町へ出て来たクラトスは、眉を顰め空を見上げた。
 空が暗い…。ついさっきまであれ程晴れ渡っていたと言うのに、今は何故か黒い雲に覆われてしまっており、どんよりと曇っているのだ。
「雨が降るのだろうか…」
 場所によっては天候が変わりやすいところもある。だが、ここに来て三週間、今までこんな俄かに雨模様の空に変化する事など一度もなかった。
 急に言い様のない不安に襲われるクラトス。
 するとそんなクラトスの耳に、歩道にあるベンチで遅い昼食をとりながら往来を眺めている二人の男の会話が聞こえてきたのだった。
「なんだか嫌な天気だな。風も強くなってきたみたいだし、こりゃあ荒れるかもな。」
「また夜逃げ騒ぎでも起きるんじゃねえか。」
 その会話の内容に、クラトスは咄嗟に近くの路地裏に身を隠すと聞き耳を立てた。男達はクラトスには気付かぬ様子で話を続けている。
「夜逃げって例の城に泊まっているハーフエルフ達がか?」
「ああ。だってよ、前回のハーフエルフもその前も、そのまた前も、皆とんずらしたのは決まって今日みたいに急に雨模様になった日だって聞いたぜ。」
「ホントかよ。ハーフエルフって言うのは夜ばかりか雨も好きってか。」
「ハハハ、違えねえ。もしかしたらあいつらが嵐を呼んでいるんじゃねえか。」
「冗談じゃねえぜ、これから市中の監視に行かなきゃならねえって言うのによ…。でもよ、それって単なる偶然かもしれないぜ。その証拠に今回のハーフエルフは殿下とうまくいっているようだし、夜逃げなんかしそうもないだろ?」
「そう言われてみれば奴らが来てからもう三週間にもなるものな。これで殿下にもめでたく友人が出来たって事か。やっぱりハーフエルフはハーフエルフ同士がいいんだろうよ。でもよ、もしもだぜ、このまま殿下が王位を継ぐような事になったら、俺達はハーフエルフなんかに仕えなきゃならねえ事になっちまう訳だ。それはちょっと考え物だよな。」
「おいおい、そんな事大きな声でいったらやばいぜ。俺達はそう言う事を言う奴を取り締まる側の人間なんだからよ。」
「違えねえ。知られたら俺達も収容所送りってか。くわばら、くわばら…」
「おい、それはそうと、そろそろ行かないと。交代の時間だぜ。」
「おお、そうだな。遅刻したらどやされちまう…。宮仕えは辛いね。」
 肩を竦め、急いで走り去って行く二人。
 その姿が見えなくなるや、クラトスは路地裏から姿を現した。
「あの二人は憲兵って訳か……」
 しかし今はそれよりも二人の会話の方が気になっていた。

