それをいい事に時々旅人が使用しているとの情報が以前から寄せられていた。だが旅人がモンスターに襲われる事件が多発している昨今、旅人の安全の為に国も特に取り締まる事なく目を瞑っていたのだった。
 彼らも旅人……ここを使用していたとしてもおかしくはない。もっと早くに気付くべきだった。

 小屋の前に着くと、グレーは慎重にノックをした。
 返事はない。
「……」
 もう一度、今度は少し強めにノックをするが、やはり返事はなく……グレーは眉をひそめると、引き戸の取っ手に手をかけた。
 何の障害もなく数センチ程動く戸。どうやら鍵は掛かっていないようだ。
 そっと聞き耳を立ててみるが全く話し声は聞こえず、動く気配もない。
 なんだか様子がおかしい。
 窓に人影が映っていた事から一人は確実にいる筈である。他の者がいないとしても身じろぎぐらいするのが普通だろう。
 だんだんと嫌な予感がしてくる。
 そこでグレーは思い切って中へ入ってみる事にしたのだった。
 深呼吸をすると一気に戸を押し開け、中へ飛び込んでいく。
 その途端目を見開いた。
 中には誰もいなかったのである。道理でノックをしても戸を開いても何の反応もなかったわけだ。
 ガランとした室内を見回し唖然とするグレー。
「そんな馬鹿な……」
 奴が青髪の男に迎え入れられる姿を尾行者が確かに見届けている。それからすぐに隊を出し小屋を包囲させた。ここは町に近いので往復にさほど時間がかからず、空白の時間は、尾行者が報告に戻り、隊がここに到着するまでの数分間しかない。その僅かな間に煙の如く消えてしまった事になる。
 そんな神業が行えるとするならば…

 最初から尾行がついている事を知っていた?
 だがそうなると、窓に見えたあの人影はどうなるのだ?

 ふと窓辺へ目をやると、背もたれのない椅子の上に丸太が置かれ、シーツが掛けられてあった。外から見えた人影の正体はそれだったのだ。
「……騙された?…くっ!」
 グレーは怒りにまかせて椅子を蹴り飛ばすと、歯ぎしりをしながら外へ出た。
 するとそこへ…

「何だグレー、荷造りの手伝いに来てくれたのか?しかし今は真夜中だ。来るならもっと早い時間にしてほしかったな。」

「!?」
 突然聞こえてきた声にギクリとしてそちらを振り返るグレー。
 そこには、大木に背を預け腕を組んだクラトスが立っており、こちらを見ていた。
「クラトス!!」
 グレーは咄嗟に懐から呼び子を取り出し吹くが、誰も現れず…
 慌てた様子のグレーに、クラトスはフッと笑いを漏らすと、
「そんな事をしても無駄だよ。お前が連れてきた連中なら全て片付けた。」
「片付けた?……殺したのか?」
「いや、気を失わせただけだ。だがたとえ意識が戻ったとしても動けんだろうがな。」
「それでも命を取らなかった事には礼を言わなければならないかな?」
「礼など必要ない。彼らは上の命令で動いていただけの事。本当に罰せられるべきは上の連中だ。私達は降りかかった火の粉は払うが、敢えて命を奪ったりはしない。」
「……私達?」
 クラトスの言葉にグレーの顔が強張る。だがすぐに小さく息をつき表情をゆるめると、
「フッ、『私達』ね。やはりお前は…………まあいいか。で、他の連中はどこにいるんだ?もう俺一人だけなんだ。姿を現してもいいんじゃねえか?」
「他の連中とは誰の事だ?」
「とぼけるな!仲間のハーフエルフ達の事だよ!!」
「彼らならもういない。」
「いない?……しかし青髪の男は?」
「尾行者に姿を見せた後、すぐに逃がした。今頃は先に逃がした仲間と合流し、国境を越えているだろう。」
「……そ、それでは、あれだけの人数の兵士をお前一人で片付けたと言うのか!そんな馬鹿な…」
 そう言ってから、口をつぐむグレー。
 可能なのだ。この男の剣の腕なら。
 それはグレー自身、よく分かっている事だった。
「フ…成程ね。つまり荷物を取りに行くと言ったのも俺をあぶり出す為の嘘。尾行者が見た青髪の男も、尾行者にまだ小屋に仲間がいると思わせる為の囮…。罠にかけるつもりが、逆にこっちがお前が仕掛けた罠にはまっちまったってわけだ。」
 クラトスは弁解はしなかった。出来なかったのである。

