クラトスの笑顔


 クラトスがクルシスへ連れ戻されてから一年が経った。
 妻と子を一度に失ってしまったあいつの顔には、未だ笑顔が戻ってきていない。いや、笑顔どころか他のどのような感情も浮かぶ事はなく、何に対しても無反応な、ただ生きているだけの人形のごとき生活が続いていた。
 昔からあまり感情を表に出さない男ではあったが、今のあいつはその上をいっている。
 このままではいけない。今にあいつは駄目になってしまう。何より私がつまらんではないか。
 まるでこの地だけ時が止まってしまっているかのようなデリス・カーラーンでの無機質な生活の中で、あいつをからかう事だけが私の楽しみだったのだ。ハーフエルフの部下もいるが、あいつらの前では上司としての立場があるし、ミトスなど、からかったりしたらこっちの命がない。安心して悪戯できるのはクラトスだけだったのだ。それに予想外の反応をしてくれる事も面白かった。
 それでなくとも最近ストレスの溜まり方が半端ではない。以前はクラトスと二人で受けていたミトスの八つ当たりが、今では私一人に向けられるようになってしまった為だ。ミトスも無反応なクラトスに八つ当たりしても面白くないのだろうが、このままでは、いつか私は精神病院に入らねばならなくなってしまうだろう。ここはひとつ、クルシス内の平和の為にも一日も早くやつには元気になって貰わねばならない。
 そう考えた私は、クラトスを元気にさせる為に外へ連れ出す事にしたのだった。
 私がまずクラトスを連れて行ったのは、私の行きつけの店でもある『100ガルドショップ』だった。
 嫌な事を忘れるには買い物をするのが一番。ここなら大した出費にもならぬし一挙両得ではないか。
「ここは何でも100ガルドで買えてしまうという仏様のような店なのだ。文房具や雑貨だけでなく、食品や化粧品、おもちゃやCDまで置いてあるのだぞ。見ているだけでも結構暇つぶしになるし楽しい。どうだ?今日はお前の好きな物をなんでも買ってもいいぞ。(ちょっと懐が痛むが)今回の所は私がド〜ンと奢ってやろう。」
「……」
 店内を無表情に見回しているクラトス。

(うむ、興味は示したみたいだな。)

「見ろ、ここには文房具類が置いてあるんだ。」
 『クラトス復活作戦』がうまくいきそうな様子にほくそ笑んだユアンは、クラトスの手を引いて店内の案内を始める。
「ノートやボールペン。クレヨンや画用紙もあるぞ。」
「クレヨンや画用紙……」
 棚を指差しながら案内をしていたユアンの手が止まる。
 クラトスの声を聞くのは何年振りだろう。やはりここに連れて来て正解だった。しかしこいつに絵を描く趣味があったとは意外だったな。
「おう、そうだとも。クレヨンや画用紙も置いてある。欲しいのか?確か画材は向こうの棚に…」
 そう言いながらクラトスの方へ振り返ったユアンはギョッとした。クラトスの頬に涙が伝っていたのだ。
「な、な、何だ。何故泣いている。」
「……ロイドに買ってやりたかった。さぞ喜んで絵を描いた事だろう。」

(チッ…まずいな。子供の事を思い出しちまったか。)

「泣くなっ!!…考えてみたら、今のお前に文房具は必要なかったな。向こうへ行こうか。」
 すぐさまこの場を離れた方がいいと考えたユアンは、クラトスの手を掴むとグイグイと引っ張っていく。しかしその途中で再びクラトスの足が止まった為つんのめってしまった。振り返ると、クラトスはジッと化粧品売り場を見詰めている。
「思えばアンナには苦労のかけ通しだった。化粧のひとつも満足にさせてはやれなかっ……」
「ク、クラトス!…あっちの方が楽しそうだぞ。インテリア雑貨がおいてある。」
 クラトスの言葉を遮り、そちらの方へと無理矢理に引っ張って行くユアン。
「ほら、暖簾なんていうのもあるぞ。気分転換に部屋に飾ったらどうだ?」
 ニコニコと振り返ったユアンであったが、後ろに立っている筈のクラトスの姿が忽然と消えている。今度はどこへ行ったのかと慌てて辺りを見回すと、少し離れた棚の前に彼の姿を見付けた。ホッと息を付き近付いて行くユアン。
「どうした?何か欲しいものでもあったか?ほう、写真たてか。……えっ?ど、どうした?」
 なんと、ユアンの声にゆっくりとこちらへ向いたクラトスは、滂沱と涙を流していたのだった。
「一度でもいいからこんなたてに家族写真を飾ってみたかった……」
「…ざ、残念だがもう家族の写真は撮れんからな…」
「うっ…うっ…」
「な、泣くなっ!すまん、変な事を言った私が悪かった……そ、そうだな。妻子の写真は無理だが、今度ミトスと私の三人で写真を撮ろうではないか。私達は家族のようなものだろう?すまんがそれで我慢してくれ。」
「………」
「何だ。その嫌なそうな顔は。」
「いや……別に。」
「では、この写真たてを買っていくとするか。」
「しかしこれは100ガルドではなく500ガルドだ。この店の物は全部100ガルドではなかったのか?」
 クシャリと顔を歪めるクラトス。
「そんな事ぐらいで泣くなっ!!資源不足で物価が高くなっているのだ。この写真たてを100ガルドで売っては店としても採算が合わんのだろう。大丈夫だ。今回は私が持つと言っただろう。」
 レジへ向かおうとしたユアンを、しかしクラトスは引き止めた。
「やはりそれは買わずともよい。ミトスとお前の写真など飾っても仕方がないからな。」
「………」
 結局、何も買わずに店を出てきた二人。
 買い物をすれば悲しい事も忘れられると思ったのだが、どうやら誤算だったようだ。クラトスが以前に比べ話すようになった事だけは収穫ではあったが、それでも未だ暗い表情を浮かべたままだ。

