1.出会い


 ねえクラトス。クラトスは神様って信じてる?
 子供の頃、両親から聞いた事があるの。神様は、頑張っている人にはとっても素敵なご褒美を下さるんですって。
 昔は私も信じていなかったわ。でも今は信じてる。
 何故かって?
 だって私も神様からとっても素敵なものを頂いたんですもの。それはね……




 「千年王国だと?」
 ユグドラシルの言葉にクラトスは思わず声を荒げた。
「そうだ、クラトス。神子の再生の旅さえうまく行けば姉様は復活できる。私はそれまでに千年王国を実現させたい。天使だけで作られる世界。そこにはエルフも人間もハーフエルフもない。姉様が望んだ差別のない世界が実現できるのだ。」
「…お前はマーテルがそんな世界を望んでいたと本当に思っているのか。彼女はそんな事を望んではいなかった。お前は彼女の最後の言葉を間違って受け取っているんだ。いい加減目を覚ませ!」
「姉様は喜んでくれるさ。私を褒めてくれるだろう。そして私達四人は差別のない世界で昔のように一緒に暮らすんだ。」
 ユグドラシルは熱に浮かされたような瞳でクラトスを見詰めた。

 もう、元には戻らないのか…。
 昔、目を輝かせながら夢を語っていたあの頃のミトスはもういなくなってしまったのか。
 分かってる。ミトスをこんなにしてしまったのは人間だ。そして私自身、そんな人間の一人なのだ。その負い目が私に、この狂って行く男を止める事を憚らせた。どんな理不尽な要求にも逆らう事が出来ず、ただ従うしかなかった。
 しかし、これ以上こんなミトスを見ているのは耐えられない。私は…

「私達は家族なんだ。昔、私達はずっと一緒だと誓った。そうだろう?よもや裏切ったりはしないよね、クラトス。お前だけはずっと私の傍にいてくれるのだろう?私から離れるなんて事は絶対に許さないよ。お前の居場所はもう私の傍らしかないんだ。」
「……」
 まるで考えていた事を読み取ったかのように自分を覗きこんでくるユグドラシルを見て、クラトスは、もうあの頃には戻れないのだという事、そしてこの男の考えを改めさせる事はもう不可能なのだという事を悟ったのだった。

 その翌日、クラトスはデリスカーラーンから姿を消した。



 クラトスがデリスを去ってから数日が過ぎていた。
 この数日間、彼は何をするでもなく、シルヴァラントの広大な大地を当てもなくただ彷徨い続けていた。
 偽りの大地…エターナルソードによって世界は二つに分けられ、その二つの世界は交互に繁栄と衰退を繰り返している。残り少ないマナを守る為にはこれしか方法はなかった。だが、それは大いなる実りが発芽するまでの筈だったのだ。しかしその大いなる実りにマーテルの心が寄生する事によって全てが狂いだした。今のユグドラシルの頭にはマーテルの復活しかない。その後世界がどうなろうが彼には全く関心がなくなってしまっている。このままではいずれこの世界は滅んでしまうだろう。
 だが、だからと言って私に何が出来るというのだ。エターナルソードが彼の手にある以上、今の私の力では彼を倒す事など無理だろう。例えその力があったとて、ミトスに刃を向ける事など私には出来ない。
 全てを諦めたような表情で歩き続けていたクラトスは、いつの間にか姿を現して傍らに寄り添うようにして旅に同道しているノイシュの首をなでた。
「…お前はこんな私を軽蔑するか?」
「クゥ〜〜ン…」
 意気消沈している自分を慰めるように顔をなめてくるノイシュに、クラトスは苦笑を浮かべた。
「結局私は厄介事を放りだし尻尾を巻いて逃げ出してきただけなのだ。あれから逃げ切るなど出来ない事は分かっている。それでも私はこれ以上あそこにいる事に耐えられなかった。そう…私はどうしようもない臆病者なのだ。」
 今のクラトスは全てに疲れ切っており、そして希望を失っていたのだった。