 クラトスがユアンに頼んだ事は2点。ミトス達を説得し小屋から別の場所に移動させる事と、その後彼だけ小屋に戻ってもらいクラトスを迎え入れる事。後者は無論、グレーが言ったように、クラトスに付いている尾行者に姿を見せる為だ。
 だがこれらの行為はクラトスにとっては罠ではなく、念の為に掛けた保険のようなものであった。
 グレーが動かなければ何も起こらなかった。寧ろ起こらない事を願っていたと言ってもいい。たとえ限りなく黒に近い状況にあっても尚、クラトスはグレーを信じたいと思っていたのである。
 しかしそう話したところで、今のグレーにはただの詭弁としか聞こえないだろう。それにいかなる理由があるにせよ、グレーを騙した事に違いはないのだから。

 グレーは黙っているクラトスをちらりと見て肩をすくめると、手に握ったままだった呼び子を投げ捨て言った。
「……いつ気が付いたんだ?やはり尾行を付けたのが悪かったのか?俺の隊の連中は、一応訓練は受けているものの尾行には慣れていなかったからな。」
「いや……おかしいと思ったのはもっと前だ。再会した日の夜の食事の席で。」
「!!……嘘だろう?そんな前からばれていたわけがない。少なくともあの時点では俺はうまくやっていた筈だ。そうだろう?」
「ああ、そうだな。ただ一言を除いては。」
「一言?……俺が何を言った?」
「任務の手伝いを依頼してきた時、お前はこう言ったのだ。『これならハーフエルフ擁護派のお前でも大丈夫だろう?』と。だが、お前と組んで仕事をしていた頃の私はハーフエルフの擁護派などではなく、逆に憎しみを抱いていた。それは言動の節々に現れていただろうし、鑑識眼に優れていたお前なら当然気付いていた筈。それなのに何故私を擁護派などと言ったのか?答えは簡単だ。お前は最近の私を知っていた。恐らくはこの国に来てから、私がハーフエルフと共に旅に出た事をアロガー大将あたりに聞いたのだろう。」
 グレーはしばらくの間クラトスをじっと見詰めていたが、やがてフッっと笑いを洩らすと、
「参ったね…。どうやら自分でも気付かぬ内に口を滑らせていたようだ。どうも俺って奴は、隠し事が不得手らしい。」
「……」
「つまりお前は、俺の話に乗る振りをしながら探っていたってわけだ。……しかしさすがにそのブレスレットの事までは分からなかったようだな。」

 あのブレスレットは装備者をコントロールする装置で、囚人に着けられる。彼らはそれから2年間軍事訓練を受けた後町に放され、普段は一般人と同様の生活を送っているのだが、近隣の国が攻めてきたなどの緊急時には兵士として最前線に立たされるのであった。詰まる所、本隊の盾として使い捨てにされるわけだ。
 もちろん相手は罪人であり、そのような物を大人しく着けている連中ではない。当然逆らう者も出てくるだろう。しかしあのブレスレットには遠隔操作でいつでも電流を流せるよう作られており、苦痛を味わい続けた囚人は次第に反抗心を失い、しまいには自分で考える事を放棄するようになってしまうのだ。また爆破装置が取り付けられており、無理に取ろうとすると爆発する。一度着けたら最後、自分では外せない仕組みになっているのである。

 それを知っていながら、進んで身に着ける者などいない筈。当然クラトスも知らずに着けたものと、グレーは思っていた。
 しかしクラトスの答えは意外なものだった。
「いや。……お前に入隊の話を受けると言いに行った日の昼に、町で調べた。」
「…なんだって?」
 目を見開くグレー。

 入隊前に知っていた?
 それなのに着けたと言うのか?

「……お前、何を考えている?全てを承知でそいつを着けるなど、狂っているとしか思えん!」
「…………私はただ終わらせたかっただけだ。こんな、人の命を弄ぶような真似を許せるわけがないだろう?」
「終わらせる?……おいおい、頭は大丈夫か?それでブレスレットを着けちまったら、やぶ蛇だろうが。そいつがある限り、お前はこっちの命令に逆らえない。そんな状態でどうやって終わらせようと言うんだ?もし俺を当てにしているのだったら、それは見当違いだぜ。そいつを外せるのはアロガー様だけ。俺には無理なんだよ。」
「そうか。だが私は端からお前に外してもらおうだなんて考えていなかったよ。大体外してもらう為にわざわざ装着する奴なんていると思うか?そんなのはお前が言うようにただの馬鹿者だろう。」
「だったら何が目的だったと言うんだ!」
「言っただろう?私はこの件を終わらせたいのだと。それには全てのブレスレットを外す必要がある。」
「え?」
「先日の野盗退治での訓練兵。彼らも確かこれと同じような物を着けていた。今思えばあの感情を失った目はこれが影響していたのだろう。そして町に放された囚人達。それら全てのブレスレットを外さなければ、この件を完全に終わらせる事は出来ないと言っているのだ。」
「はあ?全員のブレスレットを外すだぁ?そんな事、出来るわけがないだろう!!」
「果たしてそうかな?」
 静かな声でそう言ったクラトスを、グレーはまじまじと見詰めた。

