知恵袋


 最近クラトスが沈んでいる。
 どうやら主夫業でスランプに陥ったらしい。
 家事なんて適当にやってればいいんじゃないかって俺様は思うんだけど、天使様は変なところで真面目だからなあ。
 だから、俺様は言ってやったんだ。
 たまには気晴らしに外へ出かけてみればってね。
 今思えば、あの一言が全ての始まりだったわけで…。


 その日、ゼロスが帰宅すると、満面に笑みを湛えたクラトスが出迎えてくれた。
 沈み込んでいたクラトスは、最近殆ど笑みを浮かべる事などなかった為、ゼロスはその変化に驚きながらも、きっと気晴らし作戦がうまく行ったのだろうと心底喜んだのだった。
「よかった。スランプ脱出できたみたいだね。」
「ああ。散歩中に知り合いに偶然に会って、相談してみたら親身に答えてくれてな。今まで悩んでいた自分が馬鹿のように思えて来た。今ではモヤモヤも晴れてすっきりとした気分だ。色々と心配掛けてしまったがもう大丈夫だ。これからまた主夫業を頑張って行くからな。」

(相談って誰に…?)

 疑問がふとよぎったが、クラトスも元気になった事だし、この際そんな事はどうでもいいかと、ゼロスは浮かんだ疑問を即座に打ち消したのだった。
 ゼロスにとって、クラトスが元気である事が何より一番だったのである。
「そう、よかったね。でもあまり無理しないでね。」
「ああ。何事ものんびりとやって行く事が長続きの秘訣だそうだからな。私はどうも物事を難しく考えてしまう傾向にあるようだ。今日もその点をビシッと指摘されてしまった。これからはあまり考え過ぎぬよう心がけるつもりだ。」
「……ふ〜ん、そうなんだ…」

 やけにクラトスの性格を熟知した奴だな…。
 とすると、アドバイサーは、仲間の内の誰かか?

「ところでゼロス。晩御飯は?」
「あ、連絡しないでごめんね。今日は済ませてきちゃったんだ。」
「そうか。いや、別に気にする事はない。シチューだから明日温め直して食べるとしよう。ならば、風呂に入ってくるといい。丁度良い湯加減にしてあるから。」
「天使様は?」
「私は後でいい。風呂はご主人様が一番に入ると相場が決まっているからな。」
「随分律儀なんだね。それじゃあ遠慮なく…」



 こうして風呂場へとやってきたゼロス。
 軽く体を流してから、鼻歌交じりに浴槽に浸かる。
「ご主人さまか〜。いい響きだなあ。」
 早速、ゼロスの妄想が始まる。

“おや、神子様。こちらはどなた様で?”
“ああ、○○卿。そう言えば紹介がまだでしたね。これは、家内のクラトスです。”
“初めまして。ゼロスの家内のクラトスと申します。主人がいつもお世話になっております。”
“これはこれは…。また、なんとも可愛らしい(?)奥さまですなあ。お似合いのご夫婦でまったくもって羨ましい。”

「主人に家内に夫婦かあ……ムフフフフ…」
 含み笑いをしたゼロスは、ふと、風呂場に新しいオプションが増えているのに気付いた。良く見るとそのスイッチの上にジェットバスと書かれている。
「……ジェットバス?」
 きっとクラトスが、疲れて帰ってくる自分の為に風呂を改造したに違いない。
 今までクラトスの改良品には散々な目に遭わされているゼロスも、幸せ一杯の妄想直後だった為その事を失念していた。ついスイッチを押してしまったのである。
 それがこれから始まる悪夢の幕開けであった。

「ぐぎゃああああああああああ!!!!!」

 家中に轟き渡った悲鳴に、クラトスが押っ取り刀で駆け付けた。
 すると、凄まじい急流に押し潰されたゼロスが浴槽で溺れかけている。
「ゼ、ゼロス!大丈夫か!?」
 慌てて救い上げるクラトス。
「ゲホッ…ゴホッ……ちょっと、これジェット過ぎでしょうが!!」
「す、すまん。一応、自分で試してみたのだが…。ああ、試したのは風呂の水を取り換える前だから、お前が一番風呂なのは確かだぞ。」

 いや、この際一番風呂だろうが、そうでなかろうがそんな事は関係ないっしょ。
 てか、試したって、あんたどんな体のつくりをしているわけ?