 と、その時、突然背後で草が踏まれる音がして、クラトスは剣に手を掛け油断なく身構えながら振り返った。
 だが、そこに立っていたのは敵ではなく、一人の女性だった。女性はクラトスの険しい表情に驚いたように目を見開くと慌てて詫びてきた。
「ごめんなさい。脅かすつもりはなかったの。そのワンちゃんが余りにも可愛らしかったから…」
 クラトスは息をついて構えを解くと、無愛想に言った。
「…これは犬ではない。」
「そうなの?」
 その女性はゆっくりと近付いてくるとノイシュの鼻面に手をやった。ノイシュは怯える様子もなく大人しくしている。
「可愛い子…お名前はなんて言うの?」
「……」
「どうしたの?」
 黙ったままのクラトスを見て女性は首を傾げた。
「…いや、ノイシュはいつも初対面の者には酷く警戒するのに、そんな様子を見せないものでな。」
「そう、この子はノイシュって言うのね。いい名前ね。きっと私に敵意がないのが分かったのよ。お利口さんね、ノイシュ。」
「クウ〜ン。」
 甘えるように顔をなめてくるノイシュに、くすぐったそうにしている女性。
 その女性は褐色の流れるような長い髪を後ろで束ね、質素な服を身に纏っている。年の頃は二十歳前後ぐらいだろうか。その顔には未だ幼さを残しており、屈託のない笑顔が愛くるしい。
 そんな事を考えながらぼんやりと眺めていると、女性は髪と同じ色の澄んだ瞳でクラトスを見上げて尋ねて来た。
「旅をしているの?」
「…ああ。」
「そう…。私はね、まだ旅ってした事ないの。でもいつかしたいと思っているわ。世界中を歩き回って、そして色んな事を吸収したい。本で得た知識の一つ一つを自分の目で確かめて回りたいの。」
 そこまで言って、女性はふと言葉を切ると背後を振りかえった。クラトスもそちらへと目をやると一人の男性がこちらに走ってくるのが見える。
「あら、いけない。私ったら、つい時間がたつのも忘れて話し込んでしまったわ。もうそろそろ戻らないと。なかなか戻らないものだからお父様が迎えに来ちゃった。」
 女性は立ち上がるとペロリと舌を出してみせた。
 そんな仕草にクラトスはフッと笑いを浮かべる。
「あっ、やっと笑顔を見せてくれた!ずっと深刻そうな顔をしているから心配していたの。その方が素敵よ。貴方には仏頂面は似合わない。」
「……そんな事初めて言われたな。」
「そう?でも本当にそう思うのよ。」
 女性はクスリと笑うと、
「私はアンナ・アーヴィング。よかったらお名前聞かせてくれないかしら?」
「クラトス…クラトス・アウリオンという。」
「今日はとても楽しかったわ。有難う、クラトス。それじゃあ…」
 笑顔で手を振りながら走り去っていくアンナを、クラトスは眩しげに見送ったのだった。



 その頃、デリス・カーラーンでは、ユグドラシルが荒れ狂っていた。
「どうなっているのだ!?その後、クラトスの行方は掴めたのか!」
 怒りの余り次々に部屋の物を壊して行くユグドラシルを見て、ユアンは眉をひそめながら答えた。
「…いや、まだ見付かっていない。さっき奴の部屋を見てきたのだが綺麗に片づけられていた。もしかしたら奴は、もうここに戻ってくる気はないのかもしれんな。」
 ユアンの静か過ぎる声に、ユグドラシルは動きを止めるとギラギラとした目でユアンを見詰めた。
「戻ってこない?……フッ…フフフ…ハハハハ…アーハッハッハッハッ!」
 突然に笑いだしたユグドラシルに驚き、目を見開くユアン。
「戻ってこないだって?…馬鹿だね。そんな事あるわけないだろう。だってクラトスの居場所はここしかないんだよ。このウィルガイアがクラトスの家であり、私達が家族なんだ。ここに戻らずして一体どこに行くというのだ?クラトスは気分転換にちょっと旅をしているだけなんだ。それが済めばまた私の元に戻ってくるに決まっている…そうだろう?ユアン。」
「……ああそうだな…」
 答えながら、ユアンは目を伏せた。
 ある意味クラトスの存在こそが、これ以上こいつが狂気の世界に墜ちて行くのを防ぐストッパーとなっていたのだ。このままクラトスが戻らなければ、こいつは完全に狂ってしまうだろう。
 だが、私に逃げ出したクラトスを責める事など出来ない…。そんな資格は私にはないのだ。
 四大天使の絆など、もうとっくの昔に壊れてしまったのかもしれないな…。
 ユアンは、未だ狂気と正気の狭間で笑い続けるユグドラシルを複雑な思いで見詰めたのだった。

