エピローグ


 ざわざわと風が木々を揺らす音が聞こえてきた。
 優しく自分を取り巻いてくれているマナの感触が心地良い。
 ずっとこのままでいられたら、どんなにかいいだろう。
 しかしそれは許されない事だと分かっていた。

「…ミトス…ミトス。」

 すぐ傍で自分を呼ぶ声がする。
 そろそろ目覚めなければならない。

 心を残しながらも夢の世界に別れを告げ、目を開けるミトス。

「よかった。気が付いたのね。」
 視界に飛び込んできたのは、心配そうに自分を覗き込んでいる姉の顔であった。
「…姉様。」
「気分はどう?」
 ミトスはゆっくりと体を起こしてみた。
 きっと姉が回復魔法をかけてくれたのだろう、体の彼方此方にあった擦り傷は消えており特に痛みもないようだ。まだ少し体が怠い気がしたが、こればかりは術で治す事は出来ない。
「うん、大丈夫だよ。」
 姉を安心させるように笑って見せるミトス。
 ここが国境付近の森の中である事はすぐに分かった。
 実はミトス達は、新しい町を訪れる度必ず避難場所を用意しておくようにしていたのだ。こうしておけば万一不測の事態が起き仲間と逸れてしまった時でも、そこに行けば再び合流出来る。それは常に危険と隣り合わせである彼らにとって、不可欠な防衛手段だったのである。
 そして今回彼らがその場所として選んでおいたのが、この森なのであった。ここなら樹木が生い茂っているので追っ手に見付かりにくいし、町中よりマナが多いから怪我を負った場合でも回復が早い。なにより国境に近い為、すぐに隣国へと脱出する事が出来る。
 もちろんこれは最終手段であり、今までもこのような場所に集まるような羽目に陥った事は数えるほどしかない。
 つまり今自分がこの森にいるという事は、三週間に亘ったこの国での滞在が終わった事を示していた。
 それも仕方がない。あんな騒ぎがあったのだ。もうこれ以上町に留まる事など出来よう筈もなく、ここに逃げ込むしか手はなかったのだろう。
 遠くに見える町の灯に目をやりながら、長いようで短かった三週間を思い起こすミトス。
 あそこで友と出会い、色々な事を語り合った。そして突然に訪れた別れ…。
「……クロスは死んじゃったんだね。」
 確認するかのようにそう問いかけてきた弟に、マーテルは目を伏せると小さな声で答えた。
「ええ…。」
「そっか…やっぱりクラトスはクロスを…。」
 それっきり口を噤んでしまうミトス。
 そんなミトスを見てマーテルは、荷物の中から大事に布に包んでしまってあったものを取り出すと、それを差し出した。
「これは?」
「あなたが意識を取り戻したら渡してくれって、クラトスが。」
 布を開いてみると、中から一対のブレスレットが出て来た。
「!!…これって…クロスのだ!そうだよね?」
 頷くマーテル。

 そう、クロスはいつもこれを身に着けていた。彼の髪や瞳と同じ銀色の光を放つブレスレット…。
 『きれいだね。』と言ったら、クロスは、はにかみながらも嬉しそうな笑みを浮かべ『母の形見なんだ』と答えたのだった。だからはっきりと覚えている。

