君の名は


 ある少年が大木に登り、枝にある鳥の巣に向かって手を伸ばしていた。
 と言っても、鳥の巣を取ろうとしているのではなく、また、中にある卵を狙っているわけでもない。少年は卵の横にあるキラキラと輝いている石を取ろうとしているのだ。
 その石の名はエクスフィア。
 少年はこの世界に散らばっているその石を全て回収するべく旅を続けていたのであった。

 そしてこの石が残る最後の一個…。
 これさえ取ればこの長い旅も終わるのだ。

 しかしその一個がなかなか取れなかった。
 巣は大木の上部に位置していた。しかも枝が細くなっている先端部に作られており、これ以上近付くと少年の重みで折れてしまう可能性があった。この高さから落ちたりしたらただでは済まない。
 そこで少年は目一杯手を伸ばして取ろうとしていたのだが、やっと届いたと思ったら、卵を狙っていると勘違いした親鳥に思いっきり手を突っ突かれてしまうのだ。
 そんな調子で、手を伸ばしては突っ突かれ、止む無く手を引く…と言った動作を繰り返していたのであった。

「おいおい、頼むから大人しくしていてくれよ。俺は別に卵を取ろうとしているわけじゃないんだからさ。」
 少年はなんとか親鳥を宥めようと努めるが、そう簡単に『はいそうですか』と納得してくれる筈もなく、親鳥の行動は逆に過激化するばかり。
 そして、この果てしない鼬ごっこについに堪忍袋の緒が切れたのであろう、少年はこれでもかと言うくらいに身を乗り出すと強引に石を奪い取ったのだった。
「やったぜ!ついにゲット〜〜!!」
 石を握り締めた手を振り上げガッツポーズを取る少年。
 だがそれが悪かった。
 ただでさえ不安定な体勢だった少年の体はその動きよって更に大きく傾き、気がついたら木の上からダイビングしてしまっていたのである。
「え?あれ?ちょ、ちょっと…」
 慌てて枝を掴もうとするも届かず、少年はそのまま落下していってしまったのだった。



 気がつくと、少年はベッドの上で横になっていた。

 さっきまで自分は木の上にいた筈なのに、何故こんな所で寝ているのだろう?
 してみるとあれは夢だったのか?

 だがどう見てもここは自分が泊まっていた宿屋ではない。中にある家具調度類も初めて目にするものばかりであった。
「ここは…どこだ?」
 訳が分からず目を瞬いていると、一人の女性が覗き込んできた。
「あら、気がついたみたいね。気分はどう?」
「!!」
 女性の顔を見て、あんぐりと口を開け固まってしまう少年。その手は無意識の内に胸のペンダントを握り締めていた。
 それもその筈。なんとその女性はペンダントの中の写真と瓜二つだったのである。
 しかし女性は少年のこの驚きを別の意味に取ったようで、安心するよう優しく微笑むとこう言ったのだった。
「大丈夫よ。ここは私の家だから。この先の道で倒れているあなたを、主人と私が見つけて運んできたの。大事にならないでよかったわ。でも一体どうしてあんな所に倒れていたの?今日はたまたま町へ行ってきた帰りで見つける事が出来たけど、この辺りは普段全くと言っていいほど人気がないし、夜になると急激に温度が下がってしまうのよ。野盗に襲われたのかしら?それともモンスターに?どこから来たの?お名前はなんて言うのかしら?」
「あ…ええと…」
 立て続けに質問してくる女性に、少年は戸惑いの表情を浮かべた。何故と言われても、自分自身、何がどうなっているか分かっていないのだから答えようがない。
 すると今度はその女性の背後から聞き覚えのある声がしてきたのだった。
「まだ意識が戻ったばかりなのだ。そう質問攻めにするものではない。それに名乗るなら我々からするべきだろう。」
 それは先程から部屋の隅で黙ったまま事の次第を見守っていた男性であった。
 その姿を目にした途端、更に目を見開く少年。
 そしてそんな少年に向かって、女性は少女のようにぺろりと舌を出して見せるとこう言ったのだ。
「あ、ごめんなさい。どこの誰かも分からないんじゃ警戒しちゃうわよね。私はアンナ。そしてこっちが主人のクラトスよ。」
 その名前を聞いた少年は心の中で叫んだのだった。

(これは夢だ。夢に違いない!)


