1.クラトスの決意


 クラトスがゼロスと共に暮らし始めて一年が過ぎた。
 その間、様々な事があったものの、主夫業をこなしつつ幸せな日々を送っていた。
 だが、いつ頃からだろうか。ゼロスの様子がどことなくおかしいと思い始めたのは…



 だんだんと春めいて穏やかな陽気となってきたある日の事。クラトスが洗濯物を干しているとロイドとコレットが訪ねて来た。
「久し振りだな、二人とも。元気そうで何よりだ。今日はまた突然にどうした?」
「え?…いや、父さんがどうしてるかと思ってさ。様子を見に来たんだ。」
「まあ、あがれ。貰い物のクッキーがあるのだが、二人とも食べるだろう?」
 クラトスは上機嫌で二人を家の居間へと通すと、クッキーとお茶を出し、向かいに腰を下ろした。
 ロイドとコレットはどこか居心地悪げにもじもじとしている。クラトスの不審げな視線を受け、コレットが慌てたようにクッキーを口へと放り込む。
「あ、こ、これすごく美味しいですね。エヘヘ…」
「何なのだ一体。話したい事があるのだろう?」
「そう言えばさ、ゼロスはどうしてる?あいつとはここの所さっぱり会わないからさ。」
「仕事がとても忙しいようだ。毎晩帰りが遅くてな。今日など泊りがけだそうなのだ。」
「泊まりがけ?」
 顔を見合わせるロイドとコレット。
「体を壊さねばいいのだが…心配してるのだ。」
「…あいつ、父さんに冷たくしてないだろうな。二人はうまくいってるのか?」
「…何故そんな事を聞く?…」
「え?だって仕事が忙しいって言うからさ、父さんに八つ当たりでもしてないかと思って…だって、あいつ俺に約束したんだぜ。父さんをきっと幸せにするってさ。」
 クラトスは微笑みを浮かべた。
「いらぬ心配をするな。ゼロスはとても優しくしてくれている。今私はとても幸せなのだ。」
「そ…そうか。それならいいんだ。そうだよな。あいつは父さんにベタ惚れだもんな。それに俺との約束を破ったらどうなるか十分分かっているはずだし…じゃ、この話はお終い。」
 きっぱりとそう言うと、ロイドは笑った。だが、クラトスには、その笑いがどこか不自然なものに思えて仕方なかったのだった。
 それからロイド達は、二度とゼロスの話題に触れようとはせず、しばらく取り留めのない話をすると早々に引き揚げていったのだった。

 その帰り道、ロイドとコレットは沈んでいた。
「とうとう言えなかったね、ロイド…」
「言えるわけないよな〜。」
「ねえ、ロイド。私思うんだけど、クラトスさんはもしかして気付いているんじゃないかな。本当の事は分からないまでも、ちょっと様子がおかしいって。」
 思わずコレットを見詰めるロイド。
「……そうだよな。父さんって他人の事にはひどく敏感だから……でも、これからあの二人、どうなっちゃうのかな。折角今度こそ父さんは幸せになれるって思ったんだけどな。」
「ゼロスを信じようよ。あの二人なら大丈夫だよ、きっと。」
「そうだよな。大丈夫だよな。」
 そう言いながらも、二人は再び大きな溜息をつくと、肩を落としたのだった。



 さて、話は一週間前にさかのぼる。
 話題の中心人物であるゼロスは、その日、国王に謁見していた。
「へ!?お見合い!?」
 国王の前にも関わらず、素っ頓狂な声を上げるゼロス。
 悪戯好きの国王はそんなゼロスを見て満足そうな笑みを浮かべた。
「ハッハッハ、驚いたようだな。実は大分前から考えておったのだ。神子が忙しく動き回ってくれたお陰で世界もようやく落ち着きを取り戻してきた。この辺りで神子も一息ついて、身を固めるのもよかろうと思ってな。」
「いや、俺…いえ、私はそんな気は…」
「相手はハリス卿の一人娘、リリア嬢じゃ。どうじゃ、申し分ない縁組じゃろう。」

