ユアンさん一家


その男、アウリオン


 昔、我がレネゲード組に伝説のやくざと呼ばれた者がいたのを知っているか?
 そいつは義理人情に厚く頭も切れ、そこらのやくざなど比べ物にならぬほどの度胸をも兼ね備えていた。
 裏社会にその名を轟かせていたその男を、この世界の誰もが恐れていたものだ。
 まさにやくざの中のやくざ、いや男の中の男だったな。
 その者の名は……



 多くのビジネスビルが立ち並ぶオフィス街。
 その中でも一際目立つ大きな青いビルがある。他を見下ろすようにそびえ立つそのビルこそが、今や天下にその名を轟かしている大企業、イセリア商事の自社ビルであった。
 クラトス・アウリオンは、そこの営業部に勤務していた。
 クラトス・アウリオン二十八歳。十七年前に父親を亡くした彼は、当時まだ乳飲み子であった弟ロイドと共に母親の手ひとつで育てられた。苦学の末にやっとの事で大学を卒業した彼は、母の言葉に従いこの大企業イセリア商事を受けたのだが、正直通るとは全く思っていなかった。
 なにしろこれだけの大企業である。入社希望者も半端ではなかった。多くの入社希望者は一次から三次までの試験でふるい落とされ、その難関をくぐり抜ける事ができたごく少数のエリート中のエリートのみが残る事ができる。その上に最終審査では学歴はもちろん家庭環境に至るまで徹底的に調査され、晴れて入社できるのは、家柄の良いお金持ちか強力なコネのある者だけだと聞いていたのだ。
 そんなわけでもあり、母に言われ受けてはみたものの、到底自分などが通るわけないと思っていたのであったが、なぜか彼は最後まで残る事ができ、めでたく入社できたのであった。今考えても不思議で仕方のない、今までの彼の人生の中で最大のハプニングであった。
「コネでもあったのだろうか?だがあの母にそんな強力な知人がいたとは到底思えないのだが…」
 その母も彼が就職して間もなく亡くなってしまい、今クラトスは高校生の弟と二人で暮らしていた。



「クラトスさん、下のロビーにお客様がお見えになってますよ。」
「客?」
 受付からの連絡に首を傾げるクラトス。今まで会社に彼を訪ねてくる者などほとんどいなかった。思い当たるのは弟のロイドぐらいのものだが、ロイドは天性の自由人でもあり、こんな堅苦しい雰囲気が漂う大企業の自社ビルには近寄りたくもないと常日頃から言っている。今までも用があれば電話で済ませており、それも実際掛けてきたのは母が危篤となった時と学校で停学を食らった時ぐらいのものだった。
「どう考えても分からんな…。得意先の誰かだろうか?」
 そんな事を考えながらロビーに下りていったクラトスは、そこでひどく懐かしい人物に再会したのであった。
「あなたは…確かボータさん?」
「お久し振りです。覚えていて下さいましたか。」
 ボータとは、同級生だったユアンの家に遊びに行ったおり何度か顔を合わせていた。
 そう言えばここしばらくユアンには会っていない。最近大きな仕事を任されていたのもあって、色々と忙しかったからな…。
「こちらこそご無沙汰しております。もちろん覚えていますとも。ボータさんには色々とお世話になりましたからね。ところで、今日はまた突然にどうなさったのですか?ユアンに何か?」
「いえ、若は元気にやっております。この度、めでたく三代目を襲名し、はりきってやっていますよ。」

 えっ!?三代目?……そういえばあいつの家は…

 途端に顔色が変わるクラトス。さりげなく辺りを見回して知り合いに見られていない事を確認した。
 今彼は大切な商談を進めている最中であった。初めて任された大仕事。入社六年目にしてようやく掴んだチャンス。是が非でもものにしたいと思っている。その商談もやっとの事で契約の一歩手前までこぎ付ける事ができたのだ。あとひと押しで契約できるであろうという、そんな大切な時期に、スキャンダルだけは避けたかった。やくざと親交があるなどと会社に知れてしまったら仕事から下ろされてしまう。下手をすればこの首も飛んでしまうだろう。

 それは困る!大いに困るのだ!!

