5.ゼロスの想い 前編


 アルタミラにあるバー『シンフォニア』。華やかな店内を抜けると、その奥に事務室がある。
 先日の騒動以来クラトスは、関係者以外立ち入り禁止のその場所で帳簿付けに従事していた。
 事務所には彼の他にロイドとコレットの姿もあった。
 この二人、最近毎日やって来る。そしてコレットは溜まっている伝票類の整理をしたりしてクラトスを手伝いながら、ロイドは手持無沙汰に室内をぶらぶらしながら閉店まで時を過ごした後、クラトスを、彼が今住んでいるアルタミラ内にある寮まで送り帰って行くのだ。
 まるでボディーガードだなと、苦笑を浮かべるクラトス。
 もちろんクラトスには、二人が何故このような事をしているのか大体の見当は付いている。
 するとそこへ彼の考えを裏付けるかのように、ロイドの声が聞こえてきたのだった。
「あ!あいつまた来てやがる。」
 その苛々とした調子に、帳簿から目を上げロイドを見るクラトス。
 店と事務室の間は、有事の時にいつでもすぐに店内を確認できるよう、ドアではなくカーテンで仕切られている。ロイドは時々そこから店の様子を覗いていたのだった。
「あいつとはゼロスの事か?」
「決まってるだろう!何なんだよ、あいつ。これでもう5日連続だぜ!!」
 怒りも露わにドシドシとクラトスの傍らにやって来るロイド。
「なあ、やっぱさ、ママさんに言ってもらった方がいいんじゃねえの。クラ千代は店を辞めたから、もう来ないで下さいって。」
「あいつは私を指名したわけではない。毎日飲みに来るただの客だ。」
「でも父さんを目当てに来ているのは丸分かりじゃんか。時々探るように店内見回したりしてさ。」
「そうだとしてもだ。何も聞かれていないのにわざわざこちらから辞めましたなんて言うのもおかしいだろう?」
「そりゃぁ、そうだけど…。でもそうでもしなきゃあいつ、これからも毎日来るぜ。」
「もう私が店に出る事はない。姿が見えなければその内諦めるだろう。……それにどのみち、私は今月一杯で…と言ってもあと一週間だが、店を辞める事にしたからな。」
「フーン、そうか。それなら……って、えっ?辞める?」
 素っ頓狂な声を出すロイド。
「ああそうか……すまんな。ママ殿やサキ殿、マコ殿にはもう話をしたのだが、お前達にはまだ言ってなかったか。」
「それって…もしかしてあいつに見付かったから?」
「いやそうではない。元々この仕事は長く続ける気はなかったからな。どう考えても私に合っているとは思えないし。」
「……」
 クラトスは否定したが、原因がゼロスにある事は明白であった。
 確かにこの店に長くいるつもりがなかったのは本当だろう。だが辞めるにしても辞め方というものがある。クラトスはママをはじめ、この店の人達が好きだった。その優しさで自分が負った心の傷を癒してくれた事にも感謝していた。だからそのせめてもの恩返しのつもりで、嫌だ嫌だと言いながらも今まで続けてきたのだ。
 その彼がそんな恩ある人達に対してまるで後足で砂をかけるかのように、こんなに突然に辞めるだなんて言い出すわけはなく、少なくとも後任が決まるまでは勤めようと考えていた筈である。

 それを変えざるを得なくさせたのはゼロスなのだ。
 ゼロスさえ現れなければ…。

 だがロイドには、その事でそれ以上クラトスを問い詰める事はできなかった。そうしたところで本音を話すとは思えなかったし、彼もよくよく考えて出した結論だろうと思ったからだ。
「…でもさ、辞めてどうするんだよ。またユアンに別の仕事を紹介してもらうのか?」
「それも考えたのだが、なにしろあいつときたらロクな仕事を持ってこんからな。」
 苦笑するクラトス。
「…いや、まだどうするかは決めていない。だが取り敢えずここは辞めようと思ったのだ。」
「……だったら…」
「ん?」
「だったら、俺んちへ来ればいい。」
「!!俺んちって…それはお前…」
「親父なら大丈夫だよ。父さんが来るって言えば大歓迎間違いなし。仕事もうちから通える所で探せばいい。なあ、コレット。」
「うん。そうしたらいいですよ、クラトスさん。仕事ならお婆様に頼めばいくらでも紹介してくれます。お婆様、顔が広いから。」
「しかし…」
「俺達親子なんだろ?一緒に住むのに何を遠慮する事があるんだよ。本当言うと、俺さ、ずっと前から…父さんがこの星に残るって決めたあの時から、そうしたいって思っていたんだ。そうすれば俺も親孝行ができて嬉しいし。な?そうしろよ。」
「親子で一緒にか…。」
 目を細め遠くを見ながら呟くクラトス。
「そうだな……それもいいかもしれんな。」
 それは了承ともとれる言葉であった。本当ならここは喜ぶべきところなのかもしれない。しかしロイドは何故かそんな気にはなれず、逆に言いようのない不安が湧いてくるのを感じてしまっていたのだった。

