星降る夜に
衰退世界シルヴァラントは、季節を問わず空気が澄んでいる。
夜ともなれば、満天の星が全天を覆う。文明による汚染がないため、皮肉にも、地上の命の危機をも招く現状が最も自然に近い姿を残している。蓋し、仮にマナ不足で地上が滅んでしまったとしても――その際には繁栄世界テセアラも同様の道を辿るであろうが――こうして鏤められた天空の星々には、まるで関係のない事柄に過ぎない。
今夜もまた、数多の宝石を思わせる星たちが天空を飾っている。
星の動きから、おおよその時間さえも知ることが出来る。今はさしずめ、夜半に近い時間だろうか。
クラトスは一人、いつものように寝ずの番をしていた。
幾度となく繰り返されて来た世界再生の旅。その実態はマーテルの器という生贄を作り上げ届けるための儀式に過ぎないが、真実は下界に知らされぬまま、神子の旅は何百年と行われて来た。しかし今回の神子は、これまでの候補の中で最もマーテルに近いマナを有する稀少な存在であり、ゆえに四大天使でもあるこの男が地上へ遣わされたのだ。
しかし、この事実が明らかにされるのは、あと幾許か先の話であった。
ふと、クラトスが振り返る。
暗がりの中、丘を登って来たのは一人の少年。下で他の仲間たちと共に眠っている筈のロイドだった。
「どうした」
異変の有無を問うと、ロイドは屈託なく頭を振る。
星明りの下でも目立つ、赤い服。
「別に。あんたばかりに寝ずの番をして貰ってるから、たまには代わろうかと思ってさ」
「私なら問題ない。そんなことを気にする暇があるのなら、自らの体力を養え。寝不足で倒れられてはいい足手まといだ」
「それならあんただって同じだろ?眠くなったらどうするんだよ」
「私は傭兵だ。これくらいのことは慣れている」
彼の言い方は常に冷厳で、反論を許さない。
だからと言って、そこにある優しさを理解出来ないほどロイドも愚かではない。完全に言い負かされた格好の少年は拗ねた顔で見上げたが、リフィルですら意見に困ってしまう青年を相手に口で敵う訳がないと分かっていた。されどここで素直に戻る訳でもなく、クラトスの横にさっさと腰を下ろしてしまった。
「だったら俺が眠くなるまで、話し相手になってくれよ。依頼人の面倒見るのも仕事だろ」
「神子はともかく、お前は勝手に付いて来ただけだろうに・・・」
クラトスが呆れた溜め息を突いた。
彼も本心は、ロイドを拒む理由などありはしない。17年前に死んだと諦めていた息子が、目の前に現れた時の驚きと喜びは忘れられなかった。無事に生きて育ってくれた我が息子――この先に待ち構える運命を思えば辛くもなるが、今はただ、少しでも多くこの少年を見ていたいと思った。
だから、無理に追い返せず溜め息を突いたのだ。
ロイド相手にではなく、自分自身の甘さに。
そんな彼の想いなど知る由もなく、ロイドは大きく伸びをすると満天の星空を仰ぐ。
少しだけ沈黙の間があった後、
「・・・コレットに、眠れない時は星を数えろって言ったんだって?」
顔を上げ、直立不動のクラトスを見上げた。
コレットの天使疾患が皆の知るところとなったのはつい先日のこと。天使となるために試練を受け、レミエルからその力を受け取る代償に、少女は人間としての資質を失いつつあった。精霊の封印を解くたびに食欲を失くし、眠りを忘れ、3つ目の封印を解いた現在では気温ばかりか痛みを知らせる感覚さえ失ってしまっている。
現に今、コレットは下で焚き火の番をしている。
辛くない筈がない。
だが、自己嫌悪さえ覚える己の無力さを呪うロイドに、コレットは明るく笑って言ったのだ。
『夜になったら、星を数えるようにしているんだよ』
少女が眠れない様子を悟ったクラトスに、そう言われたのだという。
以来、随分と気が紛れていると。
「あんたにしちゃ、随分と気の利いた台詞だなって思ってさ。あんたって意外とロマンチストなんだな」
「・・・あれは、私の言葉ではない」
からかい気味に言った少年の頭上から、感情のない言葉が降って来る。
「じゃあ、誰だよ」
「妻の言葉だ」
「・・・ええ!?」
再び、今度は驚愕の間を挟み。
冷淡な口調を失わぬままに告げられた衝撃の事実に、ロイドの方が頓狂な声を上げた。
「あんた、奥さんいたのか!?」
思いもよらなかった。