 それからアンナは『お腹が減っているでしょう?』と言って夕食の用意をしてくれた。その席で再度名前を尋ねられたのだが答える事は出来なかった。あまりの出来事に混乱していた事もある。だがそれよりも、現実にはいる筈もない二人の人物を前にして、果たして本名を名乗ってしまっていいものかどうか、はばかれたのであった。
 そこで少年は咄嗟に記憶喪失を装う事にしたのだが…。
 そんな苦しい言い訳も、アンナの方は別段怪しむ様子もなく、きっと余程恐ろしい目に遭ったのね、と同情の意を示してくれたのだが、問題はもう一人の方であった。別に彼が何かを言ってきたわけではない。だが、食事の間時折鋭い視線を送ってきていたのだ。
 彼が自分の言葉を信じていない事は明白であった。何か言わなければならない。そう思うものの、彼の事をよく知っているが故に何を言っても藪蛇になるような気がして言葉を発する事がどうしても出来なかったのだった。
 そんなわけで、食事を終え部屋に戻ってきた時には、少年はぐったりと疲れ切ってしまっていた。折角のアンナの手作りの料理だと言うのに全く味が分からず散々である。
 いっそ本当の事を言ってしまった方がよかったのではとも思う。しかしそうしたとて到底信じてはもらえなかっただろう。なにしろ当の本人でさえ、今起きている事が信じられずにいるぐらいなのだから…。
 どうやら自分は木から落ちた衝撃で過去へタイムスリップしてきてしまったようだ。そんな事があるとは思えないが、現に宇宙へと旅立った筈の父親と死んだ筈の母親を目の前にしている以上、そう考えざるを得ないではないか。
 ベッドへ身を投げ出し、アンナの姿を思い浮かべる少年。
 自分の前では常に明るく笑っていたものの、顔色も悪く、たまに辛そうな表情を浮かべていた。恐らくこの頃にはもうエクスフィアの侵食がかなり進んでいたのだろう。
 それともう一つ…今彼女は明らかに妊娠していた。彼女が時折愛おしげにお腹に手をやっている仕草を見れば、如何に鈍い少年でもそれに気付かないわけはなかった。
 だとしたら、あそこに宿っている命は自分自身だ。つまりこの世界に二人の自分が存在する事になる。
「やっぱそれって問題だよな…。」
 すると、少年がそう呟いたその時だった。

「何が問題だと言うのだ?」

 突然聞こえて来た声に、少年は文字通り飛び上がった。見るといつの間に入ってきたのだろうか、クラトスが立っており、ベッドに寝転んでいる自分を見下ろしていた。
「なっ…あ、あんたいつの間に!?」
「一応ノックはしたのだがな。」
 素っ気無く答えるクラトス。
「で、何が問題だと?」
「……」
「では質問を変えようか。お前は何者だ?」
「えっ!?だ、だから俺は…」
「記憶喪失だとでも言うつもりか?生憎だったな。アンナはそれで騙せたかもしれんが私はそうはいかん。」
 クラトスが浮かべた笑みを見て思わずその身を振るわせる少年。
「…お前の左手にあるそれはエクスフィアであろう?普通の人間では手に入れる事など出来よう筈のないエクスフィア…しかも少々他のものとは違う特別なもののようだ。そんなものを何故お前が持っている?お前はユグドラシルの…」
「ち、違う。俺はユグドラシルの追っ手なんかじゃ…」
「フ…語るに落ちたな。本当に関係がない者ならユグドラシルの名前すら知らぬ筈。しかも私達があれに追われている事を何故知っている?やはりお前は…」
 そう言って剣を抜くクラトスを見て少年は慌てた。
「ちょっと待てって。本当に違うんだってば!確かに俺はエクスフィアを持っているし、ユグドラシルも知っている。でもそれでも違うんだ。俺はあんた達に危害を加えようだなんて思っちゃいない。」
「それを私に信じろと?」
 少年自身それは無理だろうなと思う。今彼らは逃亡中の身なのである。その上にアンナが身重とくれば、こんな突然現れた挙動不審者の言葉など信じられる筈もない。もし自分がクラトスの立場だったとしても、恐らく信じはしないだろう。
 やはり自分はここにいてはいけないのかもしれない。この二人にこれ以上の精神的負担を負わせてはいけない。苦しい逃亡生活の中で彼らがやっとの事で得た小さな幸せ。それを壊さない為にも、自分は大人しくここから出て行くべきなのだろう。
 そう考えた少年は真剣な瞳でクラトスを見返しながらこう言ったのだった。
「分かった。俺、今夜の内にここを出て行くよ。それなら安心出来るだろう?ただその前に教えて欲しい事があるんだけど……」




