6
城に入ったクラトス達は長い廊下を抜けようやく裏庭へと出た。
この天候の悪化で、塔のクロスが動き出した事は国王も気付いている筈。だからもし自分達が塔に向かっている事が知れたら必ずや阻止しようとするだろう、と少年は言った。
そこで二人は巡回の兵士に気付かれぬよう細心の注意を払いながらここまで進んで来たのだった。
「あれが西の塔か…」
クラトスは塔を見上げ唸った。
裏庭と言ってもさすが城である。その広さは半端ではなく、隅に建てられている塔までは今クラトス達が立っている位置からもまだかなりの距離がある。
「しかしあれでは本当に隔離だな。」
「国王は首尾よく『あいつ』の力を手に入れられたものの、その一方で恐れてもいるんだよ。『あいつ』がこの先矛先を自分に向けてこないとも限らないからね。言わば『あいつ』は国王にとって諸刃の剣なんだ。だから城から離れたあの場所に封じ込めた。」
「塔の入り口に常時鍵が掛けられているのもその為か。」
「そうだよ。でもそんな事しても無駄なのにね。『あいつ』の力を持ってすれば、鍵なんて遠隔操作で簡単に外す事が出来る。いつだって好きな時にあの塔から出る事が出来るんだもの。」
そう言いながら塔へ目をやる少年。
塔は黒い霧に包まれており、それが天候の悪化によるものだけでない事は一目瞭然であった。
「…急いだ方がいいみたいだね。」
「ああ、そのようだな。」
クラトスは緊張の面持ちで頷いた。
するとその時、塔の方から誰かがこちらへと戻って来るのが見えた。よく見るとそれはユアンとマーテルではないか。
「…何故あの二人が?」
怪訝そうに首を傾げるクラトス。
その内二人の方でもクラトス達に気付いたようで駆け寄ってきた。
「クラトス、ごめんなさい。あれからミトスと言い争いになって、あの子部屋を飛び出して行ってしまって…。きっとクロス王子のところへ行ったのだと思うのよ。それで後を追って来たのだけれど、塔の入り口に鍵が掛かっていて中へ入れないのよ。ユアンがチャレンジしてみたけど、どうしても開ける事が出来ないの。」
「鍵が…」
入り口に鍵がついているのは分かっていたが、それもミトスが入った事で開いているものとばかりに思っていた。
ミトスが入った後に再び締めたのか?
それとも…。
クラトスが思わず少年に目をやると、彼は頷き言った。
「うん、多分誰かが追って来る事を想定して『あいつ』がかけたんだ。」
そこにきて初めてその存在に気付いたかのように、少年を見やるユアンとマーテル。
「…おいクラトス、このガキは誰だ?」
二人にとって少年は初対面である。従ってこの問いは当然の事であろう。しかし今は詳しく説明している時間はない。そこでクラトスはこれまでの事を掻い摘んで話して聞かせたのだった。
その内容に二人は信じられないといった表情を浮かべた。
「この子がクロス王子?…いえ、正確に言えば『この子も』って事になるのかしら。」
「魂が引き裂かれ尚且つ生きているなんて信じられんな。」
まるで奇妙な生き物でも見るかのように自分に目をやるユアンを見て、少年は肩を竦めると素っ気無く言った。
「信じようと信じまいと勝手だけどね。僕は嘘は言っていない。現にこうしてここにいるんだから。あなたの濁りきった目でもちゃんと見えているでしょう。」
「!!…濁った目で悪かったな!」
ムッとするユアン。
「なんてくそ生意気なガキなんだ。目上の者に対する礼に欠けている。根性が捻じ曲がっているな。」
「あなたと同じだね。」
「なっ、なんだと!?」
クラトスは溜め息をつくと二人の間に割って入った。
「兎に角だ!今は喧嘩をしている場合ではないんだよ。一刻も早く塔の中へと入らなければならない。しかし鍵が掛けられているとなると厄介だな。ユアンの錠前破りの腕も通用しなかった訳だろう?」
