お手をどうぞ


 屋敷では夜遅くまでパーティが行われていた。
 何のパーティかなんて忘れちまったさ。
 俺がそこにいたのは神子だったから…ただそれだけ。
 周りの連中も、最初こそ挨拶に来たものの、あとは俺なんか放っぽってダンスに興じていたしな。
 その内俺はつまらなくなって外へ出た。
 誰も気付いちゃいないって思っていた。でも、そんな俺の後を追うようにして出て来た青年がいたんだ。
 鳶色の髪と瞳をした背の高い青年…。
 以前どこかで会った事がある。でも思い出せない。
「あなたは誰?」
 そう問いかけた俺に、青年は微かな笑みを浮かべるとこう答えたのだ。
「私は明日から神子様の教育係兼護衛を務めさせて頂きます、クラトス・アウリオンと申す者でございます。以後お見知りおきを。」
「そう…」
 俺は青年から目を逸らした。
 結局この男が近付いて来たのも、自分が神子だから。用事が済めばまたさっさと自分から離れて行ってしまうに違いない。それならば適当に付き合っておけばいい。そう思っていた。
 でもそんな心の内とは裏腹に、俺は思いもかけない言葉を口にしていたんだ。
「…僕と踊ってくれる?」
 クラトスは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに元の表情に戻すと言った。
「神子はダンスがお好きか?」
「ううん、踊った事がないから分からないよ。ただ、中で踊っている人達がとてもきれいだったから。」
 断って来ると思っていた。でもクラトスはしばらくの沈黙の後、すっと手を差し出しこう言ったんだ。
「お手をどうぞ、神子。」
 俺達は屋敷から漏れてくる音楽に乗って踊り始めた。
 男同士で、大人と子供…傍から見たら、さぞやちんけな踊りに見えたことだろう。それでも俺は嬉しかった。こんな子供の戯言に付き合ってくれる大人がいた事に。
「…踊れたんだね。」
「こう見えて宮中に出入りしていた事もありましたからな。嗜み程度は。」
「ふ〜ん…。」
 意外だった。一見、ダンスとは無縁の存在に思えたから。

 もし自分が初めてでなかったなら…。
 もし自分が大人で、背も同じぐらいだったなら…。
 きっと中の人達のようにきれいに踊れていたに違いない。
 そうしたらどんなにか良かっただろう。

「僕が大人になったら、また踊ってくれる?」
「大人になれば私などではなくても、素敵な女性達が相手をしてくれるでしょう。」
「あなたがいいんだ。また踊ってくれる?」
「……そうですね。機会がありましたなら、ぜひ。」
「約束だよ。その時は今度は僕があなたをリードするからね。」

 これは俺がガキの頃の話だ。
 遥か昔に交わした他愛無い約束…。
 俺は時々ふと思い出す。
 でも彼はどうだろう?
 クラトスはあの約束を覚えているのだろうか?





 最近家の中の様子がおかしい。
 殺風景だった部屋に花が飾られ始め、花瓶の下にはレース編みの花瓶敷きが敷かれている。書斎の本やティッシュの箱が服を着ているし(カバーとも言う)、食器棚の中に見慣れぬ不恰好な湯飲み茶碗が増えている。そのどれもが手作りっぽいのだ。

 まさか女でも出来たのか?

 なんて頭を掠めたものの、あの天使様に限ってとすぐにその疑惑は振り払った。
 不思議な事はそれだけじゃなかった。ここ二三日、家の彼方此方に小銭を見付けるのだ。
 スリッパの中に1ガルドコインが入っていたり、風呂場や玄関のマットの下にもあった。そのぐらいなら何かの拍子に落としたのだろうとも思えるのだが、それ以外にもどう考えても落としようがないポストの中や食器棚の中からも発見されており、挙句に本に札が挟まれていたとなれば、もう尋常ではなくなる。

 天使様がしおり代わりに使ったとか?

