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その日、クラトスは仕事が長引き帰りが遅くなってしまった。昨今町を騒がしている辻斬りの件もあり、すっかり暗くなってしまった道を急ぎ足で歩いていた。そんなクラトスを呼び止める者があった。
「あんた、こんな遅くに何やってんの?」
振り返るとそこに立っていたのは赤い長い髪の若い男だった。
「あんたのその身のこなし、武士だろう?」
「だったらどうだと?私が辻斬りだとでも言いたいのか。だが、残念だったな。私は刀を持っておらん。」
「そういやあ、そうだね。刀がなけりゃ人を斬れないもんね。」
男はニヤニヤとしながらクラトスに近付いてくると顔を覗き込む。
「ふ〜ん。あんたよく見たら結構いい男だね。名前何て言うの?」
「どこの馬の骨か分からん者に名乗る名など持ち合わせてはおらぬ。」
クラトスの言葉に男は笑い出した。
「馬の骨は酷くねえ?ていうか、あんた俺様の事知らないの?南巴座(なんぱざ)のゼロスっていやあ知らぬ者はないって言うぐらいの有名人なんだけどねえ。」
「南巴座?お前役者か?生憎私はその方面の趣味はないのでな。」
「へへ…俺様あんたが気に入っちゃった。どう?これから一杯飲みにいかねえ?」
「私は急いでいるのだ。お前に付き合っている暇などない。失礼する。」
クラトスは早口でそう言うとゼロスにくるりと背を向け立ち去ろうとした。
とその時、向こうの方から凄まじい悲鳴が聞こえた。
「!!…まさか辻斬り?」
悲鳴の方へと走りだすクラトス。ゼロスもすかさずその後を追う。
角を曲がったクラトスは倒れている人の傍に佇んでいる男を目にし思わず立ち止った。気配を感じたのか男はこちらへと顔を向けた。そしてクラトスを認めると慌てて駆け去って行ったのだった。男の顔を見たクラトスの目が驚きに見開かれる。
その直後に角を曲がって来たゼロスは、呆然と突っ立っているクラトスにまともにぶつかってしまった。
「いって〜〜!!何そんなトコに突っ立ってるんだよ!」
鼻を押さえ、クラトスを怒鳴りつけるゼロス。クラトスからの返事はない。ゼロスは心配になってクラトスの顔を覗き込んだ。
「どうしたんだよ、何かあったの?」
だがクラトスはその問いにも答える事はなく、ただ、しきりに
「馬鹿な、そんなはずはない。まさか…」
と、呟き続けるだけであった。
それからは大変だった。二人は駆け付けた役人に番所へと連れてかれ詮議を受けたのだ。
あの時の様子からクラトスは下手人を見ていたはずだが、彼はその事に関しては一切話そうとはしなかった。ゼロスも敢えてそれを役人に話す事をせず、その為詮議は長引くかと思われたが、二人は運良く現場から離れた所にいたのを目撃されており、また刀を所持していなかったのもあって、その後すぐに放免となったのだが、その頃にはもう夜が明けてしまっていた。
「ちぇっ、もう朝かよ。酷え目にあったぜ。」
「済まなかったな。あの時私が臆さなければ辻斬りを捕まえる事が出来たかもしれん。そうすればお前も余計な詮議を受けずに済んだだろう。」
「臆した?」
「…ああ。辻斬りはひどく腕の立つ奴だと聞いていたのでな。つい足が竦んでしまった。本当に済まなかったな。」
「あんたが謝る事ないでしょ。悪いのはあの辻斬りなんだから。」
だが、クラトスはゼロスのその言葉を聞いている様子はなく、どことなくうわの空で帰って行ったのだった。その姿を見送りながらゼロスは呟く。
「臆しただなんて嘘ばっかり。あんたが相当の腕だって事ぐらい見抜いてるよ。それにあの様子…やっぱり何か見たようだね。長屋の名前は聞いた事だし張り込んでみるか。」
だがその必要はなかった。その二日後にある人物が犯人として手配されたのだ。それはなんとあの誠之助だったのである。
ここ数日、クラトスは、仕事を休んで誠之助を探していた。
実はあの夜、クラトスの他に目撃者がいたのだった。その人物は誠之助が被害者を斬り殺す所を見たという。誰が目撃者かは公表されなかったのだがクラトスにはその話がどうしても信じられなかった。確かにあの夜、クラトスが見たのは誠之助だった。だが彼が見たのは、被害者の傍にいた誠之助の姿だけで実際に辻斬りの現場を見た訳ではない。それにあの時彼は刀を抜いていなかった。誠之助が辻斬りなどする人間ではない事はクラトスが一番よく知っている。これはきっと罠に違いない。しかし、あの夜以来、誠之助は藩邸から出奔しており越後屋の所にも姿を現していない。とにかく本人から話を聞きたいと思い誠之助を探し回っているのだが、とんとその行方は掴めなかった。
そんな訳で、今日も仕事そっちのけで誠之助を探し回っていたクラトスに一人の子供が近付いてきた。子供は知らないおじちゃんから頼まれたのだと手紙をクラトスに手渡してきた。
手紙には見覚えのある字で一言、お堂にて待つとあった。クラトスは仕事場の近くに古ぼけたお堂があった事を思い出し急ぎそちらへと向かったのだった。