 そんな二人の指導者の姿を扉の陰から覗く者が一人…。
 それは五聖刃のクヴァルであった。彼は今日、ユグドラシルに、今開発中のエンジェルスエクスフィアの途中経過の報告に訪れたのだが、それがとんでもない場面に出くわしてしまった。
 四大天使の席が一つ空席である事、そして残る三人の内の一人が人間である事も、クヴァルは噂に聞いて知っていた。だがその唯一、人間から天使になったという大天使クラトスは今まで皆の前に姿を現した事はなかった。五聖刃であるクヴァルでさえその顔を知らないのだ。あまりに謎に包まれたその存在故に、実は架空の人物なのではないかとの噂が流れたほどである。
 しかし今の話を聞いた所では、どうやらクラトスは実在するらしい。しかも、ユグドラシルは彼に全幅の信頼を置いているようだ。
「もしかしたらこれはチャンスかもしれんぞ…」
 行方不明となっている大天使クラトス。ユグドラシル様お気に入りの彼を連れ戻してくれば確実に自分の株は上がるだろう。もしかしたら空席である四大天使の椅子に座る事も出来るかもしれん。問題は顔を知らぬ彼をどのようにして捜し出すかだが、それもマナを見る事ができるハーフエルフである自分なら不可能な事ではない。天使のマナは他のどの種族とも違っている。その上、このクラトスが持つマナは特別なものだと聞いている。この星と同じ蒼く輝くマナ…。この星の命全てを代表するかのようなそのマナを見分けられぬ筈もない。
「フフフ…。私にもようやく運が向いてきたようだ。」
 降って湧いてきたようなこの幸運に、クヴァルはほくそ笑むのだった。



 アンナに会った翌日も、クラトスの足は自然に彼女に出会った場所へと向かっていた。
 彼女のあの笑顔が頭から離れない。初対面である自分に何の警戒も示さずにまるで子供のように話しかけてきた彼女。それでいて彼女のあの輝く瞳は、芯の強い大人の女性のそれであった。そのアンバランスさが妙にクラトスの心を引き付けた。
 それに、彼女を見ていると何故かこちらまで元気になれる気がしてくるのだ。生きているという実感が湧いてくる。彼女は大地を踏み締め、しっかりと前を見て生きている。一瞬一瞬を大切に、生きている事を心から楽しんでいるのだ。彼女が持っているそんな生の躍動感や眩しいぐらいの命の煌きは、長きに亘り時が止まった世界に生きてきたクラトスの心をしっかりと捉えてしまうに足るものだったのである。
 彼女にもう一度会いたい。そんな思いが昨日のあの場所へとクラトスを向かわせていた。
 あそこへ行ったとてまた彼女に会えるとは限らない。再びあそこに彼女が姿を現す保証など何もないのだ。そんな事分かりすぎる程に分かっている筈なのに…。
「私は一体何をやっているのだろうな…」
 己の愚かな行動に苦笑しながらその場所に赴いたクラトスであったが、そこにアンナの姿を認め目を見開いた。
 彼女は大地に広がる緑の絨毯の上に腰をおろして歌を口ずさんでいた。そのあまりに美しく澄んだ歌声にクラトスはその場から動く事が出来なくなってしまった。
 こんな歌声を聞くのは何年振りだろうか。彼女の歌からは、聞く者全てを癒してしまうような不思議な力が感じられる。そんな歌声を遮る事を憚られ、しばらくその場に立ち尽くしていたクラトスであったが、彼女の方でその気配に気づいたようだった。不思議そうに振り返って来たアンナの瞳がクラトスの姿を捉えるや否や、途端にその顔に嬉しそうな笑みが零れる。
「こんにちは、クラトス。」
「…あ、ああ。」
「こっちに来て座らない?少しお話ししましょうよ。」
 戸惑った表情を浮かべ隣に腰を下ろすクラトスを見て、アンナはクスッと笑った。
「本当はね、貴方が来るのをずっと待っていたの。ここで待っていればまた貴方に会えるような気がして…」
「えっ?」
「ごめんなさい。迷惑だったかしら。」
「……いや、実は私も同じ事を考えていたのだ。ここにくればまた貴方に会えるような気がしていた。」
「本当に?嬉しいわ。」
 ニッコリと笑うアンナ。
 それからアンナは、クラトスに色々な話を聞かせてくれた。子供の頃の事や家族の事、友達や町の人達の事。それらはクラトスにとってとても新鮮で、何よりアンナの話し方のうまさに思わず時が過ぎるのも忘れ彼女の世界に入り込んでしまうのだった。
 それを境に、二人はこの場所で度々会うようになった。
 アンナの話や歌を聞いたり、二人で並んでただ黙って座っている事もあった。彼女の傍にいるだけで心が洗われるような気がして、とても楽しく明るい気分になれた。こんな気持は長い年月を生きてきた彼にとってもまったく初めての事だった。次第にクラトスは自分の立場を忘れて行った。ユグドラシルの事も、世界が危機に瀕している事も、もう彼の頭にはなかった。ただアンナと共にいられればそれでよかったのだ。だが、その事がやがてこのアンナを危険に巻き込んでしまい過酷な運命を背負わせてしまう事になろうとは、その時の彼は気付く事が出来なかったのである。
 逢瀬を重ねる内に、クラトスは自分が追われる立場である事さえ忘れ、だんだんと周りに対して無警戒になっていった。その結果、アンナと会っている姿をクヴァルに見られてしまったのだった。ここがクヴァルの人間牧場の近くである事をすっかり忘れていたクラトスの油断が招いた事だった。

