その先にあるもの


 昔、アンナに言った事がある。
 私に付いてきた事を悔んではいないかと。
 クルシスの目を逃れながらの旅は想像以上に厳しかった。ただでさえ彼女の体はエクスフィアの浸食によって弱ってしまっているのだ。この旅は彼女にとって辛い以外の何物でもないだろう。私は彼女に苦難を強いている…そう思ったのだ。
 だがそんな私に、アンナはにっこりと笑うと、こう言いきったのだった。
「私なら大丈夫よ。もちろん後悔なんかしていないわ。」
 僅かに眉をひそめた私を見て、アンナは再び笑った。
「もしかして強がっていると思ってる?でも違うのよ。これは私の本心なの。」
「……」
「ねえ、クラトス。赤ちゃんって、最初はハイハイしか出来ないでしょう?でもだんだんつかまり立ちをするようになって、そしてやがては自分の足で立ち上がり歩き始める。人間ってね、立ち上がろうとする生き物なの。どんな困難に遭おうとも必ず再び立ち上がる事が出来る。人間はね、あなたが思っているよりずっと強いものなのよ。」
 人間が強い?
 そんな事は到底信じられなかった。
 人は無力だ…それが長い年月生きて来た私が出した結論だったからだ。
 私はすぐにそう言おうとした。だがアンナは優しくそれを遮ると、こう付け加えたのだった。
「もちろんそれには必要なものがあるわ。それは希望。」
「希望…?」
「そう。この先に希望があるって思えれば、一人じゃないって思えれば、人はいくらでも強くなれる。勇気を持って再び歩き出す事が出来る。」
「……」
「そして私にとってのそれはあなた。あなたが私の希望なの。だからもう何も怖くなんてない。あなたさえ一緒にいてくれれば私はいくらでも強くなれる。だから心配しないで。私は大丈夫だから。」
 そう言って彼女が浮かべた笑顔。それは眩しいほどに輝いている笑顔だった。
 しかし正直言うと、その時の私はまだ彼女の言葉の重みを理解していなかった。希望なんてもので本当に人が強くなれるものなのかと半信半疑だった。それどころか、そんなものに縋る事こそ人が弱い生き物である証明なのではないかとさえ思っていたのだ。
 だが…。


「クラトス〜!」
 突然聞こえてきた少年の声に、私の意識は遠い昔から現実へと引き戻された。
「先生がそろそろ出発しましょうかってさ。」
「そうか。分かった。」
 私は、伝える事だけ伝えると再び走っていく少年 ―― ロイドの姿を目で追いながら、立ち上がった。そしてロイドに向かって心の中で語りかける。
 お前は気付いているだろうか。お前が私にどれだけ多くの希望を与えてくれたのかを。
 アンナを失ったあの日、私は全てが終わったと思っていた。だがそうではないとお前が気付かせてくれたのだ。

“この先に希望があるって思えれば、一人じゃないって思えれば、人はいくらでも強くなれる。勇気を持って再び歩き出す事が出来る。”

「そうだな、アンナ。君の言う通りだったよ。もっともそう分かるまで随分と回り道をしてしまったがな。」
 私は苦笑を浮かべながら遠い青空に向かってそう呟くと、二本の足でしっかりと大地を踏みしめ歩き出したのだった。


−その先にあるもの 終−