 そんなわけで、翌朝アンナが起きてきた時には少年の姿は消えていた。クラトスから事情を聞くも納得できない様子であった。
「どうして?だって、あの子は自分の名前さえ思い出せない記憶喪失なのよ。帰るたって、どこに帰ればいいかなんて分からないでしょうに…。」
「そんな事を言われても私に分かるわけがないだろう。彼が自分で帰ると言い出したのだ。きっと記憶が戻ったのではないか。」
「だったら名前ぐらい告げてお礼を言ってから帰る筈でしょう。あの子は礼儀正しい子だったもの。まさかあなたが無理矢理に追い出したんじゃないでしょうね?」
「冗談ではない。言っただろう?彼は自分から出て行くと言ったのだ。いずれにせよ、これで良かったのだ。お前は最近具合が悪そうではないか。そんな状態で彼の世話まで出来るわけがない。彼もそれを察したからこそ出て行ったのではないのか?…お前はただでさえ、弱った体に子を宿しているのだ。他人の事を考えている暇があったら、もっと自分を大切にしなくては駄目だろう。」
「やっぱりあなたが追い出したんじゃない。」
「だから、違うと言っているではないか。」
 それでもアンナは疑わしい目でクラトスを見ていたのだが、それ以上問い詰める事はしなかった。例えクラトスがあの少年を追い出したのだとしても、それは自分の為にした事なのである。それが分かっているが故に、アンナには彼の行動を責める事など出来なかったのだ。
 自分が普通の体であったなら、自分達がどこにでもいる普通の夫婦であったなら、恐らくこんな事にはならなかっただろう。
 そう思うとアンナは、あの少年に対して申し訳ない思いで一杯になってしまうのだった。
「……そう…残念だわ。私の体なら本当に大丈夫だったのよ。あの子なら、ずっとここにいてもらってもいいと思っていたのに。」
「アンナ…」
「いい子だったわよね、あの子。ねえ、クラトス。私達の子も、彼のように優しい子に育ってくれるといいわね。」
「そんな事は当たり前だろう。君の子なのだからきっと優しい子になるに決まっている。」
「そうね。“あなたと私”の子なんですものね。」
 クラトスの言葉を言い直し、にっこりと笑うアンナ。
「あと数ヶ月…私、きっとあの子のような元気な子を産んでみせるから。だからクラトス、お願いしている名前の方はよろしくね。前みたいにあみだなんかで決めようとしちゃ嫌よ。」
 途端にクラトスは顔を赤らめる。
 そう、彼は以前、いくら考えても良い名が浮かばなかった為に子供の名前をあみだで決めようとしたのだった。あみだ上に適当にアルファベットを書き、当たった数文字をアナグラムで並び替えていく。自分では実に合理的な方法だと思っていたのだが、アンナに見つかりこっぴどく怒られたものだ。

『子供の名前には親の願いが籠められているのよ。あなただって自分の名前があみだで決められたりしたら嫌でしょう?』と…。

「…わ、分かっている。あんな事は二度としない。今度はちゃんと考えているから心配するな。」
「そう?お願いね、お父さん。」
 慌てた様子のクラトスを見て、アンナは悪戯っぽく笑いそう言うと、食器を片付けに台所へ立って行った。
 それを見送り、クラトスはホッと息を吐くと、昨夜の少年の姿を思い浮かべる。

 色々と挙動不審なところはあったものの、澄んだ瞳がとても印象的な少年だった。『目は心の鏡』とも言うし、もしかしたらアンナが言うように悪い人間ではなかったのかもしれない。
 それに彼が最後に尋ねてきた事も気になっていた。彼は『俺の剣はどこにあるんだ?』と尋ねてきたのだ。
 少年が剣士である事は、その手を見た時に気付いていた。だが、倒れているところを発見した時には、何も持っていなかったのだ。だからクラトスはそのままを答えたのだが、すると彼はしばらく困ったような表情を浮かべ考え込んでしまい、そして今度は倒れていた場所を聞いてきたのだった。
 もし彼がクルシスの追っ手であるならば、そもそもそんな質問をしてくる事自体が変ではないか。そうなると本当にクルシスとは関係がなく、気を失って倒れていたのも芝居ではなかったという事になる。

 ならば何故彼はユグドラシルの事を知っていたのか?
 何故あの特別なエクスフィアを装備していたのか?

 あのエクスフィアはアンナに寄生しているのと同じもの。いまだ完成しておらず、二つも存在している筈がないものなのだ。それを何故彼が持っている?