お堂に着いた頃には辺りは薄暗くなり始めていた。クラトスは辺りに人気のないのを確認し抑えた声で呼びかけた。
「誠之助、そこにいるのか?」
「…クラトスか?」
クラトスは、今一度人気がない事を確認すると中へと入った。中では誠之助が蹲っていた。
「誠之助!お前、怪我をしているのか?」
「クラトス信じてくれ。俺はやってない!俺ははめられたんだ。」
「分かってる。だが、一体何があったのだ。何故あの夜お前はあそこにいた?」
「…クラトス。俺はエドから逃げる。お前を呼んだのはこの手紙を紗代に渡して欲しかったのだ。」
「お前は下手人を知っているのだな?だったら二人で濡れ衣を晴らそう。紗代さんの為にもその方がいい。」
「無理なんだよ。もう逃げるしかないんだ。このままでは紗代やお前達にも危害が及ぶだろう。俺が馬鹿だった。お前が言った通りになったようだ。すまなかったなクラトス。お前には酷い事を言ってしまった。どうか許して欲しい。」
「そんな事はいい。一体どうしたというのだ?」
「…俺はお仕事人に狙われている。」
「お仕事人?馬鹿なそんなのがいるはずが…」
「いるんだよ。さっき危くやられる所だった。どうやら被害者の身内の者が頼んだらしい。だが、誓って辻斬りは俺じゃないんだ。」
誠之助はクラトスの手に小さな布袋を握らせた。
「この金を手紙と一緒に紗代に渡してくれ。紗代を頼む。アンナさん達を幸せにしてやれよ。」
そう言って誠之助は外へと飛び出して行く。後を追おうと続いて飛び出したクラトスは、ふと人の気配を感じ立ち止った。
「誰だ!?」
暗闇に鋭い視線を走らせるクラトス。すると木の陰からユアンが現れたのだった。
「なんだクラトス。こんな所で何をしているのだ?」
暢気そうに言うユアンにクラトスは身構えた。
「まさかお前がお仕事人なのか!?」
「お仕事人?何だそれは。」
「とぼけるな!誠之助を狙ったのはお前だろう。そうでなければ都合よくこんな所に現れる訳がない。」
「全く何を言っているのやら。」
苦笑いをするユアンだったが、実は内心相当焦っていた。
(まさかクラトスに気付かれるとはな。こうなっては仕方がない。掟に従い始末するしかあるまい。許せよ、クラトス。)
タララ〜タッタッタタラタラタララ〜
突然に何やら鼻歌を始めるユアン。さりげなく袂に手を入れたユアンの顔が強張る。
「あれ?へ?はれ?ちょっと待ってくれ。おかしいな、確かここに入れたはずなんだが…」
クラトスを制止して慌てたように何かを探し始めるユアンに、クラトスは首を傾げた。
「…おお、こっちにあった。」
反対側の袂から糸を取り出すユアン。
「では、改めて最初から。」
タララ〜タッタッタタラタラタララ〜
再び歌い始めるユアンにクラトスは尋ねた。
「そのタラタラというのは一体何なのだ?」
「これか?これは必殺のテーマだ。仕事の場面にはこれが必須だからな。音響さんがいないから自分でやるしかないのだ。」
「大変だな……ていうか、やはりお前はお仕事人だったのか!」
「正体を知られたからには生かしてはおけぬのだ。恨むなよ、クラトス!」
身構えるクラトス。華麗なフォームで糸を飛ばすユアン。だが糸はクラトスの所へは飛んでは来ず、逆にユアンの体に巻きついてしまったのだ。
「し、しまった。失敗した。」
ユアンはなんとか絡まった糸を外そうとするのだが、もがけばもがくほど余計に絡まってしまい、終いには足をとられひっくり返ってしまった。
「た、助けてくれ〜〜!」
「……お前、本当にお仕事人なのか?」
「失敬な。私はこの道十年のプロだ。いいから早くほどいてくれ!」
「すまんな。今はお前に構っている場合ではないのだ。」
そう言って走り出すクラトス。後には芋虫状態のユアンが残されたのであった。
ユアンを放っぽってきたクラトスは、誠之助の姿を求めて林の中を駆け抜けていた。すると、向こうの方に無数の提灯の明りが見え、「御用!御用!」という声が聞こえて来た。
「まさかあれは捕り方?」
そちらへと走りだすクラトス。
果たしてそれは奉行所の捕り方だった。逃げようとする誠之助を取り囲み縄を放ち棒で叩きのめしている。
すぐに助けに入ろうとしたクラトスであったが、それを止めるものがあった。自分を抑える手を振り払おうともがきながら仰ぎ見るとそれはあの日料亭で会った板前だった。隣にはゼロスもいる。
「離せ!!」
「落ち着くのだ。貴公が出て行った所で奴の仲間として捕らえられるのが落ちだ。」
「違う!誠之助は違うんだ!!」
そうこうしている内に、奉行所の連中は暴れる誠之助を取り押さえてしまった。縄をうたれ連れて行かれる誠之助。
「誠之助!!」
その声に一瞬こちらを見た誠之助は立ち尽くしているクラトスに微笑んでみせた。全てを諦めきった笑い。だがその目は確かにこう語っていた。
後は頼んだぞクラトス、と…
そして一人を捕まえるには大人数すぎるぐらいの捕り方に囲まれて誠之助は連行されていったのだった。
−つづく−