 その日、クヴァルは付近の町を視察に訪れていた。エンジェルスエクスフィアの培養体になりうる人間を探して回っていたのだが、思う程の成果を上げる事が出来ず落胆しての帰り道の事だった。クヴァルは突然に強烈なマナを感じて思わずその身を震わせたのだった。これ程のマナを感じる事はユグドラシル様を前にした時以外、初めての事だった。
「まさか…」
 そちらへと顔を向けたクヴァルの目に、一組の男女の姿が映し出された。
 間違いない。このマナはその男の方から放たれているものだ。そしてこれ程の力を感じられる存在は一つしか思いつかない。

 “彼だ。彼に違いない!”

 だが、いかに強大な魔力を誇るクヴァルとて、あれ程の力を持った男を簡単に捕まえられるとは思わなかった。どうしたものかと考え込むクヴァルの視線が、クラトスの隣に座っているアンナの上に止まった。楽しそうに笑っている彼女を見て、クヴァルの口元に笑みが浮かぶ。
「フッ…成程な。大天使と言えども所詮は元人間。やはり劣悪種は劣悪種に引かれるようだ。愚かな男よ。だが、そのお陰で、あいつをうまく誘き寄せ捕まえる事が出来そうだ。あの雌を餌にな。フッフッフッフッ…」

 そんな事とは露知らず、二人はそれからも語らいを続け、気付いたら夕刻となっていた。
「あら、もうすっかり日が暮れてしまったわ。クラトスといると楽しくていつも時間が過ぎるのを忘れてしまうのよね。まだまだ話していたいけど、そろそろ帰らなくちゃ。父がまた心配するといけないし。父はとっても心配性なの。」
 アンナはペロリと舌を出して笑った。
「一人娘だから心配なのだろう。今日は家まで送って行こう。」
「ううん、大丈夫よ。町はすぐそこだし何の心配もないわ。突然クラトスを連れていったりしたら却って父が卒倒してしまう。それより、ねえクラトス。また明日も会える?」
「ああ。私の方は別に問題ない。」
「本当に?嬉しいわ。楽しみにしているわね。」
 アンナはそう言って背伸びをするとクラトスの頬に口づけをした。目を見開くクラトス。
「それじゃあまた明日。」
 アンナは照れたような笑いを浮かべると走り去って行った。



 その翌日、クラトスが約束通りいつもの場所に現れると、そこにアンナの姿はなく代わりに一組の男女が待ち構えていた。男の方は初めてアンナと会った日に彼女を迎えに現れた父親であった。隣の女性は恐らく母親であろう。二人は非常に心配気な様子で辺りを見回している。

(何故、アンナの両親がここに?)

 妙な胸騒ぎを覚え、早足で二人に近付いて行くクラトス。
 すると、やってきたクラトスに父親がいきなり詰め寄って来たのだった。
「お前がクラトスか!?娘を…アンナをどこにやったのだ!?」
 クラトスは、物凄い剣幕の父親に目を丸くした。
「一体何の事です。アンナがどうしたというのですか?」
「娘は昨日家に戻らなかったのだ。」
「!!」
「アンナは何も言わなかったが、娘が毎日ここで男と会っている事ぐらい私達は気付いていたんだ。あんたがそうなんだろう!?何故こんな真似をする。私達の娘を返してくれ!!」
「知らない…私は本当に知らないんだ。」
 二人が揉めていると、そこへ子供がやってきた。
「クラトスさんってどの人?」
「…私だが?」
「目の細いおじちゃんに、これを渡すように頼まれたんだ。」
 子供が差し出してきた手紙のようなものを受け取るクラトス。
「確かに渡したよ。じゃあね。」
 クラトスは走り去って行く子供を見送ると手紙に目を通した。中に書かれている短い文章を読んだ彼の顔が凍りつく。

