孤立 後編
その日、ロイドが帰宅すると、クラトスは薄暗い部屋の中で一人ぼんやりとしていた。
「ただいま〜…って、どうしたんだよ兄貴。電気もつけないでさ。」
ロイドがスイッチを入れた事で直ぐに部屋は明るくなり、そうなってようやくクラトスは弟の帰宅に気付いたようだった。
「ああ、ロイド。帰ったのか。」
「どうしたんだよ。なんだか様子が変だぜ。組で何かあったのか?」
「……すまなかった、ロイド。」
「えっ、何が?」
「今日、お前の友人に会ったのだ。それで学校の事を聞いた。」
ロイドは一瞬目を見開いたが、すぐにいつものように笑顔を浮かべると、
「そっか、やっぱ耳に入っちまったか。ごめんよ。隠すつもりはなかったんだ。いやさ、何だか知らないけど、いつの間にか学校中の噂になっちまってさ。誰かがPTAのお偉いさんに告げ口したらしいんだ。」
「そうか…だが、お前を退学になどさせんから安心しろ。私さえ組を辞めれば、それで解決するのだろう?」
「それはそうだけど、でも兄貴はそれでいいのか?…俺の事なら気にするなよ。ほら、俺って勉強は嫌いだからさ、別に退学になったって構わないんだから、俺の為に無理しないでくれよ。」
「子供が余計な気を回すんじゃない。」
クラトスはロイドの頭をクシャリとすると、笑顔を浮かべた。
「私は別に無理などしていない。いや、やくざの世界も思ったより大変でな。私なんかにはとてもじゃないが務まらないと思い始めていた所だったのだ。そんな時にたまたまお前の事が持ち上がってきた。だから、私が組を辞めるのは今回の事とは関係ない。以前から考えていた事なのだ。」
「でも…」
「もう決めた事なのだ。組の方にも辞めると言って来たしな。」
「……」
「とは言え、ちょっとやり残した事があるから当分はバイトで食いつなぐ事になるが、それでも組を辞めた事には違いがない。そうだな…早速、明日にでも私が学校へ行って先生方に説明して来よう。そうすれば停学も解かれる筈だ。」
「待って…」
「ん?」
「…先生には俺が自分で言うよ。」
「ロイド?…いやしかし、こういう事はやはり保護者である私が行った方がいいだろう?」
「兄貴がやくざを辞めるよう説得しろって言われたのは俺なんだから、俺が自分で担任に報告すれば済む事だろ?それに兄貴はやり残した事があるって言っていたじゃんか。だから兄貴はそれが済んでからでも挨拶に行ってくれればいいよ。」
「しかし…」
「大丈夫だって。俺がちゃんと説明するからさ。」
「そうか?…それではそうして貰おうか。だが、何かあったら必ず私に言うのだぞ。いつでも学校に駆け付けるからな。」
「うん、分かった。」
「よし…では食事にするか。腹が減っただろう?今すぐ用意するからな。」
そう言って台所で食事の支度を始めたクラトスを眺めながら、ロイドはポツリと呟いた。
「やくざを辞めるつもりだっただなんて……兄貴の嘘吐き。」
それからロイドは難しい顔つきになると、何やら考え込んでしまったのだった。
その翌日、ゼロスは鼻歌交じりで組事務所へ向かっていた。
今日はとても気分がいい。何しろ、あの目障りな男がもう組にはいないのだから。お陰でいつもよりだいぶ早く目が覚めてしまった。まだ朝の六時半。屋敷に寝泊まりしている者以外はまだ誰も来ていないだろうな。組長とボータの兄貴は用事があるから今日は午後から事務所に来ると言っていたし、幹部の中では俺様が一番乗りってトコかな。
それにしても昨日のクラトスは傑作だった。突然事務所に現れたと思ったら、組を抜けさせて欲しいなんて言って来て、ボータ兄貴が理由を聞いても答える事無く、ただただ頭を下げるばかり。その姿は本当に情けなくて、哀れとさえ思えた。
“直ぐに奴の方から辞めさせてくれって泣きついてくるぜ”
全く、フォシテスの言っていた通りになった。どんな手を使ったのかは知らないが、あれだけ自分からは辞めないと言っておきながら、それをあっさりと翻すとは、とんだ根性無しだ。所詮それだけの男だったって事だろう。
「ホント、清々したぜ。」
こうしてウキウキとしながら組事務所があるマクスウェル邸にやって来たゼロスだったが、到着するや否や、その表情を一変させた。
どういうわけか、中にあった家具の殆どが外へと放り出され、ことごとく破壊されている。屋敷も所々打ち壊されており、その傍には数人の組員達が倒れていた。ゼロスはその中の一人であるクマさんに駆け寄り抱き起こすと、
「おい、しっかりしろ!一体これはどうした事だ!?」
「…あ、ゼロス兄い……クルシス組のやつらが、明け方に突然襲ってきたんだ…ヘナゲードはとっととここから出て行けって…」
「!!」
「断ったら、無理矢理家具を運び出しやがってよ…止めようとした俺達をボコボコに…。すまねえ。組長や兄貴達の留守が守れなくて…」
「……そんな事は気にするな。それで、そいつらは確かにクルシス組のやつらだったんだな?」
「間違いねえよ。あの青髪のきな臭い野郎も一緒だったし。」
(青髪?…フォシテスか!)
