チョコレート物語
2月13日、ゼロスはロイドの家の台所にて、鼻歌交じりにハートの形をしたチョコレートを作成中であった。
その姿をテーブルに座って眺めていたロイドが言った。
「お前がチョコレート作りだなんて、どういう風の吹き回しだよ。『我が家にはバレンタインなんて関係ない』なんて言っていたくせにさ。」
「それは去年までの話。フフフ〜ン、今年の天使様は一味違うのよ。」
「はい?」
ゼロスは振り返ると、ニヤリと笑った。
「昨日の夕食の時にさ、天使様が俺様にこう言ったわけよ。『ゼロス、チョコレートを食べたいのだが、今度仕事帰りに買って来てくれぬか?』ってね。二月の大イベントを前にした今、この天使様の一言に含まれる意味っていったら、一つしか考えられないっしょ。」
「へえ〜、あの父さんがねえ…」
「でしょ!?ロイド君もそう思うっしょ?」
ゼロスはチョコレートの付いたへらを振り回しながらテーブルに身を乗り出してきた。
「おい馬鹿、振り回すなよ。チョコが飛んでくるだろ!」
飛んでくるチョコレートを華麗に避けるロイド。
「俺様も驚いちゃったさ。あの天使様からモーションかけてくるなんて思ってもみなかったからね。なにしろ天使様ったら、主夫業に燃えちゃってるだろ?行動範囲が家の周辺に限られてるもんだから、話し相手って言ったら近所のおばさん連中だけ。ただでさえ若者の行事に疎いって言うのに、更に拍車をかけちゃってるわけよ。最近頓におばさん化しちゃってるしね。だから正直俺様も諦めていたんだよね。それがさあ…」
ゼロスは今度は泣き始めた。
「それが…うっ、うっ、天使様からチョコの催促をしてくれるなんて…うううっ…」
「……泣くなよ。」
「だって嬉しいんだから仕様がないだろ!…だからさ、俺様、頑張っちゃうんだ。市販の物なんてとんでもない。俺様の愛のこもった手作りチョコを一杯、一杯、あげちゃうんだもんね!」
「でもちょっと作り過ぎじゃねえ?」
ゼロスの作った愛情一杯のハート型チョコレートは、その数100個以上に及んでいたのである。
トレイの上に山積みにされているそのチョコレートを見て、思わす吐き気を催すロイド。
「これは俺様の愛の度合を表しているんだよ。大丈夫。天使様はああ見えて甘いもの好きなんだ。」
「それにしたって…」
眉を顰めるロイドを余所に、ゼロスは上機嫌でチョコレートを箱に詰め込むのだった。
翌朝、ゼロスは滅多に袖を通さない余所行きの服に着替えると、チョコレートを詰め込んだ大きな箱を手に一階へ降りて行った。
このチョコレートの山を見て、天使様が感動しない筈はない。今日は一日、天使様とラブラブの時間を過ごすんだ。
ゼロスは、ムフフと気味の悪い含み笑いをすると、台所にいるクラトスに声をかけたのだった。
「天使様〜〜、おっはよ〜!!」
その声に振り返ったクラトスは、ゼロスの姿を見て目を丸くした。
「どうしたのだ、その恰好は?今日は仕事は休みなのだろう?何処かへ出かけるのか?」
「何言ってんの。今日は特別な日だからさ。」
「特別な日?」
「またまたあ〜、天使様ったら本当に惚けるのが上手なんだからあ〜。ほら、これ。天使様が欲しがっていたチョコレートだよ!」
ゼロスは再びムフフと笑うと、持っていた箱を差し出した。
「おお、早速買って来てくれたのか!!しかもこんなに沢山…」
嬉しそうに箱を受け取るクラトス。
「俺様が市販の物で済ませるわけないっしょ。もちろん、手作りだよ〜ん。」
「手作り?なにもわざわざ作ってくれなくても市販の物で十分だったのに。だが有難う、ゼロス。」
クラトスはニッコリすると、テーブルに座って箱を開けた。
「これはまた珍しい…心臓の形をしているぞ。」
「心臓って…そりゃ心臓には違いないけどさ。欲を言うならハート型って言ってもらいたいんだけどね。」
だがクラトスはそんなゼロスの言葉など全く耳に入らぬ様子で、いきなり両手にチョコレートを掴み取ると、むさぼるように食べ始めたのだった。それはまさに、やっとこさ餌にありつく事が出来た肉食獣の如き姿であった。
バキッ、バキッ!