 今までのハーフエルフ達が姿を消した日…その日も今日のような天候だったと言う。
 あの二人は偶然として片付けていたようだが、果たして本当にそうなのだろうか。

 嫌な予感がしたクラトスはミトス達の元へ戻ろうとしたが、すぐに頭を振ると足を止める。

 自分が戻ったところでどうなる?
 もう私は彼らとはなんの関係もなくなってしまったのだ……

 肩を落とし、城とは反対の方向へと歩き始めるクラトス。
 するとそんな彼に声をかけて来た者がいる。
「クラトスさん!どこへ行くの?」
 その聞き覚えのある声に振り返ると、案の定そこには午前中に出会ったあの不思議な少年が立っていた。
「君か…。どこへと言われてもな。ただ町をぶらつこうと思っていただけだが。」
「だって仲間のところへ戻らないと駄目なんじゃないの?さっきの二人の話を聞いていたんでしょう?」
「見ていたのか?全く君は不思議な少年だな。どこからともなく突然私の目の前に現れる。」
 苦笑を浮かべるクラトス。
「そうそう、君には詫びなければならなかった。今朝は私もつい感情的になってしまい、君には不愉快な思いをさせてしまったな。すまなかった。実はあれから私も色々と考え、やはり君の言うように仲間に話をしてみる方がいいと考え直したのだ。しかしそうしたはいいが、逆に変に拗れてしまってな。全く取り合ってはもらえず、挙句に追い出されてしまいこの様だ……と言う訳で、もう私は彼らの仲間ではない。これからどうしようかと考えていたところなのだ。」
「…彼らと別れるつもりなの?」
「仕方がないだろう。たった今、仲間ではないと言い渡されて来たばかりなのだから…。結局私は君の期待には応えられなかった。だからすまないが君も私の事は諦めてくれないか。」
「そんなの駄目だよ!あなたは彼らから離れちゃいけない。それじゃあ、『あいつ』の思う壺じゃないか。」
 そう言って縋るように腕を掴んでくる少年を、クラトスはじっと見詰めた。そのまま少しの間考え込んでいたが、やがて目を伏せ小さく溜め息をつくと言った。
「……二三聞きたい事があるのだが。」
 そんなクラトスを静かに見返す少年。
「たぶんそう言ってくるんじゃないかなって思っていた…。いいよ。あなたには全てを知る権利があるものね。でもここじゃあ人目が多い。話の内容が内容だけに聞かれたらまずいし、あっちに行こう。」
 こうして小さな公園へとやって来た二人。天気が崩れそうだからだろうか、現在公園にいるのはクラトス達だけで、他には遊んでいる子供も散歩をしている人もいない。
 少年を近くのベンチに座らせクラトスはその横に立つ。しかし二人ともじっと目の前の広場を見詰めているだけでなかなか話を切り出す様子はなかった。辺りに重苦しい沈黙が流れる。
 長い沈黙の後、クラトスは少年に目をやると意を決したように口を開いた。
「…私は君に会ってからずっと考えていた。君が言う『あいつ』とは誰なのか、狙われているのは誰なのか。そして独自に調べた結果、こう結論せざるを得なかった。『あいつ』とはクロス王子で、狙われているのはミトス…。だがこれでは…」
「そうだよ。その通りさ。さすがだね。」
 間髪を容れずそう答えた少年に驚きを隠せない様子のクラトス。
「待ってくれ。しかしそれでは話がおかしい事にならないか?」
「どうしてさ。」
「今朝君は、『あいつ』が狙っているのは同じ闇を持つ者だと言っただろう。だがミトスにはそのような闇はない。話が矛盾してくるではないか。」
「どうして、ないと言い切れるの?多かれ少なかれ、誰の心にも闇はあるものだよ。虐げられる立場にあるハーフエルフなら尚更じゃないかな。」
「しかし…」
「きっとミトス君って我慢強い子なんだね。心中にある悩みや苦しみをあなたに隠し通してしまうぐらいなんだから。恐らくあなただけじゃなくお姉さん達も気付いていないんじゃないかな。でもそうやって自分の心を抑え付けてしまう子程、闇が巣食ってしまうものなんだよ。そしてもう一つ、ミトス君の持つ強大な魔力も『あいつ』を引き付けてしまった要因かもしれないね。」
「魔力?…それじゃあ、もしかして突然姿を消したハーフエルフ達と言うのは…」
「そこまで調べていたのか…そう、彼らは全員『あいつ』に取り込まれてしまったのさ。」
「!!」
「『あいつ』は力を欲しているんだ。だからその障害になり得るものは絶対に許さない。今の『あいつ』にとってその障害と言うのはあなたの事…だからあなたをミトス君から引き離そうと色々と小細工してきたんだよ。」
「……」
「『あいつ』はあなたを恐れているんだ。でもそう言った所で『あいつ』自身はそんな事認めようとはしないだろう。それでも本能は確実にあなたを危険だと感じ取っている。何故だか分かる?それは『あいつ』の力があなたには通用しないからだよ。だからあなたは彼らから離れるべきじゃない。『あいつ』からミトス君を守れるのはあなただけなんだよ。」
「止めてくれっ!!」
 クラトスは堪りかねたように叫んだ。
「どうして君はそうなんだ!?顔を合わせる度に、私の事をまるで守護神か何かのように言う。前にも言ったように私はそんな大層な者ではないんだ。その証拠にミトスは私の事など信じてはいない。君の見込み違いなんだよ。」
「そうじゃない!ミトス君は心の底ではあなたを求めているんだよ。だってよく考えてみて。あなた達の絆は、そんなに簡単に断たれてしまうようなものなの?違うでしょう?」
「あの三人の絆はそうかもしれない。だが私は違うんだ!!」
「何が違うって言うのさ!あなた一人が人間だから?でも、もしそうならとっくの昔にあなたは彼らから離れていた筈さ。今まで続けてこれたのはあなた達がそんなものを超えたところで繋がっているからじゃないの?結局種族の違いに一番こだわっているのはあなた自身なんだよ。」
「……」
「『あいつ』の企みはもう最終段階に入っている。僕はその事をあなたに知らせに来たんだ。全てが終わってしまってから後悔しても、もう遅い。僕はあなたにそんな思いをして欲しくないんだよ。」
 クラトスは少年の顔をまじまじと見た。
 そしてしばらくの沈黙の後、予てより抱いていた疑問を思い切ってぶつけてみたのだった。
「……君は一体何者なんだ?」
 すると少年は僅かに目を伏せるとこう答えたのだった。
「僕はこの世を彷徨う亡霊。クロスと言う名の幻だよ。」




