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百年以上続いてきたこの天下も、ここにきて綻びを見せ始めていた。財政も悪化の一途をたどり、幕府は大規模な改革へと乗り出していた。
その矛先が向けられたのが、小藩であった。幕府は何かと難癖をつけては小さな藩を次々にお取り潰しとしていたのだった。
その為、浪人の数は年々増加しており、彼等の中には職を求めて大都市に出る者も数多く見受けられた。
そしてここにも、そんな憂き目に遭い、エドへと出てきた二組の浪人一家がいた。
「うわ〜〜、ここがエドかあ!すげえや。人がいっぱいいるな!!」
感嘆の声をあげ物珍しげに辺りをキョロキョロと見回しているのは、活発そうな少年であった。年の頃は十六、七才ぐらいであろうか。武士らしく袴をつけ二本差しではあったが、その面差しにはまだまだ幼さが残っている。好奇心に目を爛々と輝かせ、しきりに声をあげ続けていた。田舎者丸出しの状態である。
「ロイド、見苦しいまねは止めんか!お前も武士ならばもっとしゃんとしろ!」
そんな少年に注意を促したのは、一緒にいる生真面目そうな武士であった。
「固い事言わなくたっていいじゃんか。もう、藩士でもない浪人なんだからさ。」
「浪人とて侍だ。もっと武士としての誇りをもってだな…」
「ああ、あそこに茶店がある!団子食おうぜ、だんご〜〜!!」
「ロイド!!」
「だって腹ペコなんだもん。今朝から何にも食ってないんだぜ。兄貴だって腹減ってるだろ!?」
そう言いながらお腹を押さえて見せるロイド。申し合わせたようにお腹の虫がぎゅるるると鳴いた。
「ロイド!!!兄貴という呼び方はよせと言ったはずだ!」
兄の大声に、ロイドはビクンと体を震わすと、気を付けの姿勢をとり慌てて言葉づかいを正した。
「はい――っ!!ごめんなさい、兄上!」
「それに何だ、腹など鳴らせて。武士は食わねど高楊枝と言うだろう。全くもってみっともない。」
「…でも…いくら武士だって腹は減るし…」
「ロ ・ イ ・ ド!!」
ロイドは、鋭い目で睨みつけられ再び直立不動となる。
そんな二人の様子を見て、共にいたもう一人の侍が笑いながら声をかけてきた。
「まあ、まあ、クラトス。そう固い事を言いなさんな。それに私も腹が減ったし、細君達もお疲れのようだ。ここらで一休みするのも悪くはあるまい。」
その言葉に、クラトスは後ろに控えている女性達を見た。クラトスの妻アンナと誠之助の妻紗代である。
確かにここまでの長旅は女子供にはきついものがあったかもしれない。二人は、愚痴を言うでもなく静かに微笑んではいたが、やはり相当疲れているようであった。
「…すまん。誠之助の言う通りだな。では、そこで一休みするとするか。」
こうして、茶店に入った一行。ロイドは口一杯に団子を頬張りながら、アンナと紗代相手に冗談を飛ばしまくっている。
「ロイドは、元気だな。あの子がいるとその場が明るくなる。お前もあんな弟が居て随分と助けられただろう?」
「…まあな…普段はうるさいだけの奴だが、この度の事ではあの明るさが慰めにもなった事は確かだな。」
「とりあえず、これから新居を探さねばなるまいな。その次は職探しか…。クラトスはどこか当てでもあるのか?」
「…いや、とんと。」
「ほれ、以前、このエドへ飛び出して行った変わり種がいただろう?ユアンとか言ったか…。あいつを頼ってはどうだ?確かお前とは竹馬の友だったろう。」
「…家が隣同士だっただけだ。」
憮然とするクラトス。
折角きれいさっぱり忘れていたものを、思い出させんでくれ。
ユアンは、クラトスの隣の五男坊だった。父親同士が仲が良く、年も同じ事もあってよく一緒に遊んでいたのは確かだ…いや、遊ばざるを得なかった、と言った方がしっくりくるだろうか。
彼は近所でも爪弾きにされていた存在だった。何をやらせてもドジばかりで、そのくせ口を開けば、自分は将来大物になってたんまりお金を稼ぐのだ等、夢のような事ばかり言っていた。次第に人は遠ざかり、ほら吹きと苛められるようになっていった。
近所の子供達からすっかり孤立してしまった息子の将来を案じ、父御がクラトスに泣きついてきたのだった。元来、生真面目で正義感の固まりのような子供だったクラトスは、苛められているユアンを庇ってやっている内に、いつの間にかユアンの親友に祭り上げられていたのだった。