 そこでクラトスはボータを社外へ連れ出す事にしたのだった。
「話が長くなりそうですね。外へ出ましょうか。」


 それから二人は会社から少し離れた所にある喫茶店に場所を移した。
 そこでボータから先代のマクスウェルの死を聞かされたクラトスは、少なからずショックを受けた。
 マクスウェルには一方ならぬ恩を受けていた。父がいなくなってから、母はマクスウェルから相当の援助を受けていたようであったし、母の死後もロイドの高校の世話やら学費の援助までしてくれた。そのロイドも来春には高校を卒業する。それで近い内に今までのお礼に伺わねばと思っていたのだが、その矢先の死であった。
「何故一言連絡を下さらなかったのですか!?そうすれば…」
 言いかけて、口をつぐむクラトス。

 連絡を受ければ駆け付けただろうか?……いや、もしかしたらそれでも行く事はなかったかもしれない。あれだけの恩を受けておきながら、自分はマクスウェルと距離を置きたいと思っていた。もうこれ以上、やくざの組長などとは関わりたくはないと思っていたのだ。そんな心の底に抱いている思いがクラトスにマクスウェルの元へ行く事を躊躇わせていた。仕事の忙しさに感けてお礼に行く事さえ引き延ばしにしていた原因もそこにあるのかもしれない。こんなばちあたりの自分に、何故知らせてくれなかったのだ、とボータを責める資格などないのである。

「おやじさんが亡くなってから、こちらも色々とありましてね。葬儀も身内だけで済ませてしまいました。ご連絡できなかった事は申し訳なく思っております。」
 ボータはそんなクラトスの心の中を知ってか知らずか、素直に詫びてくると、コーヒーを一口飲み目を泳がせた。
 続きを話していいものか躊躇っている…そんな様子であった。
 二人の間に気まずい沈黙が流れる。
 それを最初に破ったのはクラトスだった。
「…それで今日はどういった事で?」
「え?」
「何か私に話があるのでしょう?マクスウェルさんの事を知らせるだけなら電話で済む事だ。それをわざわざ会社まで訪ねてきたのは直に話さねばならない用事があったからなのではないですか?」
 クラトスに促され、ボータは未だ迷っている様子ではあったがポツリポツリと話し始めた。
「…ええ、実は、ちょっと組で問題が起きていましてね。あなたの力をお借りしたいと思ったのですが…」
「組で問題が?……何故そこで私の名が出てくるんです?」
「あなたは若の幼馴染でもありますし、先代もあなたをいたく買っているようでした。そんなあなたなら必ずや若の右腕として立派に組を引っ張っていってくれると思い…」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい。」
 クラトスは慌ててボータの話を遮った。
「それはつまり私にやくざになれと言う事ですか?」
「やっぱ駄目っすかね?」
「当たり前でしょうっ!!なんで私がやくざにならなければならんのです!」
「どうしても駄目?」
 ウルウルとした瞳でクラトスを覗きこんでくるボータ。
「そんな目をしたって駄目です!」
「若を助けると思って。幹部待遇でお迎えしますから。ね?」
「くどい!!」
 クラトスは椅子を蹴って立ち上がると、律儀にもコーヒー代をテーブルに置いて出て行ってしまった。
「やはり断られたか…」
 ボータは溜息をつくと、マクスウェルの残したノートを取り出しそれを見詰めた。
「ねえ、おやじさん。何を思ってこんな事を書き残していったのですか?一体あなたは何を望んでいるのです?」
 百年続いてきたこのレネゲード組も、もう終わりかもしれない…そんな不安を胸に、ボータは再度溜息をつくと、すっかり温くなってしまったコーヒーを啜ったのだった。



 会社に戻ってきたクラトスは、席に戻る間もなく課長のクヴァルに呼び出された。
「例のメルトキオ食品の件はどうなっているのですか!?」
「もう少しで契約できそうです。」
「それは確かですね?この商談には社運がかかっているんです。しっかりやってくれなければ困りますよ。」

 社運?…フン大袈裟な。かかっているのはあんたの出世だろうが。

「午後からもう一度担当者と会い、最終的な詰めの話し合いに入る予定です。今までの話し合いでも先方の反応は良かったので、恐らく一両日中には契約の運びになれるかと。」
「とにかく頼みましたよ。万一契約まで持って行けなかった時には、その責任は全部君一人に負ってもらいますからね。」
「……」
 クラトスは、こみ上げてくる怒りを必死に抑えるとクヴァルに会釈をし、早々にメルトキオ食品へと向かったのだった。

 契約さえとってくればいいのだ。そうすれば文句はないのだろう?
 この契約を取る為だけに二年もの月日をかけてきたんだ。
 苦労の末にようやく相手の信用を得る事が出来、あと一歩で契約という所までこぎ付ける事ができた。
 だからこそ絶対にものにしてみせる! あんな“米つきばった”の為でなく私自身の為に!

