3
街の外へと出たク〜は、裏手の林へと踏み込むと、しいなの部屋でチラリと見ただけの記憶を頼りに、同じ形の草を探しながら奥へ奥へと進んで行った。
しかし目当ての物はなかなか見付からず、時間ばかりが過ぎていく。
「終わっちゃう…。早くしないとパパの日が終わっちゃうよ。」
焦りと疲れからク〜の目に涙が込み上げてくる。
正直こんなに大変な作業だとは思っていなかった。これだけたくさんの草が生えているのだから、簡単にみつかるだろうと高を括っていたのだ。
温かな食事とベッドが無性に恋しくなった。すぐにでもゼロスの家へ飛んでいきたいと思った。でも、ここで諦めてしまったらきっとユアンに笑われてしまうだろう。そしてもう二度と自分の方を振り返ってくれなくなるに違いない。
ク〜は涙を拭くと、再び探し始めた。
「きっとある。絶対に見付けてみせる。」
そう呪文のように繰り返し呟き自分を奮い立たせながら、生えている草一つ一つを丹念に調べていく。
こうして更にどれぐらいの時が過ぎただろうか。必死に探し続けていたク〜が、痛む腰をさすりながら伸びをした時のことだった。ふと目をやった木の陰に、同じ形の草が群集しているのを見付けたのだ。
「あった!あれだ!!」
喜びに顔を輝かせて駆け寄って行くク〜。念の為もう一度じっくりと見てみるが、どうやらこれに間違いないようだ。
ホッとする間もなく、すぐに草を採り始めるク〜。辺りはすでに薄暗くなっており、もう時間がなかった。急がねばならない。
だがようやく見付けることができた嬉しさからだろうか、作業は思った以上にはかどり、薬草入れにと持ってきた袋は見る見る内に一杯になっていった。
「もうこのぐらいでいいかな。」
ク〜は汗を拭き拭き立ち上がると、薬草の入った袋を落とさないようにしっかりとベルトに括り付けた。
あとはこれをユアンの元へ持って行くだけだ。これだけ一生懸命にやったのだから、きっと喜んでくれるに違いない。ユアンの喜ぶ顔を想像すると自然に笑みがこぼれてくる。ク〜は鼻歌交じりに元来た道を引き返し始めた。
ところがそんな彼の前に立ち塞がったものがいる。
ク〜の三倍はあろうかと思われる毛むくじゃらの大きな体に剣呑な光を帯びた目。口からは大きな牙が覗いており、見るからに凶暴そうだ。
そしてそれは目の前に突っ立っているク〜を睨み付けると咆哮を上げ、とっとと道をあけないかと言わんばかりに丸太のような腕を振り上げ威嚇してきたのだが…。
「あ!クマのポーさんだ〜!!こんにちは〜。」
「ガウ?」
全く臆する様子もなくにっこりと笑うク〜に、“クマのポーさん”の頭上に『?』が飛び交う。
「もしかしてハチミツを探しに来たの?クマさんはハチミツが大好きなんだよね。ク〜知ってるよ。絵本で見たんだもん。でも今日は赤いシャツを着ていないんだね。やっぱり服は着た方がいいと思うな。その方が可愛いよ。」
「…………」
「こんなところでクマさんに会えるなんて、ク〜、感激しちゃった。どうかハチミツ探し頑張ってね。ク〜も手伝ってあげたいけど、今日はちょっと急いでいるんだ。ごめんね。じゃあ、バイバイ。」
あまりのことに石化してしまっている“クマのポーさん”の横を明るく手を振りながら通り過ぎて行くク〜。
しかしそれは、クマさんはクマさんでもモンスターのエッグベアだった。そしてエッグベアは自分の脅しに全く動じないク〜に凶悪モンスターとしての誇りを大いに傷つけられたようだった。
「グルルルル…。(訳※ 小僧め、このまま行かせてなるものか!)」
エッグベアはバリバリと石化を解くと、振り上げていた腕をク〜に向かって振り下ろした。
「キャッ!!」
間一髪でその一撃を避けるク〜。
「ひど〜い、何するの。ク〜はちゃんと挨拶したのにいきなり殴ってくるなんて…」
口を尖らせて文句を言ったク〜であったが、ここへ来てようやく自分の間違いに気付いた。
全身から放たれる殺気。牙を剥き自分を見下ろしているその姿は、あの絵本の中ののんびり屋で心優しいクマさんとは明らかに違う。
(これは…クマのポーさんじゃなくて、モンスター?)