「天使様ったら、相当チョコに飢えていたんだね〜。」
ボキッ、ガキッ!!
「どう?俺様の愛情一杯のチョコの味は。」
ガッ、ガッ、ガッ!!
「……あの〜、もう少し味わって食べてくれたら嬉しいんだけどな。」
「味わう?何故?」
「何故って…そりゃあ、俺様の愛が…」
バキバキバキ〜〜ンッ!!!
「………」
ゼロスはなんだか自分の心臓が食いつかれているような気がして来て、思わず胸を押さえた。その目には涙さえ浮かんでいる。
この胸を締め付けられるような痛み……これが悲しみ?
そして、箱にあれ程山盛りにあったチョコレートはみるみる減って行き、クラトスは僅か数分で見事に完食してしまったのであった。
「フィ〜〜、食った!食った!!」
満足そうに腹をなでるクラトス。
「なにやらモリモリ元気が出て来たぞ。今日は一日パワフルに過ごせそうだ。」
「…そう?それはよかった。」
項垂れながら玄関へ向かうゼロス。
「ゼロス、朝食は?」
「うん?…今日はいらない。」
「そういえばさっき、今日は特別な日だと言っていたな。どこかのパーティに呼ばれていたわけか。それなら私の事など気にせずに楽しんで来い。チョコレート有難うな。」
「いいえ、どういたしまして。」
ゼロスは力のない笑顔を浮かべると、フラフラと出かけて行ったのだった。
ゼロスの外出後、クラトスがはりきって家の掃除をしていると玄関のチャイムが鳴った。出て見ると、小さな箱を手にしたコレットが立っており、その隣にはロイドもいる。
「なんだお前たちか。…まあ、上がれ。」
クラトスはこの突然の訪問客に驚いた様子であったが、直ぐに嬉しそうな笑顔を浮かべると二人を中へ通した。
「二人とも元気そうで何よりだ。ところで今日はどうしたのだ?二人揃って訪ねて来るなんて珍しいな。」
そう言って二人の前にコーヒーを並べるクラトス。
ゼロスと暮らし始めてからも二人は時々遊びに来てくれていた。しかし、ロイドは鍛冶仕事の修行で忙しく、コレットもまた、元神子としての用事が色々あった為に、別々に来る事の方が多かったのである。
「コレットがさ、父さんにもチョコをあげたいって言うものだから。俺もしばらく父さんの顔を見てなかっただろ?だから一緒に来たってわけ。」
「チョコ?…今日はやけにチョコが流行る日だな。」
「言っとくけど、父さんのは義理。コレットの本命は俺なんだからな。」
「ちょっと、ロイドたら!!」
コレットは真っ赤になってロイドをポカリと叩くと、慌てて言い訳した。
「別に義理とかそういうつもりじゃなくて…クラトスさんにはいつもお世話になっていますからどうしても上げたかったんです。」
「義理?チョコレートに義理人情があるのか?」
思わず顔を見合すロイドとコレット。
取り敢えず二人は、今の台詞は聞かなかった事にする。
「……と、ところで、ゼロスは出かけているのか?父さん、ゼロスからチョコレート貰ったんだろ?今日は二人で仲良く過ごしているとばかり思ってたんだけど。」
「確かに今朝ゼロスにもチョコをもらったが、何故お前がそれを知っているのだ?」
「何故って、あいつ昨日俺んちで作っていたからさ。」
「なんだ、ゼロスはお前の家で作ったのか?何もお前の家の台所を使わんでも、うちで作ればいいのにな。」
「だって本人を目の前に作るっていうのも嫌だろ。」
「何故?」
クラトスは首をかしげている。
(おかしい…何か変だ。)
確かゼロスの話では、クラトスの方からチョコを催促してきたという事だった筈。それにも拘らず、当のクラトスは今日が何の日か全く分かっていないようなのだ。
「ええと…チョコが欲しいって言ったのは父さんなんだよな?」
「いかにも、そうだが。」
「…どうしてチョコを欲しがったわけ?」
「いや実はな、家事とはやってみると意外と重労働で、私は最近少々疲れ気味だったのだ。そんな時、先日近所の奥さん連中の井戸端会議に出くわしてな。私は思い切って相談してみる事にした。そうしたらある奥さんが、『そんな時には甘いものを食べるのが一番。中でもチョコレートは疲労回復には最高だ。』と教えてくれたのだ。そう言えば、私はここの所チョコレートを口にしていなかったなと…そう思ったら無性に食べたくなってしまい、そこでゼロスについでの時に買って来てくれるよう頼んだわけなのだ。テセアラには美味い菓子屋があると聞いていたからな。」