 リリアの事ならよく知っている。昨今、身分の高い貴族の令嬢と言えばプライドばかり高く虚栄心の固まりのような女性ばかりだ。ゼロスもそんな中身の空っぽな連中に心底嫌気がさしていたのだが、このリリアは違っていた。美人で頭も良く心根も優しい、まさに三拍子そろった女性であった。
 不足等あろうはずがない。ないのだが…

 まいったな…。天使様との事はまだ陛下も知らないんだよね。
 相手は元クルシスの天使…しかも男…。

 本当の事を言ったら陛下はどう思うだろうか…。だが、こうなったらいつまでも隠しておく訳にもいかない。このままではひいてはリリアを傷つける事にもなるだろう。
 ゼロスは覚悟を決めて口を開きかけた。だが…
「実はもうここにリリアを呼んであるのだ。」

 陛下の言葉と共に、リリア、静々と登場。ゼロスに向かって華麗なお辞儀をしてみせたのだった。

「神子も、もうそろそろプレイボーイとしての名を返上して、一人の女性と家庭を築く事だ。家庭を持ってこそ一人前の男と言えよう。リリアは申し分ない女性だ。立派にそなたを支えて行く事だろう。マナの血族であるワイルダー家の発展はそのまま我が国の栄華につながるからな。その点を弁え、これからじっくりと親交を深めていくがよい。」
 ゼロスはそれ以上異を唱える事は出来なかった。
 これは事実上、国王からの勅命だったのである。

 それから一週間、ゼロスは仕事が終わるとリリアと会うという日々が続いていた。
 クラトスには、仕事が忙しいので遅くなると言ってきている。だが、毎日クラトスに嘘をついて家を出てくる事に苦痛を覚え始めていた。それは、リリアに対しても同じ事で…。
 ゼロスの心はもう決まっている。
 例えそれが神子として許されない事であろうが、世の中の道理に反していようが、今の自分にはクラトスと別れるなんて考えられない。
 このリリアがもっと高慢ちきで嫌な女だったらよかったのに…。
 そうすればこれがいくら国王陛下の命であろうが断わっていただろう。こうして彼女に偽物の笑顔を向ける事にも罪悪感の欠片も感じなかったに違いない。
 だが、リリアは本当に素晴らしい女性だった。その仕草の一つ一つが洗練されおり嫌味な所など微塵もない。それはまさに、心が純粋で知性をも兼ね備えている者だけが醸し出せる真の美しさであった。

(もし俺様に天使様がいなかったら迷いもなく彼女を受け入れていただろうな…でも、自分には天使様がいる。だからあんたとはもうこれ以上付き合う事は出来ないんだ。)

 ゼロスは毎日のように、今日こそは彼女に真実を語ろう、今日こそは絶対に断るぞ、と覚悟を決めてくるものの、その言葉は決して口から出る事はなく、ずるずると関係を続けてきているのだ。
 自分がこれ程情けない男だとは思わなかったと自己嫌悪に陥りながらも、今日も彼はリリアとデートしているのだった。