 まさかね。いくら変人街道まっしぐらの天使様でもお金をそんな事に使ったりはしないでしょう。

 頭を捻ってあれこれと理由を考えてみるが結局分からず…。
 しかしそんなこんなで数日が過ぎた頃、ゼロスはようやくその答えを得る事が出来たのだった。




 「ピピピピピピ…」
 ゼロスは目覚ましを止めると、うーんと伸びをした。

 気持ちのいい朝だ。
 今日は仕事も休みだし、天使様と一日ゆっくりと過ごすとしよう。

 そんな事を考えながらニッコリと笑みを浮かべると、ベッドから抜け出しキッチンへ向かう。
「お早う、天使様!」
「ああ、ゼロス、お早う。」
 クラトスは既に起きており、いつものように白い割烹着姿で朝食作りの真っ最中であった。

 こうして毎朝天使様の笑顔を拝めるのは幸せな事だと思うけれど、あの割烹着は何とかならないものかね…。

 毎日のように「エプロンにしたら?」と言っているのだが、一向に改める様子はない。どうやらクラトスはあの割烹着を、家事をする時には必須の装備品だと思い込んでいるようだ。

 今度エプロンをプレゼントしてあげよう。
 もちろんフリルふりふりの可愛い奴をね。
 そうしたら以降はそれに切り替えてくれるかもしれない。

 ゼロスはエプロン姿の天使様を想像しながら、鼻歌交じりに冷蔵庫の扉を開いた。
 すると…
「?…何だこりゃ。」
 一番上の段に見慣れぬ小さな布袋がちょこなんと乗っている。
 首を傾げながら開けてみると、入っていたのは数枚の小銭だった。

「ちょ、ちょ、ちょ、天使様〜〜!!」

 ゼロスの叫び声にすぐ傍で朝食の支度をしていたクラトスが振り返った。
「どうした?変な声を出したりして。」
「お金が!…冷蔵庫の中にお金が!!最近多いんだよね。スリッパの中とかポストの中とか家中に小銭があって…。何だか気味が悪い!」
 するとクラトスはそんなゼロスにこう言ったのだった。
「ああ、それか。それなら心配はいらぬ。それは私のへそくりなのだよ。」
「へ?」
「私が置いたのだ。他にもあるぞ。この置時計の下とか、額縁の裏とか、テーブルクロスの下にも置いたな…。」
 クラトスは、目を丸くしているゼロスを尻目に居間へ行くと次々に自ら隠し場所を暴露して行く。
「あの〜、そうやって申告した時点でもうへそくりの意味がなくなるのでは…」
「そうなのか?…あ、そうそう、まだあった。庭にも埋めてあるし、トイレの中にも隠してある。」
「いや、だからね…」
「あとゴミ箱の底にも貼り付けておいたぞ。」
「……うっかり捨てないように気をつけてね。」
「フッ、私はそんなドジではない。」
「て言うかさ、そもそも天使様にはへそくりなんて必要ないっしょ。何か欲しい物があるのなら言ってくれればいつだってお小遣いをあげるよ。」
「へそくりのない主夫なんて、主夫ではないそうだ。」
「はい?…そんな事誰から聞いたの?(大体想像付くけど)」
 その質問に目を輝かせるクラトス。
 ゼロスはギクリとした。
「聞きたいか?」
「え?…い、いや…」
「話すと長くなるのだが、聞きたいか?」
「あ…ええと…長くなるのならまた今度……ね?」
「そうか!聞きたいか!!」
「いや、だからね…」
「嫌なのか?」
 悲しそうに目を伏せるクラトスを見て、ゼロスは小さく溜め息をつくと仕方なく頷いたのだった。
「…分かったよ。聞かせてもらいましょう。」
 ゼロスは、クラトスにはとことん甘いのであった。


 それから少し後、朝食を摂りながらクラトスは話し始めた。
「あれは数日前の事だった。買い物の帰り道、近所の主婦達の井戸端会議に出くわしたのだ。それでユウ・カンマダーム女史に誘われてな。仕方なく話に加わったのだ。」

(ユアンから聞いたんじゃなかったんだ…)

 ユウ・カンマダームはこの辺りの主婦連中のボス的存在で、三度の飯より他人の世話を焼く事が好きと言う非常にお節介な女性である。ゼロス達がこの屋敷に越して来た時にも真っ先に現れ、買い物ならどこの店が安いだの、散歩をするならどこどこが一番だの、色々と教授して来た。その後も度々現れては町の情報とかを延々と話して帰って行き、町でクラトスを見かければすぐに声をかけて来る。
 有り難い事だとは分かっている。彼女は彼女で、いつも一人でいるクラトスを心配してなんとか皆の仲間に入れようと心を砕いてくれているのだろう。
 しかしゼロス達としてはこうして二人で静かに暮らせていればいいわけで、はっきり言って彼女のお節介には少々辟易してしまっていたのだった。
 そこで最近はなるべく避けるようにしていたのだが、今回は運悪く捉まってしまい、彼女が善人だと分かっているが故に、クラトスも素気無くする事は出来なかったのだろう。