 その日残業で遅くなってしまった事もあり、クラトスは一人で帰って行った。
 ロイドとしては今日も送って行きたかったのだが、『男のお前はともかく、コレットのご家族は心配しているだろう』と言われてしまってはそれ以上無理強い出来ず、それにこの時間ならもうゼロスも帰っただろうから、今日のところはおとなしく従う事にしたのだった。
 それでもせめて姿が見えなくなるまではと見送ってから、レアバードに乗るべく街の出口へ向かい始める二人。
 ロイドは何か考え込んでいるようで何も話をしなかった。コレットもそんな彼を心配気に時々チラチラと見やりながらもその理由を問い質そうとはせず、二人は重苦しい空気の中、ただ黙々と歩いて行く。
 だがその内に街の出口付近までやって来ると、ロイドがぽつりと言った。
「……やっぱり俺じゃ駄目なんだな。」
「え?」
「父さんが必要としているのは俺じゃないって事さ。さっき一緒に住もうって言った時の父さんが浮かべた表情を見て、それを思い知らされたよ。……あの目は俺の申し出を現実として受け止めてはいなかった。そうなったらどんなにかいいだろうって、まるで夢を見ているような感じで…。父さんの中で、俺と暮らすっていうのは夢の中の事でしかないんだ。悔しいけど、父さんが本当に求めているのはゼロスとの生活なんだよ。でも当のあいつは…。」
 そこで立ち止まり唇を噛むロイド。
「……なあコレット。この間の騒動があった日の事覚えているか?俺、ゼロスに詰め寄っただろう?」
「え?あ…う、うん。」
「あの時、俺は賭けてたんだ。あいつが俺を押し退けてでも父さんのところへ行くか、それとも婚約者の元へ戻るか…。けど、結局あいつは父さんじゃなく彼女を取った。あいつは父さんを捨てたんだよ!」
「……でも、ロイド…」
「何だよ。」
「あの日ゼロスは、その婚約者のリリアさんだっけ?…彼女と一緒に店に来たんだよ。それなのにその彼女を放って自分の方へやって来たとしても、クラトスさんは素直に喜べなかったんじゃないかな。ロイドだって、もし私が一緒にいた友達をほっぽって自分のところへ来ても、やっぱり嬉しいとは思えないでしょう?きっとゼロスもそう思ってリリアさんの方へ戻ったんじゃないかな。」
「それは…。」
 コレットの言葉に俯いてしまうロイド。
 確かにコレットの言う事は正論である。あの時ゼロスが自分の元へ来たとしても、恐らくクラトスは受け入れなかっただろう。彼女を一人にしてどうするのだと怒鳴り付けたかもしれない。クラトスとはそういう男なのだ。