 その頃ミトスはどうしていたかと言うと、マーテルが考えた通りクロス王子の元へと来ていた。
「全く、クラトスがあんな奴だっただなんて思ってもみなかった。やっぱりあいつも他の人間達と同じだったんだ。信じた僕が馬鹿だった。クロスが言った通りだったよ。」
 部屋に入ってくるや否や、怒りも露に次第を語り出すミトス。
 そんな興奮して話し続けるミトスにクロスはココアを淹れてやった。
「飲みなよ。落ち着くよ。」
 勧められるままにココアに口をつけるミトス。クロスが言ったように、ココアのほんのりとした甘さが高ぶった神経を沈めて行く。
「有難うクロス。」
 ミトスはホッと息をつくと、今度は少しテンションを落として再び話し出した。
「…それにさ、クラトスだけじゃないんだ。ユアンや姉様までもが一緒になって反対するんだよ。あんなに素晴らしい構想なのにどうして?皆、本当に酷いよ。おかしいよ。」
「もしかしたらお姉様達もクラトスに洗脳されちゃったのかもね。でも、だとするともう僕達の仲も終りだね。」
「え?」
「だってお姉さん達がここに留まる事を許してくれなかったんだから、君はまた旅に行ってしまうって事だろう?」
「そんな事はない!」
 クロスの言葉を即座に否定するミトス。
「…僕は行かないよ。例え一人になってもここに残るって決めたんだ。」
「ミトスがそう言ってくれて僕は嬉しいよ。でも、君は本当にそれでいいの?お姉様達と別れなきゃならないんだよ。」
「あんな連中、こっちから縁を切ってやるさ。僕はね、君と一緒に夢を完成させたいんだよ。」
「有難う、ミトス!」
 クロスは感極まった様子でミトスの手をしっかりと握り締めた。
「僕はね、君ならきっとそう言ってくれるだろうって信じていた。君だけは僕を裏切らないって…。でもその一方では、もしかしたらって不安もあって、怖くて仕方がなかったんだ。もう一人ぼっちは嫌だ。だからそう言ってくれてすごく嬉しいよ。」
「クロス…。」
「これからは二人、力を合わせて必ず僕達の国を実現させようね。」
「うん、もちろんだよ!……あ、でもその前にクロスにお願いがあったんだ。」
「何?僕に出来る事ならなんでもするよ。」
「実はさ、君は知らないだろうけど、この国には非人道的な施設があるんだよ。」
「…それってもしかして収容所の事かい?」
「なんだ、知っていたの?それじゃあ話は早いや。君から陛下にあんな所は直ちに閉鎖するよう進言してくれないかな。」
 ミトスはクロスなら当然二つ返事で引き受けてくれるものと思っていた。しかしクロスは眉を顰めるとこう言ったのだ。
「悪いけど、どうして閉鎖しなくちゃならないのか僕には分からないよ。」
「…え?」
「だってあそこに入れられている連中はハーフエルフを害した者ばかりなのだろう?罰を受けるのは当然じゃないか。」
「それが違うんだよ。皆、理不尽な事で放り込まれてしまったんだ。しかも老人や年端も行かない子供まで入れられているんだよ。そんなのおかしいじゃない。」
「おかしい?何故?…今まで散々理不尽な事をしてきたのは彼ら人間の方じゃない。あの収容所はただそれと同じ事をやり返しているだけの事さ。例え老人だろうが子供だろうが関係ない。彼らが人間である事…それだけで十分罪に値するんだよ。」
「そんな!!それじゃああまりにも可哀想じゃないか。」
 クロスの態度に急に不安になるミトス。上目遣いでクロスを見ながらおずおずと尋ねる。
「……まさか君がやらせているわけじゃないよね?違うよね?」
「もしそうだったら?」
「!!…そ、そんな…嘘でしょう?こんな酷い事、君がやるわけがないよ。」
「何が酷いと言うんだい?僕は当然の事をやっているだけだよ。これはね、僕達ハーフエルフの人間に対する復讐劇なんだ。」
 目を見開くミトス。
「…復讐……?」
「いいかい、ミトス。君だって人間達にはこれまで何度も煮え湯を飲まされて来たじゃないか。今回のクラトスの件も含め、心の底は憎しみで一杯の筈だよ。僕達には復讐する権利がある。ハーフエルフの王国を創り、今度は僕達ハーフエルフが人間を従える番なんだよ。君だってそう思っているからこそ、この計画に賛同してくれたんだろう?」
「違う…僕は君がハーフエルフの止まり木になるような国を創りたいと言ったから、だから…」
「同じ事だよ。ただ復讐と言う付加価値が追加されただけの事じゃないか。でもそんなに心配する事はないよ。あの収容所はじきになくなる。何故ならこの国から人間という人間は全ていなくなるんだから。だって僕達の国創りの邪魔になるものね。」
 そう言ってニヤリと笑ったクロスを見て、ミトスは身を震わせた。
「まさか追い出すつもりなの?…そんな事出来っこない。第一、陛下が許さないよ。」
「陛下なんて関係ないよ。あいつはね、僕には逆らえないんだ。あいつはただのお飾り。今までこの国を守って来たのは僕なんだ。だからこの国は事実上、もう僕のものなんだよ。」
「!?」
「どうしたの?そんな変な顔して。」
「…君は…クロスなんだよね?」
 確認するかのようにそう尋ねるミトスを見て、クロスは笑い出した。
「何を言い出すのかと思ったら…。そんなの当たり前じゃないか。午前中に会ったばかりなのにもう顔を忘れちゃったの?」
「だって!僕の知っているクロスは思いやりがあって優しくて、そんな恐ろしい事考えるような子じゃない筈だよ。」
「そうやって褒めてくれるのは嬉しいけどね。でも残念ながら、君は僕の事なんて何も知らないんだよ。」
「え?」
「でもそんな事はどうでもいいじゃないか。君は僕の構想に賛同し、こうして僕の手を取ってくれた。今この瞬間から、僕達の理想の国が動き始めるんだ。さて、手始めに何をしようか?そうだな…あのいけ好かない人間、クラトスでも殺そうか。」
「!!…こ、殺す?」
「そうだよ。殺すんだ。あいつは絶対に僕達の邪魔をしてくる。せっかくこれからこの世界を手中に収めようと言う時に、あいつ一人の為に計画が頓挫してしまったらつまらないものね。この世界を僕達ハーフエルフだけの世界にする為に、障害は早い内に取り除くに限るんだ。」
「手中に収める?ハーフエルフだけの世界?」
 愕然とするミトス。その脳裏に姉の言葉が蘇ってくる。