「彼が亡くなった後、肉体は砂となって崩れ落ちてしまい、その上にこれだけが残っていたそうよ。」
「……」
 自分の事をゾンビに例えていたクロスの姿が浮かんでくる。
 ブレスレットをぎゅっと握り締めるミトス。
 そこへ来て、ようやくこの場に姉しかいない事に気が付いた。
「あれ?そう言えばクラトスは?ユアンもいないし…」
「その事なんだけど…」
 僅かに目を伏せるマーテル。
「実はあの後クラトスが、私達にあなたを託してどこかへ行ってしまったの。それでもここで待っていれば来ると思っていたのよ。でももう二日も経つと言うのにまだ戻って来ないのよ。」
「え…?」
「でも大丈夫よ。今ユアンが町へ様子を見に行っているの。きっと探し出して一緒に戻って来るわよ。……あら、噂をすればで戻ってきたみたいね。」
 姉の指差す方へと目をやるミトス。成る程、ユアンがこちらに向かって歩いてくるのが見える。
 その隣でホッとしたような笑みを浮かべユアンに手を振ってみせたマーテルであったが、すぐにその顔が曇っていく。いくら目を凝らして見てもそこにクラトスの姿がないのだ。
「ユアン…クラトスは?」
 程なくして二人の元へ戻って来たユアンにマーテルが開口一番そう尋ねると、彼は肩を竦めてこう答えたのだった。
「…いなくなっちまった。」
「えっ!?」
「消えちまったんだよ。……あれからあいつ相当暴れまくったようで、町は凄い騒ぎだった。まずは国王の部屋へ行き例の装置をぶっ壊したらしい。それから憲兵の詰め所を再起不能なまでに叩き潰した後、あの収容所の人達を解放した…と、そこまでは分かったのだが、それ以降の足取りがぷっつりと途絶えちまったんだ。」
「…追われているのかしら?だからここに来る事が出来ないとか…」
「いや、追っ手は出ていない筈だ。どうやら周りの大国が急に動き出したようでな。王としてはそっちの対応で手一杯なのだろう。」
「周りの大国が?……それってもしかしてクロス王子がいなくなったから?」
「ああ、恐らくな。」
 この二人の会話を聞き咎めるミトス。
「ちょっと待ってよ。なんでそこにクロスが出てくるのさ。」
「…そうか、お前は知らなかったのだな。実はクロス王子はな…」
 ユアンはクラトスから聞いた事をミトスにも話して聞かせた。
 目を見開くミトス。
「そんな…あの陛下がクロスにそんな事をしただなんて…」
「私だって信じられなかったさ。だが実際に二人目のクロスが目の前に現れてしまっては否定のしようがないだろう。」
「二人目の…クロス…」
 ミトスは塔で見た事を思い出した。そう、確かにクロスは二人いたのだ。

 あの寂しげな微笑の裏にこんな事実が隠されていたとは…。

 気付かなかった…。
 僕はクロスの心をなんにも分かっていなかったんだ!

 ブレスレットを両手で握り締め俯いてしまうミトス。
 そんなミトスを気遣いながらマーテルは言った。
「……兎に角今はクラトスを探し出さないと。別れるときに彼、怪我をしていたし、心配だわ。」
「そうだな。」
 頷くユアン。
 ところがそんな二人に、ミトスは間髪を容れずこう言ったのだ。
「僕は行かないよ。」
「え!?」
 ユアンは驚いてミトスを振り返った。
「…あ、ああ、そうか。まだ体の調子が良くないのだな。それなら…」
「違うよ。探しに行く必要なんてないって言っているんだ。」
「!!」
 目を剥くユアン。
「何を言っているんだ、お前は!まだ先日の喧嘩を根に持っているのか!?…あの塔の中で何があったのか、私は知らん。だがな…」
「そうだよ。ユアンは何も知らないんだ。だから黙っていてよ。」
「!!…なんだ、その言い草は!!」
「ま、待ってユアン!」
 思わず怒鳴り声を上げたユアンを、マーテルが押さえた。
「…分かったわ。それじゃあ私達だけで探してくるから、ミトスはここで待っていて頂戴。危険だからくれぐれも動かないでね。」
 尚もがなっているユアンを引き摺るようにして去って行くマーテル。
 ミトスはそんな二人を見送るでもなく、ただ黙って俯いたままブレスレットを握り締めていた。