 でも…

「でも、それでも俺はあいつに父さんのところへ行って欲しかった。父さんの気持ちが分かっているなら尚更だ。だって、あいつは俺と約束したんだぜ。父さんを必ず幸せにするって。それなのに…。」
「ロイド…。」
「大体、何で今回の原因であるあいつが平気な顔で街を闊歩していて、被害者である父さんが気を遣って逃げ回らなきゃならないんだ?そんなのおかしいだろ。」
「……」
「俺、怖いんだよ。今、父さんの手を放してしまったら、そのままどこか遠くへ行っちゃうような気がしてさ。俺はもう離れ離れになるのは嫌なんだ。だからゼロスがやらないのなら俺が掴まえるしかない。たとえそれを父さんが望まないとしても。」
 コレットにはロイドの気持ちが分かりすぎるほどに分かっていたので、それ以上何も言う事は出来なかった。
 旅の間もロイドは、反発しながらもクラトスを慕い求めていた。これからはずっと一緒にいられるのだと、実の父親との生活を夢見ていたのだ。
 だが父親が選んだのは、自分ではなくゼロスだった。さぞや落胆したに違いない。それでも彼は黙って身を引いた。父親の幸せを願って…。
 そんな彼の気持ちを、今回の事件が踏みにじった。
 誰が悪いのでもない。それぞれがそれぞれを思う優しさが、うまく噛み合わずに空回りしてしまっただけなのだ。
 だとしたら、それを修正する事さえ出来れば、或いは…。
「…ねえ、ロイド。やっぱり、ゼロスとクラトスさんがじっくりと話し合うのが一番いいんじゃないかな。」
「え?」
「それで元の鞘に収まれば良し。万一結局別れる事になったとしても、その方がお互い悔いが残らないと思うの。」
「……」
「ね?そうしよう。」
 それでもロイドは不満そうであったが、コレットに強く勧められ、渋々ながら明日からその為のお膳立てに奔走する事にしたのだった。
 だがこの時すでに、事態は思わぬ方向へと動き始めていたのである。



 それから数日後、メルトキオの喫茶店にてリリアと向き合うゼロスの姿があった。今日こそは土下座をしてでもきっちりと決着をつける覚悟で、彼女を呼び出したのだ。
 自然、表情が硬くなり口数も少なくなる。リリアもそんないつもと違う様子の彼を不安げに見詰めていた。
 今までただ成り行きにまかせていたゼロスが、こうして腹を括ったのには理由がある。
 それはしいなが言った一言にあった。
 実は昨日しいなが突然訪ねて来て、一度クラトスとじっくり話をしてみないかと持ちかけてきたのである。その発案者はロイド達であり、今その席を設けるべく動いているのだと。
「でも折角苦労してお膳立てしても、本人達にその気がなければ意味がないだろう?それでロイド達がクラトスを、あたしがあんたを説得する事になったってわけ。正直、何であたしがって思ったけどね。まあ、あんたとは古くからの腐れ縁だし、仕方がないよね。」
「……で、天使様は了承したのか?」
「それがさ、なかなか苦戦しているようでね。あの人も頑固だからねえ。と言うか、あんたもあんまし乗り気じゃないみたいだね。どうしてだい?だってあんた、あれから毎晩のように『シンフォニア』に通っていたって言うじゃないか。クラトスと話をしたくてそうしていたんじゃないのかい?」
「……」
 しいなに対してどう答えていいのか分からず黙りこんでしまうゼロス。
 確かにゼロスはクラトスに会いたい一心で『シンフォニア』に通っていた。だがその内に気付いてしまったのである。今クラトスに会ったとしても、何を話したらよいのか分からない自分に…。
 そう。結局リリアとの事に決着をつけない限り何も進まないのだ。だがその勇気をゼロスは未だ持てずにいたのであった。
 従ってこの話は、ゼロスにとって最後通告を突きつけられたに等しく、動いてくれているロイド達には悪いが困惑以外の何ものでもなかったのである。
 するとそこへ、しいなの口から例の一言が放たれたのだった。

「あんた、もしかして両方にいい顔しようとしているんじゃないかい?」

 この言葉は確実にゼロスの胸をえぐった。
 しいなの言う通りなのだ。リリアを傷つけたくないから言い出せない…それは裏を返せば自分がよく見られたいという事。詰まるところ、悪役になるのが嫌なだけだったのである。
 リリアとクラトス、二人とも傷付けずに丸く収めようだなんてどだい無理な話なのだ。それが出来ると思うのはもはや自惚れでしかない。
 しいなの遠慮ない一言は、そんなゼロスの驕りを木っ端微塵に打ち砕き、目を覚まさせてくれたのだった。
 こうしてゼロスはようやく己のプライドも何もかも捨て去る決意を固め、今回の騒動にけりを付けるべく、本日リリアをここに呼び出したというわけである。