「それでその井戸端会議でカルチャーセンターに一緒に行かないかと誘われたのだ。」
「カルチャーセンター?」
 ゼロスはそこで初めて最近の屋敷内の変化に合点がいった気がした。あの手作りの品々はそこで習い覚えたものだったのだ。だが、何故その事にへそくりが関係してくるのかまではまだ見えてこなかった。
「もちろん私はそんな金はないと断った。そうしたら、ユウ・カンマダーム女史がこう言ったのだ。『あらクラトスさん、へそくりはないの?』とな。」

 はあ、成る程。そう繋がるわけね…。

「私はへそくりとは何なのか分からなかったが、なんとなくそれを尋ねるのは憚られてな。その内、『主婦(主夫)ならへそくりぐらい当然よ。』とか、『へそくりを使って趣味を楽しむ。これこそ主婦(主夫)の醍醐味じゃない!』とか、挙句に『へそくりを持たない主婦(主夫)なんて、主婦(主夫)ではない。』とまで言われてしまい、私は思わず『私とて、もちろんへそくりぐらい持っている!』と言ってしまったのだ。それで結局一緒にカルチャーセンターに通う羽目になってしまってな。」
「そ、そうなんだ。それは大変だったね。」
「まあ、それはそれで仕方がないとして、しかしへそくりの意味が分からないままでは私のプライドが許さない。そこで彼女達と別れた後、へそくりを手に入れるべく八百屋に向かったのだ。」
「はい?…何故八百屋?」
「へそくりと言う種類の栗があるのかと思ったのだ。」
「……はあ、左様ですか。」
「ところが、おやじに『へそくりが欲しいのだが』と言った所、大笑いされてしまった。」
「そりゃそうでしょ。」
「しかしそのすぐ後に丁寧に説明してくれたので、ようやくへそくりの意味が分かったのだ。思えばあの八百屋には世話になりっぱなしだ。買い物ついでに店に落ちている野菜くずを拾い集めてレジに行けば、いつもタダで持って行っていいよとおまけしてくれるし、本当にあのおやじは親切な御仁だな。」
 と、クラトスは感心しきりの様子であったが、ゼロスはそうはいかなかった。
 八百屋の店先で割烹着姿にて、一心不乱に野菜くずを拾っているクラトスの姿が脳裏に浮かんで来てしまったのだ。それは出来ればあまり想像したくない図であった。
「…あの〜、あんまりそう言うみっともない事はしないでもらいたいんですけど。」
 身震いしながらおずおずと進言するゼロス。
 しかしクラトスは不思議そうな表情で、
「何故?だってどうせ捨てられてしまうのだ。もったいないだろう?私達が食べてあげれば萎れた菜っ葉も幸せ一杯になれると言うものだ。」
「そりゃそうですけどね…。」
 ゼロスは溜め息をついた。
 どうやらクラトスには何を言っても無駄なようだ。もしかしたらクルシスでの4000年間、余程悲惨な生活を送ってきたのかもしれない。ユアンがケチなのもその所為なのか?

「…で、その八百屋のおやじの教えに従ってへそくりを始めたわけだね?」
「そう言う事だ。おかげで色々な習い事をする事が出来た。生け花にレース編みにパッチワーク、陶芸もやったな。」

 ゼロスはやっぱりなと思った。クラトスが上げた習い事は皆、最近家の中に増え始めた品物と一致する。やはりあれはクラトス自身が作ったものだったのだ。
 しかし今までの話からすると、無理矢理仲間に引き込まれたと言った感じで少々心配してしまったのだが、そんなきっかけは兎も角、今ではクラトス自身、心から楽しんでいるようなので安心した。その証拠に習い事の話をしている時、彼はとても嬉しそうで目を輝かせている。習っているものが女性っぽいものばかりなのが少々気になるが、クラトスが楽しいのならそれでいいのかもしれない。
 へそくりの件は時間をかけて説得し、止めさせるとしよう。
 すると、そんな事を考えているゼロスの横で、クラトスがカレンダーを見上げ呟いたのだった。
「そう言えば今日は確かダンスの日だったっけな。悪いが午後から出かけなければならない。」
「え?…ダンス?」