 『お前の大切なものは私が預かっている。 クヴァル』

「……クヴァル…」
「何だ、何が書いてある?娘の事なのか?」
 覗き込んできた父親の目の前で、クラトスは手紙を握りつぶした。父親はすぐさま文句を言おうとしたが、クラトスの顔に浮かんでいる怒りの表情を目にし言葉を飲み込んだ。
「…家で待っていて下さい。」
「え?」
 クラトスは父親の方に目をやると繰り返した。
「家で待っていて下さい。お嬢さんは私が必ず連れ戻してきますから。」
「連れ戻すって…お、おい?」
 父親は詳しく問い質そうとしたが、クラトスは物凄い勢いで走り去ってしまい、もうその姿は消えていた。
「何だ?一体どうなっているんだ?」
「…あなた、あの方がアンナを連れて来てくれると言っていたのです。信じて待っていましょう。」
「……うむ、そうだな。ここにいても埒があかん。ひとまず家に戻って待っているとするか。」
 クラトスを信じて家で待つ事にした二人であったが、二人は二度と家に戻る事は出来なかったのである。歩きだした二人はいきなり現れた男に一瞬の内に斬り殺されてしまったのだ。その男は見た所ハーフエルフのようであった。
「悪く思うなよ。あんたらに生きていられては、ちと面倒なんでね。」
 男はニヤリと笑ってそう呟き刀についた血を拭い取ると、二人の死体もそのままに何処へか去って行ったのだった。



 その頃クヴァルは、自室にてデータを眺めほくそ笑んでいた。それは培養体A−102、人間名アンナ・アーヴィングのデーター解析結果であった。
 適合率90%…。
 何の期待もなく一応血液を採取して検査に回しておいたのだが正解だったな。まさかこれ程の結果が出るとは思わんかった。思わぬ所で最高の培養体を手に入れる事が出来た。あの女には、検査結果が出て直ぐに石を寄生させた。あとは石の成長を観察しながらじっくりと待つだけだ。そうすればクルシスの輝石よりも更に上を行く夢のエクスフィア、エンジェルスエクスフィアが完成するのだ。
 この実験の妨げになるであろうあの女の両親も片付けたし、クラトスの件も間もなく解決するだろう。
 餌を目の前にぶら下げてやったのだ。奴は必ずここにくる。どんな強者にも弱点はあるものだ。あの男のそれがあの女。あの女を盾にすればいかに奴とて迂闊に手出しは出来まい。そうすれば簡単に拿捕(だほ)出来る。
 あとは捕まえたクラトスと共にこのデータもユグドラシルに差し出せば…。
「あの天使を誘き出す為だけにあの女をさらってきたのだが、フフフ…まさに一石二鳥とはこの事だな。今からユグドラシル様の喜ぶ顔が目に浮かぶようだわ。さあ、早く来い!クラトス。お前は私の出世の踏み台となるのだ。ワッハッハッハッ…」
 勝ち誇った笑い声を上げるクヴァル。
 するとそこへドアがノックされ部下が入って来た。心なしか顔色が良くないようだ。ついにあの男がやってきたのかと期待に胸を膨らませたクヴァルであったが、部下の報告はそれとは違うものだった。
「ユアン様がお見えになりました。」
「ユアン?何故あの男がここに?……まあいい。ここにお通ししろ。」
 クラトスがいつやって来るか分からない現状、本当なら会いたくなどなかった。だが、ユアンは鈍い事で有名であるから、適当にあしらって帰せばいいだろう。まがりなりにも四大天使。会わずに追い返したとなればただでは済まない。
 そんなクヴァルの思惑を知ってか知らずか、程なくしてユアンが姿を現した。
「これはこれはユアン様。よくぞおいで下さいました。」
「心にもない事を口にするな。“来て欲しくなかった”と顔にちゃんと書いてあるぞ。」
「それは心外です。四大天使様のわざわざのお越しを私が歓迎しない筈ないではありませんか。」
「まあいいさ。私とてユグドラシル様の命令でなければこんな辛気臭い所に来たくはなかったからな。」
「ユグドラシル様の命令!?」
「どうやらユグドラシル様はお前の研究にえらく期待を寄せている様子でな。研究の途中経過の資料を貰って来いと申し付かってきたのだ。先日報告に来たばかりなのだから、まだそれ程進展していないのではと申し上げたのだがな。」
「それはちょうど良い所へ来て下さいました。」
「ん?何か進展があったのか?」
「ええ。実はつい先日、いいサンプルが手に入りまして、その事を近い内ご報告に伺おうと思っていた所なのです。」
 そう言って、クヴァルはアンナの資料をユアンに渡した。
「培養体A−102…ほう、適合率90%!!これはすごい。」
「そうでございましょう?これでもう、エンジェルスエクスフィアは完成したも同じ事。」
「うむ。ユグドラシル様もさぞお喜びになる事だろう。ではこの資料は貰っていくぞ。」
「はい。どうぞお持ち下さい。」
 頷きながら書類を懐にしまうユアン。
「ところで、折角ここまでやって来たのだ。牧場内を見学して行きたいと思っているのだがな?」
「…見学…でございますか?」
「何だ嫌そうだな。何か見られたらまずい事でもあるのか?」
「と、とんでもございません!実はこのあと私は研究室に籠るつもりでおりましたものでご案内出来ないのです。ですので見学はまた後日という事で…」
「では部下に案内してもらおう。ちょっと回ってみるだけだ。別にお前の案内でなくとも一向に構わん。」
「いや…しかし…」
 どうやって追い払おうか悩むクヴァル。
 とその時…