ごくりと唾を飲み込み後退るク〜。
『いいか、ク〜。この世の中、どこに危険が転がっているか分からない。だから目で見ただけで判断してはいけない。目・耳・鼻・舌・皮膚…これら五感の全てを使って相手の本心を読み取るのだ。』
ユアンが口を酸っぱくして言っていた言葉…。
決して疎かにしていたわけではない。でも薬草を探し出せたことで嬉しくて浮かれてしまい、つい忘れてしまったのだ。
今になって思い出しても、もう遅い。いくら悔やんだところで、今現実に目の前にいる敵が消えてなくなることなど有り得ず、それは再びク〜に向かって腕を振り下ろしてきたのだった。
「ひいっ!!」
その一発はなんとか避けることができたものの、このままでは遠からず殺されてしまうだろう。ク〜は取って置きの魔術を使う決意をした。それは覚えたての火系中級魔術。あれなら倒せないまでも相当のダメージを与えられる筈。逃走の時間稼ぎになるだろう。
ク〜は十分な距離を取ると、詠唱しそれを放った
――
つもりだったのだが…。
『イランデショ〜!!』
ちと名前が違ったようで不発。
「あれ?あれ?どして?……だ、だったら、これならどうだ!!」
慌ててすぐに唱え直したファイアボールも的を逸れてしまい、エッグベアの背後にあった蜂の巣を直撃してしまう。しかもそれがただの蜂の巣ではなく、ユミルの森から出稼ぎに来ていたキラー・ビーの巣だったものだから堪らない。ク〜はキラー・ビーの群れとエッグベアの両方から追いかけられる羽目に陥ってしまったのだった。
「いや〜〜〜!!」
エッグベアのドッシンバッタン攻撃とキラー・ビーのチクチク攻撃を避けながら、なんとかして逃げ切ろうと林の中を走り回るク〜。だがまだ幼いク〜が二つの敵を完全に撒くことなど不可能なことであった。疲労と恐怖から羽を広げて逃げることもできず、すぐに袋小路へと追い詰められてしまう。
じりじりと近付いてくるエッグベアとキラー・ビーを怯えた目で見詰めるク〜。
「怖い・・・怖いよ。助けて!助けて!!」
その脳裏に浮かんだ顔は、ゼロスでもしいなでもなく、無論ユグドラシルでもなかった。ク〜の手が腰にぶら下げた薬草の入っている袋をギュッと握りしめる。
だが、こんな所でいくら呼んだって来るわけがない。第一これは自分が招いてしまったこと。その後始末は自分でつけるしかないのだ。
ク〜は腹を括ると、足元に落ちていた枝を拾い上げ必死の形相で構えた。
と、その時である。
『イラプション!』
どこからか聞こえてきた声と共にキラー・ビーの足元から火柱が上がったのだ。その炎はク〜の呪文など比べ物にならないほどに強力で、瞬く間にキラー・ビーの群れを焼き尽くしてしまう。
(そうか、イランデショ〜じゃなくてイラプションだったのか〜。)
なんて感心している場合ではなく、気が付けば生き残ったエッグベアが今の炎をク〜の仕業と勘違いし、怒り狂いながらすぐ目の前まで迫って来ていた。
「ヒ〜〜!!」
ク〜は持っている枝を無茶苦茶に振り回し防戦するが、それはエッグベアの腕の一振りによってたちまちのうちに弾き飛ばされてしまう。
慄然とするク〜に向かって止めとばかりに腕を振り下ろすエッグベア。
しかしそれがク〜の頭上に落ちることはなかった。二人の間に何者かが割り込んで来てク〜の代わりに受け止めたのだ。
突然目の前に現れた見覚えのある背中に目を丸くするク〜。その口から呟きがもれる。
「……ドジ?」
そう。それはまさしくユアンであった。ユアンはエッグベアを蹴り飛ばすと前方を見据えたままク〜に言った。
「腰は抜けてないな?」
「え?…う、うん。だいじょーぶ。」
「よし。ならば、右手…箸を持つ手の方角にお前が身を隠せるぐらいの岩があるから、そこまで走れ。そして私がいいと言うまで出てくるな。分かったな?」
「うん。」
言われるままに走り出すク〜。
本当はすぐにでもユアンの背中にむしゃぶり付き、大声で泣きたかった。しかし今そんなことをすれば更なる危険を招きかねないことをク〜はちゃんと分かっていたのである。
