ゼロス君の子守唄


「つまらねえよ。」
 そう言って、黒板上の文字の羅列を眺めながら大欠伸をしたゼロスを見て、ユアンはムッとした表情を浮かべると、持っていたチョークを投げつけた。
「おい、もっと真面目に取り組まんか!四大天使たる私が、多忙の合間を縫ってわざわざこうして講義してやっているのだぞ。」
 前回の話から一ヶ月後に魔導注入を受けたゼロスは、現在魔術の勉強をするために毎日クルシスへと通って来ている。講義はユアンが担当しているのだが、ゼロスにとっては、それが面白くないらしい。
「別に俺が頼んだわけじゃねえ。俺の為にあんたの貴重な時間とやらを割いてもらうのも悪いからさ、もう止めにしない?」
「魔術が使えなければ役に立たんだろうが。せっかく高い金をかけて魔導注入してやったんだ。お前にはその分しっかりと働いて貰わねば困る。」
「だからさ、俺が頼んだわけじゃないって言っているだろう。大体、何であんたが先生なわけ?俺としてはもう一人の…」
「クラトスなら、まだ元の姿に戻っていないから駄目だ。あんなガキでは教える事など無理だろう。」
「それでもあんたよりはマシだと思うけれどね。」
 そう言って黒板へ目をやるゼロス。そこにはこう書かれていた。

 火の魔法を唱える時→ガッハッハッ、燃えろ、燃えろ〜と念じる。
 雷の魔法を唱える時→グヘヘ〜〜、雷に貫かれてしまえ〜と念じる。
 地の魔法を唱える時→ウヒャヒャヒャ、猛る大地にのまれてしまえ〜と念じる。
 回復魔法→痛いの痛いの飛んで行け〜と念じる。

「これのどこがいけないと言うのだ?分かりやすい内容で素晴らしいと思うが?」
「あんたの言う通りにやっていると、だんだんと自分が変質者のように思えてくる…。大体、念じりゃ簡単に出来るものなら、そもそも教えてもらう必要なんてないっしょ?」
「だがこれ以外に説明の仕様がないのだから仕方があるまい。」
 それはそうかもしれない。何しろユアンはハーフエルフで、生まれた時からマナと共に生きて来た。魔術だって、気付いたら自然に使えるようになっていたのだろう。そんな彼に、今までマナを目にした事がなかった人間相手に使用方法を伝授するなど、最初から無理な話だったのだ。
 これがクラトスだったらどうだろう?
 彼は元々人間である。彼の場合、魔法が使えるようになった経緯も自分に近いものがあるだろうから、恐らくユアンよりは分かりやすく教えてくれるに違いない。
 すると、そんな事をぼんやりと考えているゼロスに、ユアンが不機嫌そうな声を出してきたのだった。
「またクラトスの事を考えているな?クラトスならもっと上手に教えてくれると思っているのだろう!?」
 最後の方には殆ど叫び声になっていた。その今までとは違う語調の激しさに、ゼロスが思わずユアンを見上げると、彼は必死に怒りを抑えている様子でゼロスを睨みつけていた。
 これが完全に八つ当たりである事はユアンにも分かっている。大人げない行動だとも思う。だが溢れ出した感情は止まる事を知らず、気が付くとユアンの口からは次々に恨み言が飛び出していた。
「大体、お前らはなんなのだ。事あるごとに、これがクラトスならこうはならないだろう、クラトスならもっとうまく処理出来た筈だ…クラトス、クラトス、クラトス!!!私は、クラトスではない!!私には私のやり方というものがあるのだ。それなのにお前らはそれを全て否定する。クラトスだけが正しいと思い込んでいる。だったら私は何なのだ?何故私はここにいる?何故誰も私自身を見てくれようとしないのだ!!」

 それはあんたがドジだから……とは、とてもじゃないが言える雰囲気ではなく、ゼロスはエキサイトしているユアンを、ただ、ただ、呆然と眺めていた。

 実はユアンは今、非常に苛々としていたのである。その原因はク〜にあった。
 ユグドラシルはク〜を猫可愛がりしているが、それはただ可愛がっているだけで、もともと面倒な事が嫌いな彼は、世話の一切をユアンに押し付けていたのである。
 これが普通の状態のクラトスであったなら問題はなかった。普段の彼ならば、少々気に食わない事があっても文句など言ったりしないからだ。だが、今の彼はク〜の姿にされており、その性格は大人だった時とは正反対のものなのであった。
 自分の思う通りにいかないと、泣くや喚くやものすごい騒ぎとなり、酷い時には蹴飛ばしてくる事さえあった。注意しても聞こうとはせず、それどころか、ユグドラシルの口調を真似てユアンを「ドジ」呼ばわりしてくる始末。いくら自分の名前はユアンなのだと教えても、一向に改める様子はない。
 次第にユアンの中で苛々が蓄積されて行き、その抑えていた感情は、ゼロスのやる気のない態度によって爆発してしまったのであった。

