天使化狂想曲


 世界を救う旅を続けているミトス達であったが、ここ一ヶ月ばかりは天使化の準備の為に、ある大きな街の近くに小屋を借り滞在していた。
 そんなある日の事であった。
 ミトスとユアンと三人でお茶の時間を楽しんでいたマーテルは、ふと窓の外へ目をやると言った。

「あら、あれクラトスじゃない?…でも、一体何をやっているのかしら?」

 マーテルが首を傾げるのも尤もな事だった。なにしろクラトスは木の枝にぶら下がって懸垂をしていたかと思ったら、今度は石を担いでスクワットを始めたのだ。

「本当だ。部屋にいないと思ったらあんなところにいたんだ。体を鍛えているんじゃないの?ほらいつも言っているじゃない。『戦士たるもの常日頃から体を鍛えておかなければならぬ』ってさ。それを実践しているんだよ、きっと。」

 マーテルの言葉に同じく窓の外を見たミトスが言う。

「でも、剣術の稽古をしている所は何度も見た事があるけれどあそこまでするのは初めてよ。」
「そう言えばそうだね…何かあったのかな?」

 するとその時、そんな二人の耳に突然忍び笑いが聞こえてきた。その主は、言うまでもなく、残りの一人であるユアンであった。

「何さユアン。忍び笑いなんかして気持ち悪いな。」
「もしかして、あなた何か知っているの?」

 マーテルに睨み付けられ、ユアンは慌てて笑いを引っ込めると話し出したのだった。

「いや実はな…」


 話は数日前に遡る……。

 その日珍しく朝早くに目覚めたユアンは、天気が良かった事もあって早朝の散歩へと繰り出す事にした。
 すると、林の近くで剣の稽古をしているクラトスを見付けたのだった。
 クラトスは雨の日でも風の日でも朝晩の稽古を欠かしたことがなかった。ユアンはそんな生真面目な彼が嫌いではない。だが時々妙にからかいたくなってしまうのだ。

 生真面目だからこそ、さぞや面白い反応をしてくれるに違いない。それを見て笑ってやったらどんなにかすっきりするだろう。なにしろこうして危険な旅をしているのだ。ストレスが溜まって仕方がない。たまに発散しなければ胃潰瘍になってしまう。

 そうは思ったものの、ユアンが今までそれを実行に移さなかったのは、偏にミトスとマーテルの存在があったからであった。
 あの単純剣術馬鹿のクラトスなら、例えばれたとしても舌先三寸でいくらでも丸め込む事ができる。だがあの二人の目を誤魔化すのはちと難しい。

 飯抜きにされるか…。
 それとも嫌味攻撃にさらされる事になるか…。

 どちらにしても考えるだに恐ろしい。だからクラトスの示す反応を見たいとの好奇心を必死に抑えて来たのだ。しかし今ここにあの二人はいない。こんな絶好な機会はもう訪れないかもしれないではないか!

 もう湧き上がる好奇心を抑える事が出来ず、ユアンはゆっくりとクラトスに近付いて行くと声をかけたのだった。

「よう、クラトス。」
「なんだユアンか。どうした?お前がこんなに早くに起きるとは珍しいな。」
「いや、たまたま目が覚めてしまってな。お前こそ毎朝剣術の稽古とはご苦労な事だな。」
「毎日しないとどうも落ち着かないものでな。それに最近戦闘もしていないし、勘が鈍っても困る。」
「確かにな…。だが、今はそれよりも大切な事があるのではないのか?」
「大切な事?」

 首を傾げるクラトスを見て、ユアンはほくそ笑んだ。

「そうだよ、大切な事だ。よく考えてみろ。私達はもうすぐ天使化するのだぞ。」
「それは分かっている。だが、だからと言って特別にする事もなかったと思うが?」

 相変わらず不思議そうな表情を浮かべているクラトスに、ユアンは大袈裟に溜息を突いてみせると、

「全く…お前は何も分かっていないのだな。いいか?天使化すると言う事は、時がその時点で止まってしまうと言う事なのだ。」
「そんな事は私だって十分に承知している。」
「いやお前は分かっていない。時が止まるという事は、この先ずっとその時点の姿のまま変わらないと言うことだ。」
「だからどうだと言うのだ?」
「お前はそれでも平気なのか?体形も今のままでずっと変わらないのだぞ。」
「別に構わんが?…と言うか、一体お前は何が言いたいのだ!?」