(私が見たいのは奴の笑顔だ…それを見るまでは諦めんぞ。)

「よし、次へ行くぞ。」
「まだ何処かへ行くのか…」
「つべこべ言うな。今度こそお前が楽しめる事請け合いだ。」

 こうしてユアンが次にクラトスを連れてきた所は、動物園だった。
「どうだ?ここならお前も楽しめるだろう。お前は昔から動物が好きだったからな。」
 あまり興味のなさそうな様子のクラトスの手を引いて園内へと入っていくユアン。
「見ろ、猿山だ。猿って面白いよな。何時間見ていても飽きる事はない。そうは思わんか?」
 だが、クラトスは猿山を見て笑うどころか再び涙を流している。
「な、な、なんで猿を見て泣いているのだ。」
「ロイドは猿が好きだった…」
「そ、そうなのか…」

(くっそ〜〜ぉ。なんでやる事なす事裏目に出てしまうのだ。大体こいつは何でも家族へと結び付けすぎるのだ。)

「お、あっちにキリンがいるではないか。キリンを見に行こう。キリ〜ン!」
 なんとかその場を盛り上げようと必死のユアン。
 だが、キリンの前に来たら来たで、クラトスはまたもや泣いている。
「だーからっ!なんでお前はそう泣いてばかりなんだっ!」
「このキリンを見ているとノイシュを思い出す。ノイシュも生きていればこのような姿に…」
「なるわけないだろ!!あいつと、このキリンのどこに共通点があるというのだ!!?」
「なんにも考えてなさそうな間抜けな顔がそっくりではないか。」
「……お前、ノイシュが嫌いだったのか?」
「何を言う!ノイシュと私は大の親友であった。」

(ダメだ…私はこいつの思考に付いていけん…)

「むっ、あれは!?」
 すると、疲れきっているユアンを余所に突然走りだすクラトス。その手には抜き放った剣が握られている。
「な、何をする気だ!ここは動物園だぞ。剣など抜くな!」
 慌てて後を追うユアン。
「貴様、よくもこんな所にいけしゃあしゃあと現れおったな!ここで会ったが百年目。アンナの仇だ!覚悟しろ、クヴァル!!」
「落ち付けクラトス!それはクヴァルではない。ただのキツネだ!!」
 檻の前でやっと追い付く事が出来たユアンは、クラトスを後ろから羽交い締めにする。
「キツネ?」
「そうだキツネだ。よく見ろ。クヴァルとは似ても似つかぬ可愛さではないか。」
「……そうか…そうだな。すまん、つい血迷ってしまった。」
「ま、まあ、あんな事があったのだから仕方ないだろう。とりあえず向こうへ行こう…」
 集まってきた野次馬をかき分けながらその場を離れる二人。
 そして今度は園の隅にある豚舎の前へとやって来た。
「豚か…」
 柵の前で腕を組むクラトス。
「豚を見るとアンナを思い出す。」

(!?…何故豚で?)

「この豚などアンナにそっくりだ。このつぶらな瞳、キュートな口元…」
「…お前、頭の方は大丈夫か?」
「問題ないが?」

(さっきのキツネの事といい、だいぶ錯乱しているようだ。ここは一発、目を覚まさせる必要があるな。)

 ユアンは右手に魔力を集中させるとその掌を、未だ豚に見とれているクラトスへと向けた。
「許せよクラトス。ちょっとショックを与えるだけだからな。」
 詫びるようにそう呟くと魔力を放つユアン。
 ところが…
「ん?こっちの豚もどことなく似ているな。」
 なんと放った魔力が当たる寸前に、クラトスがその場から動いてしまったのだった。
「!!!」
 当然の如くユアンの放ったそれはクラトスには当たらず、クラトスの前にいたアンナ豚を直撃してしまった。

 パキ〜ン!
 ブヒ〜〜〜〜〜ッ!!