 ユアンの愚痴はまだ続いていた。
「どうせお前も、私ではなくクラトスに教えてもらってさえいれば、今頃とっくに術が使えるようになっていたに違いない、とでも思っているのだろう。だが残念だったな。さっきも言ったように、あいつはまだク〜の姿のままだ。それにあの事件以来、ユグドラシルがお前にだけは会わせないようにと目を光らせている。お前は嫌でも私から教わるしかないんだよ!」
 だがここに来て、ようやくこのまま愚痴を言い続けた所でどうにもならないと気が付いたのか、ユアンは深呼吸をして自分を落ち着かせると、気を取り直して再び講義を始めようとした。
 しかし一旦吹き出してしまった怒りはそう簡単には抑える事が出来ず、ついには手に取ったチョークを床に叩きつけると、
「くっそお、ユグドラシルの野郎。嫌な事は全て私に押しつけやがって!馬鹿にするのもいい加減にしろってんだ!くそ面白くもない!!」
 そう喚き散らしながら部屋を飛び出して行ってしまったのだった。
 一人部屋に残され、唖然とするゼロス。
「…なんだ、あれ?もしかして男のヒステリーってやつ?」
 とにかく、教師が職場放棄をしていなくなってしまった以上、いつまでもここに座っていても仕方がない。
 そこでゼロスは、肩をすくめながら荷物を片付けるとデリス・カーラーンを後にしたのだった。




 テセアラに戻って来たゼロスは、口笛を吹き吹き我が家へと向かっていた。すると町の一角の花壇の辺りに人だかりがしている。何事かと人混みを掻き分けながら最前列へ辿り着いたゼロスは、そこで信じられないものを目にしたのだった。
 なんとそこには羽を出した状態のク〜が座り込んでおり、花壇の花々を片っ端から引っこ抜いていたのである。
「ク…ク〜!?」
 その声に振り返ったク〜は、ゼロスの姿を認めると嬉しそうに駆け寄って来た。
「ゼロ?…ゼロだ〜、間違いない!わ〜い、やっぱりまた会えた。あのね、ク〜はゼロにまた会いたかったから、いっしょうけんめ〜良い子にしていたんだよ。そうしたらまた会えた…ゼロが言った通りだったね。」
「て言うか、お前、一体何をしているんだよ。」
「うん?…あのね、お花をとってたの。」
「あのな、ここは町の花壇なの。良い子だったらそんな事しちゃ駄目っしょ!」
「どして?」
「どしてって……これは見る為のもので、引っこ抜く為のものじゃないの。」
「ふ〜ん。そうなの?」
 ク〜は、その説明にも未だ納得できてはいない様子で、不思議そうな表情を浮かべている。
 ゼロスは頭を抱えた。

 (どうしてこいつは会う度に問題を起こすんだ!?)

 するとそんな二人の背後から、野次馬連中のヒソヒソと話す声が聞こえてくる。
「ねえ、あの子、羽が生えてるわよ。モンスターなのかしら?」
「やだわ。早く出て行ってくれないかしら。気味が悪いわ。」
「だが、神子様と楽しそうに話しているぞ?」
「さすが神子様だ。モンスターともお知り合いと見える。」
 ゼロスは慌てて説明を始めた。
「違うって。この子はモンスターなんかじゃなくて、この羽は……そ、そう、幼稚園の発表会で使用するもので、この子はその練習をしていただけなんだ。」
「へえ〜、最近の幼稚園は花を引っこ抜くお遊戯なんてするのか…。世の中変わったねえ。」
「そ、それは……う、生まれたばかりで善悪の区別がつかない天使が、旅をしながら色々と学んでいくと言う壮大なスケールのお遊戯で…。」
「ふ〜ん、聞いた事がないわね。」
「まあ、とにかくその花壇は神子様がちゃんと直しておいておくれよ。」
 どうやらこのゼロスの出鱈目な説明も、町の人々は首を傾げながらも受け入れてくれたようだった。次第に人の波が引いて行く。
 ホッと胸を撫で下ろすゼロス。
「ねえ、ゼロ。よ〜ちえんってなあに?」
「幼稚園っていうのはお前みたいなガキンチョが集まって、皆で歌ったり、踊ったりとワイワイやる所だ。」
「ふ〜ん。楽しそうだねえ。ク〜も行きたいな。」
「そうかい。だったら今度ミ〜にでも頼んでみるんだな……とにかく今は羽を仕舞ってうちに来い。話はそれからだ。」
 ゼロスは溜息をついてク〜を抱き上げると、屋敷に向かったのだった。