ゼロスは血が出る程に拳を握りしめると立ち上がった。
「兄い?」
「お前は動けるようだな?なら、他の奴等の手当を頼む。心配するな。お前等の敵はこの俺が必ず取ってやるから。」
「えっ!?…ちょっ、兄い一人じゃ危ないっすよ!!」
しかしゼロスはもうすでに走り去ってしまっていた。
「やばい、やばいぞ。いくらゼロス兄いでも、一人で殴り込みなんて無茶だ。」
クマさんはすぐ傍で伸びているウサギさんを揺り起した。
「おい、起きろ!」
「ああ、兄貴……あと五分…」
「馬鹿野郎!何寝ぼけていやがる。組の一大事なんだ。とっとと起きねえかっ!!」
「いたっ、痛いっすよ。一体どうしたっていうんすか。」
クマさんは苛々としながら、今あった事を手短に話して聞かせると、
「お前は直ぐに組長とボータの兄貴を呼んでくるんだ。俺はクルシス組へ行ってくる。」
「ゼロス兄貴に加勢すんですかい?危ないっすよ。」
「馬鹿、様子を探って来るだけだ。俺が殴り込んだ所で、ゼロス兄いの足を引っ張る事ぐらいしか出来ないのは分かっているからな。」
「分かりやした。気を付けて。」
こうしてクマさんとウサギさんは、それぞれの方向へと散って行ったのだった。
丁度その頃、ゼロスはクルシス組事務所に到着していた。
「なんでえ、ゼロスじゃねえか。血相変えてどうした?」
乱暴に戸を押し開け中へと入って来たゼロスに、ニヤニヤと笑いながら声をかけるフォシテス。
「フォシテスてめえ、よくも裏切りやがったな!」
「裏切る?一体何の事だい。」
「何故レネゲード組を襲ったんだ!?あいつを…クラトスを追い出すのに手を貸せば、レネゲード組は潰さずに残すって約束したじゃねえか!!」
「ああ、確かにそう約束したな。それがどうした?」
「どうしただと!?自分でレネゲード組を襲撃しといてよくそんな口がたたけるな!?」
いきり立つゼロスに、フォシテスは肩を竦めてみせた。
「何を怒っているのか理解に苦しむな。俺は約束は破っちゃいないぜ。」
「組の者に屋敷から出て行けと言ったそうじゃないか。事務所を滅茶苦茶にし、組員を痛めつけて…。これのどこが約束を破っていない事になるんだっ!?」
「勘違いするなよ、坊や。俺が残すと言ったのはレネゲード組の看板であって、中身は関係ない。」
「え…?」
「これからレネゲード組は我がクルシス組の配下に置かれる事となる。だが、吸収しちまう訳じゃなく、名前は残すと言っているんだ。レネゲード組は、今こそあんなだが、先代の頃はその名を知らぬ者はないと言われた程の由緒ある組だ。対してクルシス組は、急成長を遂げたものの歴史が浅い。そこでレネゲードの看板を大いに利用して箔をつけようってわけよ。」
フォシテスの説明に目を見開くゼロス。
「新生レネゲード組には、うちから人員を送り込むから、あいつらへなちょこ元組員は必要ない。むしろ邪魔なだけだ。ゴミは早々に片付けるに限るだろ?中身は入れ替わる事になるが、お前の望み通りレネゲード組は残るんだ。何の文句がある?…ああ、自分の事を心配しているのなら、それには及ばないぞ。お前は新生レネゲードとなっても、今まで通り幹部として残ってもらうつもりでいるから安心しろ。なんならお前を組長に据えてやってもいいぞ。」
「ち…違う…」
ゼロスはよろよろと後ずさった。
「俺が望んでいたのはそんな事じゃない。俺は、あのレネゲード組のままで残って欲しかったんだ。組長がいて、ボータの兄貴がいて、みんながいて…それこそがレネゲード組だったのに……許さない。みんなを排除なんてさせるものか!!」
飛び出して行こうとするゼロスの前に、クルシス組の連中が立ち塞がった。
「どけよっ!!」
「どこに行こうっていうんだい、坊や?」
ゆっくりと立ち上がるフォシテス。
「レネゲード組に報告に行くつもりかい?何て報告するつもりだね?私は組を裏切っておりましたとでも言うつもりか?」
「何っ!?」
「どんな綺麗事を並べようが、結局お前は組を裏切ったんだよ。そんなお前を果たしてやつらは許してくれるかな?もうお前は戻る事なんて出来ないんだよ。」