 アンナ豚は、ユアンの雷によって哀れ丸焼きとなってしまった。
「!!…ああ   っ!!私のアンナが〜〜〜〜!!!」
 クラトスはユアンを睨みつけた。
「なんて事をするのだ、ユアンっ!!」
「す、すまん。こんな筈では…」
「許さんぞ!よくもアンナを!!」
「いや、だから…それはアンナではないから…」
「問答無用!!」
 剣を振り回しながら向かってくるクラトス。ユアンは逃げ出した。
「待てー、ユアン!!」
「待ってたまるか。斬られてしまうだろうが!!」
 驚異的スピードで、追ってくるクラトスを引き離したユアンは、しばらく走り続け、ようやく背後にクラトスの姿が見えなくなった事を確認するとホッと息をついた。
 だが喜んだのもつかの間。今度はユアンの前にいきなりミトスが降臨したのだった。
「ユアン、み〜つけた!!」
「な、な、何故お前がここに…」
 背後を気にしながらミトスに問うユアン。
「それはこっちが聞きたいね。今日会議があるから資料を作っておくように言っておいただろう。なのに時間になっても現れないし、部屋にもいない。だから探しにきたのだ。」
「確か会議は明後日だったはずだろう?」
「気が変わったんだ。今朝起きたら急に今日やりたくなってさ。」
「そんな事私は初耳だぞ。聞いてもいないのに出席出来るはずあるまい。」
「伝えてなかったっけ?でもさ。そんな事連絡がなくたってちゃんと分からないとね。だって僕達四大天使は以心伝心のはずだろう?」
「無茶を言うな!!まったく、我儘もいい加減にしろ。お前の我儘に振り回されるこっちに身にもなって貰いたいものだ。」
「あれ?そんな口利いていいわけ?僕を誰だと思っているの?」
「えっ?……い、いや…私はただ…」
 とそこへ、
「見付けたぞ、ユアン!!ハー、ハー…」

(ク、クラトス!?何もそんなに肩で息する程、必死こいて追ってこなくたってよかろうが…)

「あれ〜?クラトスも来ていたんだ。」
「ミトス?」
「よかった。少し元気になったようだね。ユアンに用があるの?でも少し待ってね。今お仕置きするトコだからさ。」
「お仕置き?」
 首を傾げながら、ユアンとミトスを見比べるクラトス。
 ユアンは二人から離れようと別方向に後ずさるが、生憎とそこには柵が立てられており行き止まりであった。
 そんなユアンにゆっくりと近付いて行くミトス。
「待て、ミトス…私は当然の意見を述べただけであって、別にお前を侮辱しようなんて考えはこれっぽっちも…」
「ねえ、ユアン。僕ってそんなに我儘かな?そんなに無茶な事ばかり言ってる?」
「いや…その…」
「僕のナイーブな心はお前の一言でボロボロに傷ついてしまったよ。だからお前も同じように傷ついてもらわないとね。」
「何がナイーブだ!お前がナイーブなわけなかろうが!!」
 柵を乗り越え逃げようとするユアン。
「逃がさないよ!ファイアボール!!」
「ギャア!!アチッ、あちっ…あつ〜〜いっ!!」
 それはユアンの尻に三連発し、ユアンは尻に火が付いた状態で走り回った。
 するとその時、

「アッハッハッハッハッ!!」

「「!!!」」
 背後から聞こえてきた声に驚いて振り返るユアンとミトス。
 見るとクラトスが腹を抱え涙を流しながら大声で笑っている。

 何故今笑うんだ…
 あれだけ努力したにもかかわらず全く笑顔を見せなかったお前が、何故今この時に笑うのだ!

「嬉しいよ、クラトス。やっと笑ってくれたんだね!」
 駆け寄ってきて手を取るミトスを不思議そうに見るクラトス。
「笑った?…そうか私は今笑ったのだな。もう笑う事などないと思っていたのだが…。」
「よかったよ。本当によかった。」
「こんなに笑ったのは久し振りだ。有難う、ミトスのお陰だな。」
「ううん、そんな事ないよ。さあ、帰ろうか。」
「ああ。」
 クラトスの手を引き飛び立とうとしたミトスは、ふと立ち止まると一人残されたユアンの方を振り返った。
「ユアン、明日の朝一に会議の資料を提出してね。議題を増やしておいたから今夜は徹夜になるかもしれないけど。」
「!!」
「フッ…。頑張れよ、ユアン。」
「……」
 そして仲良く手をつないで帰って行くミトスとクラトス。
 ユアンはその後姿を悲しげに見送るのだった。

 違うだろう、クラトス…ミトスのお陰ではなく、私のお陰だろうが。
 確かにお前の愛するアンナ豚を焼いたのは悪かった。しかしこの仕打ちは余りに酷すぎやしないか?
 お前の笑顔を見る事ができたのは私だって嬉しいさ。だが、私は…私は…

「くっそおおおおお〜〜〜っ!!あんなクラトスなんて、だいっきらいだあ〜〜〜〜〜!!」

 涙を流しながら叫ぶユアンの叫び声は、野を越え山を越え、遥か彼方まで響き渡ったという。


−クラトスの笑顔 終−