「……人をこそ泥のように言うな!」
「しかし塔の中に入れないでは話にならん。どうしたものだろうな。近衛隊長が鍵を持っているのは分かっているが、貰いに行ったとしても恐らく渡してはくれないだろう。かと言って壊すにしても時間がかかるだろうから、その間に見付かってしまう確率が高くなる。それでも危険を承知で壊すしか手はないか…。」
クラトスは難しい顔をして考え込んでしまう。
すると少年が言った。
「大丈夫だよ。裏手にある水路から塔の地下へ入れるんだ。」
「水路?」
「今は使われていないんだけどね、昔はその水路を使って塔から出たゴミを舟で外へ運び出していたんだ。そこにも鍵が掛かっているかもしれないけど、塔の入り口に比べれば壊すのも簡単な筈だよ。」
「そんな所があったのならもっと早く言え!」
ユアンは叫んだ。
「ようし、そこから乗り込もう!!」
「ええ、そうね。」
俄然張り切るユアンとマーテル。
しかしそんな二人に少年は言った。
「塔へ行くのはクラトスさんと僕だけだよ。あなた達は連れて行けない。」
「!!…どうして?だってミトスは私達の仲間でもあるのよ。」
「あなた達では『あいつ』に取り込まれてしまう恐れがあるからだよ。ミトス君だけでも脅威なのに、その上あなた達の力まで加わってしまったらもう手が付けられなくなってしまう。」
「そんな…」
愕然とするユアン達に、クラトスも済まなそうに言う。
「そう言う訳だから、お前達はここで待っていてくれ。ミトスは必ず私達の手で救い出す。」
ユアンはそんなクラトスをしばらくの間じっと見詰めていたが、
「……クラトス、話がある。」
と、彼の腕を掴むと離れた場所へと連れて行った。
「ユアン?一体何なのだ。すぐにでも向かわなければミトスが危ないのだぞ。」
苛々した様子のクラトスに小声で諭すように話すユアン。
「いいから聞け!…お前、本当に奴と二人だけで行くつもりなのか?魂が引き裂かれただの、我々が行けば取り込まれてしまうだのと、奴が言う事は突拍子もない事ばかり。まさかあんな嘘臭い話を真に受けちまったわけじゃないだろうな?」
だがクラトスはユアンの目をまっすぐに見詰めるとはっきりとこう言い切ったのだった。
「私は信じている。」
驚きに目を見開くユアン。
「正気か?一体どうしちまったんだ、お前らしくもない。いいか?あの話にしたって奴が言っているだけで本当の事かどうか分かったものじゃない。いや、百歩譲って真実だとしてもだ。そうなるとあいつは塔のクロスの分身と言う事になる。そんな奴を信用出来るのか?塔の鍵にしても水路にしても、皆、お前一人を引き離し始末する為に二体のクロスが協力して仕組んだ奸計かもしれないのだぞ。そんな所に飛び込んで行く馬鹿がどこにいる?悪い事は言わない。考え直せ。な?」
「……だからだよ。」
「え?」
「お前が言うように彼が敵なのだとしたら、わざわざ私の前に現れる必要はなかった筈だ。黙って見ていれば簡単にミトスを手に入れる事が出来ただろう。現に私は『あいつ』の存在すら気付いてはいなかったのだから。それなのに彼は私の前に現れ、私が行き詰る度に助言をしてくれた。これだけでも十分信頼に値する事ではないだろうか?」
「だからそれが奴らの手だと言っているんだ。そうやってお前の油断を誘おうとしているんだよ。」
「…そうだな。確かに騙されている可能性もゼロではない。だがそれでも私は彼を信じている。いや、信じたいのだ。」
「おい、クラトス…」
尚も言葉を継ごうとするユアンを、クラトスは『お前の言いたい事は分かっている』と言うように手を上げて制した。
「正直、私も最初はあの少年の事を胡散臭い奴だと思っていたのだ。だが、よくよく考えてみれば彼の言う事は全て的を射ていた。私達の事然り、ミトスの事然り、そして私自身の事もだ。」