フォシテスはゼロスの頬を一発叩くと、組員達に彼を縛りあげるよう命じた。
「頭を冷やしてよく考えるんだな、坊や。お前に残された道は二つだけ。ここで殺されるか、それとも俺の手足となって働くかだ。どっちが得かは、頭の良いお前ならちょっと考えりゃ分かる事だろう?俺はこれでもお前の事を買っているんだぜ。失望させないでくれや。」
ゼロスは歯軋りをしながら、フォシテスを睨みつけていた。
その一部始終を覗き見ていた影が一つ…言うまでもなくクマさんであった。
「大変な事になった…早く組長に知らせなきゃ!」
クマさんは大急ぎで駆け戻って行ったのであった。
クラトスは今日も商店街で一人修復に励んでいた。トンカチ片手に一つ一つ修理して行っているのだが、生来のぶきっちょであるクラトスでは、なかなか進んでいないのが現状であった。そうこうしている内に、釘ではなく自分の指を叩いてしまう。
「痛っ…」
思わずトンカチを取り落としてしまうクラトス。
すると、背後から呆れたような声とクスクスという笑い声が聞こえてきた。
「あ〜あ、まったく、見ちゃいられねえな。」
指を銜えながら涙目で振り返ると、そこにはダイクとミトス、そして肉屋の娘であるしいなが立っていた。
「ほれ、貸してみな。釘っていうのはな、こうして打つもんだ。」
ダイクはクラトスからトンカチをもぎ取ると、器用に釘を打って見せた。
「ダイクさん…どうして?」
「俺が旅行に行っている間に大事件があったみてえだな。しいなから聞いてびっくりしたぜ。」
「……」
「しかしあんたも一人でよくやるなあ。感心するぜ。他の連中は何してるんだい?」
「いえ、これは私が勝手にしている事で組とは関係ありませんから。」
「それにしたってよ…あんた一人が背負い込む事じゃないだろうに。」
「まったくだよ。」
と、しいなも話に加わってくる。
「レネゲード組の連中だけじゃない。商店街のみんなも一人として手伝おうとしないんだから、本当に冷たいよ……とは言え、斯く言うあたしも今まで何もしなかったんだけどね。」
「なんでえ。それじゃあ人の事は言えねえじゃないか。」
ダイクに額を小突かれ、エヘヘと笑うしいな。
「仕方ありませんよ。あんな事があったんだ。皆、やくざというものが怖くなってしまったんでしょう。」
「でもクラトスさんは、組を辞めたんだよね。」
思わずミトスを見やるクラトス。
何で知っているのかと言いたげな彼の視線を受け、ミトスはペロリと舌を出すと、
「昨日、弟さんの事を聞いた後のクラトスさんの様子からそうじゃないかなあって想像で言ってみたんだけど、ドンピシャリだったみたいだね。」
「……」
「弟?…あの元気のいい坊主がどうかしたのかい?」
「クラトスさんがやくざだって学校にばれちゃって、退学にされそうなんだ。」
「ミトス君!余計な事を言うな!」
「あ……ごめんなさい…」
「なんでえ、なんでえ、俺が留守の間になんだか大変な事になってるみたいだな?」
「いえ、もうその件は私がやくざを辞めた事で解決したんです。今日ロイドが学校側に説明している筈ですから、今頃停学も解かれている事でしょう。ですからご心配なく。」
苦笑を浮かべそう言うと、もう一つのトンカチを取り出し、別の個所を修理し始めるクラトス。しかし、ダイクの手先を見ながら見様見真似でやってみるのだが、どうもうまくいかない。
「クラトスさんって、ホント不器用なんだね。」
ミトスのストレートな一言に、クラトスは顔を赤らめた。
「し、仕方なかろう。こういうのは昔から苦手なんだ。」
「だったら修理しようなんて考えなければよかったのに…。ダイクさんも来た事だし、ペンキ塗りに回ったら?それなら指を痛めなくて済むでしょ。」
「煩い!!」
ミトスの言葉に、クラトスは大人げないと思いながらも意地になってトンカチを振るい続けた。しかし、そんな直ぐに上達するはずもなく、左手の傷は増えるばかり。背後から聞こえてくるしいなの忍び笑いに更に顔を赤らめる。
すると…
「あ〜あ、兄貴ったら何やっているんだよ。それじゃあ直しているんだか壊しているんだか分からないじゃんか。」
「え?…ロイド?」
