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翌日から、クラトスと誠之助は職探しを始めるも日雇いの人足ぐらいしか見つからなかった。だが、それだけではとてもじゃないが生活費には足りなかった為、アンナと紗代は針仕事、ロイドは傘貼りと風車作りの内職を始め何とか凌いでいた。
朝から夕方まで慣れない肉体労働で疲れ果て家に帰るとすぐに寝てしまうという生活が続き、クラトスの気持ちはどんどんと沈んで行った。
エドに出て来さえすれば何とかなると思ったのが甘かったのかもしれない。だが、あのまま故郷に残ったとしても何の仕事もなく一家は路頭に迷う羽目になっただろう。毎晩遅くまで内職をしているアンナやロイドを見ると、一家の主として二人を養う事さえ出来ない自分がほとほと情けなくなる。
しかし、そんなその日暮らしの生活でも、アンナとロイドは明るさを失わなかった。逆に、沈み込んでいるクラトスを励ます程であった。
「こうやって、屋根のある家に住めて毎日ちゃんと食事もできるんですもの。私達は十分幸せですわ。」
「そうそう、それにさ、この傘貼りって結構面白いんだぜ。俺って手先が器用だからさ。」
二人は笑顔でそう言ってくれるものの、クラトスは元来生真面目な性格の為なかなかそう楽天的には構える事が出来なかった。毎日、口入屋に通ってはもっと割のいい仕事はないものかと探し回り、焦りばかりが募っていったのである。
そして、クラトスはとうとうある決意をするに到った。自ら刀に封印を施し、武士を捨てる覚悟をしたのであった。
クラトスが仕事に出る時に腰の刀を置いて行くのを見たアンナは、慌ててクラトスを呼びとめた。刀を渡そうと手に取った彼女は、その刀が、鞘から抜けぬように紙縒り(こより)でしっかりと封印をしてあるのに気付く。
「あなた…これは…」
「私はこれからは武士を捨てる事にした。人足仕事に刀など邪魔なだけだからな。もう二度とそれを抜く事はないだろう。なんだったら質入れして生活費にしてくれても構わない。」
「でも、この刀は…」
「いいんだ。お前達が内職までしてくれているのに、私一人が武士にしがみついている訳にもいくまい。それで生活が少しでも楽になるなら、私は構わぬからお前の好きにしてくれ。…それじゃあ、行ってくる。」
心配そうに自分を見るアンナに手を振ると、クラトスは笑顔で仕事に出かけて行ったのだった。
だが、アンナは、どんなに生活に困ろうがそれだけは売る事をしなかった。武士の魂であり、先祖から受け継いできたこの刀を、クラトスがどれ程大切にしていたかを十分に分かっていたからであった。
そんなある日、クラトスは昼休みに誠之助から驚くべき事を告げられたのだった。
「毎日毎日、重たい石を運び続けて、貰える賃金といったら雀の涙ほど。いい加減、馬鹿らしくならないか?」
「…それはそうだが、仕方あるまい。他に仕事がないのだから。」
「実はな、紗代が子を宿したのだ…。」
クラトスは驚いて目を見開いた。
「それはおめでとう。長い間、子が出来ずに苦労していたからな。よかったな。本当によかった!」
我が事のように喜ぶクラトスであったが、誠之助は溜息をついたのだった。
「それがそう喜んではいられぬのだ…今のこの状態ではな。夫婦で暮らして行くのが精一杯なのにもう一人増えるのだぞ。身重の紗代にこれ以上内職などで負担をかけたくはないし、生まれてくる子にも苦労はさせたくない。それにできれば広い一軒家に移り住みたいとも思っている。それには金が必要なんだ。こんな人足ぐらしではたかが知れている。」
「……すまん。何とか役に立ちたいのだが、金の事では私には力になれん…」
「いいんだ。お前も大変なのは分かっている。実は良い話を持ちかけられたのだ。」
「良い話?」
「越後屋を知っているだろう?エドでも有数の大店だ。この間、偶然顔見知りになってな。越後屋の話によると、さる大名家で新たに藩士を募っているそうなのだ。まあ、試用期間はあるようだがな、うまくいけばこんな浪人暮らしからはおさらば出来る。しかも支度金に十両も頂けるそうなのだ。」
「…話がうますぎやしないか?それにこの不景気に新たに藩士を雇い入れるなど一体どこの藩なのだ。」
「明日の夜、料亭で詳しい話を聞く事になっている。お前もどうだ?」
「料亭?……いや、だが私は…」
「アンナさんやロイドに楽をさせたくはないのか?この機会を逃したらもう二度と這いあがれんぞ。俺は逃したくはない。これはきっと生まれてくる子が私にもたらせてくれたチャンスなのだ。どんな事をしても武士として返り咲きたい。な?一緒に行こう。俺やお前なら必ずや正規に召抱えられるに決まってる。」
「……」