「……」
「彼がいなければ私は疾うにお前達の元を去っており、今ここにミトスを救うべく立っている事もなかっただろう。彼は私に道を示してくれたのだよ。」
「だから信じると?だがそれで、もしやはり騙されていたとしたらどうするのだ。塔に乗り込んでしまってから悔やんでも、もう遅いのだぞ。」
「もしそうなったら…それは私の人を見る目が無かったという事。自業自得と言う訳だ。その報いは甘んじて受けよう。だが例えそうなったとしても黙ってやられるつもりはない。刺し違えてもミトスだけは必ず救い出す。それが私が仲間としてミトスにしてやれる最後の事だと思うから。」
「!!…最後って…お前まさか…」
「今回の事は全て私が引き金となっているような気がするのだ。私がいたからミトスの心に闇が生じ、結果その隙を付け込まれる事となってしまった。種族の差と言うものはそう簡単に埋められるものではないと、つくづく思い知らされたよ。やはり私はお前達の側にいるべきではないのかもしれない。」
「ちょっと待て。それは違う。そりゃあ確かに難しい問題ではある。だがな…」
「まだはっきりと決めたわけではないのだよ、ユアン。それよりも前に今はやるべき事がある。そうだろう?……もし生きて帰れたら、その時またゆっくりと考えるさ。」
それだけ言うとクラトスは踵を返した。引き止めようとするユアンを尻目に少年の元へ歩み寄る。
「待たせたな。行こうか。」
「……もういいの?」
「ああ。話はもう済んだ。」
「そう…。それじゃあ行こう。水路へは向こうから下りられるよ。」
少年と共に立ち去って行くクラトス。
そんな二人の後姿をユアンは不安げに見詰めていた。
それからしばらくして、クラトス達は泊めてあった小舟に乗って水路を進み、無事に塔へと繋がる地下道へと降り立っていた。やはり入り口の水門には鍵が掛けられていたが、それも少年が言ったように簡単なものですぐに壊す事が出来た。
薄暗い地下道を慎重に進んで行くクラトス達。やがて開けた場所へと突き当たる。
「ここがちょうど塔の地下にあたる場所だよ。」
頷くクラトス。
暗い中目を凝らして見ると、隅の方に上へと上がる階段があった。
「あそこからミトス達がいる部屋へ行けるわけだな…。」
「待って。」
すぐに向かおうとするクラトスを少年が呼び止める。
クラトスは怪訝そうに振り返った。
「部屋へ突入したらもう言えなくなるかもしれないから、今の内に言っておくよ。…さっきは信じてくれて有難う。その…嬉しかったよ…」
「!!…聞こえていたのか?」
「うん。僕、耳はいいんだ。」
「そうか…。だが、ユアンを悪く思わないでやってくれ。」
「分かっているよ。彼はあなたの事を案じただけなんだもの。大体あんな事を突然言われて、信じろと言う方が無理だもんね。でもあなたは信じてくれた。それだけでいい。だからお礼だけはちゃんと言っておきたかったんだ。」
「……」
それから少年は上へと続く階段を見上げながら話し続ける。
「部屋へ行ったらきっと、あなたはミトス君から聞くに堪えない暴言を投げつけられる事になるだろう。でもそれはミトス君の言葉じゃない。『あいつ』が言っている事なんだ。だからどんな事があっても決して動じないで。」
「分かっている。」
「あなたはただ、ミトス君の心の声だけに耳を傾ければいい。あなたならそれが出来る。現にさっきあなたはミトス君の声を聞く事が出来たんだから。」
「……」
「それともう一つ。これだけは忘れないで。僕も、『あいつ』も、あの装置に掛けられた時点でもうこの世のものではなくなったのだと言う事を。」
「え?…それはどう言う意味だ?」
だが少年はその問いに答える事はせず、ただとても悲しげな笑みを浮かべると繰り返したのだった。
「どうか忘れないで…」と。