 その途端、ゼロスの脳裏に恒例の妄想が流れ始める。

『スロースロー、クイッククイック!スロースロー、クイッククイック!はい、くるっと回ってニャンニャンの目〜!』
 手拍子の音と共にカマっぽい講師の声が響く中、華麗に舞っている俺様とクラトス。
 俺様はもちろん燕尾服。そしてクラトスが着ているのはヒラヒラ〜でスケスケ〜のロングドレス。
 くるくると回る度に美しいおみ足がチラッと…。

『きれいだよ、クラトス。』
 と俺様が言えば、
『ゼロスも凛々しくて惚れ直してしまったぞ。』
 クラトスも頬を染めながら恥ずかしそうに言う。
『嗚呼、クラトス!』
『ゼロス!』
 そして二人は、『ハグしてチュ〜して、よよいのよい!』状態になるのであった。(何それ?)

 ウヒ、ウヒ、ウヒャヒャヒャヒャヒャ…こりゃ、堪らんわ。(←変態?)



「ゼロス…涎が垂れているぞ。」
「え?…あ、ああ…」
 クラトスの声に現実へと引き戻されたゼロスは、慌てて涎を拭うとジッとクラトスを見詰めた。
「何だ?どうした?」
「あのさ、そのダンス教室って飛び入り参加もできるわけ?」
「一日体験入学と言うものがある。一応予約制にはなっているが、平日の昼間のコースは空いているから何とかなるだろう。お前もやりたいのか?」
「うん、俺様もやりたい!天使様と一緒に踊りたい!!」
 それを聞いたクラトスはニッコリと笑った。
「そうか。では一緒に行くか。」
「うん!行く〜〜!!」

 と言うわけで、その日の午後、昼食を済ますとすぐにゼロス達は一緒にカルチャーセンターへ向かったのだった。





「はい、いっちに〜!いっちに〜!」
 自称インストラクターの声が響き渡る。
 壁一面の鏡の前で音楽に乗って踊っているおばさん達…。その動きは曲に全く合ってはおらず、まるで盆踊りのようである。
 その中にゼロスとクラトスはいた。
 自然、ゼロスの頭の中に疑問符が浮かんでくる。

 俺様ってば、何でこんなところに立っているんだろう?


 カルチャーセンターに着いて、クラトスから『これに着替えるように』と渡されたもの、それは社交ダンスの衣装ではなくレオタードであった。
 『何故にレオタード?』と首を傾げるのも束の間、無理矢理に着替えさせられた上に引き摺られるようにしてこの場に連れて来られたのだった。

 何だよ、これ!…ダンスはダンスでも、これってエアロビじゃねえか!!

 ようやく気付くも時すでに遅く、今ゼロスはおばさん連中に混じってエアロビ風盆踊りを踊らされている…と、こう言うわけであった。

 俺のハグは?チュ〜は?
 どこに行っちまったんだ〜〜!!

 心の中で絶叫するゼロス。
 するとそんなゼロスにインストラクターが声をかけて来た。
「ほらほら、そこの赤い髪のお兄さん、皆よりワンテンポ遅れ気味よ。頑張って!」
 そのままゼロスの前に立ち止まり彼の踊りをジッと見詰めている。
 どうやら問題児として目を付けられてしまったようだ。

 いや、周りの連中を見れば、遅れるも何も関係ないっしょ?
 すでに皆、曲に合ってはいないんだから…。

 でもそんな中でも更に自分が遅れてしまっている事は認めざるを得ない。なにしろこれは見た目よりかなりの重労働なのだ。

 最近、運動と言う運動はしていなかったからな…。
 体力が落ちているってコトか。

 それでもインストラクターが可愛いネエちゃんなら、まだ頑張ろうと言う気にもなれる。しかしそれがリーガルのおっさんを女にしたような婆さんとくれば、全くその気になれないのも仕方がないのではないだろうか。

「はい、右足を上げて〜!次は左足〜!今度は両足を上げて、そのまま十秒間ストップ〜!」

 そんな事出来っこねえだろ〜〜!
 己は奇術師か!!

 クラトスはと見れば、とても楽しげに汗を流している。でもゼロスはとてもじゃないがそんな気にはなれなかった。

 嗚呼、俺様ってば、何でこんなところに立っているんだろう?