 「どうして花を引っこ抜いたりしたんだ?」
 ゼロスは居間のソファーにク〜を座らせると、早速説教を始めた。すると…
「だって、明日はママの日でしょ。ママの日にはお花をプレゼントするんだって、ご本に書いてあったよ。だからお花を集めてたの。」

 (ママの日?…ああ、母の日の事か。)

「しかしお前にはもう…」
「うん…ク〜のママはいないけれど、あげたい人がいるの。」
「あげたい人?」
 ゼロスは首を傾げた。

 (ク〜の周りにいる女性と言ったら、プロネーマぐらいしか思い当たらないが…まさかね…どう考えてもあいつはママって柄じゃないもんな。)

「一体誰に?」
「ないしょ。」
 楽しそうに笑うク〜。
 ゼロスは肩をすくめると、
「まあいいさ。それならうちの庭にある花をとって行けばいい。うちのものなら好きなだけ持って行ってくれて構わないからさ。あいにくとカーネーションはないけどな。」
「かあね〜しょん?」
「いや、こっちの話。」
 一々説明するのが面倒くさくなったゼロスは適当に誤魔化すと、ク〜を抱き上げ庭に連れて行った。
 途端に目を輝かせるク〜。
「わ〜、すごい!きれいなお花が一杯だね。どれをとってもいいの?」
「ああ。好きなのを持っていくがいいさ。」
 ク〜は嬉しそうにニッコリと笑うと、花を選び出した。
 久し振りに見るク〜の笑顔に、思わず自分も笑顔を浮かべてしまうゼロス。
「ねえ、ところでゼロはどこにお出かけしていたの?」
「ん?…ちょっと魔法の勉強をやりにね…」
 その答えに、ク〜は驚いたようにゼロスの方へ振り返った。
「ゼロもまほ〜が使えるようになったの?」
「まあな。でも、まだうまく出来ねえけど。」
「そうだよね。まほ〜って難しいもんね…ク〜が教えてあげられればいいんだけど、ク〜もね、まほ〜はあんまり得意じゃないの。」
 恐らくゼロスの口調の中にある苛立ちを敏感に感じ取ってしまったのだろう…ク〜は難しい顔をしながら、なんとか力になれないものかと必死に考えこんでいる様子だ。
 ゼロスは苦笑を浮かべた。
「馬鹿。子供のくせに変な事に気を回すんじゃねえよ。俺なら大丈夫。自分でなんとかするからさ。」
「あ、でもね、ク〜はね、まほ〜を使う時は、いつも大好きな人の顔を思い浮かべているよ。」
「え?」
「大好きな人の顔を思い浮かべて、この人を助けたいって、いっぱい、いっぱい思うの。そうすると自然に、まほ〜が出てくるんだよ。」

 いっぱい思う?…それじゃあ、ユアンが言っていたのと同じじゃねえか。
 と言う事は、もしかしてユアンの頭ってク〜並みだとか?

「人を助けるねえ…そんな事、考えた事なかったな。だってそうだろ?自分の身を守ることだけで精一杯なんだ。他人の事に気を回している余裕なんてあるわけないさ。」
 そう言って肩をすくめてみせるゼロス。
 しかしそんなゼロスに、ク〜はこう言ったのだった。
「でも、まほ〜って人を助ける為にあるんでしょう。助けたいって気持ちがなくっちゃマナは力を貸してくれないんじゃないかな。だからゼロも助けたいって思えばきっと出来るようになるよ。」

 ゼロスは驚きの表情を浮かべると、まじまじとク〜を見詰めた。

 こいつは時々、ハッとさせられるような大人びた事を言う。そりゃ、その実体は4000年も生きて来た立派な大人なわけだが、今はその記憶を持っていないただの子供の筈なんだ。それなのに…。