「…それだけ?」
「それだけだ。他にどんな理由があると言うのだ。」
「…もしかして父さん、今日が何の日か知らないとか?4000年も生きているんだ。まさか今まで一度も女性からチョコレートを貰った事がないなんて言わないよな?」
「女性から?…昔、マーテルやアンナから貰った事はあるが、それが何か?ただ単に私が甘いもの好きだと知って作ってくれたものと思っていたのだが、違ったのか?」
(駄目だ、こりゃ…)
これでは幾ら何でもゼロスが気の毒である。そこでロイドは、大きな溜息を一つつくと、クラトスに一から説明してあげたのだった。
「あのさ、父さん。今日はバレンタインデーなんだよ。バレンタインデーというのは……」
その夜、ゼロスは酒場で荒れ狂っていた。
「そうよ、そうともよ。どうせ俺様はピエロがお似合いの男よ。あんなに一生懸命に作ったのに…あの俺様の努力は何だったわけ?なあ、お前もそう思うだろ?」
近くの客相手に誰彼無しに愚痴りまくるゼロス。
客達も最初の内は適当に相手をしていたものの、余りの剣幕に恐れをなし、次々に店から逃げ出して行ってしまい、今ではゼロスの他数人の客を残すのみとなっていた。
「なんでえ、なんでえ、冷てえ奴ばっかだな〜。いいさ、帰りたい奴はとっとと帰りやがれってんだ。どうせ俺様の気持ちなんて誰にも分かりゃしねえんだ。おいバーテン、お代わり!」
「ちょっと神子様、他のお客様に絡んでもらっては困りますよ。お陰でこちとら商売上がったりだ。だいぶ酔ってらっしゃるようですし、もうその辺で止めにしといた方が良くはないですか?」
愛想がいい事で評判のバーテンも、今日ばかりは渋い表情を浮かべている。
「なにい〜〜っ!もう止めろだあ?おい、それが客に向かって言う言葉かよ。」
ゼロスがフラフラと立ち上がりバーテンダーに拳をお見舞いしようとしたその時だった。
「ゼロス、止めないか!」
振り上げた腕を掴まれ、不機嫌そうにトロンとした目をそちらに向けるゼロス。
そこにいたのはリーガルであった。
「あん?…なんでえ、おっさんじゃねえか。邪魔をするな、離しやがれ。」
「ちょっとトイレを借りるぞ。」
リーガルは一言バーテンダーに断りを入れると、暴れるゼロスを引きずりながらトイレに連れ込んだ。そして洗面の水を一杯に出すと、そこにゼロスの頭を突っ込んだのだった。
「ひいっ〜〜、冷てえ!!…何をしやがる!!」
「目が覚めたか、馬鹿者がっ!!」
リーガルは水を止めると、ゼロスを怒鳴りつけた。
「何をこんなところで飲んだくれているのだ。早く家に帰れ。クラトス殿が待っているぞ。」
「煩せえな。今日は帰りたくない気分なんだよ。何も知らねえくせに口を出してくんじゃねえよ。俺様が何をしようがあんたには関係ないだろ。」
「……チョコレートの事ならクラトス殿から聞いたよ。クラトス殿はロイドから聞くまで、今日が何の日か知らなかったのだ。酷くしょげていたぞ。もう許してやったらどうだ?それに今回の事ではお前にだって非はある。何故ちゃんと説明してやらなかったのだ?そうすればクラトス殿だってちゃんと分かってくれた筈だろう。」
「……」
「昼間、クラトス殿がチョコレートの作り方を教えて欲しいと言って私を訪ねて来たのだ。お前へのせめてもの詫びのつもりだったのだろうな。慣れない手つきで一生懸命に作っていたぞ。」
「えっ?」
「……私はこの事をお前に伝えたかっただけだ。先程ロイドが心配してお前の家まで行ってきたそうだ。そうしたらお前はまだ帰って来ておらず、クラトス殿が一人でボツンとお前の帰りを待っていたと言う。それでお前を探し回っていたわけだが、まさかこんなところで飲んだくれていようとは…。余りに情けないとは思わぬか?」
ハッとして腕時計に目をやるゼロス。時計の針はもうすでに11時半を回ってしまっている。慌てて飛び出して行こうとするゼロスに、リーガルはあるものを投げてよこした。
「これは!!…」