 決意も新たにメルトキオ食品にやってきたクラトスであったが…
「ん?あれはニールさん?」
 ビルに入りエレベータへと向かおうとしたクラトスは、担当者であるニールの姿を目にしたのだった。しかもニールは見た事のない人物と一緒に楽しそうに談笑している。

 もうすぐ私との約束の時間だというのに、何故別の人間と話し込んでいるんだ?

 あまりの事に戸惑いの表情を浮かべ立ち尽くすクラトス。
 するとニールの方でもクラトスに気付いたようだった。
「ああ、クラトスさん。丁度良かった。今あなたにご連絡しようと思っていた所なんですよ。」
「こんにちは、ニールさん。毎度お世話になっております……あの、連絡とは?」
「いやあ、誠に言いにくい事なんだけどね。」
 ニールはいっこうに悪びれる様子もなく、爽やかな笑顔を浮かべていた。
「君の所との話ね、あれ、なかった事にして欲しいんだ。」
「はい?」
「いや、だからさ、こっちのクルシス商会さんと契約する事にしたんだよ。」
「えっ?…」
 すると、ニールの横に立っていた男が笑顔で名刺を差し出してきたのだった。
「初めまして。私、こういうものです。」
「クルシス商会のフォシテス…」
 名刺を見て呟くようにその名を読み上げるクラトス。
 ニールはポンポンとクラトスの肩を叩いた。
「悪く思わないでくれよ。見積額もクルシス商会さんの方がずっと安かったものでね。」
「ま、待って下さい!そんな突然に言われても…。それにそんなに安く出来るはずが…」
 それでなくとも、クラトスは赤字覚悟というくらいに原価ギリギリの額で見積を出したのだ。あれ以下の金額では原価を割ってしまうだろう。
「現に安いのだから仕方がないだろう。その上こんな物まで持ってきてくれてね。」
「…アルタミラランドの年間パスポートに、ゴミ塚歌劇団の『テセアラの薔薇』の公演チケット?」
「いやいや、そんな事は大した事ではございません。ニール様がこの歌劇団のファンだとちょっと小耳にはさんだものですから。」
「大した事だよ、君!この『テセアラの薔薇』のチケットは手に入れにくい事で有名なんだ。何しろファンクラブに入っている私でさえ取る事ができなかったんだからね。しかもS席だものね。」
 ニールは満足気にチケットを眺めた。
「フォシテスさんは細かい所に気の回る実に有能な営業マンだ。クラトス君、君はちょっと勉強不足なんじゃないの?フォシテスさんを見習って一から営業の勉強をし直した方がいいと思うよ。それじゃあね…さ、フォシテスさん、あちらで契約を交わしましょう。」
 ニールはさっさと向こうへと行ってしまう。
「君は勉強不足だよ。もっと頭を使わなくっちゃ。」
 呆然とするクラトスの耳元で、フォシテスがニールと同じ言葉を囁いてきた。
「…汚いぞ、貴様!!あれではまるで賄賂ではないか!」
 フォシテスはいきり立つクラトスを見てニヤリとした。
「おいおい、言葉に気を付けろよ。それはあのチケットを受け取ったニールさんをも汚す言葉だぜ。」
「……」
「俺より安いルートを見つけ出せなかったからって逆恨みは止めて欲しいな。客の機嫌をとって、尚且つ少しでも安いものを提供する、これって営業の基本だろ?お前さんは努力が足りなかったんだよ。ま、今回は運がなかったと思って諦めるんだな。」
 笑いながらニールの元へと行ってしまうフォシテス。