結局、クラトスは断る事ができなかった。明日、誠之助と共に料亭へ行く事にしたのであった。どこか引っかかる所はあったものの、毎日内職に励んでいるアンナやロイドの事を考えたら、折角目の前に舞い降りてきたチャンスをみすみす棒に振る事など出来なかったのである。
その夜、クラトスはいつどうやってこの事をアンナ達に切りだそうか思案していた。別に悪い事をしている訳ではないのだから構わないとは思うのだが、何故かどうしても後ろめたさ覚えてしまうのであった。そうこうしている内に夕食が始まってしまい、今日の出来事などを楽しそうに語っているロイドを前にますます切り出せなくなっていた。しかもロイドはとんでもない事を言い出したのである。
「そういえばさ、今日傘の納品に行く途中でユアンに会ったんだぜ。」
クラトスはその一言に思わず箸でつかみかけた沢庵をポトリと落としてしまった。
「…ユアン?ユアンってあのユアンか?」
「あのユアンて、他にユアンって奴いたっけ?」
「いや…今奴は何をしていたのだ?」
「確か三味線屋とか言っていたぜ。あいつにそんな商売出来んのかな。笑っちゃうぐらいのぶきっちょだったくせに。」
「おい、あいつ呼ばわりは止めなさい。仮にもお前よりずっと年上なのだからな。というか、よくお前は奴を覚えていたな。」
「うすぼんやりとは覚えていた。だってインパクト相当強かったし。それに、今回はユアンの方から声をかけて来たんだ。“もしかしたらお前はロイドではないか”ってさ。」
「…まさか今私達がどこに住んでいるかは言わなかったであろうな?」
「え?もちろん言ったよ。いけなかった?」
ロイドの答えと同時に、入口の戸が乱暴に開けられ当のユアンが現れた。
「いよ〜、呼んだか?」
クラトスは思わず米粒を吹き出してしまった。さりげなく避けるアンナとロイド。
「呼んでなどいない!!こんな夜に何故にいきなり現れる!?」
「おお、食事中か。どれどれ、今夜のおかずは目刺しと蜆の味噌汁に沢庵か。なんだ。結構質素な暮らしだな。」
ずかずかと上がり込んで来て沢庵を一切れつまもうとするユアン。クラトスは箸でその沢庵を抑えると怒鳴りつけた。
「お前に食わすものはない!帰れっ!!」
「あ、あの、何もありませんが宜しかったらご一緒にどうぞ。今お酒もつけますね。」
アンナが慌てて支度をしに席を立った。
「その必要はな…」
「そうですか、いや〜すみませんねえ。」
ちゃっかりと座り込むユアンに憮然としているクラトス。
「…で?何の用だ。」
「お前も変わらんな。愛想のかけらもない所など昔のままだ。いや、偶然ロイドに会ってこのエドに来ている事を知ったものだからちょっと挨拶にな。実はな、隣のマーテルだが俺のこれでな。ムフフフフ。驚いた?驚いただろう。」
ユアンは小指を立ててみせて含み笑いをする。クラトスは、引っ越した方がいいかもしれないと本気で考え始めていた。
「それはそうと、あの藩もとうとうお取り潰しとなったか。まあ、先は見えていたがな。」
「あっさりとしているな。仮にもお前の生まれ故郷だろうが。それに家族の事など心配はしないのか?」
「別に。世渡り上手な奴らだから、その点全く心配はしていない。それよりお前の事の方が心配だ。お前は、こと世渡りとなるとてんで不器用だからな。頑固というか不器用というか。このエドにはそういった田舎もんを騙す輩が多いから気をつけろ。」
「……」
「そういやあ、最近、辻斬りが出るって町の人達が怯えていたぞ。ホント、物騒だよな。」
沢庵をバリバリ食べながらロイドが言う。
「そうなんだ。昨夜も仕事帰りの職人が斬られたらしい。お前達も夜間の外出は控えた方が身のためだ。」
「…お前はどうなんだ。今は夜だぞ。」
「私は田舎もんのお前らと違ってもう十年もこのエドに住んでるからな。そうした危険にはもう慣れっこだ。避ける術を心得ている。」
「エドというのは、そんなものが日常茶飯事な所なのですか?恐ろしいわ。」
「人が集まれば自然に犯罪も多くなるものだ。とにかく夜間には出歩かんこったな。大丈夫、すぐに慣れる。住み慣れちまえばこれ程便利な町は他にはあるまい。」
それからユアンは、一時間ほど飲んだり食べたりしながら、皆にエドについて講義して帰って行ったのだった。
翌朝、クラトスはアンナ達に、今夜は誠之助と飲みに行くから帰りは遅くなる、と言い置き家を出た。今日は例の件で越後屋と会う日だ。
昨夜ユアンがとくとくとエドの怖さについて語って行ったものだから、結局アンナ達には話す事は出来なかった。下手に話すと余計な心配をかける気がしたのだ。
クラトス自身も、昨夜のユアンの言葉が気になってはいた。だが、誠之助が言ったように、こんな機会はもう訪れないかもしれない。それに大店の越後屋の紹介なのだから安心だろうとも思っていた。
とにかく話だけでも聞いてみようと、クラトスは考えたのであった。
−つづく−