その聞き覚えのある声に振り返ると、果たしてそこにはロイドが立っていた。
ロイドはダイクと同じように、クラトスの手からトンカチを奪い取ると、トンテントンテンと打ち始める。
「へえ〜、うまいじゃないか。あんたがクラトスさんの弟のロイドなのかい?」
感心するしいなに、ロイドは手を休める事無く答えた。
「うん、そうだよ。」
「同じ血を引く兄弟だっていうのに、こうも違うもんかねえ。」
「兄貴はこういう事苦手だからさ、小さい頃から俺が代わりにやっていたんだ。だから慣れているんだよ。」
「あんた、幼い弟に大工仕事なんてやらせていたのかい!?とんだ兄貴だね。」
クラトスは目を伏せ咳払いをすると、ロイドに尋ねた。
「ところでロイド、学校はどうしたのだ?ちゃんと説明したのだろう?」
クラトスの言葉に、ロイドの手が止まる。
「ロイド…まさかお前、学校に行かなかったのではあるまいな?」
「……ごめん。」
「!!」
クラトスはロイドを立たせると、その肩を乱暴に揺すった。
「何故だ。何故行かなかった!?お前は昨日私に、ちゃんと自分で説明に行くと言ったよな。あれは私を学校に行かせない為の嘘だったのか!」
このままでは埒が明かんと、クラトスは自ら学校へ向かおうと踵を返した。
「嘘を吐いたのは兄貴の方だろっ!!」
背中に投げかけられた怒鳴り声にクラトスの足が止まる。振り返ると、ロイドは涙をためた目で自分を睨みつけていた。
「やくざを辞めるつもりでいたなんて大嘘だ。そうだろ?兄貴は昔から途中で投げ出す事を一番嫌っていたじゃないか。兄貴はいつだってそうだ。俺の為、俺の為って、自分の気持ちに嘘をついて…。でも、それが俺にとってどれだけ負担になってるか考えた事あるのか?」
「ロイド?」
「俺は、俺の為に兄貴が自分の夢を一つ一つ諦めて行くのを見ているのがずっと辛かったんだ。そんな兄貴を助けたいって何度も思ったけど、その時の俺には力がなくて、どうしようもなくて…でも、俺はもう十七歳になった。昔みたいに兄貴に助けて貰わなければ何も出来なかったガキじゃない。自分の始末は自分でつけられる。俺は兄貴にはやりたい事を自由にやって行って欲しいんだ。もう俺の為に自分を殺してほしくないんだよ。」
ロイドの心の叫びに、クラトスは言葉を失ってしまった。
ロイドに良かれと思ってやって来た自分の行為が、逆にこんなにも苦しめてしまっていたとは考えてもいなかったのだ。自分の気持ちを押し隠してきたつもりであったが、勘のいいロイドは全て察してしまっていたのだろう。
そんなロイドの気持ちも分からずに兄貴風を吹かし続けてきた自分に無性に腹が立った。だが、このまま退学してしまう事がロイドにとって良い事だとは到底思えなかった。
何か言わなければならない…
しかし何を言えば良いのか分からない…
クラトスは混乱してしまっていた。
と、その時だった。
「兄貴〜〜!!」
聞こえてきた声に、反射的にロイドを見やるクラトス。
「何だ?」
「えっ?…いや、今のは俺じゃないから…」
「しかし今兄貴と…。私の事を兄貴なんて呼ぶのはお前しかおるまい?」
「でも、俺じゃないんだけど。」
「兄貴〜〜、クラトスの兄貴〜〜!!」
再び聞こえてきた声に、二人は一瞬顔を見合わせると同時に振り返った。
すると向こうからウサギさんが走ってくるのが見えた。
「兄貴だと…?」
どう考えてもそう呼ばれる覚えがなく首を傾げているクラトスの元へ、ようやくウサギさんが辿り着いた。
「よかった…やっぱりここにいたんすね、兄貴!」
「私はお前の兄貴ではないのだが?」
「立派に兄貴じゃないっすか!…てか、この際そんな事はどうでもいいんですよ。それより大変なんです。」
「大変?」
ウサギさんはゼロスの事をクラトスに話して聞かせた。
「ゼロスが…」
「そうなんすよ。あいつ、組を裏切っていたんです。それなのにいけしゃあしゃあとしやがって…すっかり騙されました。そんなあいつがクルシス組に捕まって、正直、俺達は清々していたんですがね。それなのに組長が、『見殺しには出来ん、助けに行く』なんて言い出して、飛び出して行っちまったんですよ。ボータの兄貴が直ぐに後を追って行ったんですが、二人だけじゃいくら何でも…ねえ?だからクラトスの兄貴、助けて下さいよ。」