 クラトスは闇雲に突っ走ったりはしない。どんなに無謀と思える行為でも、彼の中ではきちんと計算されているのだ。
 その彼がここまで言うのだから、きっと何か方法を考え出したのだろう。そしてそれには自らがブレスレットを着ける必要があった…。
 だがこれは、まかり間違えば命を落としかねない危険なものだ。
 この国の人間でもない彼が、どうしてそこまでするのか?
 非人道的な行為が許せないからと言っていたが、本当にそれだけなのだろうか?

 頭を振りながら、視線を外すグレー。
「……俺には理解出来んよ。どうして『全て』に拘るんだ?他の奴らの事なんていいじゃないか。どうせ囚人なんだ。どうなろうが自業自得ってもんだろう。」
「お前の言葉とは思えんな。以前のお前ならこう言うだろう。『たとえ相手が囚人であろうと、その命を弄ぶ権利は誰にもない』とな。」
「……」
「私は未だに信じられない。あれ程正義感が強かったお前が、このような事に手を貸そうとは…」
「フッ、正義ね。だがな、クラトス。正義なんてものは、その時の立ち位置でどうとでも変わるんだよ。うちみたいな小さな国が近隣国の侵攻から身を守るには、これしかなかった。この国にとってはこうする事が正義だったんだ。……まあ、そう言ったところで、やはりお前は否定するのだろう。それでもいいさ。分かってもらおうだなんて思っていない。何故ならお前が信じているものもまた、正義なのだからな。」
「……」
「だが今の俺はこの国の人間だ。だからこの国の正義を貫く。本当は傷付けたくはなかったんだが、どうしても逆らうと言うのなら仕方がないよな。力尽くで取り押さえるまでだ!」
 グレーはそう言って剣を抜くと、クラトスに斬りかかった。
 同時にクラトスも剣を抜き、それを迎え撃つ。
 交わした刃から火花が散った。
 それからというもの、両者一歩も譲らず技の応酬が続き、力はほぼ互角かと思われた。
 しかし時間が経つに連れ要所要所に差が出始め、戦いの流れは徐々にクラトス主導へと傾いて行く。
 だんだんグレーの顔に焦りが浮かんできた。
 クラトスの一撃が重い。スピードも共に戦っていた頃に比べると格段の差だ。
 確かに7年のブランクがあるのは確かだが、その間こちらとて相当の修行を積んできた。その努力がクラトスに劣っているとは思えない。現に技術力もかなり向上しており、それに伴い技の数も増えているのだ。
 それなのにこいつは、まるでそれら全てを否定するかのようにこちらのはるか上をいってしまっている。

 どうしてこれ程までに飛躍する事が出来たのか?
 やはりあの話は本当だったのか?こいつがあの…


 天使という戦闘技術がある ――

 グレーがアロガーよりそう聞かされたのは数か月程前の事である。しかも旧友のクラトスがその天使なのだと言う。
 グレーには到底信じられない事だったが、国王は信じ、その力を欲した。
 もちろんこの頃にはもう囚人へのブレスレットの装着は行われていた。しかしあれは一般の兵士に比べ使えるようになるまで時間がかかる上に、囚人数人に対し一人の割合で命令を下す監視者を立てねばならず、どうにも勝手が悪かったのだ。近隣国が不穏な動きを見せている現状、国としてはすぐに使える戦力が欲しいと考えていたのである。

 そんな時にたまたまクラトス達がこの国を訪れたのだ。
 あれ程欲しいと願っていた即戦力。しかも最強の戦士と言われている天使。国王が飛びつかぬわけがない。すぐにアロガーに「なんとしても天使の力を手に入れろ」との命令が下され、クラトスの知人であったグレーに白羽の矢が立ったのであった。
 しかし命令通りにクラトスに接触したものの、正直グレーは天使なるものの存在に半信半疑だった。
 クラトスは元々天才剣士と呼ばれた男である。仲間のハーフエルフも、一度会っただけだが、底知れぬ魔力を感じた。そのような者達が仲間となったのである。強くて当然ではないか。
 彼らが天使ではないかと噂されているのはその強さ故であり、天使など本当は存在しないのだとグレーは思っていたのである。現に戦場で戦っている天使の姿を見た者などいないのだから。