ユアンのドジの尻拭いをさせられた事は数知れず、内心もう彼には関わりたくはないと思っていた。それでも切り捨てられなかったのは、彼が結構いい奴だったからである。彼の所為でどんな目に遭おうとも、どうしても憎む事が出来なかった。ついつい再び救いの手を差し伸べてしまうのである。
そんなこんなで腐れ縁が10年以上続いていたある日、ユアンは「エドへいきます」と一言書き置きを残し姿を消した。
誰も彼を探そうとはしなかった。何をしにエドへ行ったのかは分らないが、あいつの事だ、旅の途中でのたれ死ぬのが落ちだろう。最後まで馬鹿な奴だったな、とせせら笑うばかりだった。家族も、もう彼の事は死んだものと諦める事にしたようであった。
だが、姿を消す前、ユアンはクラトスにだけは旅立つ日と目的を打ち明けていたのだった。
当日、旅立つユアンを唯一人見送りに行ったクラトスに、彼はこう言ったものだ。
「俺はどうせ五男だからな。家を継ぐ事もないだろう。いつまでも冷や飯食いでいるのも嫌だし、エドへでも行って一旗揚げるつもりだ。」
そして明るく笑うと、飄々と旅立って行ったのだった。二人が十五の時であった。
あれは、彼の、家族への精一杯の感謝の気持ちだったのだとクラトスは思っている。
その頃、もう藩の財政は傾き始めていた。藩士の暮らしも決して楽ではなく、ユアンは、冷や飯食いの自分がいなくなる事で少しでも家の暮らしを助けたかったのかもしれない。
家の後継ぎとして大切にされている長男であったクラトスには、冷や飯食いと呼ばれる三男以下の者がどれ程肩身の狭い思いをしているのかは実際分からない。ユアンもきっとそんな思いをしてきたのだろう。だが、彼は彼なりに家族を愛していたのだ。苦しい暮らしを助けたいとずっと思い続けていた。だから彼は家を出たのだ。それが、五男である彼の出来る精一杯の事だったに違いない。
「ユアンか……。結局最後まであいつのもつ本当の優しさを理解してやれる者は現れなかったな。思えば可哀そうな奴だ。」
「ん?何か言ったか?」
過去を思い返していたクラトスが思わず漏らした呟きに、誠之助が首を傾げた。
「いや、何でもない。そろそろ行くか。」
クラトスは、そう言って立ち上がったのだった。
まずは住居を探し始めたクラトス達であったが、希望するような一軒家の空きはなく、ようやく見つける事ができたのは古ぼけた長屋であった。
「すまないな、アンナ。本当は一軒家の屋敷にしたかったのだが…」
本当に申し訳なさそうに言うクラトスに、妻のアンナは笑ってみせた。
「いいえ、私はここが気に入りました。お隣のマーテルさんはとてもいい方だし、誠之助さまやお紗代さまとも同じ長屋に落ち着く事ができたんですもの。それに、再出発するにはここは相応しい場所だと思いますわ。」
「そうか…そうかもしれんな。」
妻の逞しい一面を見たクラトスは正直驚いてしまった。彼女がこんなに強いとは思わなかったのだ。
だが、彼女の言う通りかもしれない。もう自分達は以前とは違うのだ。何もかも失ってしまった今、本当に何もない所から再び這い上がっていく必要がある。家族を守る為には、自分が落ち込んでいる場合ではない。
クラトスは、妻の一言で改めて腹をくくる事ができた。
「さて、明日からは仕事探しだな!」
クラトスは伸びをすると、アンナと顔を見合せて笑顔を浮かべたのだった。
ユアンが去って十三年の時が流れた。結局藩はお取り潰しとなり、禄を得る術を失ったクラトス達は生きて行く為に何とか職を得んと、こうしてエドへと出て来たわけだった。
ユアンもあれから無事にこのエドに辿り着く事ができたのだろうか。あの日以来、一度も奴には会っていない。今ユアンがどこでどうしているのかクラトスには分からなかった。生きているかさえ分からないのだ。それに例えこのエドで生きているとしても、この広い町で二人が再会する確率は極めて低いだろう。
クラトスは微笑んだ。
これからの自分は、一日も早く仕事を得て妻と弟を養っていかなければならないのだ。とてもじゃないがあいつのお守りをしている余裕などない。会わないに越した事はないからな…。
だが、その後クラトスはそのユアンと再会する事となる。そして、やがて大きな渦の中に巻き込まれてしまうのであった。
もちろん今のクラトスにそんな事は分かりようもなく、明日へ向けて希望に胸を膨らませているのだった。
−つづく−
※プロローグ的なものでした…