「……終わった。」
 クラトスは一言そう呟くと、フラフラとビルを出て行った。

 何もかも終わってしまった。この二年間がすべて水の泡だ…。
 またクヴァルに嫌味を言われるだろうが仕方がない。

 ビルを出て来たものの、なんとなく社に戻るのをためらっていると、そこへ、
「おい、どうしたんだクラトス!まるでこの世の終わりのような顔をしているぞ。」
「ユアン?…(何故お前がここにいるんだ?)」
「あいつらに苛められたのか!?」
「苛めって……違う。私が仕事に失敗しただけだ。(だからどうしてお前が私が彼らと居た事まで知っているんだ?)」
「失敗するはずなどなかろう?あんなに張り切った様子でビルへと入って行ったではないか。」
「お前、私を付けていたのかっ!?」
「ボータと会っていただろう?何を話したのか気になってな。それより、問題はあいつらの事だ。寄ってたかって私の親友を苛めやがって!許さんぞ!!」
「だから苛められたのではないと言っているだろう!!」
「心配するな。お前の敵はこの私がとってやる!…いくぞっ、お前ら!!」
「へい!親分!!」
 子分共を連れて中へと乗り込んで行くユアン。
「待て、ユアン!何をする気なんだ!!」
 クラトスは慌てて後を追ったのだった。



 一時間後、クラトスは自社にて上司のクヴァルに絞られていた。
「一体どういう事なのですか。契約がふいになったばかりでなく、それを逆恨みしてやくざと一緒に先方に乗り込むとは!まったくもって、前代未聞の話ですよ。ニール氏はそのやくざに殴られ全治一週間のけがを負ったそうです。」
「!?…そんな馬鹿な。ユアンは暴力は振るっていません。ただ胸倉をつかんで脅しただけで…」
「それを暴力というのではないのですか?それに今ユアンと言いましたね。やはり君は奴等と知り合いだったわけだ。」
 クラトスは目を伏せた。
「君が帰った後に、やくざだけで再びニールさんを襲ってきたそうです。その時に殴られたらしい。」
「再び?彼らだけで?それは違う。ユアン達がそんな事をするはずがない。」
「君はやくざを庇うのですか?やくざとはそんなものでしょう。平気で汚いマネをしてくる。」
「ユアンは確かにやくざです。ですがそんな闇討ちのようなまねはしません。一口にやくざといっても色々いるんです。」
「君のやくざ論なんて聞いていませんよ。いまここで問題になっているのは君がやくざと付き合いがあったという事なのです。今回、ニールさんの方で訴えを起こすのを思い止まってくれたからよかったものの、これは立派な暴力事件ですよ。下手すりゃ我社が告訴されていたかもしれないんです。もしそうなったら君一人が辞めたぐらいでは済まなかった。私の首も飛んでいた所だったんですよ。」
「……それは私に辞めろという事ですか?」
「本来ならそうして欲しいところですがね。君は将来を期待されている事でもあり、今回だけは大目に見ようという事になりました。君があのやくざどもと手を切り、そいつを告訴するというのを条件にね。」
「告訴?」
「当然でしょう?いわばそのやくざの所為で契約がふいになったようなものなのですからね。」
「しかしユアンがニールさんに怪我をさせたわけでないし、契約の事にしたって駄目になったのは彼の所為ではないのですよ。」
「君にはもう選択権なんて残されていないんですよ。会社に残りたいのなら社の方針に従ってもらいます。それが嫌なら辞めてもらうしかありませんね。」
「どちらかを選べと言うのですね?…それならば退職願を出します。」
「クラトス君!?」
「ユアンはニールさんを脅しただけで暴力は振るっていない。私はあいつを信じています。しかし暴力を振るっていないからと言って脅しという行為が許されるというわけではない。その事は私だって十分に承知しています。ですが、それにしたって彼が私を思う故の暴走だったのです。今回の事は全て私に起因している。責められるべきは私の方なのです。それなのにあなたは…いえ、会社は私にユアンを告訴しろと言う。そんな事私には出来ない。確かにユアンはやくざですし、世間の人達からしてみれば鼻つまみ者かもしれないが、私にとっては大切な友人なのです。自分の保身の為に彼を裏切るぐらいなら、私は潔く辞める方を選びたいと思います。」
「……」
「大変お世話になりました。今まで有難うございました。」
 クラトスは黙り込んでしまったクヴァルに深々と一礼すると、振り返る事なく会社を後にしたのだった。