 だが当のク〜は、もう魔法の話には関心が失せてしまった様子で、再び花選びに熱中していた。この移り気の速さは、ある意味子供の特権なのかもしれない。
「ホント、不思議な奴だな、お前って…。」
 ゼロスは楽しげに花を選んでいるク〜を眺めながら、そう呟いたのだった。

 そしてしばらく後、ク〜は両手一杯に花を抱えて満足気にデリス・カーラーンへ帰っていったのだった。

 それを見送ったゼロスは、ク〜から言われた事を急に試してみたくなり、木の方に向き直ると意識を集中させた。

 “大好きな人の顔を思い浮かべて、この人を助けたいって、いっぱい、いっぱい思うの。”
 “まほ〜って人を助ける為にあるんでしょう。助けたいって気持ちがなくっちゃマナは力を貸してくれないんじゃないかな。”

「魔法は人を助ける為にある、か…。そうだな。そうだったんだよな。俺はただ単に自分が強くなりたいが為にクルシスの誘いに乗って魔導注入を受けたわけじゃない。あんたを助けたかったから強くなる事を望んだんだった。」
 目を閉じたゼロスの中で、徐々に魔力が高まって来る。そしてその力を全てクラトスへの思いに変えて放出した。
「ファイアボール!!」
 ゼロスの手から放たれた三つの火の玉は狙いを外す事無く、木を直撃した。
「…出来た?」
 信じられないと言うような表情で自分の手を見詰めるゼロス。
「フ…まさかこんな事で出来るようになるとはな。ありがとな、ク〜。してみると、ユアンが言っていた事もまんざら嘘ではなかったって事か。今度あいつに会ったら謝らなきゃならねえかもな。」
 それからゼロスは花壇の方へ視線を戻した。

 母の日のプレゼントか…例え母親はいなくても、あいつには渡したいと思えるような存在がちゃんといたんだな。
 だったら俺は?

 ゼロスの頭に、ふと在りし日の母の姿が浮かんでくる。
「違う!あいつは違う!俺には母親なんて最初からいなかった…そうさ。あんな愚かな女が母親であるはずがない!」
 叫ぶようにそう言うと木へと向き直るゼロス。そしてまるで浮かんできた母の姿を振り払うかのように、木に向かってひたすら魔法を繰り出し続けたのだった。




 そして翌日…。
 ユアンの癇癪はまだ治まらずにいた。ブツブツと文句を言いながら廊下を歩いているその様は、傍から見たら丸っきり変質者であった。同じ廊下を行き交うハーフエルフや天使達も、心なしか、なるべく彼から離れるようにして歩いているように見える。
 そんなユアンにトコトコと近付いてきた命知らずが一名。言うまでもなくク〜であった。
「ドジ〜、どうしたの?元気ないね〜。」
 ユアンはク〜を冷たい目で見下ろすと、不機嫌な声で言った。
「私はドジと言う名前ではない。何度言ったら分かるんだ。このクソガキ!」
 しかしク〜はユアンの不機嫌さなど全く意に介さない様子で、綺麗なリボンが結ばれている花束を差し出して来たのだった。
「これあげるから元気出してね。」
 思わず目を丸くするユアン。
「なんだ…この花は…」
「ドジ、知らないの?今日はママの日なんだよ。だから、これはク〜からドジへのプレゼント!」

 (は?ママの日?……ああ、そう言えば今日は母の日だったな。しかし、何故そこに私が出てくるのだ?)

 ユアンはあんぐりと口を開けてク〜と花とを見比べていたが、その内だんだんと怒りがこみ上げてきて、次の瞬間、その花をもぎ取ると廊下に叩きつけていた。
「あ…」
 それを見て悲しげな声を上げるク〜。
 しかしユアンの怒りは治まらなかった。
「ふざけるな!何が母の日だ。何故私がお前なんかの母親にならにゃあならんのだ。どうせまた何か悪戯をしようとでも企んでいるのだろう?馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」
 怒りも露わにク〜を睨み付けると、くるりと背を向け歩き出すユアン。

 (そうだとも。この私の苛々の原因は全てあいつにある。みんなあいつが悪いんだ!)