 ゼロスは、なにやら急に悲しみが込み上げて来るのを感じていたのだった。




 その二時間後、ゼロス達は講座を終え家に帰ってきた。
「今日はいい汗が流せたな。だが、お前は慣れていないから疲れただろう。」
 そう言って紅茶を淹れてくれるクラトス。
 だがゼロスはまだあの悪夢から覚めきれていなかった。
「うん…いや、大丈夫だよ。」
「どうした?元気がないな。」
「え?そんな事ないって。俺様は元気一杯よ〜!」
 心配げに覗き込んでくるクラトスに向かって、ゼロスは無理矢理笑顔を作って見せる。

 天使様は悪くない。
 これは俺が勝手に想像して、勝手に期待していただけなんだもの。
 だから…悪いのは俺なんだ。

 そう思うようにしたものの、ゼロスはこれ以上この場に居た堪れず席を立った。
「ゼロス?」
「あ…ごめんね。ちょっと出かけてくるよ。やらなきゃならない仕事があったんだ。」
「しかし今日は仕事は休みなのだろう?」
「そうなんだけどね、明日提出しなくちゃならない書類があって…。ホント、ごめんね。」
 そしてゼロスは不思議そうな様子のクラトスを見ないようにして逃げるように家を飛び出して行ってしまったのだった。
「変な奴だな。ダンスが気に食わなかったのか?」
 しかしそもそも行きたいと言い出したのはゼロスの方なのだ。それなのに自分が想像していたものと違ったからと言って不貞腐れるのは我が儘と言うものだろう。
「だがゼロスはそんな奴ではなかった筈なのだが…」
 クラトスは訳が分からず首を捻った。その目が壁にかけてあるカレンダーに留まる。
「ん?…あれは?」
 さっきは気付かなかったが、今日の所に小さく印が付けてあったのだ。よく見れば卓上カレンダーにも同じような印が付いている。
 ぼんやりとそれを見詰めながら、昼間のゼロスの様子を思い返すクラトス。

 “うん、俺様もやりたい!天使様と一緒に踊りたい!!”

 しばらく考えた後、クラトスはハッとして顔を上げた。
「!!…そうか。今日は…」





 その頃、ゼロスはメルトキオにある屋敷の庭に佇んでいた。
 現在クラトスと共に暮らしている屋敷に引っ越してから、使用人達も皆別の奉公先へと移ってしまった為、今ここで暮らしている者は誰もいない。
 何度も売ろうと思った。しかしゼロスはここで生まれここで育ったのだ。思い出だけは沢山詰まっている。何よりここは愛する人と出会った大切な場所でもあるのだ。それでどうしても売る事が出来ず、こうしてまだ手元に残していたのだった。
 でも…

 結局、思い出を大切に抱えて生きて来たのは俺だけだったって事か。

 少し寂しい気もするけれど、仕方がないのかもしれない。第一、あんな昔の、しかもガキと交わした他愛無い約束を覚えていて欲しいだなんて思う方が無理があったんだ。

 もうこの屋敷は売ってしまおうと思った。
 でもその前に、もう一度だけこの目にしっかりと焼き付けておきたくて、こうして足を運んで来たのだった。

「そろそろ帰ろうか。天使様も心配するだろうし…。」
 そう言ってゼロスが、後ろ髪を引かれる思いを断ち切るかのように踵を返したその時だった。誰もいない筈の屋敷の中から突然音楽が流れて来たのだ。しかもそれは忘れようとて忘れられない思い出の曲であった。
「!?」
 そして驚きに目を見開くゼロスの耳に声が聞こえてくる。

「神子はダンスがお好きか?」

 声と共に姿を現したのはクラトスであった。
「あ……」

 覚えていてくれた?…天使様はあの約束を忘れていなかった?

「私と踊ってくれないか?もしあの日の約束がまだ生きているのであれば。」
 その言葉に、思わずゼロスの目に涙が込み上げてくる。

 こんな事で泣くなんて超恥ずかしかった。
 でも嬉しかったんだ。
 天使様があの約束をちゃんと覚えていてくれた事が、嬉しくて堪らなかったんだ。

「終わってなんていない……もちろんまだ約束は生きているよ。」
 そしてゼロスは涙を拭うと、笑顔を浮かべこう言ったのだった。
「天使様、お手をどうぞ!」

 当時と同じ男同士のダンス。
 でも、あの時とは確実に違っていた。
 俺は大人になり背丈だって大差なくなった。
 だから星空の下舞っている今の俺達の姿は、きっとキラキラと輝いて見えているに違いない。
 少年の頃に見たあの舞踏会の人達のように…。


−お手をどうぞ 終−