「フ…。今更何を詮無い事を考えているのだ私は…。」
 いずれにしても彼はもうここにはいない。もう会う事もないだろう。そんな人間の事をあれこれ考えるのは時間の無駄というものだ。
 クラトスは苦笑を浮かべると、仕事に行く準備をする為に立ち上がった。
 と、その時である。『バターン!』という物凄い音が聞こえ、クラトスが驚いて振り返ると、なんとアンナが真っ青な顔で倒れているではないか。
「アンナ!?」
 クラトスは慌てて駆け寄ると彼女を抱き起こしたのだった。



 その頃少年は、クラトスに教えてもらった場所に来ていた。目当てはもちろん失った剣を探す事。元の時代に戻るにはオリジンの力が必要であり、そして剣がなくてはそのオリジンを呼び出す事が出来ない。然るにそれがいくら探しても見付からないのだ。
「参ったな。どこへ行っちまったのやら…。」
 途方に暮れてしまう少年。
 剣士にとって剣が如何に大切かが分かっているクラトスが嘘を吐くとは思えない。彼がなかったと言うのならそれが真実なのだ。
 だとすると、剣だけがどこか遠くへ飛ばされてしまったのだろうか。それとも剣は元の時代へ置き去りとなってしまったのだろうか。
 後者だった場合、もう諦めるしかない。だから少年はあくまでも前者の可能性を追い求めた。
「どこかにある筈だ。絶対にどこかにある。」
 そのように呪文のように繰り返しながら探し続けていたその時だった。遠くから自分を呼ぶ声が聞こえて来たのだった。

「ワオ〜ン!」

「え?…ノイシュ?」
 振り返ると、果たしてノイシュがこちらへ向かって走ってくるところであった。彼の元までやって来ても鳴き続けており、しきりに尾っぽを振っている。何かを訴えているようだ。
「どうしたんだよ。何かあったのか?」
 不思議なやつだと思う。17歳になった自分をこの時代のノイシュが知っている筈がないのに、まるで当然のように呼びに来る…。
 だが今はそんな事を考えている余裕はないようだ。ノイシュの切羽詰った様子に、クラトス達の身に何かあったに違いないと思った少年は急いでその背に飛び乗ったのだった。

 連れて来られたのはやはりクラトスの家であった。ノイシュに追い立てられるように家の中へ入った少年は、その場の状況に愕然とする。
 中は異様な静けさに包まれていた。そこにクラトスの姿はなく、代わりに白衣を着た医師らしき人物が奥にあるベッドの傍らに立っていた。そしてそのベッドに横たわっていたのは…。
「か、母さん!?」
 思わずそう叫んでしまい、駆け寄る少年。
 アンナの顔色は今まで以上に青白く、胸の微かな上下の動きがなければまるで死人のようであった。
「君がこの人の息子さん?まさかそんな事はあり得んだろう。」
「は、母親のような人って意味だよ!…てか、そんな事どうでもいいだろ。これは一体どういう事だよ!」
 そのあまりの剣幕に、医師は咳払いをすると、
「お静かに。病人が寝ているのですよ。……この方は熱病にかかったのです。」
「熱病?」
「この辺りで少し前まで流行っていたものでしてね。その名の通り高熱が出る病気なのですが、薬を飲んで安静にしていれば死ぬようなものじゃない。普通ならね。」
「どういう事だよ!」
 だがそれは聞かなくても分かっている事だった。エクスフィアの侵食により弱ってしまっているアンナの体は“普通”ではない。その上身重なのだ。つまり今のアンナはどんな些細な病であっても命取りになりかねないと言う事だ。もちろん医師はエクスフィアの事など知らない。だがその原因は分からないまでも体が弱っている事ぐらいは察する事が出来るだろう。
 案の定、医師の答えは予想通りのものだった。
「この患者さん場合、何故か一気に重篤な状態になってしまっているのですよ。とは言え、ご主人の話だと元々体が弱かったという事ですし、しかも身重の体とくれば、これ以上の強い薬を投与する事も出来ず、はっきり言ってお手上げの状態なんですよ。それで私は、今回は子供は諦めるしかないと申し上げたのですが…」
 目を見開く少年。
「酷な事をと思われるでしょうが、もう奥さんの命を救うにはそれしか方法がなかったのですよ。子供の事がなければもう少し強い薬を投与出来ます。それでも体の弱っている奥さんにはきついかもしれませんが、助かる確率はぐんと上がりますからね。ですが、それはまだ意識があった奥さんにはっきりと拒絶されました。」
「……」
「そうなるともう手立てがない。後は奥さんが熱が下がるまで持ち堪えてくれる事を祈るだけです。」
「……嘘だ。」
「え?」
「もう手立てがないなんて嘘だ!だってこのお腹の子は生まれるんだから。ちゃんと元気に生まれる筈なんだから。」
「何を言っているんだ?」
「何か手立てがある筈だと言っているんだよ。大体、なんでここにクラトスがいないんだよ。あいつがこんな状態のアンナさんを置いて出かけるわけがない。別の方法が見つかったから、だから出かけたんだろう?」
 医師はいきり立つ少年を前に溜息をついた。
「…確かに別の方法がないわけじゃないんですがね。そう、君の言うように、ご主人はその為に出かけている。その別の方法である幻の薬草を採りにね。」
「薬草?だってさっき薬は駄目だって…」
「薬草なら化学薬品と違って効き目が緩やかだから大丈夫なんですよ。しかもそれさえ飲めば確実に病気が治るとなれば誰でも欲しがるでしょう。」
「!!…そんな薬草があるならなんで最初から使ってくれなかったんだよ!」
「なかなか手に入れる事が出来ないんですよ。それが幻の薬草と言われている由縁でしてね。なにしろその薬草はモンスターなものですから。」
「モンスター!?」
「ええ。山頂に巣食っている植物系のモンスターを倒せばそれがそのまま薬草となるわけでして。とは言え、そう強いやつではないので、昔は結構簡単に手に入れられていたのですが、数十年前からでしょうか、どういう訳か全く採れなくなってしまったのです。山に入った者が戻って来ないんですよ。地元の者は山神様がお怒りになったと噂をしていますが、本当のところは分かりません。ですから最近は誰も山には立ち入らなくなり…。その事はご主人にも話して止めたんですがね。振り切って出かけてしまったのです。」
「……その山はどこにある?」
「え?まさか君も行く気なのかね?それは止めた方がいい。今話したようにとても危険なのだ。もう戻って来れない確率の方が高いのだよ。」
「確率なんて関係ないんだよ!いいからさっさと教えろよ!!」
 医師の胸倉を掴み怒鳴り付ける少年。
「わ、分かった。教えるから、その手を離してくれ!」
 そして医師からその場所を聞くと急いで飛び出して行ってしまったのだった。
 それを見送った医師は、アンナの点滴を確認しながら呟いたのだった。
「全く揃いも揃って…ありゃぁ、気違いだ。」