いつの間にか外では大粒の雨が降り始めていた。時折空を走る雷光が窓から射し込み暗い足元を照らす。
そんな中、二人は螺旋状の階段を一気に駆け上がり、ようやく最上階にあるクロス王子の部屋の前へと辿り着いた。
そっとドアノブに手をやると、予想に反して鍵は掛かっていなかった。思わず顔を見合わせる二人。
「罠か?……いや、ここまで来て臆しても仕方がないな。どの道、中に入らねばならないのだ。」
「だね。」
クラトスは意を決するとドアを押し開いた。
部屋の中は暗く静まり返っていた。
窓の傍に人影が一つ、こちらを向いて立っている。そこへ一つの雷鳴が轟き、その顔をはっきりと照らし出した。
「……ミトス。」
呟きを漏らしたクラトスに向かって、ミトスは、今まで見せた事のない邪悪な笑みを浮かべ言った。
「やあ、クラトス。やっぱり来たんだ。無礼を詫びに来たの?だったら早くそこへ土下座しなよ。額を床に擦り付けてさ、泣きながら許しを請いなよ。君にはそんな姿がお似合いだよ。今なら許してあげない事もない。」
「…前にも言った。私は詫びるつもりはない。」
「へえ、そうなの?もう少し頭のいい奴だと思っていたのに残念だな。僕の王国に薄汚い人間なんか不要だけど、今謝れば君なら玩具として傍に置いてあげてもいいと考えていたんだよ。剣士として鍛え上げた体だ。そこらの人間と違って、ちょっとやそっとじゃ壊れないだろう?…檻に入れてさ、毎日毎日痛めつけるんだ。苦痛に泣き喚く君を見ればストレス解消にもなるし、さぞ楽しいだろうなって思ったんだけどね。」
思わず息を呑み後退さるクラトス。
そんなクラトスの耳に背後から囁きかけてくる少年の声が聞こえてくる。
(クラトスさん、惑わされちゃ駄目だ!今の彼はミトス君であってミトス君ではないんだよ。)
分かっている…これがミトスの言葉でない事は分かっているのだ。
しかし今目の前にいるのは紛う方なきミトスなのであり、その聞きなれた声で言われてしまっては、頭では分かっていても心の方がついて来ないのだった。
震える両手に拳を握り締め、あれはミトスではないのだと必死に自分に言い聞かせるクラトス。
そんな彼の姿を見たミトスはニヤリと笑い、
「へえ〜、どうやらお前にも大きな闇が巣食っているようだね。これは久し振りに上等なご馳走にあり付けそうだ。お前のその力、吸わせてもらうよ。」
そう言って、目を見開き立ち尽くしているクラトスに歩み寄ると、その胸に手を当てた。瞬間、ピクリとはねたクラトスの体が黒い霧に包まれて行く。
「こうして力を吸われた者がどうなるか知ってる?だんだんと干乾びたミイラのようになって行き、最後には塵となって消えてしまうんだよ。僕はその瞬間がたまらなく好きでね。お前にも見せてあげられないのが残念だよ。だって見られるわけがないよね。消えるのはお前自身なんだからさ。」
ミトスはすぐに訪れるであろうその瞬間を想像し高笑いを上げた。
ところが…
「何だ?これは一体どうした事だ。お前の闇が掴めない。力が吸い取れない!?…馬鹿な!こんな事、あり得ない!!」
「馬鹿はお前の方だよ。」
突然かけられた声の方へ血走った目を向けるミトス。
言うまでもなく、声の主は少年であった。
「お前にクラトスさんの力を吸い上げる事は出来ない。」
「なん…だと?」
「何故ならクラトスさんとお前とは持っている闇が違うから、お互いが反発して取り憑く事が出来ないんだよ。取り憑く事が出来なければ、当然力を吸い上げる事など不可能だ。その事はお前自身よく分かっていた筈だよ。だからお前は何よりもクラトスさんの事を恐れていたんだ。」
「違うっ!!僕がこの劣悪種を恐れるわけないじゃないか!!」
髪を振り乱し、少年の言葉を否定するミトス。