 すると、そんなユアンに向かって、ク〜の悲鳴にも似た声が投げかけられたのだった。
「だって、ママだもん!」
「???」
 思わず足を止め振り返るユアン。ク〜は涙を溜めた目で自分を見詰めていた。
「ドジはク〜のホントのママじゃないけど、ご飯を作ってくれるし遊んでくれる。おねだりすれば、絵本だって読んでくれる。だからク〜にとってはママなんだもん!!だからお花をあげようと思ったのに…」
「!!!」
「ドジのバカっ!ドジなんて大嫌いだ!!…うわあ〜〜ん!!」
 最後に丸めた紙を投げつけると、ク〜は泣きながら走って行ってしまった。
 それを拾い上げ、読んでみるユアン。そこには子供らしい曲がりくねった字でこう書かれていた。

 『いつも遊んでくれてありがとう。これからもいっぱい遊んでね。大好きだよ、ドジ。』

「……」
 ユアンは手紙を手にしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがてその手紙を丁寧に畳んでポケットに仕舞うと、床に散らばった花を拾い始めたのだった。


 一方、走り去ったク〜は、救いの塔にやってきていた。
 ここから下界に降りられる事は分かっていた。今までもク〜は、退屈になるといつもミ〜の目を盗んではここから下界に降り、野原を散歩したり、昼寝をしたりしていたのであった。その度に直ぐに連れ戻されていたが…。
 ヒック、ヒックとしゃくり上げながら、出口へと向かうク〜。
「喜んでくれると思ったのに…やっぱりドジはク〜の事が嫌いだったんだ。いいもん。ク〜だってドジの事なんか嫌いなんだもん…」
 ひたすらユアンへの文句を並びたてながら歩き続けているク〜の手には、綺麗に束ねられたもう一つの花束が握られていた。
 実はク〜にはもう一つ目的があったのだった。

 それはこのもう一つの花束をゼロスに渡す事。そして…。

 ところが、ようやく出口に着いたク〜が羽を広げまさに飛び立たんとしたその時、彼を呼びとめる声が背後から聞こえて来たのだった。

「どこへ行くんだい、ク〜。」

 ギクリと身を強張らせゆっくりと振り向くと、そこには怖い顔をしたユグドラシルの姿が…。
「ミ〜……あ、あのね、ちょっとゼロのところに…」
「このデリス・カーラーンから出てはいけないと言っただろう?」
「直ぐに戻るよ。この花を渡したら直ぐに。だから…」
「駄・目・だ!あの男に会う事は許さん。さあ、部屋に戻るんだ。」
 ク〜の手を掴み、部屋へ連行しようとするユグドラシル。しかしク〜は必死に食い下がった。
「どうして駄目なの?ゼロは優しいよ。」
「お前は騙されているんだよ。いいか?男はみんな狼なのだ。上辺に騙されていると、今にガブッと食われてしまうぞ。」
「ゼロはそんな事しないもん!ゼロは…」
「いいから、来なさい!」
 ユグドラシルは泣き喚くク〜を抱き上げると、部屋まで連れて行き、外から鍵をかけてしまった。
「言う事を聞かない子はお仕置きだ。今日は一日そこで反省していなさい。」
「いや〜、出して。出してよ〜〜!!ミ〜の意地悪〜〜!!」
 しかしいくら叫んでも、もうユグドラシルは行ってしまったようで返事は返ってこない。
 それでもク〜は諦めずに何とかして外へ出ようと試みるのだが、どんなに力一杯ドアに体当たりしようとも、ク〜の小さな体では鍵のかかったドアを破る事は叶わず、ついにはドアの前にペタンと座り込むと大声で泣き出してしまったのだった。


 それから数分後、ク〜は泣き疲れた様子でベッドに腰かけてしょぼんとしていた。するとそこへ、鍵を開ける音がしたと思ったらなんとユアンが部屋に入って来たのだった。
「え?……ドジ?」
 驚いてユアンを見詰めるク〜の目が、その胸元のポケットに止まった。そこにはさっき捨てられたはずの花が挿されている。
「あ…」
 ク〜の視線に気づいたユアンはコホンと咳払いをすると、真っ赤になって意味不明な事を言い出した。
「これか?せっかく咲いているものを捨てるのはさすがに忍び難かったものでな……いや、そうではなく…何を言っているのだ、私は…こんな事が言いたかったわけじゃなかろうが…その…つまり…私が言いたいのはだな…」
 ポカリと自分の頭を叩くユアン。
「…その…さっきは済まなかった。ちょっと苛々としていたもので、ついお前に当たってしまったのだ。どうか許してほしい。そして…その…なんだ…素敵なプレゼントを有難うな…」
 そう言って恥ずかしそうに目を逸らすユアンを見て、ク〜はニッコリと笑った。
「もういいの。だって、ドジはそうやって花をつけてくれたんだもん。」