眼光こそ刃物のように鋭いものの、確かにこれだけの眉目秀麗、悔しいが世の女性が放っておくとは思えない。ここまでの旅の合間にも、立ち寄った町では彼の長身も手伝って多くの視線を集めていた。その上にリフィルとでさえも対等に渡り合える博識、並みの剣士レベルでは到底太刀打ち出来ない剣術、更には人でありながら魔術さえも使えるとなれば、流れの傭兵などせずとも幾らでも稼げよう。
年齢も28才。妻子がいたところで、全く不思議ではないのだが――。
それでもロイドが驚いてしまったのは、彼がこれまで一度も、妻帯者であることを示唆する場面を見たことがなかったからだ。
「随分な驚きようだな。私に妻などいる筈がないとでも思ったか?」
上から見下ろして来たクラトスが、複雑な表情をしているのが分かった。
ロイドは半ば大袈裟に頭を振り、
「い、いや。そんなことはないけど・・・」
こりこりと頭を掻いてみる。
所詮、この少年は嘘がつけない。そのような仕草でさえ、彼の問いを肯定しているばかりか必要以上に動揺しているのが明らかだ。
「えと・・・だ、だったらさ、子供とかもいたりするのか?」
「息子が一人いた」
「・・・いた?」
何ゆえに過去形なのか。
こういう時には人一倍の鋭さを発揮するロイドは聞き過ごさなかった。
その時にはもう、クラトスの視線は遥か高い場所にあった。
「二人とも、既にこの世のものではない」
そこから零れ落ちて来た言葉に、少年は二度目の驚きに目を見開くしかなかった。
死んだ。
クラトスはそう言ったのだ。
だが、現実は違う。確かに妻は彼自身が手をかけてしまったものの、息子はこうして生きている。こうして自分の傍らに座っている。あどけない眼差しで、自分を心配げに見上げている大切な我が子――しかしながら、いずれ遠くない未来に待ち構えている別れを思う時、クラトスは再びこの息子を失わなければならない。
下手をすれば、死なせてしまうかもしれない。
ならば――、
初めから、息子はいないと思ってしまった方が、どれほど楽になれることか。
「・・・ごめん」
「気にするな」
しかし、そんなことなど出来る訳がない。
無意識に顔をしかめてしまっていた彼を見て頭を下げて来た少年を、クラトスは冷淡に突き放すことなど出来なかった。
静かに俯いて。
口にした自分でも驚くほど、優しい言葉が洩れ出していた。
ロイドはやはり、己の息子なのだと。
奇跡によって生き延びた息子を、無情に殺せる筈がない。
救いたい。
「・・・あ!」
突如、ロイドが声を上げた。
「流れ星だ!・・・あ、また流れた!すっげえ!」
天を仰ぐ少年に習ってみると、闇色に染まった空、星々の合間を横切る光が見えた。
一つや二つではない。
まるで空に瞬く星が雨になって降って来るかの如く、中天から西の空に向かって幾つもの流星が流れ落ちている。確かに今夜は宵の口からぽつりぽつりと見えてはいたが、ここまで一斉に流れ始めたのはこの時間になってのことだ。
天駆ける星々の群れ。
それらは正しく、天の宝石箱をひっくり返したかのように。
「流星群か・・・」
「そう言えば、ちょうど今の季節に見られるのがあったっけ。今夜だったのか」
「ほう、知っているのか?」
「へへっ。俺、星のことだけは結構詳しいんだぜ」
学校の勉強は全くだけどな、と笑ってみせる少年。
意外な一面を見た。
しかしながらこの後に続けられた発言は、やはりロイドに相応しい、更には懐かしいものだった。
「失敗したなあ。こんだけ凄い流星群だったら、いっぱい願い事出来たのに」
「・・・フ・・・」
思わず、クラトスの唇から苦笑が洩れた。
「何だよ」
「いや、別に・・・以前に妻も同じことを言っていたのでな」
「え、そうだったんだ」
ロイドが首を傾げる。
あの時も、こんな風に数多の星が流れる夜であった。
『ねえ、クラトス!流れ星があんなに沢山』
彼女は体内に子供を宿していた。
逃避行を続けながらも授かった我が子を、一時でも迷ってしまったクラトスとは対照に、彼女は即座に産む決断をした。彼女は強い女性だった。身重の身体を物ともせずにクラトスの側にあり続け、気丈に振る舞い――この夜も臨月の近付いた大きな腹を気にする素振りすら見せず、宇宙の神秘に感嘆の声を上げ続けたのだ。
『こんなに沢山の流れ星が見られるのなら、普段から願い事を考えておけば良かったわ。そうしたら、いっぱい願い事が出来たのにね』
まるで軽やかに地上を舞い、空を見上げ、
『どうせなら、あの星を数えてみたらどうかしら?そうすればあなたも退屈せずに済むでしょう?』
ねえ、そうよね?