「そうさ。何を恐れる必要がある?…今の僕に恐れるものなんてない。不可能な事なんてある筈ないんだ。だって僕は完全体になったんだから。こうしてミトスと言う器も手に入れたんだから!」
「だから馬鹿だって言うんだよ。器を必要とする時点で、もうそれは完全体なんかじゃない。どんなに力を吸い上げようが、所詮お前は半ぺらでしかないんだよ。」
「黙れ、黙れ、黙れ っ!!半ぺらはお前の方だ。僕を一緒にするんじゃない!…だったら見せてやるよ。完全体の力ってものをな!!」
ミトスは少年を睨み付けると、両手を広げ天に向かって吠えた。
途端に彼の周囲に大爆発が起き、その凄まじい爆風は窓という窓を粉々に吹き飛ばす。無論これ程の衝撃にすぐ近くに立っているクラトスも無事で済むわけがない。咄嗟に受身を取ったものの、大きく弧を描いて後方へと飛ばされ、そのまま壁に叩き付けられてしまう。
「クラトスさん!」
慌てて駆け寄り床に倒れているクラトスを助け起こす少年。
「大丈夫?」
「……ああ、何とかな。」
クラトスは少年に軽く笑ってみせると、痛みを堪え起き上がりミトスの方へと目をやった。
割れた窓から吹き込んでくる雨風を背に受けこちらを睨み付けているミトス。しかしその容相は先程とはかなり違っていた。
まずミトスの体を包み込んでいる黒い霧がはっきりと肉眼で見て取れる。そしてその頭上に浮かんでいる不気味な黒い渦…。
「あれがクロスの成れの果てだよ。今の僕らには肉体はない。今までミトス君が目にして来たクロス王子や今あなたが目にしている僕の姿は、作られた幻影に過ぎないんだ。」
「!!」
「…見ての通り奴はああやってミトス君の体をすっぽりと覆い、意のままに操っている。しかもミトス君の背後に立ち彼の体を盾にしているから、下手に手出しをすればミトス君も巻き込んでしまうだろう。だからまずはミトス君を奴から引き離さなければならない。そうすれば奴だけを攻撃出来るようになる。」
「しかし例えそうなったとしても、実体をもたないものに剣は通じない。私の術では奴にダメージを与えられるかどうか…」
「大丈夫だよ。だからこそ僕が来たんだ。ミトス君を離したらすぐに奴を実体化させるから、あなたの剣も通じるようになる。」
「…え?」
「兎に角あなたはミトス君を奴の手から救い出す事だけを考えて。その後は僕が責任を持つから。」
「待ってくれ。一体君は何を…」
「来るよ!!」
少年の叫びにハッとして振り返ると、“ミトス”が放ったファイアボールが自分に向かって飛んでくるのが見える。
クラトスは咄嗟に横に飛ぶとそれをかわす。ファイアボールはそのまま後の壁に被弾しその部分を粉々に破壊した。
「気を付けて!確かにあいつはあなたの力を吸い取る事は出来ない。でも魔力による攻撃なら確実にダメージを与える事が出来るんだ。しかも今はミトス君の力も加わってしまっているから、その威力も倍増していると見た方がいい。」
そんな少年の言葉を聞き笑みを浮かべる“ミトス”。
「そう、そいつの言う通り、今の僕に敵う者なんていない。完全体のクロスと合体する事により、僕、ミトスは最強の戦士に生まれ変わったのさ。お前一人殺すぐらい訳ない事なんだよ。だからさ、変な意地を張らずにさっさと頭を下げて謝っちゃった方が得だよ。そうすれば命だけは助けてあげるからさ。」
だがそれに対するクラトスの返答はなく、じっと、ファイアボールに破壊された壁を見詰めている。
「押し黙っちゃってどうしたのさ?あまりの破壊力に恐怖で言葉を失ってしまったとか?まあ、無理もないか。お前のようなちっぽけな存在にとって、僕の力は脅威に他ならないだろうからね。」
「……」
「でもさ、僕はこう見えて気が短いんだよね。謝るのなら早くしてくれないかな。じゃないともう一発お見舞いしちゃうよ。お前もその壁のようにバラバラになりたいわけ?それとも腰が抜けて動けないのかな?」
