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その日仕事が終わると、クラトスと誠之助は約束の料亭へと向かった。その大きさに唖然とするクラトス。
「…こんな格好で入ってしまっていいのだろうか。やはり着替えて来た方が。」
「そ、そうだな。しかしもう時間が…」
誠之助も思わず生唾を呑み込んだ。
二人が料亭の前で呆然としていると一人の男が出て来た。年の頃は三十ぐらいで長く伸ばした青い髪を後ろで結んでいる。逞しい体つきで板前の格好をしていた。
「おや、どうなさったのかな?」
「え?いや、越後屋さんとここで会う約束なのだが、入っていいものかどうか…」
口ごもる誠之助。
「越後屋さんなら、もうお見えになっている。案内しよう。ささ、入られよ。」
「だが、この格好でもいいのだろうか。見た所、立派な料亭のようだし…」
困惑しているクラトスに男は笑って見せた。
「そんな事は気にする必要はない。どんな姿であろうがお客様には違いないのだから。素っ裸でなければ全く問題はない。」
そう言って、男は二人を中へと招き入れた。
案内されたのはこの料亭の離れだった。
「越後屋さん、お連れ様が見えられました。」
「おお、リーガルか。お通ししてくれ。」
未だ戸惑っている二人を安心させるように笑顔で部屋へと通すと、リーガルは仕事に戻って行った。
「よくぞ参られた。さあさあ、こちらへ。」
越後屋は、どうにも落ち着かない様子の二人を座らせると、
「誠之助さん、こちらがお話にありましたクラトスさんで?」
クラトスは慌てて自己紹介をした。
「クラトスと申します。宜しくお願い致します。」
「まあ、そう固くならずに。」
「ところで越後屋さん、我らしかいないようだが他の方は?何人かに声を掛けられたと聞きましたが…」
誠之助が不思議そうに尋ねると、
「本日はお二人だけです。実はこちらでも事前に候補者の事を調べましてな。結果お二人が残った訳でして。お二人は剣の腕も相当なものだと伺っております。今回の話は小黒藩からのものなのですが、殿様の護衛として剣術に優れた方を望んでおられるのです。」
「殿の護衛?新参者の私達を?」
不審げなクラトスに、越後屋は微笑んだ。
「ですから事前に念入りに身辺調査をした訳でして。ここだけの話ですが、あの藩では昨今家督争いがありましてな。結局長男の忠利様がお継ぎになったのですが、未だ不穏分子がいる為にこのエドでの護衛に腕の立つ者を求めている訳です。」
クラトスは眉をひそめ黙り込んだ。
「小黒藩は小藩ですので、最初から正規に召抱えると言う訳にはいかないのですが、ゆくゆくはそうするおつもりのようですよ。」
「我々の腕次第という訳か。」
目を輝かせる誠之助。
「そう言う事でございます。そうは言ってもお二人とも藩邸に上がるからには色々と準備が必要でしょう。そこで支度金として十両ずつお支払いいたします。いかがですかな?」
クラトスは、やる気満々の誠之助の腕をつかむと越後屋に頭を下げ、
「申し訳ない。少々二人だけで話したいのだが。」
「ええ、どうぞ。」
そしてそのまま誠之助を廊下へと連れ出した。
「一体何だというのだ、クラトス。第一、越後屋殿に失礼だろうが。」
二人だけになると、誠之助はクラトスの手を振り払い不機嫌そうに言った。
「やはり話がうますぎる。お家騒動の事など普通は話したがらないものだろう?それを初対面で、しかもまだ召抱えてもない我々に話すのはどうにも腑に落ちん。何か裏がある気がするのだが。」
「何を言っているのだクラトス。護衛の仕事と聞いて臆したのか!」
「そうではない。すぐに飛びつくには危険すぎると言っているのだ。」
「ならばお前は止めるがいいさ。だが、俺はやる。」
「誠之助!少し頭を冷やせ。何かあってからでは遅いのだぞ。」
「お前がそんな臆病者だとは思わなかった。臆病者の上に大馬鹿だ。いいか、こんな機会は滅多に訪れやしないのだぞ。お前は今までも慎重すぎる為に数々の出世の機会を逃してきた。たまには大胆になってみろ。そんな事ではいつまでたっても現状から抜け出る事などできんぞ。」
誠之助はクラトスを必死に説得しようとしていた。だが、クラトスはどうしても首を縦に振ろうとはしなかった。
睨み合う二人。気まずい雰囲気が辺りを漂った。やがて誠之助は大きく溜息をつくと肩をすくめた。
「もういい、お前は帰れ。だが、俺はお前が何と言おうとこの話を受けるつもりだ。俺は、紗代と生まれてくる子の為にもなんとしても金が欲しいのだ。そして二人を必ず幸せにしてみせる。…お前のような腰抜けの家長を持って、アンナさんもロイドの本当に気の毒だと思うよ。」
「!!!」