お腹の子供に同意を求めながら、彼女はそこを優しくさすった。
それから間もなく、彼女は元気な男の子を産んだ。
17年経った後、それと全く同じ台詞を口にしたのは、他でもない彼女の息子であった。
「あのさ、クラトス」
期せず回想に心を奪われていた青年に、少年が声をかけた。
見れば、ロイドが真っ直ぐにこちらを見ている。
「俺、思ったんだけど」
「何をだ?」
「俺はずっと小さい時に両親が死んじまったから、偉そうなことは言えないけど・・・あんたの奥さんや子供は、あんたが家族で幸せだったと思うぜ」
「・・・!」
「少なくとも、俺は実の父親があんたみたいな奴だったら、十分に誇れると思う」
照れ臭そうに言い残し、ロイドはコレットにも知らせてやりたいからと下へ降りて行った。
そうしてくれて、助かった。
クラトスは、この時既に涙を堪えるだけで精一杯だった――アンナは死しても、その心は立派に息子へと受け継がれ、彼女の願いそのままに育ってくれている。それどころか、事実を全く知らぬロイドが、自分を父と認めてくれたような気がして、永く凍り付いていた心が震えるのを感じずにはいられなかった。
(・・・アンナ・・・)
(・・・ロイドは、本当にお前に似ている・・・)
それだけに、クルシスの手先と成り果てた今の自分がやるせない。
救いの塔で終わってしまう、この旅路。
己の正体を現さねばならぬ時――コレットを神子の器として連れ去る時、ロイドは自分をこの世の誰よりも憎むのだろう。
それでも。
私は、ロイドの父親でありたい。
息子を守りたい。
(・・・どうか、ロイドに大樹の加護があらんことを・・・)
クラトスは独り、数多の星に祈った。
アンナが遺した言葉を信じ、天を流れる星の全てに同じ願いを捧げた。
流星の群れは、明け方近くまで降り続いた。
たむらさまのサイト「黄昏のひとりごと」での三周年リクエスト企画にて書いていただいた作品。
「この中から選んでちょ〜だいね♪」と何個も書き並べた(←なんとも無作法な奴)中からこの話を書いて下さいました。あとで「募集要項にお一人様一個って書いてあるでしょうが!」と怒られたのですけどね。(笑)
たむらさまの文章は本当に綺麗だと思います。文章とは書く者の性格が如実に表れるとはいいますが、まさにその通りで、この細部にわたった丁寧な描写や流れるような文は、たむらさまの真面目で繊細な性格がよく表れていると思います。
私も真似してみたいとは思うのですが、元来繊細さを持ち合わせていない私にはどう足掻いても無理なようで、
「フ・・・器が知れたな。」
とニヒルに笑うしかないようです。(ニヒルにも笑えない・・・単なるアホにしか見えなかったり)
たむらさま、こんなアホな親分(と名乗るのもおこがましい)の我儘なリクエストに応え、こんなにも素晴らしいお話を書いて下さり本当に有難うございました。(礼)
そして最後になってしまいましたが、改めましてサイト三周年おめでとうございます。
これからも素敵な小説で楽しませて下さいませ。応援しております。