「……不思議だな。」
「え?」
「今は何を言われても雑音としか聞こえない。さっきまでは投げかけられる一言一言にあんなにも胸が締め付けられるような気がしていたと言うのに、まるで嘘のようだ。」
クラトスはゆっくりと振り返ると、“ミトス”の頭上に浮かんでいる黒い渦を見上げた。
その強い光を帯びた瞳に、思わず身を振るわせる“ミトス”。
「正体を現したのは失敗だったな。お陰で迷いが振り切れたよ。そう…お前はミトスではない。従ってお前に謝らねばならぬ道理はないと言う事になる。生憎と私は、ミトスになら兎も角お前のような外道に下げる頭など持ち合わせていないものでな。」
「なんだとっ!!もう一度言ってみろ!!」
「何度でも言ってやる。お前はミトスではない。単なる出来損ないだ!」
「吐かしたな、この劣悪種が っ!!」
“ミトス”の右手に凄まじい程のマナが集まっていく。
「許さない…絶対に許さないぞ!お前もその壁と同じようにしてやる。今更悔やんでももう遅い。人間の分際で僕を侮辱するからいけないんだ。その報い、篤と味わうがいい!」
怒号と共に再びファイアボールを放つ“ミトス”。
しかしクラトスは、今度は飛んでくるファイアボールをじっと見詰めたまま動こうとしなかった。そして左腕を大きく振るとそれを弾き飛ばしたのだ。
しかし高がファイアボールとは言え、その破壊力は先程の壁を見れば一目瞭然である。当然の事、クラトスの腕にも少なからずダメージを与えていた。
左腕を押さえ膝を折るクラトスを見て、高笑いをする“ミトス”。
「ハッハッハッ、馬鹿な奴だ。観念して自殺でもしようとしたわけ?」
だがその笑いはすぐに凍り付いた。なんとクラトスが笑っていたのである。
「なっ…気がふれたのか!?」
「フ…。期待に添えず申し訳ないが私は至って正常だ。あまりに滑稽だから笑ったまでの事。だってそうだろう?これがミトスの力だとは笑わせてくれる。」
「なんだと!」
クラトスは負傷した左手を庇いながらゆらりと立ち上がると、黒い渦を睨み付けた。
「どうやらお前はミトスを甘く見ているようだな。ミトスの本当の力はこんなものではない。つまりお前はミトスの力を使いこなせていないのだ。」
「!!」
「お前に敵う者はいないだと?最強の戦士に生まれ変わっただと?ふざけるな!!この程度の力でミトスの名を騙るのは止めてもらいたい。これで分かっただろう。お前のような出来損ないにミトスを操る事など出来ぬ。さあ、とっととミトスを放してもらおうか。」
「黙れっ!!何度言ったら分かるんだ。薄汚い人間の分際で僕を馬鹿にするんじゃない!」
怒りに顔を歪めながらヴォルトアローを放つ“ミトス”。クラトスは堪らず再び床に倒れ伏す。
「くっ…」
「お前だけは許さない!殺してやる!殺してやる!僕は出来損ないなんかじゃないって事を思い知らせてやる!!」
倒れているクラトスに向かって更に立て続けに術を放つ“ミトス”。その度にクラトスの体は宙を舞い、床に叩き付けられた。
「どうだ、痛いだろう?苦しいだろう?これが新生“ミトス”の力さ。もっと悲鳴を上げなよ。泣き叫びなよ。己の愚かさを嘆きながら地獄に落ちるがいい!!」
しかしクラトスはどんなに痛めつけられようが決して悲鳴を上げなかった。それどころか、震える両腕で上半身を起こしこう言い放ったのである。
「……残念だったな。この程度の攻撃で泣き叫ぶ程、私は柔じゃない。こんな事で勝ち誇っているようでは新生“ミトス”の名が泣くな。だからお前は出来損ないだと言うのだ。」
「貴様、まだ吐かすのか!!…よし、そんなに死にたいのなら、望み通り今すぐ息の根を止めてやるよ。」
憎しみのこもった目でクラトスを睨み付けながら、魔力を込めた右手を振り上げる“ミトス”。