 “少なくとも彼は私達の理想を理解してくれてはいない。私達とは見ている方向が違うのよ。”
 “思い出して。私達は何を志して旅に出たのかしら?私達が目指している世界は、人間もエルフもハーフエルフもない、同じ大地に生きるもの同士、皆が手を取り合って…”

「違う…」
 ミトスは目を見開きそう呟くと後退った。
「どうしたの、ミトス。何が違うと言うんだい?もしかしてあのクラトスにまだ未練があるとか?そんな事ないよね。だってあいつは君を裏切ったんだ。さっき君自身が決別するって言ったんだものね。」

「違う、違う!違うっ!!」
 頭を振りながら叫ぶミトス。
「クロス、君は勘違いしている。ハーフエルフだけの国だとか、復讐だとか、人間を排除するだとか、そんなのは僕達の理想なんかじゃない!僕はそんな事を望んじゃいないんだ!!…今やっと姉様が言った意味が分かった。僕達が目指す世界と言うのは、種族の違いなんか超えたところで皆が一緒に未来を築いていく…そう言う世界なんだ。だから君が目指している世界とは根本的に違うんだよ。」
「…フン。」
 クロスは鼻で笑うとミトスを見詰めた。その冷たい銀色の光に思わず身を強張らすミトス。
「だからどうだと言うのさ。もう僕には協力出来ないとでも?残念だったね。そう言うわけにはいかないんだ。だって君はもう僕の手を取ってしまったんだもの。僕は絶対に放さないよ。」
 そう言いながら笑みを浮かべゆっくりと近付いてくるクロスの体が徐々に黒ずんでくる。そしてそれはなんと渦を巻く黒い霧へと変わっていったのだ。
 そんなクロスの変化に、声にならない悲鳴を上げるミトス。
「ば…化け物!」
 その言葉に黒い渦の中心辺りにある二つの銀色の光が点滅した。それはあたかも笑っているかのようで…。
「化け物は酷いな。それが親友に向ける言葉かい?」
 身の危険を感じたミトスはすぐさま呪文を唱えようと構えたのだが、しかし何故か力が入らずガクリと膝を折ってしまう。
「!?」
「どう?力が入らないでしょう。そりゃあそうだよね。実はさ、さっき渡したココアに痺れ薬を入れておいたんだよ。その効果が現れ始めたみたいだね。」
「…な、なんで…そんな…」
 そのまま床の上に倒れ伏すミトス。
「悪く思わないでね。別に君の事を信じていなかったわけじゃないけど、もしもって事があるでしょう。今みたいに僕を殺そうとするかもしれないって考えてさ。君の魔力の高さは分かっている。まともにやりあったらお互い相当のダメージを受けてしまうだろう?折角手に入れた操り人形である君を傷付けたくなかったんだよ。」
「…操り…人形?」
「そうだよ。元々ある僕の魔力に君の魔力が加われば鬼に金棒だものね。これでこの世界はもう僕達のものになったも同然ってわけさ。」
「最初からそのつもりだったの?…道具として使う為だけに僕に近付いて来たの?友達だって言ってくれたあれは嘘?」
「もちろん友達だって言った事は本当だよ。ただ僕はね、なんでも一番じゃなければ気がすまない性質なんだ。だから君も僕だけを見てくれなくちゃ。他の奴に目を向けている君なんて我慢出来ないんだよ。でもこれでもう大丈夫。これから君は僕だけのものになるんだ。」
 ミトスの身体を黒い霧が包み込んで行く。
「嫌だ…止めて…僕は誰のものでもない。僕は僕自身のものだ!」
「君がいけないんだよ。君の中にある強い憎しみや悲しみが僕を引き寄せてしまったんだ。助けを呼ぼうたって無駄だよ…ほら、もう声も出なくなってきた。誰も助けになんて来ない。君はもう逃げられないんだよ。」
 しかしそれでもミトスは心の中で必死に叫び続けていた。