するとそこへ、ミトスが口を挟んで来た。
「ちょっと待ってよ。それは図々しいんじゃないの?」
「なんだよガキ。部外者が口を挟んでくるんじゃねえ!」
「部外者って言うならクラトスさんだってそうでしょ。あんた達が散々邪魔者扱いして辞めさせたんじゃないか。それなのにこんな時だけ泣きついてくるなんて調子が良すぎるよ。」
「それは…」
ミトスの正論にウサギさんは言葉を詰まらせると、恐る恐る、目を伏せ考え込んでいるクラトスを見上げた。
「やっぱ、駄目っすかね?」
目を上げ、ロイドを見るクラトス。
「ロイド……私は…」
ロイドはニッコリと笑うと、
「行きたいんだろ?だったら行ってこいよ。兄貴は兄貴がやりたいようにやればいいんだ。もしここでユアンを見捨てるような兄貴だったら、俺、きっと軽蔑していたよ。」
「…すまない。」
「あ、兄貴!」
走り出したクラトスにロイドは持っていた剣道の竹刀を放って寄こした。
「持ってけよ。実は俺、剣道の稽古の帰りだったんだ。そんなので役に立つかは分からないけど。」
「有難う。」
「って、ちょっと待ってよ!」
竹刀を受け取り再び走り出そうとしたクラトスの腕をミトスが掴んだ。
「どうして行くのさ。そのゼロスって奴は組を裏切っていたんでしょ。組長だって、裏切り者だって分かっていて助けに行ったんだ。僕からしたら馬鹿なお人好しとしか思えないよ。その結果どうなろうが二人とも自業自得じゃないの?そもそもあなたはもう組とは関係ない。それなのに何故助けに行くんだよ。」
「そうだな…確かにお前の言う通りかもしれない。だが、ユアンは私の大切な友人なのだ。彼はゼロスの事を信じた。だから私も信じようと思う。あいつは確かに馬鹿でお人好しかもしれんが、それでも人を見る目は確かなんだ。」
「でも…」
「私は人の道から外れた行為はしたくない。君だったら親友が窮地に陥っているのを見過ごす事が出来るか?出来ないだろう。それと同じなんだよ。」
「……」
クラトスはミトスの頭を撫でると微笑みを浮かべた。
「心配してくれて有難う。」
そして今度こそクルシス組に向かって走り出したのだった。
その頃、先にクルシス組へ殴り込みをかけたユアンとボータはと言えば、案の定返り討ちにあっていた。ボコボコにされた上に縛りあげられ、ゼロスの横に転がされてしまう。
「馬鹿、何で来たんだよ!俺はあんた達を裏切ったんだぞ。」
そんなゼロスに、ユアンは腫れあがった顔で笑ってみせるとこう言ったのだった。
「何か理由があったんだろう?そうでなければお前が裏切るわけがない。」
目を見開くゼロス。
「まったく、見ちゃいられねえな。今度のレネゲード組の組長はとんでもないお人好しの馬鹿だと聞いてはいたが、まさかこれ程とはな。」
「ならば見なければいいだろう!」
せせら笑うフォシテスを、ユアンは睨みつけた。
「お?言ってくれるじゃねえか。だが、いつまで信じ続けていられるかな?一つゲームをしようじゃないか。お前が勝つか、それとも俺が勝つか…。ま、結果は見えているがね。」
フォシテスはニヤリと笑いを浮かべ、ゼロスの縄を解いてやると、持っていたナイフを彼の足元に放り投げた。
「なんだよこれは。」
「そのナイフでそいつを殺せ。そうすりゃその瞬間からお前は俺達の仲間だ。」
「何だって!?」
「さもなきゃお前が死ぬ事になる。さあどうする?」
ゼロスは震える手でナイフを拾い上げた。そしてそれをユアンへと向ける。
「おいゼロス?…嘘だろ?まさか…な?」
縛られ不自由な体を必死に動かし後ずさるユアン。
「ゼロス!馬鹿な真似はよせ!」
ボータはユアンを庇うように前に出ると必死に叫んだ。だが、ゼロスの表情は変わらない。
「ハッハッハ…そうだよな。簡単なクイズだ。選ぶ答えは決まってる。人間誰しも自分が一番可愛いものだからな。」
しかし、そのフォシテスの高笑いは途中で止まった。ゼロスが突然向きを変え刃先をフォシテスへと向けて来たのである。
「生憎だったな。そうそういつもあんたの計算通りには行かないぜ。」