 ずどお       んっ!!!

「!!!」
「何だ?何か爆発したようだが…?」
 クヴァルは慌てて窓に駆け寄った。
 アンナを収容していた建物が燃えているのが見える。そしてその上空に現れた蒼い光…クラトスだ!
 光はそのまま建物の中へと消えて行った。
「しまったっ!!」
「ん?何がしまったのだ?」
「い、いえ、こっちの話です……申し訳ありません。研究中に事故が起きたようです。ですから今日の所はどうかお引き取りを…。」
「そうか。それでは仕方がないな。しかし爆発とは…お前の研究も大変なのだな。まあ、お前も自爆せぬよう気を付けろよ。」
 のんびりとした様子のユアンを急かせながら追い返し、クヴァルは現場に直行した。
 ちょうどその時、激しい炎の中から、再びクラトスが舞い上がって来た。胸にアンナを抱いている。
「奴を逃がすな!撃て!なんとしても撃ち落とすのだ!!」
 クヴァルの号令で銃器を持った者達がクラトスに向かって一斉射撃を行うが、それは彼に当たる事はなく、蒼い光はどんどんと遠ざかって行ったのだった。

 ユアンはその様子を少し離れた場所から眺めていた。
「また派手にやったものだな、クラトス…」
 ここに来た時にクラトスのマナは感じ取っていた。そして直ぐにこの牧場の様子を窺っている彼を発見したのだが、何をしようとしているのかまでは分からなかった。ここは一つ奴がやろうとしている事を見届けるのも面白いと思い、クヴァルの注意が自分の方に向くよう仕向けてみたのだが、まさか培養体の女を奪っていくとはな。
 私は関係ない。私はただユグドラシルからの命令で書類を受け取りに来ただけの事。だがお前は……

 分かっているのか?クラトス。
 お前は今回の事で完全にユグドラシルを裏切った事になるのだぞ。

「どうなっても知らんからな…」
 ユアンは去って行く蒼い光を見送りながら呟いたのだった。



 クラトスはそのまま飛び続け、ルインの前でアンナを下ろした。羽を広げたままのクラトスをじっと見上げるアンナ。
「クラトス…貴方は一体…」
「……両親の元へ帰るがいい。」
「お父様とお母様ならもういないわ。あのクヴァルっていう人が殺したと言っていたの。」
「!!!」
 愕然とするクラトス。