「本当にすまなかった。お詫びに背中を流そうか?」
「へ?背中を流してくれるの?」
 途端に機嫌が良くなるゼロス。
「うむ。垢すりは健康にいいそうだからな。」
「へっへっへっ。じゃあ、お願いしちゃおうかなあ。」
 ホクホク顔で背中を向けようとしたゼロスは、クラトスが取り出した物を見て目を剥いた。
「ちょっ、天使様?それは何?」
「何って“亀の子たわし”だが?」
「そ、そ、それでやる気!?」
「垢すりにはこれが最適だそうなのだ。これでこうして力一杯擦ると血行が良くなる。」
 そう言って、ニッコリと笑ってゼロスを押さえつけるクラトス。
「あ、嫌、止めて。そんな事一体誰から聞いたの!?あ、駄目、そんな事したら俺様の柔肌が…ああ、いやっ!ギエエエエエエエエエッ〜〜!!」



 「大丈夫か、ゼロス?返す返す申し訳ない。お前は肌が弱かったのだな。」
 ゼロスは、真っ赤になった背中に軟膏を塗りたくり、バスロープを羽織ってテーブルに突っ伏していた。

 いや、肌が弱いとかそう言う次元の問題じゃないでしょ…。
 疲れた…本当に疲れた…

 本当なら文句の一つも言ってやりたいところだが、クラトスはクラトスで一所懸命に自分を癒そうとしてくれた訳だし、涙目で伏し目がちに謝って来られるとさすがに何も言えなくなってしまうゼロスであった。
「もういいよ。俺様は大丈夫だから、気にしないで。……ところでこれは?」
 テーブルの上に広げられているノートを目にしたゼロスは、それを手に取って見た。
「ああ、それか?今日から家計簿を付ける事にしたのだ。遣り繰り上手の主夫になろうと思ってな。」
「…それはいいけど、何で全部赤い字で書き込んであるわけ?」
「ん?家計簿とは赤い字で書くものだと教わったのだが違うのか?」
「……これも、親切な人に教えてもらったの?」
「うむ、そうだが…違うのか?」
「うん、ちょっとね。でも、今日は疲れたから明日教えてあげるよ。悪いけど、俺様先に休むね。」
 フラフラと寝室に向かうゼロス。
「本当にすまなかったな。ゆっくり休んでくれ。」
 いや、クラトスは悪くはない。悪いのは超純粋な彼に嘘を教えた奴の方だ。あの家計簿を見た途端、ゼロスは影で糸引く人物の正体がはっきりと分かったのだった。
「絶対に許さないからね。」
 明日にでも早速苦情を言いに行こうと決意したゼロスは、寝室のドアを怒りを込めてバタンと乱暴に押し開けた。
「え???」
 なんかベッドがいつもと違ってやけに丸いような…
 ゼロスは電気を付けてみた。そして、明るくなった寝室を見てあんぐりと口を開けたまま固まってしまう。
 天井からでっかいミラーボールがぶら下がっている。ベッドは円形に変わっており、周りは赤や黄色のド派手な装飾が施されていた。
「ここ…俺様の家だよねえ…」
 どこぞのラブホテルに迷い込んだ錯覚に陥っていると、そこへクラトスがやってきた。
「ゼロス。随分と乱暴にドアを開けたようだがやはり怒っているのか?」
 ゼロスは、呆然とした顔をクラトスへと向けた。
「いや、天使様の事は怒ってないよ。怒ってないんだけど……これって一体何?」
「ん?ああ、この寝室の事か。こうすればお前が喜ぶとのアドバイスに従ってリフォームしたのだ。気に入ってくれたか?」
 クラトスは部屋の電気を消すと、入口脇の棚の上に置いてあったリモコンを手に取った。
「ほら、ここを押すとだな…」
 ミラーボールが回りはじめ、部屋の中を赤や青や様々な色の光が飛び交う。
「お望みなら音楽もかける事が出来るのだぞ。」
 リモコンの操作と共に音楽が流れ始める。

(何故にベートーベンの「歓喜の歌」なわけ?…てか、これってもしかして誘ってるとか?)

 ゼロスはクラトスを上目遣いに見た。クラトスは自分の作品の出来栄えにすっかり満足しているようだった。
「このような環境で人は癒されると聞いて、疲れて帰ってくるお前の為に頑張って作ったんだ。我ながらいい出来だと思っているのだが、どうだ?癒されたか?」
「折角だからさ……」
 ゼロスはクラトスの手からリモコンをもぎ取りベットへ腰を下ろした。
「二人で癒されちゃおうよ。あんな事やこんな事なんてしちゃってさ。」
「二人で?あんな事やこんな事?」
「フフフ…またまたあ〜分かってるくせにとぼけちゃってえ〜。もう、俺様、爆発寸前だよ〜〜ん。」
「爆発するのか?何が?」
 首を傾げるクラトス。
 ゼロスの目には、その仕草がたまらなく可愛らしく映ったのだった。

(誘ってるよ。これは間違いない。天使様ったら、あんな顔して結構好きものだったんだねえ。ムフフ…)

「ん?このスイッチは何かな?」
「ああ、それを押すとベッドが回転するようになっている。」
「回転!!おお、ワンダフォ〜〜!さあ、天使様、二人で回る世界に酔いしれよお〜!!」(←何を言ってるんだこいつは…)

 ポチッ!
 ギュイイイイイイ〜〜〜〜ン!!