 少々苛々してきた様子のクラトス。
 そんなクラトスを見て、ユアンは止めの一発を放ったのだった。

「お前、最近太ってきただろう。」




 時は戻って、再び小屋の中。
 ユアンは当時の事を思い出したのか、腹を抱えて笑い転げていた。

「いや〜、流石の堅物にもその一言が随分と応えたらしくてな。『天使化する日までにマッチョな体になってみせる!』なんて誓いを立てていたんだ。あの時のあいつの顔。今思い出しても…プッ!…ククク…」

 可笑しくて堪らないといった様子のユアンを、ミトスは睨み付けた。

「酷いや、ユアン!あんなに真っ直ぐなクラトスを騙すなんて!」
「別にそんなに怒らなくても…。それに私は嘘は言っていないぞ。天使化したら時が止まる事も事実だし…」

 ミトスの勢いにしどろもどろになってしまうユアン。すると…

「そうよね!その事があったのよね!」

(え?)

 ユアンはその声の主であるマーテルの方に驚愕の視線を向けた。

「ユアン、確かにあなたが言う事も一理あるわ。天使化したら時が止まってしまい、ずっとこのままの姿で変わることはないのよね。体形は元より、顔の皺もニキビもそのままで消える事はない…。」
「いやマーテル。私はただクラトスをからかおうと冗談で言っただけで、そんなマジに取らなくても…って言うか、マーテル。君の場合はニキビではなく吹き出物…」

 言葉途中でマーテルに蹴り飛されるユアン。

「こうしてはいられないわ!!早くエステに行かないと…。それに美容院で髪を整えないといけないわね。」

 マーテルはそう叫ぶと、吹っ飛んだユアンを横目に部屋を飛び出して行ってしまったのだった。

「参ったな…」

 マーテルが立ち去ると、ユアンは打ち付けた腰を摩りながら立ち上がった。そんなユアンにミトスが言う。

「そういうのを自業自得って言うんじゃないの?…でも僕も天使化を前に何かしておいた方がいいかもね。」
「おいミトス。お前までそんな…」
「いや、どちらにしてもやらないよりはやった方がいいに決まっているでしょう?ユアンもちゃんと準備しておいた方がいいと思うよ。」
「私は別に…。そんな風に特別に何かしなくても常に万全な状態にしているから大丈夫だ。」
「そう?その全く皺のない脳ミソをなんとかしといた方がいいんじゃない?」
「失礼なっ!!」
「だったらユアンは何もしなければいいよ。僕は整体でもしてくる事にするからさ。最近肩がこっちゃって。肩こりのまま天使化したくないからね。」

(肩こりって、お前、今何歳なんだ?)

 呆気に取られているユアンを残し、ミトスも部屋を出て行ってしまった。

「しかしこんな大事になるとは思わなかったな。」

 ミトスを見送ったユアンは呆然と呟いた。
 自分はただクラトスをからかいたかっただけなのに、まさかミトスやマーテルまでが私の出鱈目話に食いついてきてしまうとは…。

「だが私一人こうしているのもなんだな。私も図書館にでも行ってくるとするか。」

 そう言って溜息を突くと、頭を振り振りユアンも出かけて行ったのだった。




 それから一週間が過ぎた。
 今日は天使化を決行する記念すべき日であるのだが、どういう訳か、ミトスやマーテル、ユアンの三人は暗く沈んでいる。ミトスは疲れ切ったようにぐったりとしているし、マーテルは部屋の中だと言うのに頭にスカーフを巻いており俯いたまま。ユアンはユアンでテーブルに突っ伏したまま動かないのだ。