 何故気付かなかった…
 あのクヴァルならやりかねない。私がその事に真っ先に気付くべきだった。
 私の所為で、アンナは全てを失ってしまったのか…。

 クラトスは堪らず、逃げるように飛び立って行く。
「クラトス!?待って!!」
 アンナの制止の声を振り切り、グングンとスピードを上げたクラトスは、気が付くと彼女と出会ったあの草原の上に立っていた。
「ハハ…ハハハハ…」
 虚ろな笑いを上げ、その場にガクリと膝を落とすクラトス。
 馬鹿だった…彼女に会っている内に、私はいつの間にか人間に戻ったような気になっていたのだ。そんな事あるわけがないのに…。私は世界をこんな姿にしてしまった張本人…クルシスの天使だったのだ。なのにその事を忘れ、ただ目の前の幸福に酔いしれ…結果、彼女を不幸のどん底に突き落としてしまった。私は彼女に出会ってはいけなかったのだ。
 ミトスを救う事も出来ず逃げ出してきた上に、一人の人間の人生を狂わせてしまった…。
 そんな風に、多くの人を傷つけ裏切りながら、何故私は生き続けている?これ以上私が生きていれば更に多くの人を傷つける事になるだろう。
「もう…疲れてしまったな。」
 クラトスは剣を抜くと、太陽に照らされ輝きを放っているその刀身を見詰めた。
 私がユグドラシルの元に連れ戻されるのも時間の問題だ。オリジンの封印である私を、ユグドラシルが殺す事はない。しかしその代りに二度と逃げ出さぬように、ヴェントヘイムの奥深くに幽閉されてしまうだろう。それは死より辛い事だ。
「ならば、いっその事この手で…」
 クラトスは剣を振り上げ、その刃先で己の喉を突こうとした。が、その時、突然クラトスの腕に雷撃魔法が落とされ、クラトスは剣を落としてしまった。痺れる腕を押さえながら振り返ったクラトスは、思った通りそこにユアンの姿を認めたのだった。
「何故邪魔をする!?お前にとって私が死んだ方が好都合な筈ではないのか?」
「さあな…お前の言う通り、お前の死こそが私の望む事だったのだがな。どうして助けてしまったのか自分でもよく分からん。まあ、理由があるとすればあのお嬢さんが間に合いそうになかったから…かな?」
 ユアンが顎をしゃくった方に視線をやると、アンナが駆けてくるのが見える。
 アンナは息を切らせながらクラトスの所まで走ってくると、いきなりその頬を叩いた。そして呆然となっている彼の胸に飛び込むと泣き出したのだった。
「馬鹿!クラトスの馬鹿!!どうして死のうとなんてするのよ。」
「…アンナ……全ては私が原因なんだ。アンナの両親が殺されてしまったのも、アンナが人間牧場で培養体にされてしまったのも、全て私の所為なんだ。私がアンナに近付かなければ貴方達一家はそんな目に遭わずに済んだ。私が貴方の幸せを奪ってしまったのだ。」
「だとしても、私は貴方を恨んだりしないわ。死んで欲しいなんて思わない。だって、私は貴方が好きだから…貴方を愛しているから。」
 驚き目を見開くクラトス。
 アンナは、そんなクラトスの頬を両手で優しく包み込むようにしながら話を続けた。
「ねえ聞いて、クラトス…私はね、命というのは自分だけのものじゃないと思うの。普段の食事にしても、使っている道具にしても、元を辿ればそれは皆、動物だったり植物だったりする訳でしょう?人は誰しも多かれ少なかれ他の命を犠牲にしながら生きているのよ。だから人はそんな犠牲になった命の分も精一杯生きる義務があると思うの。勝手に命を絶ってはいけないのよ。犠牲になった命の事を考えたらそんな事出来ない筈だわ。」
「生きる…義務…」
 小さな声で繰り返すクラトスに、アンナは力強く頷いてみせた。
「だから私は生きるわ。生きていれば悲しい事もあるでしょう。辛く苦しい時もある。それでも前を向いてしっかりと歩いて行くつもりよ。例え残された時間があと僅かだとしても…」
「!!…知っていたのか?」
「この石を左手に付けられた時に全て聞かされたわ。この石が私の命を吸い取って行く事も、無理に剥がそうとすれば化け物になってしまうという事も。」
「全てを知ってもなお、貴方は絶望もせずに生き続けて行くと言うのか?何故だ…何故そんなにも強くなれる?」
「強くなんてない。私はちっとも強くなんてないのよ。」
 そう言って、アンナはクラトスの手をとった。