 「フ〜ン、それで啖呵を切って会社を辞めたってわけかあ。」
 ロイドがマンガ本を段ボールに詰め込みながら言った。
 クラトス達兄弟は、今会社の寮に住んでいた。辞めたからには寮も出ていかなければならない。それで引越しの荷造りをしているのだった。
「勝手な真似をして済まなかった。」
「どうして謝るんだよ。兄貴は正しいと思った事をやっただけだろ。」
「それはそうなんだが…その所為で寮を出て行く羽目になり、お前にも迷惑をかけただろう?クビになったようなものだから退職金だって出ないかもしれんし…」
「俺は迷惑だなんて思ってないぜ。兄貴、カッコイイよ。親友を信じて会社にバシッと辞表を叩きつけるなんてさ。」
「辞表ではなく退職願だ。一般的に辞表とは管理職以上の者が出すものだ。私はヒラ社員だからな。それにユアンは親友ではなく、ただの友人だ。」
「どっちだっていいじゃんよ、そんな事。」
 ロイドは口を尖らす。
「ていうかさ、もともと俺はあんまりここが好きになれなかったんだよね。大会社でエリート気取りの奴らばっかだろ?なんかこう、肌に合わないって言うかさ。だから正直ホッとしてるんだ。」
「肌に合わない、か…確かにそうかもしれんな。」
 クラトスは苦笑すると立ち上がった。
「仏壇の方はまだ手を付けてなかったよな。」
「ああ、ごめん。そっちまで手が回らなかったよ。」
「何しろ突然の事だったからな…あ、いいよ。仏壇は私がやるから、ロイドは自分の荷物をやってしまいなさい。私の方は粗方片付いた事だし。」
 そう言ってクラトスは仏壇の前に座って手を合わせると、引出しをあけて整理を始める。
 それから二人は黙々と作業をしていたが、しばらくしてロイドが隣室のクラトスに声をかけてきた。
「そういえばさあ、兄貴がこの会社受けたのって母さんが勧めたからだったよな。なんで母さんはここを勧めたんだろうな?」
 だが、クラトスからの返事はない。
 ロイドが不思議に思ってクラトスの方を顧みてみると、彼は仏壇の前で何かを手にして呆然としていたのだった。
「兄貴?どうしたんだよ。」
 ロイドが近付いてくるのに気付いたクラトスは慌ててそれを隠そうとするが、手が滑って逆にばら撒いてしまう。すかさずそれを拾い上げるロイド。クラトスは大きく溜息をつくと目を伏せた。
「手紙?母さん宛ての?」
「……ロイド…もし、もしもだ。父親がまだ生きているとしたら、お前は会いたいと思うか?」
「え?…じゃあ、これって…」
「私達の父親が母さんに送ってきた手紙のようだ。最後の手紙は母さんが亡くなる一年前に送られてきている。どうやら母さんは私達には内緒で、密かに父と手紙を交わしていたようだ。」
「…父さんが生きている?……だったら…だったら…俺は…」
 ロイドはクラトスを見た。
「でも、兄貴は?兄貴は会いたくないのか?」
「……」
「そう、だよな…生きているのに会いに来ないっていう事は、俺達は捨てられたって事だもんな。そんな父親に兄貴が会いたいなんて思うわけないよな。それなら俺も会わない。父さんは死んだんだ。それでいいよな。俺は兄貴さえいればいいよ。」
「ロイド…」
 ロイドは落ちている手紙をかき集めるとそれを傍らの段ボールに放り込んだ。
「こんな手紙はなかったんだ。きれいさっぱり忘れちまおうぜ。後で燃やしてしまえばいいよ。」
「……分からないんだ。」
「え?兄貴?」
「会いたいのか、そうでないのか、自分でも分からない。すまない、ロイド。私は…」
「馬鹿だなあ。謝ったりするなよ。いきなりこんなもんが出てきたんだ。混乱して当然だよ。俺は父さんの事は全然覚えていないけど兄貴は覚えているんだから尚更だよ。今すぐ結論を出そうたって無理だよ。この事は後で二人で時間をかけてゆっくりと考えようぜ。て、事で、この話はひとまずおしまい!さあて、残りをさっさと片付けちまおうぜ。」
 ロイドは明るく微笑むと再び荷造りに取りかかって行く。

 だが、お前は会いたいのだろう?
 クラトスには“俺は会いたいよ”というロイドの心の声が確かに聞こえたのだった。
 クラトスは引出しの底に入っているノートに目を落とした。それは母親の日記であった。ロイドはこれに気付かなかったようだが、手紙と一緒に仕舞い込まれていたのだ。クラトスにとってはそこに書かれていた事実の方がショックが大きかったのである。

 ロイド、お前はこの事実を知ってもやはり会いたいと思うだろうか?