 するとそこへ、満面に笑みを湛えたクラトスが飛び込んで来たのだった。

「皆、見てくれ!毎日鍛えた甲斐があってこんなにも逞しくなる事が出来たぞ。」

 そう叫びながら本当に嬉しそうに何度もガッツポーズを繰り返すクラトス。

「随分と筋肉がついただろう?まあ期間が短かったからマッチョと言うまでは行っていないが、細マッチョぐらいまでは十分行っているのではないかな。少々筋肉痛になったが、まあそんなもんは直に治るだろう。これでメタボ体形ともさよならだ。いつ天使化しても大丈夫だぞ。」

 しかし、そんなハイなクラトスに反して、ミトス達は何故か浮かない顔である。
 クラトスもここまで来てようやくそんな彼等の様子に気付いたようで、首を傾げながら尋ねた。

「どうしたのだ?なんだか三人とも元気がないような気がするが。」
「実はさ、クラトスには悪いんだけれど、天使化は延期しようと思うんだ。」
「延期!?何故だ?せっかく頑張ってマッチョになったと言うのに…。」
「ごめんね。でも仕方がないんだ。実はクラトスが頑張っている姿を見て、僕達も何かしようと考えたんだ。僕は肩こりを治しに整体師のところへ行き、姉様はエステと美容室へ。ユアンは勉強をしに図書館へ。」

(整体師に美容室に図書館?…なんだかどれも天使化には関係ないような気がするが…。と言うか、それと天使化延期に何の因果関係が?)

 するとそんなクラトスの心の中の疑問が聞こえたかのようにミトスが立ち上がると叫んだのだった。

「それなのに、これを見てよ!!」

 叫びながら腕を上に上げてみせるミトス。しかしそれは肩までしか上がっていない。

「冗談でもなんでもないよ。ここまでしか上げられないんだ。肩こりの治療に行ったと言うのに逆に四十肩にされちゃった。あの整体師はとんだヤブだったわけだよ。」

(四十肩って…お前、一体何歳なのだ?)

 ユアンと同じような事を考えるクラトス。
 すると今度はスカーフを剥ぎ取りながらマーテルが立ち上がった。

「私の場合はこうよ!!」

 そこに現れた髪は今までの彼女の髪とは程遠く、短く切られている上に盛大に跳ねまくっていた。よく見れば顔にも至る所に赤い発疹が見られる。

「毛先を揃えるだけでいいって言ったのに、あの(馬鹿)美容師(野郎)がこんなにしちゃったのよ!エステでは薬が合わなかったのか顔中に発疹が出ちゃうし…。あの似非エスティシャン、訴えてやるわ!」

 そして姉弟は声を揃えてこう言ったのだった。

「「こんな姿で天使化なんか考えられない!!」」

 クラトスは溜息を突くと視線をユアンへ移した。

「先程から全く動かないが、もしかしてお前も何かあったのか?」

 声をかけられたユアンはそこで初めて顔を上げてクラトスを見た。だがその目はどんよりとしており、今にも死にそうな様子である。

「なっ?…ど、どうしたのだ、お前!?」

 思わず驚きの声を上げるクラトス。

「ああ、ユアンには今話しかけない方がいいと思うよ。熱が出ちゃったみたいなんだ。容量以上のものを詰め込まれたから、頭がびっくりしちゃったのかもね。」
 ユアンはそんなミトスの言葉にピクリと反応したものの、もう抗議の声を上げる気力もなさそうだ。

「……」

 三人の醜態ぶりに言葉を失うクラトス。(彼自身、人の事は言えないと思うが)
 そしてやっとの事でこう言ったのだった。

「そ、そうか…三人とも大変だったな。まあ天使化はいつでも出来るから、今は養生に専念するといい。」


 それからしばらくはクラトスが三人を看病する羽目となった。
 そして四人はめでたく天使化を果たす事になるのだが、それはもっとずっと先の話である。


−天使化狂想曲 終−