 少年が山頂に着いた時、辺りには暴風が吹き荒れていた。よく見ると中央より少し奥よりの位置に巨大なモンスターが大口を開けて立っており、辺りのものをことごとく吸い込んでいる。
「クラトスは!?」
 まさか吸い込まれてしまったのではないかと、焦って見回した少年は、右端にある岩壁の陰に避難しているクラトスを発見しホッと息を吐いた。一心不乱に吸い込み続けているモンスターに気付かれぬようそっと近付いて行く。
「無事でよかった。一瞬あれにやられちまったのかと思っちゃったよ。」
 やって来た少年を見て目を見開くクラトス。
「お前…何故ここに!?」
「あんたの家にいた医者から事情は聞いたよ。あそこにいる化け物が薬草ってわけか?」
「いや、違う。薬草となる奴ならもう狩った。」
 そう言ってクラトスは大切に腰のベルトに結わい付けていた袋を少年に見せた。中には目の前にいるモンスターの小型のものが三匹ほど入れられていた。
「これって、あいつの子供?」
「いや、あそこにいるのは恐らくこのモンスターが年月を経て巨大化、肉食化したものだろう。獲物を消化液で弱らせ、それをああやって吸い込む事で大きくなっていったのだろうな。」
「消化液って……」
「植物系の肉食モンスターにはありがちなものだ。」
 そこに来て、少年は初めてクラトスが怪我をしている事に気付いた。
「!!あんた、その右腿の傷!もしかして…」
「ああ。その消化液を受けてしまったのだ。あの両脇にぶら下がっている蔓を振り回すと同時に吹き付けてくるものだからどうにも避け切れなくてな。だがこの風のおかげで回復魔法をかける暇が出来た。痛みも引いて来ているし、大丈夫だ。」
「……もしかして薬草をとりに来た人達は皆あいつに食われちまったとか?」
「そうだろうな。でなければ腕に覚えのある戦士達が帰ってこないわけがない。」
「……」
「まあ何にせよ、お前が来てくれて助かった。身動きが取れず困っていたのだ。私の代わりにその薬草をアンナに届けてはくれんか?」
「え?」
「この地上の生物である以上、ずっと息を吸い込み続けることなど不可能だ。直にこの風も止むだろう。そうしたら私が打って出るから、その間にお前は薬草を持って逃げるのだ。お前は私と違ってまだモンスターに存在を知られていないから十分逃げる事が出来るだろう。」
 しかし少年はこのクラトスの提案に即座に異を唱えたのだった。
「嫌だね。俺は逃げない。俺も一緒に戦うよ。」
「!!…何を言って…」
「あいつは強い。しかも周りの命を吸い取ってパワーアップしているかもしれない。それに対してあんたは怪我がまだ完治していない状態でそうそう動き回る事も出来ないだろう。やられちまうのは目に見えている。でも二人で協力すれば倒せる筈だ。そうだろう?どうしても薬草を届けたけりゃ、あんたが自分で届けろよ。こいつを倒してからさ。」
「……」
「それにさ。かあ…いや、アンナさんが今必要としているのは薬草でも俺でもない、あんたなんだよ。あの人にとってはあんたの存在こそが一番の薬なんだ。俺じゃぁ駄目なんだよ。だからこんなところであんたを死なすわけにはいかない。アンナさんの為にも、生まれてくる子供の為にも、あんたには是が非でも生きて帰ってもらわなくちゃ困るんだよ。」
 クラトスはしばらく何も言わずに少年を見詰めていたが、やがてふっと肩の力を抜くと、
「…どうでもいいが、お前、それで戦うつもりか?」
「へ?」
 クラトスの視線を辿る少年。どうやらクラトスは腰にある武器を見ているようだ。今少年が差しているのはウッドブレードであった。
「ああ、これの事?心配ないって。これは世界一のドワーフに仕込まれた俺が丹精込めて作り上げた特別なウッドブレードなんだぜ。刀身部分にギザギザが付けてあるから破壊力倍増ってやつ?」
「倍増してもウッドブレードでは高が知れているだろう…。与えるダメージが少なければ戦いは長引く。今の我々にとって長期化は不利なだけだ。」
「だって仕方ないだろう。俺の剣がどっかにいっちまって見付からなかったんだから。買う金もなかったし、だからこれでも必死こいて作ってきたんだぜ。」
「だがそれでは足手まといになるだけだ。」
「!!…それでも俺は絶対に逃げないからな。」
「分かっている。だからこの剣を貸してやろうと言っているのだ。」
 そう言って腰の剣を抜き少年に差し出すクラトス。
「え?でも…」
「私は予備のを持っているから心配するな。ただしこれは二刀流向けの剣ではないし一振りしか貸せないが、それでも両手とも木刀で戦うよりはマシだろう。」