 しかし…

「やっぱりちょっと場所が悪かったかね…。」
 街中の喫茶店。しかも昼近くの時間帯とくれば、当然店内は混み合っている。このような所で別れ話などしたらどうなるか?
 いや、自分はいいのである。土下座をする事となり、周りから冷笑を浴びたとしても構わない。その覚悟は出来ている。だがリリアはそうもいかないだろう。こんな大衆の面前で振られた上に周囲から憐みの目で見られたとあっては、いくらなんでも立つ瀬がないではないか。
 しかも座った席も悪かった。
 ゼロス達の近くの席を二人の兵士達が陣取り、大声で話をしていたのである。
 とかく兵士のような危険を伴う仕事をしている者は地声が大きいものである。ぼそぼそとした小さな声では、いざという時に仲間に危険を知らせる事が出来ない。
 だから彼らに悪気がないというのも分かっていたし、きっと普段なら苦笑する程度で済ませていただろう。
 しかし今日は特別な日。これから大事な話を切り出そうという時に、この騒々しさは害でしかない。
 そこでゼロスはやはり場所を移した方がいいと判断し、リリアを促すと伝票を手に立ち上がったのだった。
 ところがその時、そんな彼の足を止めるに足る言葉が兵士達の口から飛び出したのだ。

「あのクルシスの大天使をお前が?…嘘だろう?」
「いや本当だって。嘘だと思うなら隊長に聞いてみろよ。俺が連行してきて隊長に引き渡したんだから。」

 驚きの表情で兵士達の方を見やり、再び腰を下ろすゼロス。不思議そうに何か言おうとするリリアに、唇の前に人差し指を立てて静かにするよう合図すると、耳をそばだてる。
 兵士達はそんなゼロスには全く気付かぬ様子で話を続けていた。

「驚いたな。本当に天使ってまだいたんだ…。実を言うと俺はあの命令を聞いた時、馬鹿な事を言っているなって思ったもんよ。だって天使なんてもういないって思っていたからな。」
「けど、いたんだな〜、これが。まあ見付けた俺自身驚いちゃってんだけどさ。」
「しかしお前、よくそいつが天使だって分かったな。羽を出していたわけじゃねえんだろ?」
「俺、前にそいつが教会に来ていたのを見た事があったんだ。それが先日たまたま行ったバーで帳簿付けしているのを見付けてさ。それで連行して来たってわけよ。」

 ゼロスの顔が強張る。
 バーに勤めており大天使とくれば、それはもうクラトスしかいない。
 だが、何故彼が拘束されねばならないのか?
 そんな命令が出ていたなど、初耳であった。

「へぇ〜。そりゃぁ、ついてたな。羨ましい。これがお前の初手柄ってわけだ。ドジだ間抜けだと言われ続けて10年。堪えてきた甲斐があったじゃねえか。」
「まあ努力はいつか報われるってコトだな。しかしよぉ、バーで帳簿付けだぜ。笑っちゃうよな。あれだけ威張り腐っていた大天使も、クルシスが壊滅した今では堕ちる所まで堕ちたって感じだよな。」
「違いねえ。」
 ケタケタと声を揃えて笑う二人。

 こいつらっ!黙って聞いてりゃ…。

 ついにこのまま黙って聞いている事に堪え切れなくなったゼロスは、椅子を蹴るようにして立ち上がると、つかつかと二人に歩み寄った。そして怒りのこもった目で二人の兵士を睨み付けながら、矢継ぎ早に詰問を浴びせかけたのだった。
「おい、今の話は本当なのか?何故天使を捕える?誰がそんな命令を出したんだ?」
「げっ!み、み、神子様!?」
 いきなり目の前に現れた『神子様』に仰天し、直立不動の姿勢をとり敬礼する二人。
「敬礼しろだなんて言っていない。その命令を出した人物は誰なのかと訊いているんだ!」
「え?あ、は、はい!……だ、誰って…そ、それは…もちろん陛下ですよ。」
「!!陛下が!?馬鹿な!」
「嘘じゃないっすよ。そりゃぁもちろん私ら下っ端ですから、直接命令を受けたのは隊長からですよ。でも元を辿っていけば国王陛下です。その証拠に今度私は陛下からお褒めの言葉を賜る事となり、生まれて初めて陛下の御前に…。もしかして『余の気持ちじゃ。』とか言ってお金も戴けちゃったりして?ムフフフフ。あ、でもこういう場合、やっぱり遠慮した方が陛下の受けがいいのかな?ねえ、どう思います?神子様。」
「そんなこたぁ、どうでもいいんだよっ!」
 兵士の胸倉を締めあげるゼロス。
「そもそも何が原因でそのような命令が出される事になったんだ!」
「ちょ、ちょっと、苦しいっす。私に当たらないでくださいよ。詳しい事情なんて私には分かりませんって。でもちょっと小耳にはさんだ情報では、どうやら密告があったようなんです。」
「密告?」
「ええ。クルシスの天使がハーフエルフを抱き込み謀反を企てようとしているってな内容の…。なんか嘘臭い話ですけどね。でも何かあってからでは遅いですし、それで天使捕縛令が出たのかと。」
「……」