 ところが、スイッチが入ると同時に、ベッドは凄まじい程の高速回転で回りはじめたのだった。
「えっ!?何!?ギャアアアアアアアアア〜〜〜〜〜〜!!!!」
 ゼロスの体は瞬間浮き上がりベッドの外へと投げ出された。そしてそのまま勢い余って壁へと激突し目を回してしまったのだった。
「おお、素晴らしい効果だな。もう寝てしまったぞ。だが、ゼロス、そんな所で寝ては風邪を引くではないか。」
 そう言って、クラトスは、親切にゼロスをベッドへと寝かせてあげたのだった。




 それから数日後、ゼロスはある人物を訪ねた。
「神子か、久しぶりだな。入院していたと聞いたのだが、体はもういいのか?」
「お蔭さんで何とか退院できたよ。」
「それは何より。」
「……あんただろ?」
 ゼロスは目の前の人物―ユアンを睨みつけた。
「あんたが天使様に妙な事を吹き込んだんだろう!?」
「一体何の事だ?訳分からん。」
「これが、証拠だ!!」
 ビシッとクラトスの家計簿を付きつけるゼロス。
「これはこれは、見事に真っ赤っかだな。まるで我がレネゲードの経理帳簿のようではないか。」
「だと思ったよ。家計簿に赤字を書き込むなんて経験者じゃないと思い付かない事だからな。リーガルのおっさんはまずそんな事はないだろうし、他の連中はそもそも家計簿なんて付けていそうにないもんな。残るはあんただけだ。」
「フフフ…見事な推理だよ、明智君。そう、私が悩めるクラトスに知恵を授けてやったのだ。」
「あのさあ、あんまり変な事天使様に吹き込まないで欲しんだけどねえ。」
「失敬な奴だな。私は妙な事など教えとらんぞ。あれは『ユアンさんの知恵袋』だ。長年に渡る生活の知恵と言って貰いたいな。」
「何が知恵袋だ!!その嘘っぱちの生活の知恵とやらの所為で、俺様は酷い目に遭ったんだぞ!!」
「何故怒る?お前だって少しはいい気分に浸れたはずだろう?」
「……」
「それに、クラトスをからかうのは私の唯一のストレス解消法なのだ。もう、面白くって止められん。」
「てめえ…」
 ゼロスの体が怒りに震える。
「そんな事の為によくもあの純粋可憐な天使様を騙しやがったな。許さねえ…ぜってーに許さねえからなっ!!」
 ゼロスが怒りの鉄拳をお見舞いしようとしたその時、

「今言った事は本当か?」

 突然聞こえてきた声にぎょっとして振り返る二人。
 そこにはどす黒いオーラを放ったクラトスが立っていた。
「て、天使様?何故ここに…」
「お前の様子がおかしかったので後を付けて来たのだ。……それより、ユアン、今言った事は本当か?お前は私をからかったのか?」
「お、お、落ち着け。」
 ユアンはゼロスを盾にした。
「私は嘘は言ってないぞ。垢すりが健康にいいのは本当だし、あの環境に男どもが癒されるのも本当だ。まあ、ちょっと言葉が足りなかった所はあるかもしれんが…家計簿にしたって、私は長年赤字続きだった為、つい赤で書くものだと言ってしまっただけなんだ。決していたいけなお前を騙そうなんて気はこれっぽっちもなかった。現に神子だっていい思いができたと喜んでいるではないか。」
「ちょ…俺様は喜んでなんかいないっしょ。それより、何やってんのあんた。俺様盾にするの止めてくんない?」

「……私は傷付いた…大いに傷付いたぞ。」
 剣を抜き、のっしのっしと近付いてくるクラトス。

「待て、クラトス。私が悪かった。お前はからかいがいがあるものだから、つい…」
「は、離せよ、ユアン。俺様まで巻き添えになっちまうでしょうが!!」

 『シャイニング・バインド!!!』

「「ギャアアアアアアアア〜〜〜〜!!!」」

 こうして、ゼロスは、再び病院へ逆戻りとなったのであった。
 何故俺様までがと嘆いていたものの、毎日通って来ては甲斐甲斐しく世話をしてくれるクラトスのお陰で至福の時を過ごす事ができたのであった。
 その間、同室のユアンは放って置かれたという。


−知恵袋 終−




私は一体、何を書いているのだろう… ゼロス狂っちゃってるよ。 てか、これってパワフル主夫か?