誠之助は最後にもう一度クラトスを睨みつけると一人越後屋の元へと戻って行った。クラトスはそれ以上何もいう事は出来ず、ただ呆然とその姿を見送ったのだった。
結局、この話は誠之助に決まった。
その数日後、小黒藩のエド藩邸に泊まり込む事となった誠之助は、長屋から出て行ったのだった。まだ正規に藩士となった訳ではなかったので、夫婦で移り住む事は叶わず、誠之助はしばらくは一人残される事になる紗代の為に一軒家を借りようとした。だが、紗代本人が、馴染みのクラトス達がいるこの長屋から離れたくはないと拒んだ為、紗代は引き続きこの長屋に住む事になったのであった。
クラトスはといえば、相変わらず毎日人足仕事に励んでいたのだが、あの夜、誠之助に言われた一言が結構応えていた。
“お前のような腰抜けの家長を持って、アンナさんもロイドの本当に気の毒だと思うよ。”
誠之助が今回の仕事につき支度金として十両もの金を貰った事で、紗代は内職をする必要がなくなった。この先、誠之助が正式に藩士となればもう少しまともな家に移り住めるだろう。それに比べ、アンナ達はこれからもずっとこのボロ長屋に身を置き内職を続けていかなければならない。自分が今回の仕事を断ったが為にである。
誠之助が言うように、私は臆病者なのかもしれないな。
あの話に危うさを感じたのは確かだ。だがもしかしたらそれは、単に新しい事に踏み出すが恐ろしかっただけかもしれないとも思う。
誠之助が怒るのも無理はないのだ。誠之助一人だけが今回の仕事にありつく事もできたのにわざわざ私の事も誘ってくれた。私はそんな誠之助の誠意を無にしたのだから。
クラトスは、親友と気まずいままで別れてしまった事にも、ひどく心を痛めていたのだった。
ちょうどその頃エドに現れた辻斬りは、毎晩のように町人を斬り殺していた。被害者はこの一週間で十名以上にも及んでいたのだが、奉行所の必死の捜索にもかかわらずなかなかお縄にする事が出来なかった。いずれの場合も一刀のもとに斬り捨てられている為相当腕の立つ者の仕業と思われていたが、未だ犯人の目星すら付かない状態だったのである。
エドの町民は恐ろしくて夜、家の外に出る事さえ出来ず、料亭や居酒屋も夕刻になっても店を開けられなかった。次第に人々の間に「闇のお仕事人」なるものの噂が流れ始めていた。晴らせぬ恨みを晴らしてくれるお仕事人は、その存在すら疑われているもので、いわば夢物語なのだと思われてはいたのだが、奉行所が頼りにならない今では、その出現を皆が願ったとしても仕方がない事なのかもしれなかった。
そんなある日の事、夜も更けた頃に一つの人影が稲荷神社に現れた。誰もが夜の外出を控えている中、驚く事にそれは娘であった。娘は迷う事無く賽銭箱の前へと進んで行くと手を合わせた。
「ここにくれば『お仕事人』に会えるとある方から聞きました。お願い致します。どうかお父っあんの仇を討って下さい。」
すると少しして、必死に祈る娘に、どこからかくぐもった声が語りかけてきた。
《それで、誰をやって欲しいのだ?》
「!!…今世間を騒がしている辻斬りでございます。お父っあんは仕事の帰りに辻斬りに…。お金はこれだけしかありません。」
娘は小さな袋を取り出し賽銭箱の横においた。
「全部で二両入ってます。これで足りなければなんとしても作って参ります。ですからどうか仇を!」
《わかった。そこに置いてゆけ。この事は誰にも口外するではないぞ。もし口外すればお前の命はないものと思え。》
「誰にも言いません。どうか宜しくお願い致します。」
娘は今一度深く頭を下げると帰って行った。
娘が去ってしばらくして数人の人影が現れた。その内の一人が娘が置いて行った布袋を取り上げぼやく。
「ちょっと二両じゃ少なくねえか?こちとら命賭けてるっていうのによ。それに辻斬りの正体すら分かってねえんだぜ。」
「だが、あの娘ではこれが精一杯だろう。足りないと言えばその身を売りかねんぞ。」
「それぐらいしてもらってもいいかとも思うがな。」
「このお金にはあの娘さんの必死の思いが詰まってます。無碍にはできないと思います。」
「あのな〜、思いだけじゃおまんま食えないんだぜ。銭って形がないとね。あんたは甘いんだよ。」
「でも…」
「とにかく!!」
言い争いを治めるかのように、間に入った強い声。
「引き受けたからには遣り遂げる。それがこの世界の掟です。分かりましたね!?」
「へいへい、元締めの決定には従いましょ。」
「では、まずは辻斬りの正体を突き止めねばならんな。」
「皆で手分けして洗い出しましょう。簡単ではないけど頼むわよ、みんな。」
“元締め”の一言に影達は一様に頷くと、八方に散って行ったのだった。
−つづく−