「ね、凄く震えているのが分かるでしょう?胸だってこんなにもドキドキしている。本当は怖くて堪らないの。でも、どんなに嘆き悲しんだ所でこの現実が変わるわけではないもの。現実から目を逸らしていては駄目なのよ。しっかりと受け止めて行かなければ前には進めない。そうでしょう?」
「…アンナ。」
「私は精一杯生きて行くわ。だからクラトスも生きて欲しいの。どんな事があっても、もう死のうだなんて考えないで。」
 アンナはクラトスの小指を立たせると、それに自分の指を絡ませた。
「これは私達二人の約束よ。破ったら針千本だからね。」
 おどけた様なアンナの物言いに、クラトスはフッと笑いを浮かべた。
「全くもって貴方という人は…敵わないな…」
 クラトスはゆっくりと立ち上がると、未だ座ったままのアンナを見詰めた。
「私は貴方を死なせたくない。助ける方法を必ず探し出す。……だから…私と共に来てくれないだろうか?」
「えっ?」
「私は追われている身だ。私と一緒にいる事で貴方まで危険に巻き込む事になるかもしれない。だから無理強いは出来ない。しかし出来る事なら貴方と共に生きて行きたい。貴方の支えになりたいのだ。」
 アンナは驚いた様子でじっとクラトスを見上げている。その目から涙が零れ落ちる。
 それを見たクラトスはかなり慌ててしまった。
「…その…やっぱり駄目だろうか?」
 心配そうに問いかけるクラトスに、アンナは頭を振った。
「違うの。嫌なわけないじゃない。とても嬉しくて……でも、いいの?私は足手纏いになってしまうかもしれないわ。」
「そんな事は構わない。貴方の事は私が全力で守る。」
「嬉しい!有難う、クラトス。」
 抱きしめ合う二人。
 すると…
「どうでもいいがな。二人とも私の存在を忘れてはいないか?」
 ユアンの声に慌てて離れる二人。
 クラトスはユアンの元へ歩いて行った。
「やはり行くのか?」
「ああ。しばらくはお前の希望を叶えてやる事は出来そうもない。」
「やるべき事を見付けたか……まあいい。好きにするがいいさ。だが一つだけ忠告しておく。彼女に寄生しているエクスフィアは特別な物だ。助ける方法が見つかる可能性は極めて低い。」
「……分かっている。彼女の石を初めて目にした時からその事には気付いていた。恐らくクヴァルは執拗にあの石を奪い返しにくるだろうな。」
「それが分かっていて決断したのなら、もう何も言わん。」
 ユアンは懐から何かを取り出すと、それをクラトスに放ってよこした。
「これは…要の紋!?」
「普通のエクスフィア用のやつだ。彼女の石には殆ど効果はないかもしれんが、ないよりはマシだろう。私が手助けするのはここまでだ。あとは自分達の力で何とか切り抜けて行くのだな。」
「ユアン……すまない。」
 ユアンは肩をすくめると、羽を出して飛び去って行った。
「いい人ね、ユアンさんって。」
「……ああ、そうだな。」
 クラトスはアンナを見て微笑んだ。
「さて、そろそろ私達も出発しようか。」
「ええ。」
 アンナをノイシュの背に乗せると歩き出す。
 しばらくして、前を行くクラトスにアンナが声をかけてきた。
「ねえクラトス。クラトスは神様って信じてる?」
 いきなり何を言い出すんだと言うように自分を見てくるクラトスを見てアンナは笑った。
「子供の頃、両親から聞いた事があるの。神様は、頑張っている人にはとっても素敵なご褒美を下さるんですって。昔は私も信じていなかったわ。でも今は信じてる。」
「何故考えが変わったんだ。そのご褒美とやらを貰ったのか?」
「ええ、私もとっても素敵なものを頂いたわよ。それはね、貴方と出会えた事。私にとって、クラトス・アウリオンという掛け替えのない人との出会いは神様からの最高のご褒美なの。」
 アンナの言葉に照れたような苦笑を浮かべるクラトス。
 アンナは笑みを浮かべた。
「クラトスにもきっと神様は何かご褒美を下さるわ。だから二人で力を合わせて頑張って行きましょうね。」
「…ああ、そうだな。」

 実の所、神の存在など信じてはいなかった。
 だが、アンナにとってこの私との出会いが神からの贈り物だと言うのなら、私とて同じなのだ。
 アンナ・アーヴィングという女性…彼女こそが私にとっての最高の宝となったのだから。
 だとすると、私もすでに神からの褒美を受けているのかもしれない。

 だから私は、命をかけてこの宝を守って行こう。
 この道の先に何が待っているかなど分からない。
 だが何がやってこようが彼女と一緒なら乗り越えていける…そんな気がしているのだ。


−出会い 終−