 そうだ。この笑顔だ…。
 この屈託のない笑顔を見ていると、些細な事に腹を立てていた自分が馬鹿らしく思えてきてしまう。
 憎しみや嫉妬心、それら醜いものを全て浄化してしまうかのようなこの笑顔…。
 もしかしたらこれは、クラトスが元々持っていたものなのではないか?
 普段は心の奥底に抑え込まれているそれが、全く飾る事を知らないク〜という存在を通して表に出て来た…。
 だとしたら、このク〜は、全ての壁を取り払った本来のクラトスの姿そのものなのかもしれない…。

 道理で、どいつもこいつも奴に惹かれてしまうわけだ。
 こんなにも綺麗な心の持ち主に惹かれない方がおかしい。
 斯く言う私もそんな一人なのかもしれないが…。

 ユアンは溜息をつくと、ク〜の手を取った。
「行くぞ。」
「え?」
「ゼロスの所へ行きたいのであろう?」
「連れて行ってくれるの?…でも、そんな事をしたらドジがミ〜に怒られちゃうよ。」
 心配そうなク〜を見て、ユアンは苦笑を浮かべた。
「構わんさ。どうせ私はドジで役立たずな男だと思われているのだからな。今更一つや二つ小言が増えたとて、屁とも思わんよ。」
「ありがとう、ドジ!」
「ほら、感激している暇があったらさっさと行くぞ。ユグドラシルに見つかったら面倒だからな。」

 こうしてユアンはク〜を抱き上げると、救いの塔へと向かったのであった。




 その頃、ゼロスは母親の墓の前にいた。
 何故ここに来てしまったのかは分からない。だが、母の日で盛り上がっている町の様子を見ていたら自然に足が向いてしまったのだった。

「馬鹿みてえ。こんな見ず知らすの女の墓にやって来て、俺は一体何をしようとしているんだ?」

 そうとも。こんな女は俺は知らねえ。
 あんたが俺の存在を否定するなら、俺だってあんたの存在を否定してやるさ。

 ゼロスはしばらくの間墓を睨みつけながら立っていたが、やがて小さく肩を竦めると、くるりと背を向けそのまま立ち去ろうとした。
 すると…
「あ、ゼロ、やっぱりここにいた!」

 (え?…ク〜?)

 上の方から声が聞こえたと思ったら、ユアンに抱かれたク〜が目の前に下りてきたのだった。
 ク〜はユアンの胸から飛び降りると、トコトコとゼロスに近付いて来て例の花を差し出した。
「はい、これ。」
「これは…」
「ゼロがママにあげる分をク〜が作ったの。これをあげたら、ゼロのママはきっと喜ぶよ。」
 だがゼロスは複雑な表情を浮かべながらそれをつき返した。
「そんなもん、いらねえよ。」
「どして?」
「この女はな、俺なんていなければいいと思っていたんだ。そんな俺から花を貰ったって喜ぶはずがないだろう。」
「どしてそんな風に思うの?だってゼロのママなんでしょう。喜ばないはずないよ。」
「どうして、どうしてってうるせえな。喜ばないって言ったら喜ばないんだよ。何も知らないくせに余計な事をするんじゃねえっ!!」
「…知ってるよ。」
 驚いたようにク〜を見やるゼロス。
「前に、セバ…セバ…なんとかさんから聞いたんだ。昔、ゼロのママがゼロに酷い事を言ったって…。どうしてママがゼロにそんな事を言ったのかは、ク〜には分からない。でも、もしかしたらママは寂しかったんじゃないかな。」
「えっ?」
「周りに心許せる人がいなくて、それで唯一心を許す事が出来ていたゼロに、思わず当たってしまったんじゃないかな。」
「馬鹿な。そんな事あり得ない!」
「……そうやって人を否定し続けていて、ゼロは疲れない?」
「……」
「人を憎み続けるのって、疲れるよね。ましてや、ゼロのママはもう死んじゃったんだもん。これから先、いつまでたってもお互いに許し合う事が出来ない。だから、ゼロだけでも許してあげたら?もういいじゃない。ゼロのママは謝りたくても、もう謝れないんだから。」
 その言葉はどう考えても子供の言葉ではなく、ゼロスはいつの間にかク〜ではなくクラトスを前にしているような錯覚を覚え始めていた。思わずその唇から呟きが漏れる。
「天使様…」
「え?…天使様?」
 キョトンとした様子のク〜を見て、苦笑を浮かべるゼロス。
「いや…なんでもねえよ、こっちの話…。そうだな…確かにお前が言っているのは正論だよ。でもな、人の心ってやつはそう簡単に整理できるもんじゃねえんだ。特に長い間憎み続けて来た者にとってはな。でも…」
 そしてしばし迷った後、差し出されていた花束を手に取ったのだった。
「ゼロ!」
 嬉しそうな声を上げるク〜。
「…お前が言うように、憎み続けるっていうのも疲れるからな。それに今日は母の日…。この気持ちを整理し始めるには丁度いい区切りの日かもしれない。お前が折角綺麗な花束にして来てくれたんだ。墓前に供えてやるのも悪くはない。」
 相変わらずの憎まれ口をたたきながらも、ゼロスは再び墓の前に立った。