「クラトスさん!!」
悲鳴を上げながら少年が駆け寄ってくる。
少年がクラトスの上に覆い被さるのと、“ミトス”がニヤリと笑って腕を振り下ろすのと、殆ど同時であった。
避けるには間に合わないと見て咄嗟にシールドを張ったものの、この至近距離ではかなりのダメージは受ける事は必至であり、当然少年もその事は覚悟をしていた。
ところがいつまでたってもそんな衝撃は襲って来ない。不思議に思い“ミトス”を見てみると、彼は腕を振り下ろした恰好のまま立ち尽くしていた。
「…馬鹿な。何故魔法が出ない?」
呆然と右手を見詰め呟く“ミトス”。
少年はその機を逃さなかった。透かさず魔力を放ち“ミトス”を吹き飛ばすと、倒れているクラトスを抱え起こす。
「クラトスさん、大丈夫?」
「……ミトスだ。」
「え?」
「今の魔法だよ。あれを止めたのはミトスとしか考えられない。」
クラトスは少年の手を借り立ち上がると、同じく立ち上がろうとしている“ミトス”に目をやった。
「やはりミトスは奴に完全に意識を支配されているわけではなかったのだ。これでミトスを助け出せる可能性が出て来た。もっともそれには奴にかなり近付かねばならないがな。」
「そんなの無茶だよ!」
「何を言っているのだ。ミトスを助けられるのは私だけだと言ったのは君なのだぞ。」
「そうだけど…。でも、不完全とは言え、あいつの魔力の高さは半端じゃない。あれだけ食らったんだから、それはあなたにも十分に分かった筈だよ。これ以上続けたらあなたが死んでしまう。こうなったらもうミトス君ごと奴を葬るしか手はない…。残念だけどミトス君の事は諦めるしかないよ。」
「冗談じゃない!ここまで来てミトスを諦めろと言うのか!?」
「迷っている時間はないんだ。奴が不完全な今こそがチャンスなんだよ。このまま行けばあいつは完全にミトス君の力を我が物としてしまうだろう。その前に倒してしまわなければ、今度こそ完全に勝機を逃してしまう事になるんだよ。」
「……」
「正直あいつがこれ程までの力を蓄えてしまっているとは思わなかった。ごめんね。僕の読みが甘かったんだ。でもこの先は僕がやるから。あなたにミトス君を殺させるような辛い思いは絶対にさせないから。だから…」
「ここで逃げてしまったら、あなたは今度こそ本当にミトス君を裏切る事になるんだよ。」
「え?」
「覚えているだろう?君が迷っている私に言った言葉だ。」
「あ…」
「…君が言ったようにミトスは必死に私に救いを求めていたんだ。それなのに私はそんなミトスの心の叫びに耳を傾けようとしなかった。私はすでに一度ミトスを裏切っているんだよ。」
「……」
「私はその償いをしにここへ来たのだ。ミトスを救う為ならこの命を差し出す覚悟でな。だから頼む。ほんの少しの時間でいいのだ。もう一度だけ私にチャンスをくれないか?もう一度だけ私を信じてはくれないだろうか?このまま諦めてしまうのはどうしても嫌なのだ。」
そんな風に真剣に頼み込むクラトスを少年はしばらくの間見詰めていたが、やがてふっと力を抜くと言った。
「諦めが悪いのも問題だね。」
「え?」
「でも良すぎるのはもっと問題かもしれないな。そうだよね。元々ミトス君を助ける為に僕達はここに来たんだもの、簡単に諦めちゃ駄目なんだ。」
「!!…それじゃあ…」
にっこりと笑い頷く少年。
「僕も付き合うよ。二人で足掻くだけ足掻いてみよう。はっきり言って今の僕の力はあいつの足元にも及ばないかもしれない。でも力の限りあなたのフォローをする。」
クラトスはホッとしたような笑みを浮かべると、どす黒い憎しみのオーラを放ちながらこちらを眺めている“ミトス”へと視線を移した。
そして肩越しに少年に一言、
「有難う。」
と言うと、ゆっくりと“ミトス”に近付いて行ったのだった。
-つづく-