「何なんだ、あいつは!捻くれるにも程があるぞ!!」
 森を出て来た二人。ユアンはまだ怒りが治まらない様子だ。
 そんなユアンにマーテルが言う。
「ミトスにだってもう、クラトスに非はない事ぐらい分かっていると思うわ。ただあまりにも多くの事が一遍に起きてしまったものだから、まだ気持ちの整理がつかないのよ。」
「……」
「だから今は黙って見守っていましょう。ね?」
 そんな風にマーテルに懇願されてはユアンもそれ以上何も言えず、溜め息をつくと渋々了承した。
「…分かったよ。見守りゃいいんだろ、見守りゃ。ただ、私は心配なんだよ。もしかしたらクラトスの奴、もう戻って来ないつもりなんじゃないかってな。塔に突入する前、あいつ、意味深な事を言っていたものだから。」
「意味深?」
「自分は私達の傍にいるべきではないだとか、これがミトスにしてやれる最後の事だとか、戯言をブツブツと呟いていたんだ。」
「……そう、クラトスがそんな事を。」
「まったくあいつときたら、頭が固いと言うか、真面目すぎると言うか、困ったものだ。ミトスはミトスで意固地になっているし…」
「そうね。二人ともユアンみたいに脳天気だったらよかったのにね。」
「おい、マーテル!私は真面目にあいつの事をだな…」
「ごめんなさい。」
 クスッと笑うマーテル。
「でも私はクラトスは戻って来ると思うわ。それにミトスにしたって、もしかしたらもうあの子は…」
「え?」
「ううん、何でもない。」
「何なのだ、一体。」
 眉根を寄せるユアンを見て、マーテルは再びクスッと笑うと、
「うん、ただね、私は不思議と心配はしていないのよ。なんとなくだけどきっとこのまま丸く収まるような気がするの。確かに今回、色々な事があったわ。本当に色々な事が…。嵐に揉まれてこのままではバラバラになってしまうと思った時もあった。でもなんとかその嵐を乗り越える事が出来たのよ。もう以前の私達とは違う。そうは思わない?」
 目を丸くしてマーテルを見るユアン。
 だがすぐにフッと笑みを浮かべると言った。
「確かにそうかもしれんな。」
「でしょ?…だから今は二人を信じて、まずは迷子の子羊さんを探しに行きましょう。」
「迷子の子羊ね…。随分とデカイ迷子だな。もしかしたら我々の中であいつが一番手のかかる問題児なんじゃないか。」
「確かにそうかもしれないわね。」
 そして二人は顔を見合わせて笑い声を上げると、その“大きな迷子”を捜しに出かけたのだった。



 ちょうどその頃、王都の西に位置する小高い丘の上にクラトスの姿があった。
 彼の前には墓碑銘もない小さな墓が二つ…。その内一つはまだ作られたばかりのようである。
 その新しい墓に向かって静かに語りかけるクラトス。
「約束は果たした。これでいいのだな?クロス…」
 あの塔の中、クラトスに斬られ消えていく瞬間に、クロスは最後の願いを言ったのであった。

 西の丘の上に母の墓がある。その隣に僕を埋めて、と…。

 そこでクラトスは、クロスの肉体の果てである床の上に積もった砂を拾い集め、ここへとやって来たのだった。
「もう君は誰にも虐げられる事はない。これからはここで母上と二人、ゆっくりと水入らずの時を過ごすがいい。」
 十年以上もの間この国で生きてきたクロスがようやく見付ける事が出来た安穏の地…それがこの墓の下であるとは、なんとも悲しい話である。
 しかしそんな地獄のような生活の中でも、もしかしたらクロスは、父王を、この国や人々を、愛していたのかもしれない。
 だからこそ彼は、この国を遠く見渡せるこの丘を自分と母親の永眠の地として選んだのだろう。二人でこの国の行く末を見守っていけるように…。
「だとしたら君は、私が国王にした冷たい仕打ちをさぞや恨めしく思っている事だろうな。だが私は、どうしても許せなかったのだ。何の罪もない人々の苦しみの上に成り立っているこの国の仕組みが…。だから発つ前にそれら全てを消し去っておきたかった。その結果、この国を窮地に陥れる事になってしまったが…」
 それでもクラトスは、この国がなくなる事はないと思っていた。あの狡猾な国王の事、自らを守る為ならきっとうまく立ち回ってみせるに違いない。恐らくは周りの国々と同盟を結ぶ事で決着が付くのではないだろうか。
「もちろん現在とは少々生活が変わるかもしれない。だがこの国は在り続ける。だからどうかそれで許して欲しい。」
 クラトスは今一度墓前に手を合わせ立ち上がった。

 『これからどうするの?』

 そんな声が聞こえてきたような気がして、思わずクロスの墓を見やるクラトス。
 恐らくは空耳だろう。吹き抜ける風の音がそう聞こえたのかもしれない。しかしクラトスはフッと笑いを漏らすと墓に向かって再び語り掛けたのだった。
「そんな所に入ってまで君は私を心配してくれているのか?……さあな、どうしたものかな。まだ決めてはいないよ。」
 そうやって彼はクロスに語り掛けながら、自分自身に問いかけていた。

 これからどうするか…。

 あれから二日経つ。あの森へ行ったとしても、もうミトス達はいないだろう。
 事情はどうあれ、私はミトスの大切な友人をこの手にかけてしまったのだ。ミトスは私を許しはしまい。