 ロイド達が帰った後、クラトスは家事を一通り終えるとメルトキオに来ていた。今日は泊まりだと言っていたゼロスに着替えを持ってきたのだった。
 クラトスはこの街があまり好きではない。もともと人ごみが嫌いな為街中は好きではないのだが、ここは特別だった。賑やかな街中には貴族が我が物顔で往来の真中を闊歩しており、女どもは他人の噂話や悪口に花を咲かせている。そんな中にいるとだんだん気分が悪くなってくるのだ。
 ゼロスはそれが分かっているから、二人の新居には郊外の家を買ってくれたのかもしれない。その結果、彼は毎日ここへと通わなければならなくなった訳で、その点では本当に申し訳なく思っている。
 今日も今日とて女どもは噂話に熱中しているようだった。
 クラトスはとりあえずゼロスに着替えを届けたら早々にこんな所からはおさらばすべきだろうと考え、輪になって話し込んでいる女性達の横を通り過ぎようとした。すると、そんなクラトスの耳に聞きなれた名前が飛び込んできて、彼は思わず足を止めたのだった。
「ねえ、聞いた?ゼロス様の事。」
「もちろんよ。お見合いの話でしょう?…私、ショックだったわ〜」
「でも、お相手はあのハリス卿の令嬢リリア様でしょう?それじゃあ、私達にはかないっこないわよね。」
「悔しいけどリリア様は本当に素敵な方ですもの。あの二人ならお似合いかもしれないわ。それに今回は陛下からのお話ですものね。ゼロス様も断れないんじゃないかしら。」
「あ、ほら、噂をすれば何とやらってね…」
 一人の女性が指さす方を見てみると、ゼロスがリリアと共にこちらへとやってくる所だった。
 クラトスは咄嗟に物陰へ身を隠し、二人の様子を窺い見る。
 こう言っては何だが、あのリリアという女性はそこに輪になっている者達とは格段に違っていた。質素なドレスに身をかためてはいたが、その身から漂う雰囲気から高貴な生まれである事が一目で分かる。まさにお姫様という形容がぴったりというような女性であった。
 ゼロスもいつもとは違う紳士的な笑みを浮かべ彼女をしっかりとエスコートしている。
 しばらく二人の様子を眺めていたクラトスであったが、その内に何とも言えない思いが湧き上がって来て、持ってきた着替えを抱きしめるとそれを渡す事も忘れ、そのまま逃げる様に家へと帰って行ったのだった。




 家へと逃げ帰ってきたクラトスは、電気もつけずに真っ暗な部屋の中でぼんやりと座り込んでいた。

“もちろんよ。お見合いの話でしょう?…私、ショックだったわ〜”
“悔しいけどリリア様は本当に素敵な方ですもの。あの二人ならお似合いかもしれないわ。それに今回は陛下からのお話ですものね。ゼロス様も断れないんじゃないかしら。”

 ここ数日、ゼロスの様子が何となくおかしいと思ってはいたが、こういう事だったのか……。
 そう言えば、今日来たロイド達の様子もおかしかった。
「知らなかったのは私だけだった、という事か…」

 まるでピエロだな…クラトスは苦笑した。

 いつかこんな日がくるのではないかと思っていた。自分は世界を混乱へと陥れたクルシスに属していた者で、ゼロスはマナの血族として人々から敬われている神子……一人は世界から切り離された古き時代の過去の人間、もう一人はこれからの未来を築いていく若者。こんな対照的な二人が共にやっていける筈等なかったのだ。
 分かっていたさ…分かってはいたが、せめて少しの間だけでも夢を見ていたかった。
 そう、この幸せな生活は夢だったのだ。儚く消えるべき運命の夢。
 もういいではないか。私はもう十分に幸せな夢を見させてもらった。だから今度はゼロスが、夢ではない現実の幸せを掴むべきなのだ。あの女性ならきっとあいつを幸せにしてくれるだろう。

 決意を固めたクラトスはノロノロと立ち上がると、便箋を取り出して手紙を書き始めたのだった。


 翌朝、まだ辺りも暗い内にクラトスは家を出た。荷物など殆どない身軽な姿だった。
 クラトスは門から出ると、今一度、一年間暮らしてきた建物を見上げた。その顔から次第に笑みがこぼれてくる。

 楽しかったな、ゼロス…二人で、怒ったり笑ったり。
 お前はこんな私に沢山の幸福な思い出を与えてくれた。この思い出があれば、私はこれから一人ででも生きていけるだろう。
 だから、お前は私の事など心配せずに、幸せになってくれ。私なら大丈夫だから。
 短い間だったが、幸せな夢を見させてくれて有難う。
 さようなら、ゼロス。お前こそ、私にとっては天使そのものだったよ…。

 クラトスは家に向かって一礼すると、それっきり振り返る事もせずに旅立っていったのだった。
 新しい自分自身の人生を見つける旅へと…


−つづく−