 ところがどうだ。
 実際に剣を交えてみて、初めて分かる事がある。
 今グレーは、あれ程否定し続けた『天使』という存在を認めざるを得なくなっていた。

「チッ……だとしても、こちとら、そんな簡単に負けるわけにはいかねえんだ。俺達の未来の為にもな。」
 剣を握り直すと、クラトスから距離を取るグレー。
「いくぜ、クラトス!」
 次の瞬間、二人は激しく衝突した。
 静まり返った闇の中で、交わし合う剣の甲高い音だけが辺りに響き渡る。
 そして何度目かの応酬の後、互いに繰り出した技により二人の体は左右に吹っ飛んだ。
 宙で体を回転させ、着地するクラトス。グレーも同様に着地はしたが、もう限界だった。すぐに呻き声を上げ傷を押さえると倒れ込んでしまう。
「くっ……やはりお前には敵わなかったか…。」
「しゃべるな。今、回復を…」
 クラトスはすぐに駆け寄るとグレーを抱き起こしたのだが、傷を見た途端に手を止めた。
 急所を貫かれており出血が酷い。もちろん狙ったわけではなく、あの混戦の中では、如何にクラトスといえども外す事が困難だったのだ。

 マーテルなら助ける事も出来たかもしれない。
 しかし自分の魔力では…

 それでもクラトスは再び手を伸ばした。何度もかけ続ければあるいはと思ったのだ。
 しかしグレーはその手をそっと押し返した。
「……よせよ。自分の体の事は自分が一番よく分かっている。」
「……」
「そんな顔をするな。こうなる事は予想していた。覚悟は出来ていたんだから。」
「……何故、腰にある物を使わなかった?」
「え?」
「お前のベルトに差してある、このブレスレットのコントローラーだよ。それさえ使えば私の動きを止める事もできた筈。」
「フ…なんだ、気付いていたのか。」
 ゆっくりとコントローラーをベルトから外し放り投げるグレー。
「使わなかったのは、使いたくなかったから。それに一度お前と本気でやり合いたかったしな。結局敵わなかったが…。まあそれも当然か。ただでさえ強いお前が、天使なんていうものになっちまったんだから。」
「……」
「……騙すような真似をして、ごめんな。でも…今更こんな事を言っても信じてもらえないかもしれないが、俺はお前を傷付けるつもりなんて本当になかったんだ。俺はただ、もう一度お前とコンビを組みたかった。お前と再会した事で、再び一緒に戦場を駆け回っている俺達の未来を夢見てしまったんだ。それでアロガー様と取引をした。」
「取引?」
「命令通りにお前とお前の仲間をブレスレットを着けさせ連れてくる代わりに、お前のだけはすぐに外してくれと。」
「!!」
「悪く思うなよ。俺にとってはあのハーフエルフ達なんてどうでもよかったんだ。……でも甘かったよ。約束はしてくれたものの、それを守る気なんてアロガー様には端からなかったんだ。陛下はただ単に天使の力を欲しているだけだが、あの人は違う。あの人の目的は、天使を生み出す方法を探り出す事だった。そりゃそうだよな。兵士を育てていくよりも、最強の天使を大量生産した方が手っ取り早いんだから。お前の体を徹底的に調べるか、口を割らせるか……いずれにせよ、それが済むまでは絶対にブレスレットを外そうとはしないだろう。その事に気付いた時には遅かった。もう後戻り出来ないところまで来てしまっていたんだ。」
「……」
「許してくれ、クラトス。俺が自分勝手な未来を望んだ為にお前を追いこんじまった。……でも今ならまだ間に合う。他の奴らの事なんか忘れて、自分の身の安全だけを考えろ。お前のいるべき場所へ戻るんだ。」
「え?」
「フッ、何をきょとんとした顔をしているんだよ。お前がいるべき場所って言ったら、あのハーフエルフ達のところに決まっているだろう。」
「!!」
「まあ俺もお前を取り戻したい一心で、あいつらと引き離そうと色々やったけどな。でもそんな事は無駄だって思い知ったよ。……さっき俺が兵士達を殺したのかと尋ねた時、お前は『私達は敢えて命を奪ったりはしない』と答えただろう?私達……あれは本当に自然に出た言葉だった。この7年の間に、お前はお前の世界を作り出していたんだ。もうお前の中に俺の居場所なんてなかった。」
「違う!!そうではない!私は…」