なによりク〜はユアンに全幅の信頼を寄せていた。ユアンが来ればもう大丈夫。あとは彼に言われた通りに行動すれば間違いはない。
ユアンが言っていた岩はすぐ見付かった。その後ろにしゃがみ込むと、こっそりとユアンの様子を窺う。
ユアンが戦っているのを見るのは初めてのことだ。
今目の前で、全身に闘志をみなぎらせ射るような鋭い目をしてダブルセイバーを振るっているユアンは、いつものへらへらした彼とは違い、絵本で見た正義の味方のように強くて勇ましかった。そしてその姿はク〜の目に、しいなが言っていた神器としての斧を持ち家族を守り導く者
―
『父』の姿として映ったのである。
もちろん正確に言えば、ユアンが手にしているのは神器ではなく斧とも違うのだが、そもそも神器がなんたるかを知らぬク〜にとってはそのようなことは全く関係なかった。
「パパだ……あれがパパなんだ…」
岩の上に置いた手をぎゅっと握りしめるク〜。
きっと今、ユアンは怒っているだろう。なにしろク〜は、散々ユアンを困らせた上に暴言を吐いてデリス・カーラーンを飛び出して来のだ。挙句にこんな所でモンスターに襲われてしまい…。
もう愛想を尽かされたかもしれない。
パパなどと呼ぶなと冷たく突き放されるかもしれない。
それでも謝らなければならない。それがこんな自分を守る為に今命がけで戦ってくれているユアンに対するせめてもの礼だと思ったのだ。なにより自分はその為にここに来たのだから。
そんなことを考えている内に勝負は付いてしまったようだった。それも当然であろう。ああ見えてユアンは、4000年前に大戦を終結させた英雄の一人。エッグベア如きに後れを取るものではない。
「ドジ
――――
!!」
エッグベアが倒れ、ユアンがダブルセイバーを収めるのを見るや、謝る決意を胸に岩陰から飛び出して行くク〜。
しかしそんなク〜の頭上に降ってきたのはユアンの怒号であった。
「この馬鹿者が!一体お前は何をやっているのだ!!お前のようなガキがこんな時間にこんな場所をうろついていれば襲われて当然だろうが。大体お前は思い付きだけで動きすぎる。もっとよく考えてから行動しろといつも言っているだろう?まったくお前ってやつは、どこまで私の手を煩わせれば気が済むのだ!!」
思わず飛び上がってしまうような荒々しい口調に一瞬怯んでしまったが、そんな口調とは裏腹にク〜を抱き留めた手はとても温かくて優しかった。そこからはユアンの隠された本心がひしひしと伝わってきて…。
ク〜は無我夢中でユアンにしがみつくと大声で謝っていた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
その目に今まで堪えていた涙が込み上げてくる。
ユアンは声の調子を落とすと、
「もういい。分かればいいんだ。これからは気を付けるんだぞ。」
「うん……もうドジに迷惑をかけるようなことしない。ク〜、いい子になる。我儘も言わない。ドジのお手伝いもする。だから、だから、ク〜のこと嫌いにならないで。ドジがいなくなったらク〜は…ク〜は…。」
「何を言っている。私がどこへ行くと言うのだ。」
「……ほんと?ずっとク〜の傍にいてくれる?」
「当たり前だろう。私はお前のパパでママなのだから、お前を置いてどこにも行くわけないではないか。」
その言葉に目を見開くク〜。
「パパ?……ドジはク〜のパパになってくれるの?」
「ああ。今朝もそう言っただろうが。もう忘れちまったのか。」
ク〜は信じられないといった様子でしばらくの間ユアンを見詰めていたが、やがて大声で泣き出した。
「うわあああ〜ん!!」
次々に涙が溢れ出てきて止まらない。
しかし今度の涙は悲しみの涙でも後悔の涙でもなく、これからもユアンと一緒にいられることへの喜びの涙だった。
「パパ!パパ!…パパ!!」
繰り返しそう叫ぶク〜の髪を優しく撫でてやるユアン。
そしてはっきりとした声でこう言い切ったのだった。
「ああ、そうだ。私はお前のパパだ。」
これでいい。どうせ昔からの腐れ縁だ。少々面倒ではあるが、お前が元の姿に戻るまでずっと傍にいてやるさ。
パパとして…。
ママとして…。