 そこに書かれていた父親の真の姿……なんと自分達の父親はやくざだったのだ。
 いつかロイドにも話して聞かせねばならないだろう。だが今はこの胸の中だけに収めておこうとクラトスは思ったのだった。



 その数日後、ようやく荷造りを終えたクラトス達は地元の商店街を歩いていた。
 実はクラトス達は、荷造りは済んだものの、まだ引っ越し先が決まっていなかった。この数日、部屋の片づけの傍ら色々な不動産屋を回ってはいたのだが、いい物件があっても現在クラトスが無職である事がネックになって契約まで至らなかったのである。
 この商店街は寮から近い事もあってクラトスも会社帰りによく立ち寄っていた。しかし、駅前に大手スーパーが出来た事もあってか、最近は少々寂れていた。
 ここにただ一軒ある不動産屋がクラトス達に残された最後の砦だったわけなのだが…。
「やっぱり無職では難しいか…」
 クラトス達は肩を落としてその不動産屋から出てきたのだった。
 ここの店主はいい人で、今までの不動産屋のようにクラトスが無職と分かるや否や追い出すような事はしなかった。親身に相談に乗ってくれ、なんとか探しておくよとは言ってくれたのだが、やはり難しい事には変わりないようだった。
 かといって先に職を見つけるにしても、宿なしではどこも雇ってはくれないだろう。つまるところ完全に堂々巡りなのであった。
「寮の立ち退き期限まであと三日しかない。やはり先輩の話に縋るしかないのだろうか…」
「先輩って、あのリーガルさんか?でも、兄貴は嫌なんだろう?」
「いや、嫌というわけではないのだが、とてもいい話だしな。」
 リーガルは学生時代の先輩だった。クラトスがクビになった事を知って、自分の会社に来ないかと誘ってくれたのだ。リーガルの会社は株式会社レザレノという、クラトスがいたイセリア商事よりも更に大手の会社であった。そこの本社に採用してくれるというのだ。今のクラトスにとってはまさに願ってもない話であったのだが、何故かクラトスは保留にしてもらっていた。
「でも兄貴は断ったんだろ?」
「断わってはいない。保留にしてもらっているだけだ。」
「何か他にやりたい事でもあるのかよ?だったら無理してリーガルさんの所に行く事はないよ。じっくりと探せばいいさ。俺なら大丈夫だからさ。いざとなったら俺が働いて兄貴を食わせてやるよ。」
「弟のお前に食わせてもらう程落ちぶれるつもりはない。」
 しかし、リーガルの話に乗り気にならないのも事実だった。確かにいい話ではあるのだが、自分が求めているものとは違う気がしてならなかったのだ。とはいえ、求めているものとは何かと聞かれると答える事ができない。いや、自分自身はとっくに分かっているはずなのだが、それが何なのか分からない…奇妙な話だが実際そうなのだから仕方がない。
 ロイドにこんな事を言ったら即座に笑いだすだろう。「なんだよ、それ。兄貴ついにおかしくなっちまったのか。」と言って…。
 その場面を想像して渋面を作っていたクラトスは、ふいに声をかけられた。
「よお、クラトスさんじゃないかい。」
 気が付くと、行き付けの弁当屋の前に来ていた。声を掛けてきたのはそこの店主のダイクだった。
「しばらく見ないから心配してたんだぜ。」
「兄貴、会社をクビになっちまってさ。」
「え?…クビ?」
「ロ、ロイド!余計な事を言うんじゃない!」
 ダイクは慌てているクラトスをジロリと見た。
「フ〜ン。そう言う事だったのかい。そんな大事な事を隠してるなんて水臭いぜ、クラトスさん。」
「い、いえ、別に隠していたわけでは…」
「ま、長い人生いろいろあらあな。どうだい弁当持って行かねえか?奢ってやるよ。」
「やった〜!じゃあ俺大盛りね!」
「お、おい、ロイド…」
「ワッハッハ!元気なガキだぜ。よし、待ってな。今、ボリューム満点、栄養満点のやつを作ってやるからな。」
「ダイクさん、しかし…」