 正直、まだ俺はあんたを許す事なんて出来ない。
 でも、どんなに憎んでみた所で、結局あんたは俺の母親なんだよな。

 それからゼロスは跪くと、花を供えて手を合わせたのだった。

「よかった〜、よかったね〜、ゼロ!」
 ク〜は、祈りを終えたゼロスに駆け寄って来ると抱きついた。その顔は本当に嬉しそうで…。
「きっとママは喜んでいるよ。」
「だといいけどな…。」
「そうに決まってるよ!」
 ニッコリと笑って、自分も墓に向かって手を合わせるク〜。
「ク〜ね、ゼロにはママと仲直りしてほしいってずっと思っていたんだ。だって、ク〜のママはどこにいるのかも分からないから仲直りしたくても出来ないんだもん…。ク〜のホントのママはどこにいるのかな。やっぱり死んじゃったのかな…」
 思わず顔を見合わせるゼロスとユアン。
「…見ているさ。」
「え?」
「たとえ姿は見えなくても、きっといつだってク〜の事を見ているさ。あの空の上からな。だって、お前のママなんだから。そうだろ?」
 らしくない台詞だと思いながら空を見上げるゼロス。
 その隣でク〜も同じように空を見上げると、
「そっか。ク〜のママはお空にいて、ずっとク〜の事を見てくれているんだ。だったら、ク〜はいつも良い子にしてないと駄目だね。じゃないと、心配かけちゃうもん。」
「…ああ、そうだな。」
「うん!ク〜は良い子でいるよ!!」

 それからク〜はキラキラと瞳を輝かせながら、飽きもせずずっと空を見上げ続けていたのだった。



 さて、こうしてママの日騒動は無事に解決したものの、災難は忘れた頃にやってくる…。
 今回その災難に見舞われたのは、ユグドラシルであった。
「幼稚園?」
「うん。みんなで歌ったり踊ったりしてとても楽しいトコなんだって。ク〜も行きたいな。」

 (まったく…ク〜に余計な事を吹き込んだのはどこのどいつだ!)

「あそこは子供が行く所だ。お前が行くような所ではない。」
「どして?ク〜も子供だよ。」
「い、いや、それは仮の姿で、お前は本当は大人なんだよ。」
「かりのすがたって何?」
「兎に角、行く必要はないんだ!!」
 あまりのしつこさに、思わず怒鳴りつけてしまったユグドラシル。
 途端にク〜は、大声で泣き出すと地団駄を踏み始めたのだった。
「うわ〜〜ん、いやだ。ク〜もよ〜ちえんに行くんだ、行くんだ〜〜!!」

 そうなってようやく自分の過ちに気付いたユグドラシルであったが、後悔先に立たず…。
 ク〜の超音波のような泣き声に、ただ耐え忍ぶしか術は残されていなかったのである。

 それからク〜は顔を会わす度に「よ〜ちえん、よ〜ちえん」と叫ぶようになり、それは一か月以上にも及びユグドラシルを悩ます事になるのであった。

 それで結局ク〜は幼稚園に行く事が出来たのか?

 その話はまた別の機会にでも…。


−ゼロス君の子守唄2 終−