(これって、もしかして一緒に戦ってもいいって事だよな?)

「ありがとう!俺、絶対足手まといにはならないからさ。」
 少年の顔に広がった人懐こい笑みに、思わず目を逸らすクラトス。
「そう願いたいものだな……よし大分吸い込む力が弱まってきたようだ。これなら打って出ても大丈夫だろう。行くぞ!」
「おお!」
 二人は剣を抜き放つと同時に飛び出して行ったのだった。

 今回モンスターは消化液を多用してこなかった。先の吸引で満足しこれ以上の餌を必要としなかったのか、それとも使用量に限りがあるのか…それは分からなかったが、こちらとしては実に好都合な事であった。しかも今回はこちらは二人。敵の攻撃が分散される分、一人の時より戦いやすかった。
 ある時は少年が攻撃している後でクラトスが術にて援護。ある時は二人交互に、または同時に攻撃を繰り出してゆく。そのいずれの戦法でも二人は見事なコンビネーションを見せ、徐々にモンスターを弱らせていった。
 初めての相手である筈なのに何故こうも息が合うのか、クラトスは不思議な気分であった。別に合わせようと努めているわけでもないのに、まるで年来の相棒ででもあるかのようにピッタリと呼吸が合っているのだ。
 更に驚かされたのは少年の動きであった。実戦を経験している者とそうでない者とは、その動きにはっきりとした違いが出てくる。この少年の動きはその年齢からは考えられない程のかなりの数の戦闘をこなして来た者の動きであった。しかもその技術はまだまだ改良の余地を残しているものであり、この先も伸びる可能性を秘めている。
 この少年はもっともっと強くなる。いずれは自分をも超える戦士になるに違いない。
 クラトスは少年の持つ底知れない才能を感じ取ったのだった。

(一体彼は何者なのだ?)