 助けて!
 僕は人形になんかなりたくない!!
 誰か…誰か…。

 そしてだんだんと薄れていく意識の中、彼が救いを求めて呼んだ名は、ついさっき自らの手で絆を断ち切ってしまった者の名前だった。

 『助けて…クラトス!!』

 その声にならない声を最後に、ミトスは完全に闇の中へと飲まれて行ってしまったのだった。




「君がクロス王子だと!?…馬鹿な。そんな事はあり得ない。」
 少年の言葉に、クラトスは思わず声を上げた。
「それなら西の塔にいるのは誰なんだ。クロス王子は二人いるとでも言うのか!?」
「ううん、クロスは一人しかいない。でも僕もクロスなら、塔にいるのもクロス。つまり二人が合わさって初めて一人のクロスになるってわけなんだよ。」
「?」
 訳が分からない様子のクラトスに、少年は寂しげな笑みを浮かべると話を続ける。
「…世間では悲劇の親子だとか、美しい父性愛とか語られているみたいだけど、実際は違う。国王がクロスを引き取ったのは息子を愛していたからではないんだよ。国を守る兵器として利用する為だったんだ。」
「兵器!?」
「知っての通り、ここは四方を大国に囲まれている。もし攻め込まれたら、こんな小さな国は一溜まりもないだろう。とは言え、兵器を買い揃えるには莫大な金を必要とする。そこで国王は兵器の代わりにある装置を購入し、クロスを利用する事を思いついたのさ。その装置とは、人の持つ憎悪を増幅するものだった…。」
 その装置の噂はクラトスも耳にした事があった。
 人は時に、怒りや憎しみにより本来持っている力の数倍にも及ぶ力を発揮する事がある。そんな作用を持続させる装置をある国が開発したのだと言う。脳に直接刺激を与え、常時興奮状態におくよう仕向けるのだ。
 もちろんこれは軍事目的に開発されたもので、その効果を試すべく数人の兵士によって人体実験が行われた。その結果、それらの兵士達はそれこそ狂戦士のような戦いぶりを見せたのだが、やはり人為的に感情を操作するなど無理があったのだろう、どの兵士も数日も持たずして死んでしまったと言う。つまりこの実験は失敗だったと言う事だ。
 その後その装置は人体にすこぶる悪い影響を及ぼすとの事で、国際条約で製造禁止になった筈なのだが、どんな事にでも抜け道があるもの…恐らくは闇のルートで手に入れたのだろう。
 案の定、少年はその通りだと言うように頷いて見せた。
「クロスはエルフである母親の血をより濃く引いており、その魔力は実に強大なものだった。その上にその装置を使えば一国を滅ぼすなんて造作もない事だっただろう。でも所詮は欠陥品、しかも訓練を受けた兵士でさえ耐えられなかったものが十代の少年に耐えられる筈もない…。」
「クロス王子は死んでしまったのか?…いや、まさかな。現にクロス王子は生きてこの国に存在するのだから。」
「そう…まだ生きているよ。でも死んだも同じさ。むしろ死んでしまった方が良かったのかもしれない。なにしろ装置に掛けられたショックで魂を二つに引き裂かれてしまったんだからね。」
「…え?」