 ゼロスはその密告の内容に違和感を覚えた。
 何故『クルシスの天使』という名がそこに出てくるのか?
 この世界に住むほとんどの者は、天使はクルシスと共に消え去ったと思っている。だからたとえクラトスとユアンが目の前を通り過ぎたとしても、彼らが羽を出していない限り、誰も天使だなどとは分からない筈なのだ。
 もちろんこの兵士のように以前見た事がある者もいるだろう。だがそれも今回の命令がなければ、別段注意を払わなかったに違いない。
 つまりこの密告者は一般人ではなく、クラトス達の存在を知っている誰か…。
 そしてそれはこの国の上級に位置するほんの一握りの人間に限られてくるのだ。

「なんか、きな臭い感じがするな…。」
「へ?なんですって?」
「いや、なんでもない……で、今その天使はどこにいる?」
「兵営の一室に軟禁状態の筈です。」
「兵営?……地下牢に入れられたわけではない?」
「ええ、そうなんですよ。私もそれが不思議でしてね。そんな物騒なもん、とっとと地下牢に放り込んじまった方がいいと思うんですけどねぇ。でもそれも陛下のご命令のようでして…。」
「……」
「私の知っているのはこれだけです。なんでしたら隊長に会ってみたらいかがです?隊長ならもっと詳しい内容をご存じかも…。」
「その制服……お前らの所属は衛兵隊だな?」
「え?は、はい、そうっす。」

 衛兵隊長なら顔見知りだった。もしかしたら何か聞けるかもしれない。

「すまないがリリア、今日はここで…。また連絡するから。」
「え…ゼロス様?どうなさったのですか?」
 慌てて理由を聞こうするリリア。
 だがその時にはもうすでにゼロスの意識はリリアにはなく、彼は何故か後生大事にずっと握りしめていた紙を『何だ、これ?』とか言いながら放り投げると、一目散に走り出て行ってしまったのだった。
 その姿を兵士達は呆気にとられた表情で見送っていたが、やがて顔を見合わせると呟いた。
「なんだ、ありゃ?」
「平和になった反動で頭のネジが飛んじまったんじゃねえか。」
 あの様子では神子様の天下も長くはなさそうだ。
 やれやれと肩をすくめながら再びコーヒータイムに戻ろうと向き直った兵士達。そこに見慣れぬ紙屑が載っかっているのに気付き目を丸くした。先程ゼロスが放り投げた物である。
 首を傾げながら広げてみると、なんとそれはゼロスの席の会計伝票であった。
「おい…。これって俺達に支払っておけって意味かな?」
「さあ…?」
 二人分のコーヒー代、しめて700ガルド。セルフの店でない事を考えればまあ安い部類に入るのかもしれないし、天下の『神子様』にとっては屁のようなものだろう。だが、我々安月給の者にとっては非常に深刻な問題なのだ。
「飲み逃げかよ!」
「そりゃないでしょ、神子様…」
 ならば連れに払ってもらおうとリリアの方を振り返るが、彼女の姿もいつの間にか消えており…。
 仕方なく二人の兵士は、さめざめと涙を流しながら財布の中身を数え始めたのだった。



 さて、その時、当の神子様は城に向かってひた走っていた。

 捕らえたクラトスを地下牢に入れるのではなく兵営に留め置いている事から考えるに、恐らく国王は今回の密告を鵜呑みにしたわけではないのだろう。
 ならば、まだ説得の余地が残されているという事だ。国王を納得させるだけの材料を揃える事さえできれば、クラトスを助けられる。
 その為にも、まずは衛兵隊長から話を聞いてみなければ…。

 今の彼はクラトスの事だけで頭が一杯であった。
 その為、その後をリリアが心配そうにつけて来ている事には全く気が付かなかったのである。


−つづく−