「フ…まさかお前がそれ程馬鹿だとは思わなかったよ。」
ゆっくりと懐から拳銃を取り出すフォシテス。
今度はゼロスが驚く番だった。
「甘く見ないで貰いたいね。お前がそう出る事も、とっくの昔に計算済みなんだよ。せっかく助けてやろうと思ったのだが、どうやらお前にはそんな価値はなかったようだ。」
フォシテスの指が引き金にかけられ、ゼロスは観念したようにだらりと手を下げると目を閉じた。
と、その時である。
ドアが乱暴に蹴り破られ、クラトスが飛び込んできたのだった。
「なっ…お前は!!」
フォシテスは直ぐに拳銃をクラトスへと向け直したものの、それはゼロスによって弾き飛ばされた。クラトスは室内にいるクルシス組の連中を次々と竹刀で叩きのめして行く。それは全員をやり終えるまで僅か数秒という見事なまでの早業であった。
これにはさすがのフォシテスも驚愕の表情を浮かべ、思わずこう呟いたのだった。
「ば…化け物…」
「化け物?フン、当の化け物であるお前にそんな事を言われたくはないな。」
「何だとっ!」
「そうだろう?人の心を弄ぶお前こそ化け物ではないか。」
「貴様、言わせておけば…」
フォシテスは怒りも露わに殴りかかろうとしたが、その瞬間、隣の部屋へと続くドアが開かれ、流れるような金色の髪をした青年が姿をあらわしたのだった。
「止めないか。お前の負けだ。」
「組長!!」
「「「組長?」」」
フォシテスの言葉に、驚いたように顔を見合わせて異口同音に叫ぶクラトス達。
男は優雅な笑いを浮かべると、三人に自己紹介をした。
「初めまして。私はユグドラシル。クルシス組の組長を務めております。この度の部下の失礼な行為、どうかお許し下さい。」
それからユグドラシルはクラトスに目を向けると、
「あなたがクラトスさんですね。お噂はかねがね…。それにしても見事な太刀捌きですね。感服致しました。」
「当たり前でしょう。クラトスさんはあの伝説のやくざと謳われているアウリオンの息子なのですから。」
「何だって!?クラトスがあの伝説のやくざの息子?」
ボータの言葉に目を丸くするユアン。同時にユグドラシルの瞳が一瞬キラリと光ったのだが、それには誰も気付く事はなかった。
「ほう…そうでしたか。そんな方に会えるとは光栄ですね。」
「…別に私がその伝説のやくざな訳ではない。」
「いえ、いえ、先程の戦いぶりを見れば、さすがとしか言いようがありません。」
クラトスはユグドラシルを見詰めた。
この男、話し方も丁寧だし一見して紳士のように思える。だが、その言葉の一つ一つからは温かみというものが全く感じられないのだ。まるで感情のない機械と話しているようで、何やら不気味さを覚える。
クラトスは、これ以上ここに長居していては危険だと判断し、早々に引き揚げる事にした。
「…では、この三人は連れて帰ってもいいですね?」
「ええ、構いませんとも。」
クラトスはユアンとボータの縄を解くと、ゼロスを連れ出口へと向かう。
ユグドラシルはその背中に言葉を投げかけて来た。
「今度、機会があったらぜひお手合わせ願いたいものですね。」
クラトスはチラリとユグドラシルを見やったが、何も言わずクルシス組を後にしたのだった。
その翌日、クラトスはいつものように商店街の修復作業をしていた。だが今日は一人ではなく、ダイクとロイドも一緒に作業している。
「クラトスさん、その坊主の学校の事なんだが…」
「その事でしたら、昨夜よく話合った結果、ロイドの好きなようにさせる事にしました。ですが高校だけはやはり卒業しておいた方がいいと思うので、どこか別の学校を探すつもりでいます。」
「兄貴、まだそんな事言っているのかよ。学校なんて行かなくたっていいって。」
「そうはいくか。」
「坊主、クラトスさんの言う通りだ。勉強できるならしておくに越した事はないぞ。…そこで余計な事とは思ったんだが、一つ心当りがあるんだがね。その学校に行ってみる気はないかね?」
「でも、俺、また受験勉強するなんて嫌なんだけどな。」