「ロイドから預かってきたものだ。」
「……有難う、おっさん。」
ゼロスはそれをしっかりと胸に抱くと、一目散に家へ帰って行ったのだった。
ゼロスを見送ったリーガルはバーテンの元へ戻って来た。
「騒がせて悪かったな。」
「いいえ。……でも公爵様も人が良いですね。」
「どういう意味だ?」
そう尋ねてから、苦笑を浮かべるリーガル。
「成程な…このような店では色々な噂を耳にすると言う事か。」
「天使様を挟んだ神子様と公爵様との三角関係は有名ですからね。」
「フ…三角関係か。別にそんなのではないのだがな。ただ、あの二人を見ていると、どうにも危なっかしくて放っておけないのだ。それだけだよ…。」
呟くようにそう言うと、遠くを見つめるリーガル。
バーテンはそんなリーガルにカクテルを差し出すと、不思議そうな表情を浮かべたリーガルにウインクしてみせた。
「これは私の奢りですよ、公爵様。嫌な事を忘れるには酒が一番。でもほどほどにね。」
リーガルは低く笑うと、有難くそのカクテルを頂く事にしたのだった。
さて一方、猛スピードで家に帰って来たゼロスは、玄関の前で息を整えながら再び腕時計に目をやった。針は0時15分を指している。ゼロスは目を伏せると、そお〜っと居間に入って行った。
クラトスはテーブルに突っ伏して眠ってしまっていた。その手にはリボンのかかった小さな箱が握られている。クラトスは料理の腕は確かだがお菓子作りはあまりやった事がなく、慣れない作業で疲れてしまったのだろう。
「天使様…」
すると気配に気付いたのか、クラトスが目を覚ました。
「ゼロス?…帰ったのか。」
そう言いながらチラリと時計に目をやったクラトスは、さりげなくチョコの箱を腕の下に隠した。
「今日…いや、昨日は済まなかった。お前が折角作ってくれたチョコレートを私は…」
「天使様は知らなかったんだから仕方ないよ。だからそんなに気に病まないで。俺様ももう気にしていないからさ。それよりも、今何か隠したでしょ。それは何?」
目にも止まらぬ速さでクラトスの腕の下からリボンのかかった箱を抜き取るゼロス。
「あっ!そ、それは…」
奪い返そうとするクラトスを避けながら包装をとくと、そこにはリーガルから聞いた通り、少々不格好ながらチョコレートが入っていた。
「……これ、天使様が作ってくれたんだ?もちろん俺様の為にだよね?」
クラトスは観念したように目を閉じると、小さく頷いた。
「…だが、うまく出来なくて歪になってしまった。いかにも不味そうだろう?だからそれは処分して、また来年にでも作りなおそうと…」
「来年?…嫌だね。俺様は今すぐ食べたいの。少々不格好でも、これには天使様の愛情がこもっている。だから全然気にならないよ。それどころか、天使様が一生懸命に作ってくれている姿が浮かんできて、見ているだけで幸せな気分になれるんだ。」
「いやしかし、もう日付も変わってしまったし…」
「関係ないよ、そんな事。」
「えっ!?」
ゼロスは、驚いているクラトスにニッコリと笑ってみせると、
「今日がもうバレンタインデーじゃなくたって、そんな事は関係ないんだ。ここに天使様が俺の為に一生懸命に作ってくれたチョコレートがある。その事実に変わりはない。だから俺はそれを食べたいと思った。」
「……」
「それとこれは俺様から天使様に。」
そう言ってゼロスが差し出してきたそれは、昨日クラトスが食べたハート型のチョコレートと同じものだった。
目を見開くクラトス。
「昨日作り過ぎちゃって箱に入りきらなかったやつをロイド君が取っておいてくれたんだ。だからそれは正真正銘、俺様が作ったものってわけ。どう?天使様が作ってくれたこのチョコとその俺様のチョコで、バレンタインデーを仕切り直さない?…あ、でも、今度は良く味わって食べてね。」
そんなゼロスの言葉に、クラトスはようやくクスりと笑ったのだった。
こうして始められた一日遅れのバレンタインデー。
二人はそれぞれの愛情がこもった手作りチョコレートをゆっくりと味わったのだった。
その夜、ゼロス邸からは灯りが消える事無く、いつまでも付近を明るく照らし続けていた。
−チョコレート物語 終−