「善と悪に分かれてしまったんだよ。つまり今西の塔にいるクロスは、怒りと憎しみの権化って事。それでも国王は喜んでいたよ。何しろ希望通りの怪物を作り出せたんだからね。早速周りの大国に脅しをかけて不可侵条約を結んでいた。この国が攻め込まれないのはそういう理由があったからなんだよ。」
 驚愕の表情を浮かべるクラトス。
「つまり…君は…」
「そう。その怪物の片割れってわけ。もっとも、怪物と言っても半分になってしまった訳だから、お互いその力も本来の半分ぐらいしかないけどね。」
 いや、それでも大国を屈服させ条約を結ばせるまでに追い込んだのだ。かなりのものであったに違いない。半分でさえそうなのだ。もし二人が一つになったとしたら、その力の大きさは計り知れない。まずミトス以上のものと見て間違いないだろう。
「だから『あいつ』は完全体になりたがっている。その為に国王にハーフエルフの旅人を集めさせてはその力を吸い取っているんだ。そして同時に肉体を失った自分に代わり意のままに動いてくれる器を探している。それは普通のハーフエルフでは駄目なんだ。自分の持つ強大な力を使いこなせる者…つまり自分と同等の魔力を持つ者でなくてはね。」
「それがミトスだと言うのか?クロス王子はミトスの体を自分の第二の肉体にしようとしていると?」
「う〜ん、正確に言えばちょっと違うかな。『あいつ』には他人の体を我が物にするほどの力はないもの。取り憑いて操り人形のように動かすだけだよ。でもその為に意識を消される事は間違いない。」
「!!」
「大丈夫だよ。完全に意識を消される前に『あいつ』をミトス君から引き剥がしてしまえばいいんだ。二人の心が同調さえすればそれも可能なんだよ。そうすれば後は僕が何とかする。」
「……同調…」
「どうしたの?早くしないと手遅れになっちゃうよ。さあ、行こう。ほら、空があんなにも暗くなってきた。もう儀式は始まってしまっているんだ。」
「…駄目だ。」
「え?」
「ミトスと同調するなんて事、私に出来るわけがない。」
「何を言って…」
「私には自信がないんだっ!!」
 叫ぶクラトス。
「情けない男だと笑ってくれても構わない。それでも私にはミトスを救い出せる自信がないのだ。恐らくミトスは私を拒絶するだろう。まるで汚いものでも見るかのような冷たい瞳…あんな風に再び見られるかと思うと、怖くて堪らないんだよ!」
 少年はそんなクラトスを黙って見詰めていたが、やがて静かな声で宥めるように言った。
「ねえ、クラトスさん。これは前にも言ったけど、もっとミトス君を信じてあげなよ。例えミトス君があなたに対して暴言を吐いたとしても、それは『あいつ』が言わせている事なんだ。気にする事はない。ミトス君の本心はあなたを求めている。彼にはあなたが必要なんだよ。」
「……」
「あなた達は自分達が思っているよりもずっと強い絆で結ばれているんだ。それは『あいつ』がどんなに小細工をしようが切れるものではない。そうでなければ僕はあなたに声を掛けたりはしなかった。僕はあなた達が羨ましい。だって僕にはそんな仲間なんていなかったもの…。だからもっと自分達が築いてきたものを信じて。ここで逃げてしまったら、あなたは今度こそ本当にミトス君を裏切る事になるんだよ。」
「……私は…」
 クラトスは顔を上げて少年を見た。そして彼が「やはり無理だ」と答えようとしたその時だった。