 再び聞こえてくる声。今度は先程よりはっきりとした声であった。
『本当にそうなのかな?』

 目を見開き墓を凝視するクラトス。
 呟くようにその言葉を繰り返す。
「…本当に…そうなのか…?」

“もっとミトス君を信じてあげなよ。ミトス君の本心はあなたを求めている。彼にはあなたが必要なんだよ。”
“あなた達は自分達が思っているよりもずっと強い絆で結ばれているんだ。もっと自分達が築いてきたものを信じて。”

 少年が言った言葉が次々と蘇ってくる。
「絆を…信じる…」
 目を伏せ、両手にギュッと拳を握り締めるクラトス。
 次の瞬間、彼は踵を返すと走り出していた。
 その背に再びクロスの声が聞こえてくる。
『僕はいつだってあなた達と共にある。ずっと見守っているよ。』

「有難う、クロス。」
 心の中でそう叫びながら、クラトスは一気に丘を駆け下りて行ったのだった。




 鬱蒼とした森の中をクラトスは進んでいた。
 しかしどこまで行っても聞こえてくるのは木々の揺れる音ばかりで、誰の気配も感じられない。

 遅すぎたのだろうか…。
 やはり三人とも、もうここには…。

 ところがクラトスが諦めかけたその時だった。
 そんな彼の胸の中に飛び込んできた者がいたのである。咄嗟に受け止めその姿を確認したクラトスの目が見開かれる。
「!!…ミトス!?」
「来てくれた!やっぱり来てくれた!!僕は待っていたんだよ。クラトスは絶対に戻って来るって信じていた。」
 クラトスの胸に顔を埋めたまま何度も何度もそう繰り返すミトス。
「待っていた?私をか?」
「そうだよ。当たり前じゃないか。」
 ミトスはようやく顔を上げるとクラトスを見上げた。
「…しかしお前は私を恨んでいるのではないのか?私はクロス王子を…」
 頭を振りながら、クラトスの口をそっと塞ぐミトス。
「それがクロスの願いだった。クラトスはその願いを受け止め、クロスを解放してくれたんだ。それが僕にもやっと分かったんだよ。だから僕はクラトスを恨んでなんかいない。だからその事はもう何も言わないで。」
「ミトス…」
「クラトスがなかなか戻って来なくて、姉様達は探しに行こうって言ったんだ。でも僕は行かなかった。戻って来た時にここに誰もいないんじゃ、きっと悲しむだろうなって思ったから。だって僕は必ず戻って来るって信じていたもの。あの塔でクラトスは言ってくれたじゃない。『お前は一人じゃない。私がいる。』って…。『一緒に未来を目指そう』って…。だからここでクロスと二人、待っていようって決めたんだ。」
 そう言って、腕に着けたブレスレットをカチャカチャと鳴らして見せるミトス。
「受け取ってくれたのか…」
「うん。だってこれはクロスの形見だもの。こうしていればこれからも僕達はずっと一緒にいられる。一緒に夢を追っていけるんだ。そうでしょ?」
 ミトスはクラトスの胸に再び顔を埋めると続けた。
「クロスが離れかけた僕達の心を繋ぎ止めてくれた。だから僕はもう二度とクラトスの手を離さないよ。人間だろうがハーフエルフだろうがそんな事は関係ない。僕達は同じ夢を追う大切な仲間同士なんだもの。第一、手を離したりしたらクロスに怒られちゃうよ。」


『僕はいつだってあなた達と共にある。ずっと見守っているよ。』

「そうだな…その通りだ。」
 クラトスは微笑を浮かべると、ミトスの体をしっかりと抱きしめたのだった。



 それからしばらくして、国境に立つ四人の姿があった。
 この先も待ち受けているものは苦難の連続であろう。しかし今回の事で固い絆を確認出来た四人には、もう恐れるものなど何もない。
 そして四人はしっかりと頷き合うと、それぞれの希望を胸に力強い一歩を踏み出したのだった。
 輝ける未来へ向かって…。




 人は誰でも心に闇を持っている。
 だとしたら、人はそこから逃れる事は出来ないのだろうか?

 私はそうは思いたくない。

 何故なら人はそんな闇を照らす事が出来る光も併せ持っているからだ。

 それは他人を思い遣る心…。

 様々なふれあいの中で仲間と言う強い絆を得た時、人はどんな事でも乗り越えていける。

 私はそう信じている…。



-心の闇 完-