「いいってことよ。あんたにはひいきにしてもらったからな。これは俺のほんの気持ちだよ。受け取ってくんな。」
 ダイクはウインクすると奥の調理場へと姿を消した。
「ここの商店街っていい人ばっかだよな。さっきは八百屋のおばちゃんから声を掛けられたし、兄貴って人気者なんじゃねえの。」
「この商店街には、入社以来、毎日のように通っていたからな。家族みたいなものかもしれない。」
「家族か〜。いいよなあ、そういうの。」
 クラトスはロイドをまじまじと眺めた。
 何かを言おうと口を開きかけたその時、
「クラトス?クラトスじゃないかあ〜。」
 やけに脳天気な声に振り返ってみると、そこには子分を連れたユアンが立っていた。傍らにはボータもいる。
「ユアン…何故こんな所に?」
「ここは私達レネゲード組のシマなんだ。今日は見回りにな。それより、済まなかったなクラトス。私の所為で会社をクビになったと聞いた。」
「…別にお前の所為ではない。」
「あれから色々と調べたのだ。確かお前の仕事をさらって行った奴はクルシス商会だと言っていたよな?そこは我らレネゲード組と敵対しているクルシス組がやっている会社なんだ。あいつもやくざだったんだよ。」
「クルシス組?やくざ?ということはまさか、ニールさんを襲ったのは…」
「そうだよ、あいつらに違いない。うちを陥れる為にな。」
 そう言えばあのフォシテスという男、やけにきな臭い感じがしていた。
 すると、そこへ…
「おやあ、そこにいるのはヘナゲード組の皆さんではありませんか?」
 現れたのは噂のクルシス組の連中だった。その中にはあのフォシテスもいる。
 ユアンはキッとして睨みつけた。
「ヘナゲードだと!?うちはレネゲード組だ。そんな名前ではない!」
「おや、違いましたか?だが、ヘナゲードの方があなた方にはピッタリだと思いますがねえ。」
 ハッハッハッと笑うクルシス組の連中。
「く〜〜〜っ!!大体なんでお前らがここに来るんだ。ここは私達の持ち場だぞ!!」
「“今”はね。だが、もうすぐ俺達クルシス組のものとなるさ。お前達のようなヘッポコ組はすぐに潰れるだろうからな。」
 クックックッと笑いながらそう言ったフォシテスは、傍らに立っているクラトスに気が付いた。
「おい、どこかで見た顔だと思ったら、そっちにいるのは会社をクビになった間抜けじゃねえか。確かクラトスとかいったか?」
 ユアンはハッとしてクラトスを見るが、クラトスは相手にするなというように静かにかぶりを振る。
 しかしユアンの我慢は、もう限界だった。
「今の言葉を取り消せ!」
「取り消す?だって本当の事だろうが。お前ら知り合いだったのか。こいつはいいや。間抜け同士、お似合いだぜ。」
「もう許さん!確かにレネゲード組はお前らの足元にも及ばないちっぽけな組だ。馬鹿にされたって仕方がないのかもしれん。だが、こいつは…クラトスは私達とは違うんだ。こいつを馬鹿にする事だけは許さない!目に物見せてくれよう!!」
「わ、若!お待ち下さい!!」
 ボータの制止の声を振り切り、飛びかかって行くユアン。子分達も後に続いて行く。
 だが、はっきり言ってユアン達は喧嘩に弱かった。場慣れしたクルシス組の連中に敵う筈もなく、あっけなく張り倒されてしまう。
「ハッハッハッ!目に物見せられちまってるぜ!クズはおうちに帰って泣きながら傷でもなめ合っていな!」
 それでもユアンは諦めなかった。何度張り倒されようとも、一人必死に食いついていく。
「あ、兄貴、やばいよ。あのままじゃユアン殺されちまうよ。」
 おろおろとクラトスを見上げたロイドは、その顔をみて息をのんだ。
 それは普段の穏やかなクラトスとは明らかに違っていた。全身を細かく震わせながら、血が出るほどに固く拳が握られている。面は無表情ではあったが、その瞳は鋭く刺すような光を帯びており、じっと、ユアンをいたぶり続けるクルシス組の連中を見詰めていたのだった。