 不思議に思うものの、敵でない事だけは確かなようで、今の状況を考えればこれ程心強い助っ人はいないだろう。
 そしてこの助っ人のお陰であろうか、決着の時は思いの外早くにやって来たのだった。

(あと一撃で倒せる…)

 そう思ったクラトスは少年に向かって叫んだ。
「よし、これが最後だ。いくぞ!!」
「おっしゃあ〜、任せろって!」
 クラトスは戦法を口にするのを無意識の内に省いてしまっていた。にも拘らず、少年は次に何をするのかをちゃんと心得ているようで攻撃に移る準備を始めている。
 以心伝心とはまさにこのような事を言うのだろう。そして少年も自分も、それが当たり前だと思っているのだから、なんとも不思議な話である。

(ずっと以前からの共にいるかのようなこの不思議な感覚は一体何なのだろう…。)

 次の瞬間、二人は同時に技を放っていた。

『獅吼爆炎陣!!』 

 少年の一撃はクラトスのイラプションによって爆発を起こし、モンスターの体は炎に包まれる。
「ギャアアアアアア〜〜!!」
 そしてついに断末魔の叫びを残し息絶えたのだった。

「安らかに眠れ…な〜んてなっ!」
 クルクルと器用に剣を回しながら鞘へ収めようとした少年は、内一本は借り物だった事を思い出し、
「いっけねっ!こっちはあんたの剣だった。」
 ぺろりと舌を出すとそれをクラトスへ差し出す。
 その子供っぽい表情はクラトスに妻の笑顔を思い起こさせた。

(初めて会った時から誰かに似ているとは思っていた。まさかそれがアンナだったとは…。)

 “何故?”という疑問が再びクラトスの頭を過ぎる。
「どうしたんだよ、ボーっとしちゃって。貸してくれてありがとな。助かったぜ。」
 クラトスがなかなか受け取らないのを見て、剣を無理矢理その手に握らせる少年。
「え?…い、いや、何でもないのだ。済まない。」
「何謝ってるんだよ。変なの。もしかして傷が痛むとか?」
「いや、傷の方なら大丈夫だ。心配はいらない。少し…疲れたのかもしれんな。」
「そうなのか?激しい戦いだったもんな。あまり無理すんなよ。」
「大した事はないから大丈夫だ。だが今回ばかりはお前がいてくれて助かった。でなければやられてしまっているところだったからな。……来てくれて有難う。」
 少年は驚いたようにクラトスを見た。まさか感謝されるとは思ってもいなかったようで、顔を赤らめると視線を逸らす。
「しっかし、あいつ、よくもまあこうも見事に吸い込みまくったもんだな。木も岩も何も残ってないじゃんかよ。」
 そして照れを隠すかのように大声でそう言いながら辺りを歩き回っていたのだが、その目がついさっきまでモンスターが立っていた場所の背後に行くや、不思議そうに足を止めたのだった。そこに生えている草の陰に何かが落ちていたのだ。
「!?あれって、もしかして…」
 目を見開き駆け寄って行く少年。
「やっぱりそうだ!あった、あったぞ。俺の剣、見付けた〜!!こんなトコまで飛んじまってたんだな。」
 その声にクラトスもゆっくりと近付いていく。
「運が良かったな。落ちているところがもう少し真ん中の方であったなら、モンスターに吸い込まれてしまっていただろう。」
 言われて見れば確かにそうだ。過去に飛ばされてしまった事でずっとついていないなと思っていたのだが、こうなると案外そうでもないのかもと思えてしまうのだから不思議なものである。

(それに母さんにも、あんたにも会えたしな…)

 心の中でこっそりと呟く少年。
 そんな少年にクラトスが柔らかな笑みを浮かべて言った。
「では帰るとするか。早くアンナに薬草を飲ませなくては。」
「え?…でも、俺は…」
「アンナがお前を気に入っているのだ。お前さえ良ければずっと家にいてもらっても構わない。いや寧ろこちらからお願いしたいくらいなのだ。」
「………」
「どうしたのだ?もしかして記憶が戻ったのか?」
「え?う、うん。だから俺、帰らないと…。」
「そうか……。だが、旅立つ前にせめて一晩でもいい、家に泊まってくれないだろうか?アンナも喜ぶだろうし、助けてもらったお礼もしたいのだ。」
「お礼なんかいいんだ。でも、考えてみれば俺の方こそあんた達に助けてもらったわけだし、やっぱ挨拶ぐらいしてった方がいいのかもしれないな…。」
 少年を引き止める事が出来、ホッとしたような表情を浮かべるクラトス。
「では行こうか。」
 少年は頷き、後に続いた。だが、数歩歩いたところでその足が止まる。

(駄目だ。やっぱり行けない。)

