プロローグ
デリス・カーラーン内の自室にて、ク〜は、テーブルの上に置いてあるブタの貯金箱をじっと見詰めていた。その手にはトンカチが握られている。
最近ク〜はユグドラシルから毎月30ガルドずつのお小遣いを貰っていたのだが、それを全てこのブタさんの『ご飯』にしていた。
入れる度に発せられる「チャリ〜ン」という心地よい音が、ク〜の耳にはブタさんの「有難う」という声のように聞こえ、なんだかとても嬉しくなるのだ。
この貯金箱は割らなければ中身が取り出せない仕組みになっている。
しかしク〜には今まで特に買いたい物などなかったので、そんな事は関係なかった。
ブタさんはク〜のお友達であった。
これからもずっと一緒の筈であった。
でも……
「ごめんね、ブタさん。ク〜ね、どうしても欲しい物があるの。」
そしてク〜はギュッと目を瞑ると、トンカチを振り下ろしたのだった。
お金を握り締めク〜が向かったのは、町の片隅にある古ぼけた本屋だった。
その本屋は古くからある老舗で、昔は町に一軒しかなかった事もあって毎日多くの読書好きの客で賑わっていたものだった。しかし十年前に近くに大型書店が進出して来てからは、客足もめっきり減ってしまい、今ではすっかり寂れてしまっている。
それでもク〜はこの本屋が大好きだった。
はっきり言ってク〜は店側にすれば実に迷惑な客であった。毎日のようにやって来てはその場に座り込みお気に入りの絵本を読んでいるだけで、買った事など一度もないのだ。
詰まる所ク〜は本屋を図書館代わりにしているわけで、大型書店では何度もハタキをかけられた。
でもここの店主のおじいさんは優しい。ク〜がやって来てもハタキなどかける事なくいつもニコニコと迎え入れてくれる。何よりここにはク〜が大のお気に入りの絵本があったのである。
ところがその話を先日ドジにしたところ、怒られてしまったのだった。
「本屋とは本を買いに行く所であって、読みに行くところではない。ただでさえあそこは潰れそうな状態だと聞く。そこへお前みたいのに毎日何時間も居座られたら迷惑なだけだろう。」
「……おじいちゃんの本屋さん、なくなっちゃうの?」
「じいさんは本を売ってそのお金で生活しているのだ。お前みたいにタダ読みする客ばかりで本が売れなけりゃ当然生活していけんだろう。このままでは潰れるのも時間の問題だろうよ。それが嫌ならもう止める事だ。本を読みたいのであればお金を持って行き、ちゃんと買ってから読め!」
このドジの話にク〜は衝撃を受けた。
(あの本屋さんがなくなってしまう……そんなの嫌だ!)
そこで今日は絵本を買う一大決心をして、ブタさんにお別れをしてきたのであった。
「いらっしゃい。」
ク〜が本屋に行くと、おじいさんはいつものようにニコニコと迎えてくれた。
しかし今日のク〜は店の前でもじもじしているだけで中に入ってこようとしない。
「ん?どうしたんだい?坊やが好きな本はいつもの所に置いてあるよ。」
「うん……」
おじいさんの優しい笑顔を前にク〜は俯いてしまった。
よく見るとおじいさんの眼鏡は蔓の部分が壊れてしまっており、それをセロハンテープで修理して使っていた。
この事からもこの店が如何に困窮しているかが窺える。
悪い事だなんて思っていなかった。
でも自分は知らず知らずにこのおじいさんを困らせてしまっていたんだ。
謝らなくてはいけない。
謝って、そして…
「ごめんなさい!」
思い切って頭を下げるク〜。
「ク〜ね、本屋さんは本を売るのがお仕事なんだから、読みたいならちゃんと買わなくちゃ駄目だって注意されたの。だから今日はあの絵本を買おうと思ってお金を持ってきたの。でも…」
ク〜は握っていたお金をおじいさんに渡した。
「でも足りないの。ブタさんにさよならしてきたけど半分ぐらいしかない。けどク〜、ぜったいに持ってくるから。またお小遣い貯めてぜったいぜったい持ってくるから。だからあの絵本、それまで取って置いて欲しいの。」
おじいさんは、懸命に頼み込んでくるク〜を驚いたように見詰めていた。
怒られるかもしれない。
もう来るなと言われるかもしれない。
ところがおじいさんはそんなク〜の心配とは裏腹に、すぐに笑顔を浮かべると、絵本を持って来てク〜の前へ差し出したのだった。
「坊やは本当にこの本が好きなんだな。さあ、持っていきなさい。今日からこの本は坊やのものだ。残りのお金なら心配しなくていい。わしはもう、それ以上のものを坊やからもらっているのだから。」
「え?…でも…」
「実を言えば、わしはもうこの店も潮時だと考えていたのだ。昔は一冊の本を本当に大切に、何度も何度も読み返したものだった。だからうちには何度読んでも大丈夫なようにと、それに耐えられるようなつくりの少々高めの本しか置いていない。だが最近は時代が変わったのだろうな。一度読んだら『はい、さよなら』だ。本は読み捨てるものだと皆が考えるようになり、安価なものを求めるようになってしまった。わしはそんな時代の流れについていけなかったんじゃ。それに年をとった所為か足腰が痛んでね。本を運ぶのも一苦労で、正直しんどさを覚えておったんじゃよ。そんな時、坊やが店にやって来たんだ。」
ク〜を見てニッコリとするおじいさん。
「坊やはいつも目をキラキラと輝かせて本を読んでおった。あんなに楽しそうに本を手に取るお客さんは本当に久し振りで、坊やを見ているとなんだかわしまでもが幸せな気分になったものだ。坊やはわしにたくさんの元気を与えてくれたんだよ。」
「……」
「ここにある本は皆わしの子供のようなものだ。だから本当に心から欲している人の元へ行って欲しいと思っている。そうすればその人はその本を大切にしてくれるだろう?だからこの本は坊やに受け取ってもらいたいんじゃよ。この絵本も坊やの所へ行ければ本望じゃろう。」
ク〜はしばらくの間絵本とおじいさんを見比べていたが、やがて本を手に取るとぎゅっと胸に押し抱いたのだった。
「有難う、おじいさん。」
「坊やがわしにとって最後のお客さんになるかもしれないな。どうかわしの子供を可愛がってやってくれな。」
「うん。ク〜、大切にするよ。いっぱい、いっぱい大切にするよ。」
こうして手に入れた絵本…『ヨシオ君のクリスマス』。
この絵本はク〜にとって何よりも大切な宝物になったのである。
−つづく−