「ほれ、もういい加減に泣き止まんか。」
ユアンは苦笑を浮かべると、未だ泣き続けているク〜の鼻水を拭いてやり、服に付いた泥を払ってやる。
「怪我はないようだな。」
「うん……あ、でもドジの方が…」
「え?」
なるほど、ク〜が指差した左手の甲へと目をやると僅かばかり血が滲んでいる。
「ああ、これか?大したことはない。ちょっと擦りむいただけだ。」
ク〜に言ったことは本当だった。戦闘中に小さな切り傷や擦り傷、打ち身などができることなど珍しくはない。そのどれもが動き回っている内に地面で擦ったとか、どこかに引っ掛けるかしてできた傷であり、今回も恐らくそうして傷付けたのだろう。放っておいてもすぐに治る程度のものだった。
しかしク〜があまりにも心配そうに覗き込んでいるものだから、ユアンは一応回復魔法をかけることにしたのだが…。
「これ使って。」
「…これは?」
ク〜が差し出してきた葉をじっと見詰めるユアン。
「お薬の葉っぱ。ク〜が採ってきたの。これ食べると元気になるんだって。だからその怪我もすぐに治っちゃうよ。」
「……」
一口に薬草と言っても、その使用方法や効能は様々である。ユアンが知る限りこの薬草は煎じて飲むタイプのもので、外傷に効くものではなかった。
だがユアンはそんなことは一言も言わずにそれを口へ放り込むと、苦味が口一杯に広がってくるのを堪え、ごくりと飲み込んだのだった。
と言うのも、ユアンは初めからク〜がこの林にいることも、その理由も、全て知っていたのである。
実は彼はク〜が飛び出して行ったままなかなか戻らないのを心配し、メルトキオまで探しに来たのだ。そこで同じようにク〜を探しているゼロスとしいなに出くわし、二人からク〜が道具屋のおやじに薬草のことを尋ねていたこと、その後にどうやら自分で採りに林へ入って行ったらしいことを聞いたのだった。
その時はなんて馬鹿な真似をと思ったが、よくよく考えてみれば、もし自分があの時グミを食べていたならば、適当にあしらいゼロスに押し付けたりしなければ、恐らくク〜は夕方一人で林に入って行くなどという無謀な挙に出ることはなかっただろう。
ユアンは今回の騒動の原因が自分にあるのではないかと責任を感じていたのである。
だから今回はク〜の好意を黙って受け取ろうと思ったのだった。
「どう?痛くなくなった?」
「ああ。もう全然痛まない。お前のお陰だな。」
ク〜の顔がパッと明るくなる。
「よかった!あのね、ク〜、この葉っぱいっぱい採ってきたんだ。パパの日のプレゼントにしようと思って。はい、これドジにあげる。それ食べて元気でお仕事してね。」
袋一杯に入った薬草に目を見張るユアン。
これだけの量を採るのはさぞや大変だったことだろう。恐らくかなりの時間を探し回ったに違いない。
汗を流し、時に泣きべそをかきながら、必死に探しているク〜の姿が浮かんでくる。
これはク〜の努力の結晶なのだ。ユアンにとってはこの上ないプレゼントだった。
「有難う。大切に使わせてもらうよ。」
薬草を受け取りしまい込むユアンを見て、嬉しそうに笑顔を浮かべるク〜。
「では、帰ろうか。」
これでこの騒動も片が付いた。あとはク〜をデリス・カーラーンへ連れ帰るだけだ。
やれやれといった様子でク〜を抱き上げると歩き始めるユアン。
ところがク〜はそんなユアンに頬をすりよせてくると、こう問うてきたのだった。
「ク〜はね、ドジのこと大好きだよ!!ドジは?」
「え?」
「ドジはク〜のこと好き?」
この不意打ちの質問にユアンは狼狽した。反射的に答えかけた口を慌てて閉じる。
ク〜は真剣な、でもどこか不安げな目でじっとユアンを見詰めており、それを見たユアンは、ようやくク〜がもっとストレートな言葉を求めているのだということに気が付いたのだった。
この場に助けに駆け付けた。両親の代わりになるとも言ったし、薬草だって受け取った。しかしそれでもまだ不安だったのだろう。この返事を聞かない限り、ク〜の中では決着がつかないのかもしれない。
だがユアンはその言葉を口にするわけにはいかなかったのである。
マーテルの死以来、彼は人としての心を捨てて生きてきた。