 それでも少年は名残惜しげに先を行くクラトスの背中を見詰めていたのだが、やがてそれを振り切るかのように頭を振ると剣を掲げたのだった。
 途端に辺りが眩い光に包まれる。
 それを背に受け怪訝そうに振り返ったクラトスは、光の中心に寂しげな微笑を浮かべじっと自分を見詰めている少年を見付け目を見開いた。
「なっ!?これは一体…」
「ごめんよ。俺、やっぱり行けないよ。会えばきっと別れられなくなる。」
「ならばずっといればいい。アンナだってそれを望んでいるんだ。」
「駄目なんだ。俺だって出来ればそうしたいさ。でもそれは許されない事なんだ。」
 少年の腕を掴もうと差し出された手が止まった。
 クラトスにもなんとなく分かっていたのだ。

 この少年がこの世界の者ではない事を…。
 自分とは別の時間を生きる者なのだという事を…。

 彼は帰るのだ。本来自分がいるべき場所へと。だからこれ以上止める事は出来なかった。

「もう…止められないのだな?」
 確認するかのように少年に問いかけるクラトス。少年は泣き笑いの表情を浮かべながらもしっかりと頷いた。
「うん…。でも俺、あんた達に会う事が出来てよかった。助ける事が出来てよかった。もしかしたら俺はその為にここに呼ばれたのかもしれないな。アンナさんのお腹の子が、両親を助けたくて必死に俺を呼び寄せたのかもしれない。あんたは馬鹿らしいって笑うかもしれないけど、俺にはそう思えてならないんだ。」
「………」
「短い間だったけど、すんげぇ楽しかった。またあんたと一緒に戦う事も出来たし。」

(また?)

「有難う、クラトス……さようなら!奥さんと子供を大切にしてやってくれよな。」
「!!待ってくれ!最後に一つだけ教えてくれないか。」
「何?」
「お前は……お前は何という名なのだ?」
 すると少年はニッコリと笑いながらこう答えたのだった。

「俺の名はロイド…。大好きな父さんが付けてくれた自慢の名前さ。」

 そして少年は最後に涼やかな笑いを残し、光の中へ消えて行ったのだった。
 それはようやく心が通じ合ったと思った矢先の突然の別れ。
 だが、クラトスの中に悲しみはなかった。少年は『またあんたと一緒に戦う事も出来た』と言ったのだ。だとしたらこれは永遠の別れではない。いつかどこかで必ずや再会する事が出来る筈。
「また会おう、ロイド。その時までしばしの別れだ。」
 クラトスは笑みを浮かべそう呟いたのだった。




 それから数ヵ月後、アンナは無事に男の子を出産した。
「よく頑張ったな、アンナ。元気な男の子だ。」
「あなたのお陰よ。あなたがいたから頑張れたの。有難う、クラトス。私今とっても幸せよ。」
 そう言って愛おしげに胸の中の我が子を見詰めるアンナを前に、クラトスも幸せを噛み締めていた。
「どうか素敵な名前を付けてあげてね。」
「その事なのだが、実はもう考えてあるのだ。」
「本当?教えて。何ていう名前なの?」
「ロイドというのはどうだろうか?私の知っている勇敢な剣士の名前なのだが…」
「ロイド……」
 我が子を見詰めながらゆっくりと呟くアンナ。
「気に入らないか?」
 心配そうに自分を覗き込んでくるクラトスを見て、アンナは頭を振ってみせると微笑を浮かべた。
「いいえ。この子にぴったりの名前だと思うわ。とっても素敵な名前。」
「そうか。気に入ってくれたか。」
 クラトスはホッとしたように笑みを浮かべると我が子を見詰めた。

 強くあれ!
 他人を思いやる優しい心を持ち、どこまでも純粋で真っ直ぐであったあの少年のように。
 それが私の願い…。

「よし、今日からお前はロイドだ!」
 クラトスはそう宣言すると、小さな我が子の手をそっと握ったのだった。


“俺の名はロイド…。大好きな父さんが付けてくれた自慢の名前さ。”



−君の名は 終−


「EMPTY HOME」の空(から)さまへ、出産のお祝いにお贈りしたもの。何にしようかと考えて、やはり子供がからんだ話がいいかなあ〜と、この話に決めました。
 「小説をプレゼントします〜」と言ったのは去年の話だったのですが、遅れに遅れてしまい結局お渡しできたのがつい先日の事という…。大変お待たせしてしまい本当にすみませんでした。
 改めまして、ご出産おめでとうございます。初めての育児で大変な事もあるでしょうが、どうか家族三人助け合いながら、アウリオン一家のような素敵な家庭を築いていって下さいね。



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