 “助けて…クラトス!!”

 それはミトスが発した心の声。だがそれは確かにクラトスの耳に届いたのだった。
 ビクンと体を振るわせるクラトス。
「クラトスさん?どうしたの?」
「ミトス…」
「え?」
「…今、ミトスの声が聞こえたんだ。」
「!!」
 そのまま俯き考え込んでしまうクラトス。
 だがすぐに顔を上げると少年の目を真っ直ぐに見詰め言った。
「君は私ならミトスが救えると言った。だが私の心の中にも闇はある。そんな私でも『あいつ』に取り込まれる事なく、ミトスを助け出せるものなのだろうか。」
「『あいつ』が取り込める闇は自分と同種のものだけなんだよ。それは人間に対する恐れや怒り…。対するあなたの闇は仲間のハーフエルフに対する不安や恐れ。つまり両者は全く正反対のものなんだ。『あいつ』にあなたを取り込む事は出来ない。」
「そうか…」
 少年の言葉に笑みを浮かべるクラトス。
「それだけが心配だった。助けに行ったはいいが、自分まで取り込まれてしまったら話にならないからな。」
「!!…それじゃあ、クラトスさん…」
「ああ。西の塔へ行く。そして私の大切な仲間を『あいつ』の手から取り戻すんだ。力を貸してくれるか?」
「もちろんだよ!」
 少年は嬉しそうに笑った。

 天候は一気に崩れ、黒い雲の隙間から時折雷光が走り始めていた。その下を、二人は塔へ向かって走り出したのだった。


-つづく-