もう誰も愛することはない。
もう誰にも情けを持って接することはない。
それからの彼は、周りのもの全てを道具としてしか見なかった。
彼の頭にあるのは、ただ彼女の魂を救うこととミトスによって捻じ曲げられた彼女の願いを正すことだけであり、その為ならこの手を血で汚すことも厭わなかった。
それはク〜についても同じ筈だった。ユアンにとってク〜は、ユグドラシルの命令だから仕方なく面倒を見ようと思っただけの存在でなければならなかった。従って彼は自分の中に芽生え始めた感情を絶対に認めるわけにはいかなかったのである。認めたが最後、今までの自分を全て否定することになってしまう。
だがク〜の頬はフニフニとしてとても気持ちよく、伝わってくる温かな体温はそんなユアンの頑なな心を徐々に溶かしていった。
もうこれ以上は抗えない。
ついにユアンはク〜のすりすり攻撃に白旗を掲げると長年心の奥底に封じ込めていたその言葉を口にしたのだった。
私もお前が大好きだよ……と。
「わ〜い!ク〜もドジもおんなじだね!」
嬉しそうに再びすりすりとしてきたク〜の柔らかな頬を感じながら、ユアンは、このフニフニ頬っぺに負けたと思った。
だがそれは何故かとても爽やかで幸せな敗北だったのである。
そんな二人の様子を見守る影が二つ。
ゼロスとしいなである。
「まさかドジがユアンのことだったとはね。」
「はまりすぎだろ。」
「確かに。」
くすくすと笑うしいな。
「でも、ユアンにク〜の行き先を教えちまってよかったのかい?だってク〜はあんたにとって命より大切な恋人なんだろう。それを恋敵に譲るようなことしちゃってさ。本当は自分で助けに行きたかったんじゃないかい?」
「いや。俺が行ったところで、あんなには喜ばなかっただろうよ。ク〜が助けに来て欲しいと望んでいたのはユアンだったんだから。ちょっと複雑な心境ではあるけどね。まあ、でも今日は父の日でもあるし、ユアンに花を持たせてやるさ。」
「ふ〜ん…。」
「なによ。」
「いえね、なんかあんたらしくないなと思って。今までのあんたなら、相手の気持ちなんて考えずにごり押ししていた筈さ。なにしろあんたって人は大事なのは自分だけで、他人のことなんて全く信じちゃいないんだから。そんなあんたがまさか他人を、しかもク〜のような小さな子を気遣うなんてね。……あんた、変わったよ。」
「変わった…か。前にも同じようなことを言われたな。だとしたら俺は変わったんだろう。いや、変わらなければいけないって思ったんだ。」
そう。俺はク〜に出会い、変わろうと決意した。
あの人を守る為に。
あの人の願いを叶える為に。
「ま、それこそ俺らしくないことだけどな。」
照れ臭そうにそう言って笑ったゼロスを、しいなは眩しげに見詰めていたが、やがて小さく息を吐き出すと言った。
「あたし、明日の朝一に里へ戻ることにするよ。」
「え?何だよ、突然どうしたんだ?」
「別に。ただ、あたしも変わらなくちゃって思っただけだよ。」
「……」
「それじゃあ、あたしはここら辺で失礼させてもらうよ。ク〜の無事も確認できたし、明日は早いからね。あんたもいつまでも未練がましくお邪魔虫していないで、早く引き揚げた方がいいよ。」
「誰がお邪魔虫だ!!」
アハハと笑いながら帰って行くしいな。
その姿を苦笑して見送りながら、ゼロスは、しいなもようやく歩き始めたのだと感じていた。
ク〜の素直さや一生懸命さが彼女の凍えた心を溶かしたのだ。
ク〜はやがては消えてゆく存在である。
だが、こうして彼が蒔いていった種は、出会った一人一人の心の奥に確実に根付いており、それはやがて大きく花開いて、元の姿に戻った彼の助けとなってくれるに違いない。
そして恐らくはユアンもまた…。
ク〜とユアンの方へ視線を戻すと、二人は仲良く手を繋ぎ帰って行くところであった。
「あ〜あ、あのユアンの伸びきった顔。まったく見てられないね。もしかしてク〜が元に戻った時、一番ショックを受けるのはユアンなんじゃねえの。」
ゼロスはちょっぴり妬み心を抱きながら、そんな二人の姿をずっと見送っていたのだった。
−つづく−