「心配いらねえよ。一応試験はあるが、それは現在の学力を調べる為のもので合否を決めるものじゃない。つまるところ、誰でも入学できるって事だ。塾に毛が生えたような小さな学校なんだが、ちゃんと高卒の資格も取れるしな。校風も自由だし、坊主にぴったりじゃないのかな。」
「それは本当ですか?」
「ああ。そこの学校はリフィルって女教師が一人でやっているんだが、その人と俺は知り合いでね。行く気があるんなら口利くがどうだ?」
クラトスはロイドを見た。
「どうする?行くか?」
「自由な雰囲気の学校か…なんだか面白そうだな。うん、俺、そこに行くよ。」
「そうか。じゃあ、話はつけとくから、明日にでも行ってみるんだな。」
「有難うございます、ダイクさん。」
「何、いいって事よ。」
そんな事を話しながら作業をしている三人を、物陰からゼロスが見ていた。そこへしいなが通りかかる。
「なんだい、あんた来ていたのかい。クラトスさんにちゃんとお礼を言ったのかい?」
「何で俺があんな奴に礼を言わなきゃなんねえんだよ。」
「だってあんた助けてもらったんだろ。」
「別に頼んだわけじゃねえよ。第一、皆の前で平気で土下座をするような腰ぬけに頭を下げるなんて御免だね。」
「あんたまだそんな事を言っているのかい。マクスウェルさんを尊敬していたあんたなら、もうとっくにあの土下座の理由が分かっているものと思っていたけどね。」
「え?」
「あの時の状況をよく思い出してみるんだね。それでも分からないって言うんなら、あんたは本物の馬鹿だよ。」
それだけ言うと、しいなはクラトス達の方へ行ってしまう。
「あの時の状況?」
一人残されたゼロスは、しいなの言葉を繰り返した。
「あの時の状況って…何だ?」
必死に思い出していたゼロスは、しばらくしてハッと顔を上げた。
あの時あの場にいたのはゼロス達やくざだけではなかった。近くに沢山の買い物客もいたのだ。あのままクラトスが立ち向かっていたら、興奮していた奴等は間違いなく刃物を出してきただろう。そうなったら周りに被害が及ぶのは目に見えている。
「だからあいつは…」
思わずクラトスの方を見るゼロス。その頭に昔マクスウェルが言っていた言葉が浮かんでくる。
『いいか、ゼロス。やくざってえもんは、絶対に堅気の衆を傷つけちゃあいけねえ。その為に、時には恥をかく事も必要なんだ。』
「おやじさん……」
ゼロスはマクスウェルの優しい笑顔を思い出しながら、きつく拳を握りしめたのだった。
翌朝、クラトスは一人で作業をしていた。ダイクとロイドは昨日の話に出てきた学校を見学に行っている為に今日は来ていない。
しばらく黙々と作業していたクラトスは、ふと手を止めると商店街を見渡して溜息をついた。
昨日は二人のお陰で大分はかどったものの、まだ半分以上の修理箇所を残している。学校が決まれば、ロイドはもうここには来れなくなるだろうし、ダイクとて自分の仕事があるのだからそうそう毎日手伝ってもらうわけにもいかないだろう。
となれば、また自分が一人で頑張るしかない。元に戻ったといえばそれまでだが、昨日のはかどり方を目の当たりにしてしまったクラトスは、それとは対照的な今日の仕事の余りに遅い進み具合に、どうしても苛つきを抑える事が出来なかった。
「一体いつになったら全部直せる事やら…」
こうなると自分の不器用さが恨めしく思えてくる。
だが、いつまでもここでぼんやりしていても破損箇所が勝手に直ってくれる筈もなく、クラトスは仕方なく作業を再開した。
するとそれと同時に、クラトスのどうにも危なっかしい音とは別に、軽やかに釘を打ちつける音が突然に聞こえてきたのだった。首を傾げて辺りを見回したクラトスの目に、赤い髪の青年の姿が飛び込んできた。
「…ゼロス!?」
思わずそう口にしたクラトスを見て、ゼロスは恥ずかしそうに笑うと、
「ほらほら、何ぼんやり突っ立っているんだよ。そんなんじゃいつまでたっても終わらないぜ。」
そして呟くような小さな声で、こう付けたしたのだった。
「……そうだろ、兄貴。」
目を見開くクラトス。
「ゼロス、お前…どうして…」
「自分の馬鹿さ加減がようやく分かったってトコかな…俺だけじゃないぜ。ほら!」