 本気でここに残ろうと考えていた。またお前と一緒に戦いたいと思っていたんだ。

 クラトスはそう言おうとしたのだが、グレーはそれを遮ると、
「たとえお前の気持ちが揺らいでいたのだとしても、それは一時の気の迷いだ。本心じゃない。お前自身がその事に気付いていないだけなんだよ。」
「……」
「それに……さっき投げ捨てたコントローラーな、あれはお前専用ってわけじゃない。範囲内にあるブレスレットならどれでも操作可能なんだ。町ではあれと同じ物を持った兵士が数人、いつも囚人を監視している。つまりこの国にいる限り、お前はいつだって危険にさらされているんだよ。だからコントローラーの操作圏外である国外に脱出するのが一番いいんだ。爆弾の問題は残るが、それは安全圏に逃れてからゆっくり解除の方法を考えればいい。ハーフエルフってやつは博識だからな。いい方法を考え出してくれるだろう。」
 そこでグレーは震える手を伸ばすと、クラトスの手を握った。
「頼む、今ここで約束してくれ。もう無理な事はしないと。ここを出て仲間のもとへ戻ると…。そうでなきゃ、俺は死んでも死にきれない。」
 訴えるようにそう言ったグレーを見詰めるクラトス。彼の顔には死相が現れ始めており、それは彼の残された時間がもうあまりない事を示していた。
「…………分かった。約束しよう。無理はしない。国外に逃れ仲間の後を追う。」
 その言葉にグレーは安堵の笑みを浮かべた。
「そうか。有難う。ならばもう行った方がいいかもな。ぐずぐずしていると誰かが様子を見に来てしまうかもしれない。……それと林を出た平原にはアロガー様が待機している。だから…裏山を越えるルートで逃げろ。それから……それから…」
「グレー!!…もういい。もう分かったから、それ以上しゃべるな。」
 苦しげな息で尚も話そうとするグレーに、クラトスは堪らずに叫んだ。
 しかしグレーは弱々しい笑みを浮かべ頭を振ると、
「どうしてもこれだけは言っておきたいんだ。俺は…故国を出た事を後悔なんてしてないぜ。お陰でこの国に…仕える事が出来たんだから。陛下もアロガー様も本当はとても優しい方なんだ。今回の事は……国を守りたい一心からだったんだよ。そしてお前……。お前と出会った事も後悔なんてしていない。お前の天才を嫉んだ事も…あったが、そんなお前がいてくれたからこそ、追い付こうと必死に努力し、俺は強くなる事が出来たんだ。短い間だったけど、お前と組めた事は俺の誇りだった。」
「……」
「こんな結末になっちまったけどな、満更でもない人生だったよ。もう会えないだろうと思っていたお前に再会し、一度だけだがまた一緒に仕事が出来た。そして第2の祖国である、この地で眠る事が出来る。こんなに幸せな事はない。クラトス……俺は幸せだったんだよ……だから…」
 そこでグレーの言葉が途絶えた。懸命に口を動かそうとしているが声が出てこない。やがてその動きさえも止まり、同時にクラトスの手を握りしめていた手が滑り落ちる。
 クラトスは目を伏せると、グレーの体を静かに横たえた。
「……違うよ、グレー。私は天才などではない。天才とはお前のような者の事を言うのだ。」

 何でも器用にこなし、誰とでも呼吸を合わせる事が出来る……そんなお前は私の目標だった。
 私の方こそ、お前がいたお陰でここまでこられたのだ。
 感謝しなければならないのは私の方…
 謝らなければならないのは私の方…

 それなのに何故お前が謝る?
 自分が悪者になってでも私を気遣おうとする?
 『あの日』のように…

「これでは逆ではないか!!お前が死んでしまっては、私はもう『あの日』の事を謝れないではないか!!」

 『あの日』に犯した罪を、私は忘れた事などない。
 そして私は今また、お前に対して罪を重ねようとしている。

「すまない、グレー。私はお前との約束を破らなければならない。私もお前と同じように、もう後戻り出来ないところまできてしまっているのだ。この件はどうしても私の手で終わらせなければならない。殺されるかもしれない恐怖に怯えながらも私に仔細を語ってくれた、囚人達の為にも。」
 クラトスはグレーの両手を胸の上で組ませると立ち上がった。
「しばらくの間、このままで我慢してくれ。すぐに戻る。そうしたらゆっくりと昔話でもしよう。お前が好きだった酒でも酌み交わしながらな。」
 そして最後に合掌すると、裏山へではなく、アロガー大将が待っている平原に向かって歩き出したのだった。


−つづく−