「……いい加減にしろ。」

 抑えられてはいるが、確かな怒りのこもった声に、クルシス組の連中はクラトスの方に振り返った。
「あん?今なんて言ったんだ?」
「お前ら耳が悪いのか?いい加減にしろと言ったのだ!」
 クラトスはゆっくりと歩み寄って行く。
「何を言ってやがる。ど素人は引っ込んでやがれ!!」
 クルシス組の連中は今度は獲物をクラトスへと変えて「やっちまえ!!」と一斉に飛びかかって来た。だが、やられたのは自分達の方であった。クラトスは一瞬にしてかかってきた全員を殴り倒してしまったのである。
 一人残っているフォシテスへと目を向けるクラトス。
 フォシテスは油断なく身構えたが、クラトスは彼に一言こう言っただけであった。
「こいつらを連れてとっとと消えろ。ここは私達レネゲード組のシマだ。お前らの来る所ではない。」
「くっそお、覚えてろよ。この落とし前は必ずつけてやるからな!」
 クルシス組の連中は、よろよろと起き上がると脱兎の如く去って行った。
 それを見送り、ユアンを助け起こすクラトス。
「私の為に、有難う、ユアン。」
「クラトス、お前……。」
 クラトスは苦笑した。
「勢いあまってあんな事を言ってしまった。迷惑だったか?」
「いや、迷惑なんて事は…」
 ユアンはボータと顔を見合わせる。
 そこへダイクとロイドが救急箱を持って走り寄って来た。
 クラトスはユアン達の手当はダイクとロイドに任せて邪魔にならぬようボータと共に少し離れた場所へと移動した。
「よかったのですか?クラトスさんは私どもの仲間になる事を拒んでおられた。今の一言でクルシス組の連中は完全にあなたも我々の仲間とみなしたことでしょう。」
「それを承知で言った事だ。私は悔やんではいない。」
「しかし何故急に心変わりなさったのです。」
「あなたは知っていたのでしょう?私達の父の事。だから先日私を誘いにきた。違いますか?」
「それはそうなんですが…クラトスさんも知っていたので?」
「いいえ。あの後、母の日記を見付けてそれで初めて知りました。父が生きているという事。そしてやくざだったという事を。」
 クラトスはロイドの方をチラリと見ると話を続けた。
「ロイドはまだ父がやくざだった事は知りません。ですからあいつには黙っていて下さい。」
「ええ、それは…」
「それを知った時、私はロイドに尋ねたのです。父親に会いたいかと。ロイドは会わなくてもいいと答えたが、それは私に気を使っての事で本当は会いたいのだと私には分かりました。私はロイドを父親に会わせてあげたい。だが、私自身顔もろくに覚えていない父をどうすれば探し出せるのか…いつの間にか私は自分でも気づかぬ内にずっとその事ばかり考えていたんですね。」

 そう、だからリーガルの話に乗り気になれなかったのだ。
 私が求めていたのはこの事だったんだ。

「ユアンの姿を見て私はその事にやっと気付きました。そして、決心したんです。私も父と同じ世界に生きてみようと。そうすればいつか父に会えるかもしれないと。私は父を探し出したい。ロイドの為だけでなく、私自身の為にも。」
「…やはり血は争えませんね。さっきのあなたを見た時、私は伝説のやくざが再来したかと思いましたよ。」
「そう言われても、あんまり嬉しくないですね。」
 クラトスは感嘆するボータに向かって、照れ臭そうにしながら苦笑を浮かべたのだった。


 そんなクラトス達の姿を遠くから窺っている者がいた。
「だらしないね、あんな屑どもにやられてしまうなんてさ。」
「すみません。まさかあいつがあれほど強いとは思わなかったものですから。」
「言い訳は聞きたくないよ!」
「は、はい、申し訳ありません!!次こそ必ず叩き潰してやります。」
「…あの男、クラトスって言ったけ?」
「え!?…は、はい。」
「フフフ…。気に入ったよ。僕はあいつが気に入った。あんな潰れかけてる組にはもったいない男だよ。我クルシス組にこそ相応しい。そうは思わないかい。」
「は?…はあ、しかしあいつは…」
「あんな吹けば飛ぶような組はいつだって潰せるさ。クラトスを引き抜いてからでも遅くはない。僕は欲しいと思ったら必ず手に入れる主義だ。だからクラトスも必ず奪い取ってみせる。まあ見ていなよ、フフフ…」

 今まさにクラトスの周りで嵐が吹き荒れようとしていた。



 昔、我がレネゲード組に伝説のやくざと呼ばれた者がいたのを知っているか?
 そいつは義理人情に厚く頭も切れ、そこらのやくざなど比べ物にならぬほどの度胸をも兼ね備えていた。
 裏社会にその名を轟かせていたその男を、この世界の誰もが恐れていたものだ。
 まさにやくざの中のやくざ、いや男の中の男だったな。
 その者の名はアウリオン。
 わしのバカ息子の友人にクラトスっていうのがいただろう?
 彼は、その伝説のやくざの息子なんだよ…。


−第1話 その男、アウリオン 終−