ゼロスが顎でしゃくった方を見ると、クマさん達、レネゲード組の連中が駆け付けてくるのが見えた。
程なくして、目を丸くしているクラトスの元へやってきたクマさん達は、早速クラトスが直していた棚に目をやると苦笑を浮かべる。
「あ〜あ〜、こんなんじゃ駄目ですぜ。物を載せた途端アウトですよ。兄貴って、ぶきっちょだったんすね。」
とクマさんが言えば、ウサギさんも、
「でも俺達が来たからにはもう大丈夫ですぜ。俺ってこう見えてこういうの得意なんすよ。兄貴はそこで監督していてくれりゃいいっすから。」
「…兄貴、兄貴って…私はもう組を…」
「戻ってきてくれよ。」
「えっ?」
「あんたに戻ってきて欲しいんだ。この通りだ。」
そう言っていきなり土下座をしたゼロスを見て、クラトスは驚いた。他の者達も皆ゼロスに倣っている。
「な、何をやっているんだ!?」
「あんたを散々愚弄してきたけど、本当に愚かなのは俺の方だった。」
「ゼロス?」
「おやじさん…先代は何より堅気の人達を大切にしていた。彼等に迷惑をかけない事こそが、おやじさんの言う『やくざとしての誇り』だったんだ。組長もボータの兄貴も、そしてあんたも、それを実践していたんだよな。しいなに言われて、俺、ようやくそれを思い出す事が出来たんだ。」
「……」
「本当にすみませんでした。どうか許して下さい。そして組に戻ってきてくれよ。俺、あんたの傍で、もっともっと学びたいんだ。お願いだ、クラトス兄貴。」
「…もういい。顔を上げてくれ、ゼロス。許すも何も、私はお前を恨んだりなどしていないのだから。」
「それじゃあ、戻って来てくれるのか?」
クラトスは目を伏せた。
「…私が戻ったとて教えられる事など何もない。私には、自分を信じ、今の自分に出来る事を一つ一つやっていくしか出来ないのだ。それにしたって、恐らくお前達が想像するやくざの姿とはかけ離れた事ばかりだろう。お前が言っていたように、所詮私はやくざとしては全くの素人なのだ。」
「それでいいんですよ。」
ボータだった。
「クラトスさんはクラトスさんなりのやり方でやっていけばいいんです。やくざである前に人であれ…それが先代の考えだった。あなたはそれを地でやっていける人だ。そんなあなただからこそ皆信じてついていけるんです。」
それでもクラトスは迷っているようだったが、やがて小さな声で呟いた。
「私は…戻ってもいいのだろうか?」
「だから、さっきからそういっているじゃねえか。」
ゼロスが思いっきりクラトスの背中を叩く。
「また一緒にやっていこうぜ、兄貴!」
クラトスは、そこでようやく笑顔を浮かべると、照れ臭そうに小さく頷いたのだった。
「よ〜し、じゃあ、さっさと直しちまおうぜ!!」
ゼロスの掛け声に、再び作業を開始する組員達。
するとそれから程なくしてしいなが商店街の人達を引き連れやって来たのだった。皆、大工道具を手にしている。
「何だよ、あんたら…」
何を今更という様子のゼロスにしいなが言った。
「ここは私達の商店街だからね。あんた達やくざだけに任せて知らん振りしている訳にはいかないだろ。昨日話し合って、私達も手伝わせてもらう事に決めたのさ。そしてまた、昔のように活気ある商店街に戻してみせるって誓いあったのさ。」
それから、やくざと商店街の人達は協力し合って修復作業を始めたのだった。
「見てごらんなさい。あなたの真摯さがあの人達の心を動かしたんです。それこそがあなたの力なんですよ。」
「…前から思っていたが、ボータさん、あなたは少々私を買い被り過ぎているようだ。」
「そうでしょうか?私は、あなたこそが我がレネゲード組を変えて行ってくれる救世主足る人だと信じているんですがね。先代もそう思ったからこそ、あなたを欲したのだと思いますよ。」
「……」
「ちょっと兄貴達、そんなトコで何眺めているんすか。手伝って下さいよ〜。」
「だ、そうです。行きますか?」
「そうですね。」
クラトスとボータは顔を見合せて笑顔を浮かべると、皆の方へと走っていったのだった。
道はまだ遠い。
だが、彼等は再建へ向けて、確実に一歩を踏み出したのだった。
−孤立 後編 終−